九十一話:相棒と呼んでいる男
川船の上で二つの満月と浮かぶ城を見上げて、海老澤は感嘆のため息を漏らしていた。
周りに灯りがないことも作用して月明かりを反射する城の壁が黄金色に優しく輝いている。下品過ぎないような優しい色はどう生みだしたのか、サブローは気になってしょうがない。漆黒の川面にも城はその姿を浮かび上がらせていた。
「なんかいいなーこういうの。サブロー好きだろ、城」
「城が好きだってことをよく覚えていましたね。しかし海老澤さんでもちゃんと感心できる感性が残っていたとは思いませんでした」
「お前さー、俺相手だと遠慮なしだよな!」
海老澤が後ろから羽交い締めしてこめかみに拳をぐりぐり当てる。痛いと抵抗しながらも、久しぶりのやり取りにサブローはなんだか楽しくなってきた。
「いいなー」
フィリシアがポツリとつぶやいたので、サブローは不思議そうに彼女を見た。海老澤がなにかを察したようにうなずく。
「ああ、そういうことね」
「えっ、な、なにがですか!」
「あんたわかりやすいな。ゾウステっち、いつもこんなん?」
「いつも通りだよ、エビサワの旦那」
フィリシアのなにがわかりやすいのか、サブローは察することが出来ずにきょとんとした。先ほどのつぶやきを二人は理解できているようだ。仲間外れのようで少し寂しい。そんなサブローの様子に彼は気づいて多少真顔になる。
「そしてお前は相変わらずか。病院行った方がいいと思うぞ」
「そこまで言いますか!?」
「あの、さすがに言い過ぎでは……」
海老澤はフィリシアに窘められながらも、心配そうな表情を変えない。
「たぶんそちらさんが言いたいことと、俺が言いたいことって違うんだよな。鈍感なところに関してからかっていると思っているんだろうけど、俺は…………」
そこから言葉が思いつかないのか押し黙った。どう話せばいいのか迷っているようにも見える。
やがて海老澤はまじめ腐った顔をやめて、「やっぱなんでもないわ」と誤魔化してからいつもの調子に戻った。
「しかしあのお姫様、ノアさんの膝で気持ちよさそうに寝てるな」
わずかにクルエの周囲で護衛をする騎士が緊張をしたが、お構いなしに海老澤が顔を覗き込む。さすがに寝ている状態でなにか仕返しをするつもりはないらしい。
ノアは愛しそうにクルエの髪を撫でつける。
「本日は懐いていらっしゃるフィリシア様やミョウコウジ様のおかげでおひい様も楽しそうでした。心から感謝をいたします」
「そんなことはありません、ノアさん」
「そうだよ。結局クルエ様の一番はノアさんみたいだし」
フィリシアとミコが口々にノアのことを褒め称える。彼女は少し困ったように微笑んで、自らの主へと視線を落とした。
「フィリシア様はご存知ですが、クルエ様はご兄弟の方々と比べて特に秀でた才のないお方です。亡くなられた正妃様のただお一人の子と言うことでないがしろにはされませんが、やはり周囲の目は厳しくなってしまいます」
もちろん本人の耳にも届いているので胸中の感情をいつも持て余している状態とのことだった。クルエに自信をつけさせようとノアは厳しく接していたが上手くいかず、疎まれているのではないか不安だったようだ。
そうではないと知ることができて、とても穏やかな気持ちだと彼女は優しくこぼした。
「お姫さんをやるのも大変なんだな。まあその辺は折り合いつけていくようになっていくもんさ」
「そういえば海老澤さんいいところの出身でしたね。不良息子としては気持ちがわかるのですか?」
サブローが新たな事実を明かすと周囲に驚きの声があがった。
「その性格と軽そうな見た目で?」
「ミコ、その通りですがさすがに失礼ですよ。たしか母親が華道の先生でしたよね」
「お前もたいがいだからな、失礼なの」
「ご家族は……魔人のことは、その…………」
フィリシアが言いにくそうに切り出した。対して海老澤はいつもの明るい調子で話す。
「知っているよ。あんときのサブローの綺麗な土下座を見せてやりたいくらいだ」
「本当に申し訳なかったんですからね。そうしたらこんなダメ息子、ノシつけて渡しますだの、好きに使ってくださいだの、散々でしたけどなにをしたんですか!?」
「不良息子だからそりゃ色々とな。逢魔行って死んでくれればいいや程度に考えていたんじゃね?」
かつての相棒はけっこう重たいことをいつもの調子で軽く言い切った。自業自得である可能性が高いため同情はできないが、そのあたりいまだよくわかっていない。
サブローがため息をついていると、ようやく船は城内へとたどり着いた。
さすがに王は寝ているとのことなので、話は翌日という運びになった。それぞれ用意された食事をとり、風呂に入ってから客室に案内される。
「城で寝るとか初めてだわ。テンション上がる―」
ふかふかのベッドで柔らかさを堪能している海老澤が男子小学生のノリで話しかけてきた。満腹なこともありしばらく大の字になって大人しくしていたが、一時間ほど経った頃にむくりと上半身を起こした。
「うし、夜這い行くか」
「ふざけないでくださいよ」
サブローは問答無用で制御装置を外し、触手だけを呼び出す。ノアのところに行くつもりであるなら、どのような結果になってもクルエが傷つきそうだ。容認できない。
「まあ待て。お前がフィリシアとかいう娘やミコとか言う美人のところに行くのを止めない。むしろアシストする! どうだ?」
無言で触手を増やした。言ってきかないのならこちらも考えがある。両手両足を拘束するかどうか真剣に悩んだ。
「冗談だよ冗談。あの二人なら喜びそうだけど……」
「そんなわけないでしょう! 明日から気まずくなります!」
顔を真っ赤にして声を荒げると、海老澤は瞳の奥を覗き込むようにまじまじと見つめてきた。
「やっぱまだ怖いんか?」
「ッ!? …………気づいていたんですか?」
最近指摘されてようやく自覚したところを突かれて、サブローは肩を落とした。こわごわと海老澤の表情を伺うとなんとも複雑そうにしている。
「まあな。なにが起こったかも話だけは聞いているし、自覚しているあたり前には進んでいるみたいで安心したよ」
「なんだなんだ? アニキになにかあったのか?」
「そりゃ色々と。サブローが言いたくなるまで待ってやりな。あれはちょいヘビーだ」
宥めるように言われた創星はとりあえず納得する。海老澤はあくびを一つ噛み殺してあっさりと眠りについた。相変わらず寝つきのいい男である。
サブローも横になって目を閉じた。先ほどの海老澤の発言がグルグル頭の中を回って、まんじりと夜を過ごした。
「おはよう諸君! こたびの顔だしは私事である。礼などいらぬ、好きに食を続けるがよい」
朝食のため食堂に集まったメンバーを前にして、王はそういってずかずかと海老澤の前に座った。彼はかしこまった対応を嫌っている節があるので失礼な態度をとらないか、サブローはハラハラしている。
「そなたが新たに見つかった魔人か。して、我が国のどこが気に入った?」
「暖かくて過ごしやすい。水が安い。飯は味が濃いけど量が多くて腹いっぱいになる。カジノが楽しい。そこらへん歩いている姉ちゃんのノリがいい」
俗な感想を並べられてサブローたちは呆れかえった。王だと教えておいたのだが、海老澤はそこら辺の兄ちゃんを前にしたような態度を変えない。幸い王は上機嫌なままだ。
「うむ、正直な感想でよろしい。満足いくまでこの国を堪能するがよい」
「いいのか? 魔人なんかとっとと出て行けって言うのが普通じゃないかね」
「そなたが悪辣な魔人ならそういうさ。しかしまあ、我が娘のクルエが毛嫌いせずに気安い対応をしたということは、少なくとも悪人ではないだろう」
「最初おびえられていたぞ」
「あれは人見知りゆえ誰でも初対面はあんなものだ。よほど人のいい相手にしか強く出ない。甘えん坊だからな」
そういえばサブローは初対面だとわがままを言われていた気がする。気を許されたということだろうかと、顔をゆるめて娘の話をしていた王をみた。言葉の内容以上にその表情が親バカだと饒舌に語る。
「そんなに信頼しているなら、お姫さんにそういう顔で言ってやればいいのに」
「当然言っているのだがいまいち効果が薄くてな。こういうときは男親は無力なものだ。はぁ~」
気安すぎる態度ではないかとサブローが戸惑い始めると、慣れているフィリシアが疑問を口にした。
「あの、クルエ様が嫌っていないから信頼するというのは、少々危険ではありませんか?」
「ふむ、フィリシアには言っていなかったな。精霊が善を好み、悪を嫌う性質を持っているのは知っているな?」
フィリシアは頷く。サブローは初耳であったため感心するしかなかった。
「精霊術一族の中には精霊に同調しすぎて善悪に過敏になる者が居る。地の里のイルンが代表例だな。我が娘もその手の類で、腹に一物を抱えている連中を前にしているから常に苛立っている。まあ原因の一つに過ぎないが」
水の国の王は正妃を失くしてから、誰もその地位につけていないとフィリシアから聞いていた。そうなると残されたクルエを自由にさせておくということはできないだろう。儀礼的な物にしろ普段の生活にしろ、彼女が嫌うタイプの人種と関わらなければならない。
目の前の王パルミロは自らの娘を案じるように物憂げな表情を一瞬だけした。
「まあそういうわけでそなたらが傍にいると娘も安心する。変わらず構ってやってくれ」
「俺としてはノアさんとお近づきになりたいんだがなー。そういうのはだいたいサブローに任せているし」
「とはいえってもクルエ様相手には僕も無力ですよ」
「そうか? お前に当たりがきついのは甘えている部分もあると思うけど」
相方が不思議なことを言うのでサブローはキョトンとした。完全に嫌われているわけではないというのはなんとなく感じていたが。
「たしかにそんな感じよね。なんだかんだサブの挙動気にしているし」
ミコがそういうなら確かなのかもしれない。サブローはもう少し頑張ってみるかと気合を入れた。
「まあしばらくはこの国に滞在をしていてほしい。一週間もすればカスペル様も来て、不吉な影が去ったかどうかわかるしな」
王はそういって食堂を後にした。あとに残されたサブローたちはとりあえず食事を終わらせて今後の相談をすることにした。




