6-3
「ワシは、母親の異変に気が付けなかった、失敗作じゃ」
どこか寂し気に、老婆は言った。
「……心中お察しします」
「誰かの為に一心に頑張ること……それは見かけはとてもいいことかもしれん。しかしのぅ、自分の欲を理屈で埋め合わせて、英雄のように振舞って居れば、いつか限界が来る。どんな人間でも……例えば、強大な力を持っているお前さんでもな。本当に大事なことは真っ先にせにゃならんぞ。お前さんにとって、この国を救うということは、果たして『義務』なのか?」
「……」
「英雄。ワシはあまりこの言葉が好かん。なぜなら、『皆から甘えられる人』と言い換えることができるからな。甘える人間はいざという時に何もできなくなり、甘えられる人間はその時にはもう動けない。お前さんと似とる考えじゃろ」
「そう、ですね」
「――――して、聞くが、お前さんにとって『一番大切なもの』とはなんだ?」
重く響き渡ったその言葉は、暫時の静寂をもたらした。正午の光に照らされた、未だ乾いていない実験器具が、きらきらと輝いている。ルルンタースはそれを眺めながら、頑張って考え事をしているモトユキの心の声に耳を傾ける。
二代目の声がこだまするばかりで、理論の糸口さえもつかめていないようだった。しかし、繰り返される風景がある。それは、彼の弟の姿。そいつに再び会うことが、潜在的な「目的」にあるようで、帰れないと断言された今も、あきらめきれていないようだった。
故に、導き出された答えは、「先送り」。
「それはまだよくわかりませんが、今の私には時間が必要です。後悔しないためにも、今はこの国を救うことを選びます」
「それも良かろう。若人が答えを急く必要はないからの。ただ、早めに見つけておくに越したことはないぞ」
「はい」
「……本題は、その力を『いかにして使うか』じゃったのう。随分もったいぶっておいてあれじゃが、ワシに思いつくのは、魔石採掘くらいじゃ。すまんのう、老いぼれると、昔話をしたくてたまらん。あぁでも、混沌邪神龍のほうが年寄りか。ハハハ」
「魔石採掘……」
「魔素は基本的に生物にしか取り込まれんが……ある特定の金属には取り込まれることが分かっておる。俗にいう魔石じゃ。地中百メートルほどのところで良くとれる。そいつをたくさん掘り起こせば、一時は持つじゃろうが……」
「何か、問題があるんですか?」
「……魔石には『吸い込む』力もある。魔力を抽出するところまでは良いものの、空っぽになった魔石は、魔力を吸わんと頑張る。その量があんまり増えすぎると、そこらから魔素が無くなって、かえって状況が悪化しちまうんじゃ」
「なるほど」
「……お前さん、三代目のワシが何をしとるかは知っとるじゃろ?」
「はい」
「んなら、話は早い。ワシの招待状を渡してやるから、あいつに……」
紙を取り出して、三代目へ宛てた文をさらさらと書いていたが、言葉が途切れると同時にペンも止まってしまった。思いつめたような表情で顔を上げ、モトユキを見つめると、言葉を選ぶように、もごもごと口を動かしてから言った。
「お前さん、『傷ついた人間』を、相手にしたことはあるか?」
「……?」
「なんでもいい。身内でも友達でも恋人でも……」
「まぁ、多少はあります」
「お前さんが今から会う三代目の事じゃがの、あいつは少し曲者じゃ」
「くせもの……」
「二年ほど前に、恋人が事故に遭うてな。彼に重い障害が残ったんじゃ。そこから、人と接する機会がめっきり減っておる。ワシとも口をきかん状態じゃ。噂によれば、医者にもかかわらず、攻撃魔法の研究を進めておるとか、古代文明を用いた武器を作っておるとか……ともかく物騒なものがあってな」
「あくまで噂に過ぎないのでは?」
「……だといいのじゃが、如何せんこのババアは、血のつながりのない者との話し方は心得ておっても、家族との接し方がまるで分からんからのう。ただ、傷ついておることは確かなんじゃ。一代目と同じ血が流れておるから、同じような悩みを抱えておるかもしれん」
「――――あなたと直接話した方が、本人も楽になると思いますが」
モトユキはエミーが馬鹿だと確信していた。観察、分析、計算は得意でも、人との接し方がまるで分っていない。彼自身も、傷ついた人間の相手は苦手だった。特に女は。だが、少なくとも、目の前にいる老婆よりかは上手くやれる自信があった。
「……」
「あなただって、そうだったんじゃないですか? 一代目……お母さんの方から話してくれるのを、待っていたんじゃないですか? そしてそれを、今しがた後悔していたじゃないですか」
「……何も、言い返せん。じゃが、ワシが何もできんのも確かじゃ」
「親愛なる我が子へ、二代目より」とだけ書かれてある紙に、エミーは魔力を封じ込めた。そういう印だ。モトユキは、そっとそれを受け取った。
目的は定まった。革命を志す仲間のリーダー的位置にいる、「三代目」の駒となること。あとは彼女に従っていけば、この国を救うことができる。幻魔への侵攻は、それからになるだろう。と、彼はざっと計画を練り直していた。
しかし、募るのは違和感。目の前にいる二代目が、深く考え込むほど、三代目が衰弱していたのなら……流れに身を任せているだけでは危険だろう。いや、そもそも自分たちが正常なのかどうかも、今は分からなくなってきている。重たい空気の街にいるからだろうか。
結局行き詰まるばかりの現実に、彼はゆっくりとため息を漏らした。