八十二話:船旅です
長官の魔法陣調査は三日に及んだ。
歳の割に壮健でかなり広い首都を端から端まで歩き通し、屋敷に戻れば風呂に入ってすぐ寝て、朝早く出かける。そんな生活に三日も共にしているとさすがに魔人の体力でも気疲れと合わさってへとへととなる。サブローは長官を日本に送った後、思わずへたり込んでしまった。
「サブローさん、お疲れ様です」
フィリシアが労うと、ミコや創星も続いた。長官の強行軍はサブローを撒くためのものではないかと思わず疑ってしまう。フィリシアはもとより、ミコでもついていけるか怪しかった。
「それにしても居合とやらをキトシに見せてもらったが、すさまじいものがあるな。いつか相手をしてほしいものだ」
ナギがのんきに長官に披露してもらった技の感想を述べている。居合の段持ちだとミコが説明すると、その技を見せようと長官が張り切ったのだ。
吊るした肉を一太刀で断ち切った腕前は見事で、剣の才能のないサブローとしては羨ましくなる。創星を剣として使わないのは失礼ではないかと常々疑問であった。
それはさておき、サブローは解放感に浸る間もないだろうとミコたちに手伝いを申し出る。どこまで準備が進んだか聞こうとしたら、
「良いから休んできなよ」
なんてそっけなく言われて相手にしてもらえなかった。少しめげそうである。
フィリシアの眉の角度が上がりそうだったので、それ以上は聞かずに部屋に戻った。
それから数日が経つ。
港へと訪れたサブローは自分たちが乗る予定の船を見上げた。かなり大きく頑丈そうな船で、風を受けて帆が張っていた。サブローたちの世界で言うガレオン船に似ており、気分は中世の航海者だろうか。
少し気持ちが浮き立ち、船を手配してくれたが留守番となるベティに礼を言って別れた。
「同行する二人とナギをよろしくお願いします」
ミコとともにサブローは引き受ける。今回ついてくるセスとディーナは若いため、親衛隊をまとめる彼女としては心配なのだろう。
白い鎧に着られている感のあるディーナが両腕を元気に振り回してベティに抗議を始めた。
「ベティ、失礼ですよ! わたしだってナギのお世話をちゃんとできるんですからね!」
「あなたはおっちょこちょいだから……」
はあ、と大きくため息をつかれてディーナは衝撃を受けていた。彼女がいるとにぎやかな船旅になりそうだ。
しかし、少し離れたところで複雑そうに様子をうかがっているセスが気になった。彼は兄のアートと違って、親衛隊の中でもサブローに対して一線を引いている方だ。ナギの手前で言いにくいことを聞き出せないだろうか、サブローは頭を悩ませる。
ひとまずは船に乗りこんで出発を待つこととなった。
港で手を振って見送ってくれたベティが見えなくなる。見渡す限り海が広がり潮の匂いで満ちていた。広い甲板には雑多な人々がおり、みんな身なりがそれなりに良い。
この船は速度を重視して選んだものだと説明を受けていた。そのためけっこう船賃が高い。もっとも勇者であるナギとサブローには余裕で出せる範囲ではあった。
「ぎもぢわるい゛」
「魔人倒すほど強い嬢ちゃんでも、船には弱いんだな」
口元を抑えて苦しむミコを前にゾウステが呆れたようにぼやいていた。船が出てそこまで経っていないのにもう船酔いである。サブローは彼女が昔から船に弱いことを思い出した。
「ミコ、部屋に戻って横になりましょう」
「うぷ……吐きそう」
与えられた部屋にはたしか洗面所があったはずだと案内する。トイレもだが水が流れ、道中寄ったことのある宿以上に快適で正直驚いている。水洗トイレをこの世界で見たのは初めてだった。
なんでも魔法大国の魔法技術と水の国の造船技術、そして水を大量に蓄積できる魔樹のおかげだそうだ。さすがに風呂はないが、サウナは存在して汗はそこで流すように設計されている。
一連の説明を思い出して、サブローはもしかしてとんでもない豪華客船に乗せられたのではないだろうかと不安になった。
「ミコさん辛そうです。あ、わたし船付きの治療師さんに船酔いに効く薬がないか聞いてきますねー。ナギ、行ってきまーす!」
「ディーナ、ちゃんと転ばないように走れよ」
「ナギも失礼ですね。わたしだってさすがにこの広い甲板で転ぶわけが……きゃっ!」
言った傍からディーナが転んだ。仕方ない奴だと苦笑するナギの手を借りながら、彼女は赤面をして治療師を訪ねに行った。
「ナギ、私もついていくよ」
「セス、頼まれてくれるか?」
ナギに頷き返して彼もディーナの後を追った。甲板にゾウステとフィリシアをナギにつけて残し、ミコに肩を貸してサブローは船室へと進んだ。
部屋に入るなり、ミコはよたよたと洗面所の入り口にもたれかかる。
「吐く声、聞いてほしくないから出て行っ……うぷ」
「乙女心って奴か。アニキ、ミコの名誉のためにでよーぜ」
そう願われては仕方ないので創星の提案に従う。サブローは踵を返してしばらく進み、苦しんでいるだろうミコが心配で一度振り返った。その時、廊下の向こうからセスの声が聞こえてきた。
「ディーナはよくサブローさんと仲良くできるな」
自分が聞いてはまずいだろうかと戻ろうとしたが、ミコが盛大に吐いている部屋を通らないといけない。どうしたものかと迷っていると、ディーナが彼に返答をする。
「だってあの人たち優しいじゃないですか」
「それはわかっている。子どもたちだって懐いているし、兄さんやベティさんが安心していいと判断したのなら間違いはない。ただ、魔人の姿を見ているからどうしても構えてしまう」
なんとも複雑そうな声色である。申し訳なく思ったサブローは何も聞かなかったふりをして呼び止めようと決意をした。その迷っている間にディーナが笑って続けた。
「だってあの魔人姿おいしそうじゃないですかー」
「おいし……は!?」
ディーナの評価にはサブローも面食らった。食欲をそそると感想を抱かれるなんて夢にも思っていなかった。
「わたし漁村の出身だからイカをよく食べていたんですよねー。サブローさんそのイカに似ているから、魔人に変るとついよだれがでそうになってー」
「…………もういい」
セスが大きくため息をついた。馬鹿にされたと思ったのかディーナは「話を振ったのはそっちなのにー」と文句を言っている。腰に下げている創星が思わず吹き出し、小刻みに震えていた。笑っているのだろうか。
サブローもなんだか肩の力が抜けて、話が一段落ついたようなので姿を見せた。驚いているセスにかまわず、ディーナが恥ずかしそうにどこから聞いていたのか質問してくる。
セスでなく彼女に問われていささか脱力するのだが、今来たばかりだとサブローは嘘をついた。
「そうなんですかー。よかったー」
簡単に信じるディーナに一抹の不安を覚え、無意識にセスと視線を交わす。どうやら同じ事を考えていたようで、ホッとしている彼女の見えない位置で互いに頷き合う。
警戒されていたはずだが、それ以上に目の前の天然娘が心配になった様子である。正直仕方なかった。
サブローは吐いている姿を自分に見られたくないと言われたことを教え、ディーナに様子を見てもらうように頼む。薬を片手に役に立てると意気込んで突進していく彼女の背中が実に頼もしい。途中お約束のように転んだ姿は見なかったことにする。
ミコはディーナ相手なら吐く声を聞かれてもよかったようで、素直に薬を受け取って世話になったそうだ。サブローはその報告を聞いて複雑な心境だ。
引き続きミコの世話をディーナに頼んで、セスとともに甲板に向かう。
「サブローさん、聞いていましたよね」
「なんのことですか?」
にこやかにしらを切ることにした。嘘は苦手だが、だいたいは曖昧な笑みを浮かべていればやり過ごせる。サブローはそう強く信じたが、正直自分すら騙せるか微妙なラインだった。
「聞かなかったことにしてくれるのですか。ありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらないでください」
「私は兄と違って昔から臆病だったので、どうしても恐怖が先に立ってしまうんです。それと返事をしたら聞かなかったふりが無意味になると思いますが……」
「アニキも結構抜けてんな」
創星にすらからかわれ、サブローがしまったと口に手を当ててしまった。恐る恐る相手の顔を伺うと呆れている姿が目に入る。
「ディーナと同じ反応でびっくりしました」
「うぐっ」
ぐうの音も出ない。サブローは彼を伴ってようやく船内を出た。
ゾウステが戻ってきたサブローたちの話を聞いて大笑いをした。毛利も似たような反応をするだろうなと思うと心が寒くなる。
「けどまあ、カイジンの旦那、もうセスと仲良くなっているじゃねーか」
「うむ。ディーナと一緒に連れてきたのは正しかったな」
これは仲良くなったと言っていいのだろうか。セスも同じ疑問を持っているらしく、互いに微妙な視線を交差させた。
「ナギの嬢ちゃんでも仲良くさせようとか考えるんだな」
「ふふふ、ミスター・ゾウステ、わたしを誰だと思っている? 『聖捌』を持つ勇者だぞ」
「それ誇ることか? 別に『聖捌』の目でも誰と誰が仲良くなるとかわかんねーもんだけど」
創星の聖剣が容赦なくツッコんだ。サブローも釈然としない思いを抱えている。
「まだ顔が晴れないな。いっそ今日わたしと寝るか? セスを含めて三人で仲を深め……」
「「やめてください!!」」
サブローは思わずセスとハモってしまった。なんだか変な人たちに振り回される役割を押し付けられた気がする。
フィリシアが怖い顔になりかけたので宥めに行く間、視線でセスにナギの相手を頼んだのであった。




