八十七話:水の王との出会い
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訪れた王城はとても見事なものだった。
湖上の島にそびえたつ巨大な城がその存在を強く主張している。淡い黄色の壁を持ち、黒い屋根を背負っている姿は夜に月と見上げると映えるようなデザインだった。
城の中央に配されている巨大なバラ窓の意匠は素晴らしくつい写真を撮りたくなる。穏やかな水面に城が映るのもより存在感を強めた。
湖が天然の水堀の役割を果たしているため、非常に攻めにくいだろう城であった。正面橋を開いた門から馬車で進み、三代前の王がデザインして名を冠した庭園を抜けて入城を果たす。
愚図るクルエと連行するノアの二人と別れ、王に会うのに消極的なゾウステを引っ張って謁見の間に案内される。あらかじめ教えられた礼に則った姿勢をとって主の登場を待った。
やがて衛兵が王の登場を告げて足音がする。顔を伏せても魔人の五感は王の動きを詳細に伝えてきた。重々しい動作で王が謁見用の豪華な椅子につき、衛兵が長々と王の偉大さと面会できることの光栄さを説いてようやく顔を上げることを許された。
「パルミロ・フィデンツ・ウンディ国王陛下。ご尊顔に拝し奉り恐悦至極に存じます。風の精霊術一族・族長の娘フィリシアが勇者と旅を共にする身としてお伝えしたいことがございます」
「風の精霊術一族・族長の娘フィリシアよ、大儀である。他の者は席をはずせ」
衛兵たちが戸惑うが国王がより強く命令をすると渋々従った。彼らが出ていくのを確認してから、眼前の王が姿勢を崩した。
「行ったか……。あ、勇者一行も楽にするがよい。フィリシア、元気そうでなによりだ」
「はい。パルミロ様、お久しぶりです。マリーも元気ですよ」
基本真面目であるフィリシアが一番に姿勢を崩した。続けてナギが立ちあがって肩を回す。セスとディーナの親衛隊二人は戸惑っていた。
「王とは面倒なものだな、パルミロ様」
「威厳を保てば様々な場面で役立つものだ。しかしそなたとフィリシアが知り合いとはな」
「サブローを通じて知り合ったさ。ま、精霊術一族だからなんらかのかかわりがあるとは思っていたが」
気安い二人の様子にサブローは呆気にとられる。フィリシアも同じことを思ったのか口を出した。
「あの、ナギはパルミロ様とお知り合いだったのですか?」
「依頼を何度かな。まさか王本人が直接来るとは思わなかったが」
「お忍びでいろいろな顔を持っている。貧乏貴族の三男坊とかな」
暴れそうな肩書である。楽にしていいと言われてもいまいちサブローは従いにくい。
「その分精霊術一族の会合はいい。余の性格が知れ渡っているからいちいち気を遣う必要もない。……わが友と顔を会わせられる機会はもう二度と訪れないのだが」
国王の顔に陰がさす。フィリシアから聞かされた話を思い出し、彼女の父親と親しかった話だろうとあたりを付けた。
「ところでフィリシア。風の一族が襲われたと聞いたときは王国に宣戦布告をするつもりだったぞ」
「えぇ!? そ、そんな……」
フィリシアが焦り始めると、パルミロの顔が王に変る。
「ことは風の一族だけでは収まらない。精霊術一族全体の沽券に係わる問題だった。我が国の王族貴族を問わず、王国に精霊術一族の威光を知らしめるべきだという意見が占めていた。しかしまあ、魔王の仕業だとわかり撤回せざるを得なかったがな。よって余たち水の国は勇者と冒険者ギルドを全力で支援し、魔王を倒す方面で意見をまとめた」
ホッと安堵の息をつくフィリシアをしり目に、サブローはまだ続きがあると構えた。そしてその態度は正しかった。
「だが、王国には将来ツケを払ってもらう。騙されたとはいえかの国が起こしたことは許されることではない。戦後の領土は半分以下になるだろうと余は予測している」
「そう……ですか。シュゼット様……」
「相変わらずフィリシアは優しいな。余としては喜んでも罰は当たらない、むしろ当然の権利だと考えているのだがな。娘のクルエなど風の一族が滅んだと聞いてから、毎日王国を攻め滅ぼしてほしいと嘆願していたぞ」
新たに明かされた真実にフィリシアの笑みが引きつる。あのお姫様の行動力は驚かされてばかりだ。
「そしてそなたが新たな勇者にして魔人のカイジン・サブローか」
「はい。申し遅れましたが僕が……」
「よい。人のよさそうな顔をしている。とてもノアから聞いたような活躍をするようには見えないな」
王は上機嫌で小さく笑った。クルエをはじめとして子どもを何人も持つと聞いていたが、そうは思えないほど子どもっぽい笑顔だった。
「パルミロ様、サブローさんは……」
「聞いているぞ、フィリシア。そなたたちを手助けしたこと、地の里での活躍、魔法大国の首都での顛末、船でのシーサーペント退治、すべてをな」
ならば話は早い。サブローはさっそく水の国の危機を伝えようと動いた。しかし彼はまだ話を聞けと手で制する。
「そしてこの国に不吉な影があることも耳に入れている。ならば先に準備を整えておくものだ。勇者よ、ついてまいれ」
言うが早いか王は自ら先導を始めた。壁をペタペタ触ると一部分がスライドして人の通れる穴が開く。あけた張本人は驚くこちらの反応を見て満足そうにし、中へと誘った。
城の隠し通路みたいなところだろうか。暗い通路はぽつぽつと松明が灯っているだけだ。サブローたちが全員入るとなんらかの魔法が施されているのか、パルミロが指を鳴らして入口が閉まる。
ひとまず長々と通路を進み、数分したところで外へと出た。
「わが国はクモの巣のように水路が広がっていてな。小船を使った移動は共同馬車よりもメジャーだ」
国王自ら国の特色を解説するのは豪華だろうか。判断がつかないが、いくつもの船が待機している城内の船着き場へとたどり着いた。
先に待機していた何人かの騎士と相変わらずのメイド服のノアが臣下の礼を取った。
「我が城から外に出るには決まったルートを通らなくてはならない。案内をノアに任せてあるから怪しいと思わしき場所を巡ってくれ」
「……なにもかも用意していただき、ありがとうございます」
「よい。本来なら礼を言わねばならないのは余たちの方だ。王国に先を越されたのは少し癪だが、我ら水の国も第四の勇者を支援することを表明してある」
サブローは驚きに目を丸くした。どうしてそこまでと問うとパルミロは意外そうな顔をする。
「ふむ、問われても我が国に利益をもたらすからとしか言えんが」
「……僕は魔人ですよ?」
「魔人の勇者という存在は確かに冒険者ギルドを戸惑わせているし、支援することで民を不安にさせるかもしれない。そう言いたいのだろうが余はそれ以上のメリットが見える。魔人や勇者ではない、そなた自体の功績によってだ」
功績と言われて思い当たるのはフィリシアたちのことか、あるいは地の里のことか。いずれにしても水の国の利益になるとはどういうことか。フィリシアの表情を伺うと、彼女も思い当たらないようだ。
「いやなに、そなたがフィリシアたちや地の里を救ったことには感謝しているが、直接利をもたらせたわけではない。ただ、勇者カイジン・サブローの人格面を保障し、表立って支援する価値があると余に知らせただけだ」
サブローは眉をしかめた。話がまだ理解の外である。王はその様子を見て不敵な笑みを浮かべた。
「そなたたちが異世界の対魔人組織に所属しているのは調べがついている。余はな、その異世界と取引がしたい」
「取引ですか?」
フィリシア、ミコとともに驚いてサブローは思わず聞き返す。パルミロは嬉しそうに続けた。
「地の族長からの知らせにはそなたらがとある国の組織に所属して動き、高度な魔道具……それに類する道具を使っていると聞いている。カスペル殿の知らせと勇者に選ばれた経緯を総合すると、その国は異世界だと察しがついた。ならば付き合いを持つことは我が国にとっても有益であろう。事態が解決した後でいい。責任者と話をさせてほしい」
サブローとしてもガーデンとしても願ってもない話だ。上司に報告する旨を伝え、王は満足そうにうなずいた。
後はノアと一緒に一同が船に乗り込み、国中を回るだけという段階になる。サブローたちが船に足をかけたとき、ごそごそという小さな音を魔人の聴覚が拾った。
この落ち着きがなく時折小刻みに足を鳴らす音は聞き覚えがある。最近見知った女の子の癖だ。サブローは一つ大きな木箱を開けて笑いかけた。
「こんなところにどんな御用ですか? クルエ様」
着替えただろうドレスをぐちゃぐちゃにしながら狭い木箱に収まっているクルエが驚きに満ちた顔で見上げていた。ノアが鬼の形相で急いで駆け寄ってくる。
「おひい様! いったいどういうおつもりですか!?」
「だって……だって、フィリシアもミコもお城に残らないって聞いたから……」
「当たり前です。彼らには魔人を相手にするという使命がありますから」
「でも、ノアもいっちゃうし、一人になるし……」
「きちんと他の侍女にお世話を頼みました。嫌だというのはただのわがままです。それにそんなに長くはかかりません。……国内に紛れている魔人しだいですので、いつかはお約束できませんが」
ノアの返答でクルエは今にも泣きだしそうになった。木箱から出そうと伸ばされた侍女の手から逃れるようにますます身を縮める。サブローはその姿を見て決意を固めた。
「国王陛下、クルエ様の同行を許可していただけませんか?」
「サブローさん!?」
サブローの急な申し出にフィリシアが驚きの声を上げた。ミコやゾウステたちも似たような反応である。ただ一人、ナギは予想していたかのように平然としていた。
「クルエ様にはミコとフィリシアさん、そして創星さんをつけます。魔人の反応はこの聖剣も感知できますので、発見しだい船……場合によってはフィリシアさんの力で城まで避難させることを約束します。決して危険な目には遭わせません」
「余としてはそなたらを信頼しているからかまわないのだが……貴重な戦力を我が娘に割くことになるぞ。いいのか?」
「どの道魔人の相手は僕かナギ、そしてミコぐらいしか出来ません。フィリシアさんの仕事は後方支援および周囲の安全の確保ですので、その一環としてクルエ様を護衛してもらうことはさほど負担にはならないと思われます」
「そうかそうか。しかし創星様は納得しているのかな?」
「アニキが言い出したなら従うさ。正直予想はしていたしこればかりはしゃーない。アニキは子どもに弱いしな」
パルミロがならばと続けようとして、ノアが必死に割り込んできた。
「お待ちください! 遊びに行くのではないのですよ。おひい様が癇癪を起して一大事になったらどうなさるのですか!?」
「しかし侍女でクルエが唯一懐いているそなたが出るのであれば、こういった処置も仕方あるまい。水路に一番詳しいノアをそのためだけに外すわけにはいかないしな」
「そうです。今回の件は私がついていかねば話になりません。ですから心を鬼にしてクルエ様に残るよう仰ってください!」
「フハハ! 無理な相談だな。余は基本クルエには甘くなる。だから躾け役……ごほん、教育係としてそなたをつけたのだ」
あまり知りたくなかった情けない事実を王自身がばらす。サブローに提案されて渡りに船だったと言いかねない勢いだ。
「フィリシア様もよろしいのですか? これは暗に戦力外通告をされたにも等しいのですよ」
「普段なら少し嫌だなとは思います。でも……」
フィリシアは不安そうにしているクルエをちらりと見た。
「この状態のクルエ様を放っておくことはサブローさんにも私にも出来ません。まだ未熟な身ですが精一杯護衛を務めます。クルエ様の同行を許してください」
深々と頭を下げて懇願するフィリシアを前にして、ノアはとうとう折れた。ミコが木箱から出るクルエを手助けする。成り行きを黙って見守っていたゾウステがサブローに近寄ってきた。
「カイジンの旦那、相変わらず子どもに弱いな。あの娘感謝するか怪しいぞ」
「別に礼を言われたくてやったわけではありませんよ。甘やかすのは良くありませんが、ああいう顔をされると放っておけません」
クルエに見捨てないでほしいと目で言われた気がした。それだけでもうサブローとしては置いていく選択肢がなくなる。
「勇者ってのはみんなそうなんかね。ラムカナの旦那だって放っておかなかっただろうし、ナギの嬢ちゃんもカイジンの旦那が言い出さなかったらさらいそうな勢いだったぞ」
サブローは思わずナギの方を向く。親衛隊二人と話をしていた彼女は目が合った瞬間、よくやったと言いたげにサムズアップを送られた。この世界でも存在していたようだ。
複雑な思いを抱えて悶々としていると、裾を引っ張られるのをサブローは感じた。視線を向けると眉根を寄せている顔をしたクルエがおり、膝をついて視線を合わせる。
「どうかしましたか?」
「……あの、その…………い、いい気にならないでよね! 魔人なんだからせいぜいわたくしに尽くしなさい!」
言い捨ててぷいっとそっぽを向き、彼女は足早に離れて怒るノアに迎えられていた。サブローはただニコニコしている。
「王女様もカイジンの旦那も、面倒くさい性格しているよなー」
ゾウステの率直な感想はちょっとだけ傷ついた。




