6-1 「失敗作」
今から二百年ほど前の話だ。
エミーと呼ばれる猫亜人の魔導士は、ちょうどそのころに、件の「エミーの魔導書」を完成させた。いや、「完成させた」という言葉を使うのはあまり相応しくない。
当時エミーには二人の弟子が居た。「真面目な奴」と「不真面目な奴」である。
真実は、不真面目な方の弟子が、彼女のメモ帳を発見し、金貨百七十枚(日本円で五百万ほどの値)で買った。そして彼女と袂を分かった後で、メモ帳に記されていた技術を学校に発表する。後に、それがあたかも自分の成果であるように振舞ったおかげで、彼は巨万の富(メモを買った五十倍の金)と名誉を手にした。
その十年後は、真面目な方もエミーから独立していたが、不真面目な方の卑怯さに納得がいかなかった。そこで、彼女が研究していた内容を、できるだけ分かりやすく編集して、子供向けの魔導書として売ったのである。それが「エミーの魔導書」だった。(シューテル大陸へ渡ったものは、もう少し無機質な文体になっており、若干倫理に欠けるものも含まれていた)
研究成果を横取りするという行為。それは、本来得るはずだった栄光も名誉もなくなり、常人ならば到底許されるべき行為ではなかった。真面目な方はこれを深く理解し、魔導書の売り上げ金を彼女に送り続けてもなお、もっと早めに気が付いていれば、と何度も後悔していた。
……ところが、二人の弟子に、エミーが何か反応を示すことはなかった。
それはなぜかと言えば、簡単な理由、「興味が無かったから」である。彼女にとって、金も地位もさほど重要なものではなかった。ただ、「知りたかった」のである。この世界を支配する、神とやらが作った法則を。しかしながら、まだまだ神と呼ばれる存在には程遠く、もっと研究に没頭するために、エミーは適当な村に場所を移し、そこで細々と実験をするようになる。
細々と、と表現したが、これは見る人によってはとんでもない内容だった。エミーの魔導書の中には、「死者蘇生」の試みの記録が残されていたが、彼女は完全にこれをあきらめたわけではなかった。今度は逆の操作、いわば「生命創造」へとテーマを変えて、研究を進めていた。
見る人によっては、それを「神の領域だ」と忌み嫌う。というより、それが当たり前なのだろう。ところが、共感能力に乏しかった彼女は、ガンガン「命」を使った。つまり、可哀想だと思えなかったのだ。切り刻まれる動物が。
――――結果、生まれたのが「二代目」である。
一代目と同様の遺伝子を持つ、所謂クローンだった。同じ髪色、同じ顔立ち、同じ体臭。当たり前だが、第三者から見れば、二人はとても良く似ていた。
一代目は特にそのクローンに名前を付けることはしなかったが、捨てることもしなかった。近くに家庭を築いていた女を母親代わりに雇い、そいつの母乳を飲ませながら育てた。一代目は、完全に機械的に接したわけではない。たまに、寝かしつけるために抱いたり、カラカラと音の鳴る玩具を使って遊んだりした。
すると不思議な結果があらわれる。一代目はほとんど無表情で一日を過ごし、誰とも関わろうともしないのに対し、二代目はよく笑い、よく泣き、たくさんの人間と関わろうとした。同じ遺伝子なのに、感情というものの使い方が全く違ったのである。
二代目は、物心がつくのが早かった。本物の母親である一代目への最初のイメージは、「静かな人」だった。一代目もまたそれを察し、割と早いうちに、クローンであることを少女に明かしたが、特に驚くことはなかった。新しい知識への好奇心と、自分への興味の低さだけが、彼女らの「心」の共通点である。
やがて、手先が器用になってくる五歳頃、一代目は母親を雇うのをやめて、自分で母親というものに挑戦してみることにした。といっても、それはそれは不器用で、「助手」としてこき使う以外のコミュニケーション方法が思いつかなかった。
二代目は良く働いた。頑張っても特に褒めてもらえるわけでもなかったが、たまに魔法を教えてくれるのが楽しみで、一代目のことが大好きだった。一方で、友達付き合いも上手くやっていた。彼女にとって、この世界は光で満ち溢れていたのだ。
ところで、一代目は滅多に、いや、全く自分についての話はしなかった。二代目が、自分が生まれる前の母親の歴史を聞こうとしても、何故だか「覚えていない」と返すばかりだった。この文章の頭に書いた話は、二代目が大人になってから自分で調べた話で、聞き出したものではない。故に、彼女の親、つまり自分の祖父母がどのような人物であるか、二代目にはさっぱりわからなかった。
個人では、一代目は「孤児」だったのではないかと推測していた。自分と同じ遺伝子ならば、真っ当に育てば同じような性格をしているはずだ。ところが、当の本人は、人との話し方を忘れるくらい、人と触れ合わない。ということは、幼少期に「誰かと話した経験」が少なすぎるのではないか……つまりそれは、親からのサポートが満足に受けられなかったのではないか。そういう推測。因みにこれは、二代目が十歳のときに考えたもの。
「お母さん、お母さん」
「私はお母さんじゃない。お前の同遺伝子個体だと何度も言っている」
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「……やっぱり、お母さんでいい」
如何せん、二百年前の話だ。二代目は一代目の顔をほとんど覚えていないし、写真もない。自分の若かりし頃と同じようだということも知っていたが、それすらもあまり覚えていない。ということは、声も話も詳しくは思い出せないのだが、何故だが色濃く残っている記憶がある。
これは、二代目の「最初」の記憶。普通に話せば可愛らしい声をしているのに、感情の起伏が少ないせいで、冷たく聞こえる。あとから意味を考えれば、「お母さんでいい」は、世間体を気にしての回答だったという説が有力なのだが、どうにも「照れていた」ように眼には残っているのだ。鉄仮面だった母親が、少しだけ自分に心を許した瞬間……そう確信してしまう。