九十三話:嵐の前の静けさ
九十三話:嵐の前の静けさ
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水の国が誇る国営公園の雰囲気はよかった。とても広いのに整備が隅々まで行き届いておりチリ一つ落ちていない。
刈り込まれた緑がどこまでも広がり、道が長く続いている。中央には巨大な池があり、舟を借りて漕ぎ出すカップルや家族連れの姿が見えた。
日本の大きな公園と変わらないほど立派な場所だが、奥で存在感を示す水晶の大樹の彫刻がここを異世界だと強く主張していた。
「こちらからでも、もう見えるんですね」
「この国の目玉ですから。でも根本は人気があるので行けたことがありませんでした」
「じゃあ今日初めて行くわけだ。フィリシアが勧めていたら楽しみ」
女子二人の仲の良さがサブローは少し羨ましかった。たびたび異性ということで疎外感を感じる機会が多かったからである。
海老澤と再会して同性同士の気楽さを再認識したというのも多分に含まれている。
「今回は写真も撮れますからね。ちゃんと日本に戻ったとき、タマちゃんに教わったので準備万端です!」
「カメラアプリを使うのに習わないといけないってフィリシア……。あたしだって自分でやり方おぼえたよ?」
フィリシアの目が気まずそうに泳いでいる。やがて唇をとがらせてぼそりと呟いた。
「師匠さんの裏切者……」
「なんの裏切りよ、なんの」
ミコが呆れつつフィリシアの脇腹をつつく。その様子を見ていつの間にか施設の姉妹兄弟たちのような距離まで縮まっていることに気づいた。
「二人ともずいぶん仲良くなったんですね。もともとそこまで悪くないとは思っていましたが」
「そうですか?」
「まああたしはお姉ちゃんだからね」
フィリシアがジト目をミコに向けたが、なにも言わずそのままに流す。遠回しに肯定している感じだ。
素直にうれしくなってサブローは足取りが軽くなる。
「なあ、アニキ。本当にオレもついていっていいのか? 邪魔じゃねーかな」
「そんなことはありませんが、急にどうしました? いつも厚かましいくらいですのに」
「アニキもだんだんオレに遠慮がなくなってきたな。エビサワ見るに同性相手だと意外とノリがいいのか?」
言われてみれば、創星をすっかり仲のいい友達扱いをしているかもしれない。というか口調で予想はしていたがやはり男だったか。バカ話ができる相手というのは貴重であるため悪い気分ではなかった。
彫刻展示場の入り口で並んで自分の番を待った。待っている間、施設は今頃どうしているか談笑して時間をつぶす。創星がエリックにしつこく質問責めにあった話で盛り上がっていると、サブローたちの番がやってきた。
招待券を見せると待つ必要はなかったと焦るスタッフに説明された。待つのも別に嫌いではないサブローたちは間の抜けた返事を返すだけだった。
展示場を歩くと青い水晶で出来た女性の像が出迎える。フィリシアが説明を読み、水の国を創設した女王の像であることがわかった。
「実物より美化していないか?」
創星が浮かんで女王の像を間近で観察する。浮かんで喋る剣に周囲が驚いているが、次の瞬間には話に聞いていた魔人の勇者と気づいて人に避けられた。サブローはもう慣れっこである。
「そんなにかじりつくほどですか?」
「美人なのは間違っていないけど、こんなに慈悲深そうな表情を浮かべる奴じゃなかったな。なんというか無表情で仕事をこなす鉄の女って感じ」
聞く人によってはケンカを売っているような物言いをしながら創星は腰に収まる。遠慮のない聖剣であった。
それにしてもと天井を見上げる。視線の先には青い水晶の葉が広がっていた。目玉である水晶大樹が屋根の代わりも務めているようだ。
「天気のいい今日を選んで正解ですね。水晶がとても映えます」
「しかしよくこんなに水晶がありますね」
「大樹の元になった水晶は巨大な水晶の柱として生えていたんだ。国を創設したとき、一流の職人を雇い、国の象徴として大樹の形に整えたって自慢されたな。それにこの国は高品質の水晶の原石が掘れる山脈がいくつもあるんだよ。魔法や魔道具の素材になるから魔法大国との取引も多い。五百年前、ここの水晶を使った魔法儀式には助けられたしな」
サブローとミコは感心するが、フィリシアは知っていたようだ。この世界では有名な話だと前置きされる。
「水の国の創始者……初代女王は水の精霊術だけではなく、水晶を使った儀式魔法も得意だったと伝えられています。魔王軍の特に強い七人の魔人に襲われた勇者様を助け、勝利に導いたそうです」
「まあまあ、まだお若いのによくご存じですねぇ」
サブローたちが声の方向に振り向くと穏やかな顔をした老夫婦が嬉しそうにしていた。挨拶をすると、創星を拝みたいと頼まれたので前に出す。
「ありがたいことです。この国にいて創星様を拝めるなんて……」
「あなた方に神々の加護があらんことを……」
仲良く寄り添う老夫婦は久々にお仕事モードで対応する創星と神々に感謝を述べ、サブローに握手を求めた。黙っているわけにもいかず魔人であることも明かしたが、二人に知っていると返されて戸惑った。
「私ども夫婦にはあなたが悪人にはとても見ません。その自分の直感を信じたいと思います」
「……ありがとうございます。その信頼を裏切らないように努力します」
丁寧に対応をしてもらいこころよく別れた。自分以上に周りが喜んでいる気がするが、サブローはより気を引き締める。ただでさえ魔人ということで世間の目は厳しいため、信じてくれた老夫婦を失望させるわけにはいかない。そう考えるのはサブローにとって自然だった。
「では次の展示を見に行きましょう」
上機嫌なフィリシアが申し出て、三人と一振りは進む。この国の歴代英雄、魔王と戦う四人の勇者などの展示物を通り過ぎる。勇者の像は創星いわく似ていないそうだ。
「ま、後世に出来た物だからしゃーないけどな」
仕方ない、とみんなで笑い合う。次の展示物はかなり大きく目を惹いた。
「クジラ……?」
ミコのつぶやきの通りホール状に区切られている展示場の真ん中には、緑の水晶で出来たクジラが置かれていた。信心深そうな人が祈りをささげている。
「いつかフィリシアさんが言っていましたね。この国ではクジラは神獣と崇められていると」
「はい。こちらの世界では実在しない、幻の生物です」
「ドラゴンとかいるのに……」
「ちなみにオレに聞いてもその辺わからないぞ。だからエリックみたいに質問責めはやめて……お願いだから……」
エリックは創星相手になにをしたのかサブローは恐ろしくなった。知的好奇心を満たす存在として彼の興味を引いたのだろうが、たった一晩でここまで言われるとは。
とりあえずフィリシアに倣って拝み、次へと向かう。展示物を見た瞬間、創星が一番に反応した。
「お、懐かしいものがあるな。アニキ、多分ノアが言っていたのはこれだわ」
サブローにとって興味深いものと紹介されていた奴だと察する。見ると魔人の形に彫られた彫像が水晶の柱に閉じ込められて展示されていた。同様の物が中身の像を変えて七つも並んである。
「ほー、封印された状態を彫刻で再現したのか。実物はもっと透明度低いけどな」
「実物……?」
「こいつらは五百年前の魔人の中で特に強い七人だ。別格が上に一人いるとはいえ、こいつらも中々侮れなかった。七人同時に襲われたときはアネゴたちも苦戦して、初代水の女王の力を借りてようやく封印までこぎつけたんだ」
「私も聞いたことがあります。行ったことはありませんが、神聖都市ヒュエナの神殿で厳重に封印されているそうです」
何度も感心しながらサブローは彫像をよく観察した。それぞれ七人は海老澤や鰐頭のように動物を鎧の意匠として取り込んでいる。
「たしかに強そうですね。兄さん以外のA級魔人を思い出します」
「どいつもこいつもアニキと同等か、ちょい劣るくらいだったからなー」
「ああ、ではたいしたことありませんね」
「なんでアニキは自己評価低いんだよ! そこは安心するところじゃないだろ!?」
サブローは目をぱちくりさせた。フィリシアとミコも話を聞いて顔を難しそうにしている。
「あたしらじゃすごい苦戦する」
「そもそも魔人とまともに一対一で渡り合うのが遠かったです」
「二人ならすぐに僕なんか追い抜きますって」
二人はその発言を受けてまったく信じようとはしなかった。鰐頭のおかげとはいえサブローでさえここまで強くなれたのだから、二人の素質なら魔人程度片手で捻れるほど強くなれると思うのだが。
一通り見ていると、三度笠を被っている印象を持つ魔人の前に立つ。笠の中心から顔を覆うように生えている細長い触手がクラゲを思わせた。
「ああ、ラセツが気になるのかアニキ?」
「ラセツ……なんといいますか、触手を使う魔人を見るのは自分を含めて三人目です」
「アニキみたいな使い方はしないぜ。触手に力が入らないからな。その代わり鋭く速く、いつの間にか突き刺して毒を流すことができた。自由自在に動かせて伸ばせる毒針って感じだ」
それは怖い話だ。自分でも気づかずに毒を流されるなどたまったものではない。
「隣のはオンゾク。ひたすら殴ることに特化した魔人だな」
「角が格好いいですね。見た印象だと……虫っぽいような」
頭部から伸びた二つの角から察するにクワガタムシの魔人だろうか。男としては羨ましいモチーフである。
「神が確認されていない宗教の信者だったな。この世をまっさらにするべきだっていう経典を信じて、実行しようとする危ない奴」
「神を確認? そういえば創星がいるから実在するかどうかわかるか」
ミコの言葉に創星は曖昧な唸り声を上げる。ふよふよと左右に刀身を揺らしてから話し始めた。
「そうとも限らないんだよな。よその世界の神が居ついたり、また別の世界に神が旅だったりなんて珍しいことじゃないし。どっかから生えてきた神の教義を受け取った、っていう線も否定できない」
「生えてきたって……そんなたけのこみたいな言い方ってありますか?」
「そう言われても本当のことだし。アニキの世界と兼任していた神もいたぜ」
変な共通点を明かされても反応に困る。文字通り雲の上の話なので気にしないことにした。
「それで話を戻しましょう。オンゾクさんはその教えを守っていたのですか?」
「まあ当時でも邪教として扱われて、国から追われて滅んだからな。今でも似たような宗教が湧いては消えているけど、そいつは教えを絶対だと思って魔人の力に手を染めた。最終的には自分を含めて魔人も全滅させる気だった」
「迷惑な話ですね、サブローさん」
フィリシアに同意する。本人がなにを信じるかは自由だが、他者の命を奪うというのなら淘汰されるのも仕方ないだろう。
創星は残りの魔人も軽く解説したり、嫌な思い出があると触れたがらなかったり様々だった。
やがて一通り満足して回り、とうとうメインの水晶大樹の根元へと向かった。
水晶の大樹はどっしりと構え、陽光を受けてきらめく葉が世界を包むように視界いっぱいに広がった。深い青を宿す幹も枝も中に呼び込んだ光を反射で柔らかい輝きに変えていた。
サブローは無意識に感動のため息を長く吐く。不思議な光を宿す水晶大樹が幻想的な光景を生みだしていた。
枝葉を外から眺めたときや、建物の屋根として見上げたときも感動したのだが、大樹として存在するとより強く心を揺さぶられた。
「フィリシアがここに連れてきたがるわけだよ。いいなー、これ」
ミコが幼いころに戻ったように目をキラキラさせて喜んでいる。サブローもきっと同じように興奮が隠せていないだろう。
「私も初めてみます。来れてとても嬉しいです!」
フィリシアもスキップしそうなほど上機嫌な様子で傍に寄り添った。隣ではミコが腕をつかんであちこち指をさして一緒に見ようとする。
距離の近さが気になるが、口にするのは無粋な気がしてサブローは耐える選択をした。
かなり並んでいたわりに中はだいぶ空いている。一度に中に入る人数が決められており、その方がこの大樹を堪能できるからとのことだ。
王族の使う招待券だったのは伝わっているらしく、並んでいる他の人たちには申し訳なかったのだが優先して中へと案内された。
罪悪感を感じるものの、二人が喜んでいるのならそれでいいかという気持ちになる。
「ここです。ここで愛を誓い合ったカップルは長続きをすると言われています!」
水晶の大樹のちょうど中央に、反射した光が一点に集まる場所があった。スポットライトのような光の中に二、三人入ればいっぱいになるだろう。フィリシアに先導されるまま、サブローたちはそこに立った。
「しかしこの三人でここに来るとすることがありませんね。家族しての関係が長続きするように祈りま……うぉっ! どうしたんですか二人とも!?」
二人は先ほどまでの様子から一転、不満いっぱいな顔でサブローを睨みつけていた。
「アニキ、それはないだろう……」
腰の聖剣にすら呆れられた。サブローは戸惑いながらどういうことかと頭をひねり続けた。




