八十話:フィリシアの結論と恩返し
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「殴った……やらかした……あたしの考えなし」
サブローが追いかけてから、ミコはただひたすら後悔していた。フィリシアを心配するあまり、ためらったサブローを発破をかけるためとはいえ殴ってしまった。
彼ならすぐに追いかけると思っていたので裏切られた気がして、受けたショックのままに動いてしまった。考えなしにもほどがある。
「いや、でもアニキはぜんぜん気にしていないから、ミコも気に病む必要ないんじゃねーか?」
「サブは本当に気にしないから、よけい胸が痛い。怒ったり殴り返したりするならともかく、あいつは感謝までするから」
ハア、とミコは長く息を吐く。普段は不真面目な不良聖剣である創星でさえ対処に困っていた。
「それにしても、なんで今その将軍とフィリシアを会わせようと思ったのか聞いていい?」
シュゼットに尋ねてから、ミコは口調が素に戻っているのに自ら気づいて焦った。かなり高貴な立場にいる相手は特に気にした様子もなく、眉をしかめたまま重い口を開いた。
「……広場で出会った時のフィリシアは、わたくしに対して我慢している様子が見えました」
「やはり気づいていたか……あ、すみません。気づいていましたか」
「ふふ、公の場でならともかく、こちらではその喋り方で構いませんよ。代わりにわたくしもミコ様と呼ばせていただきます」
悪戯っぽく笑うシュゼットに、ミコの調子が狂った。唯一生き残った王族だというのにかなり気安い。将軍の方に目を向けると、咎めるようにシュゼットの方を見ていた。
「それでは話を戻します。……あの子は昔から真面目すぎましたから、余計なことを背負わせてしまったのではないか心配だったのです。わたくしたちを恨んで当然ですのに……」
そして、を挟んでシュゼットは隣に控えるガドスに顔を向けた。
「そのことを思い悩んでいたところ、アドーニン将軍がフィリシアと会せて欲しいと希望してきたのです」
「はい、王女殿下のおっしゃる通りです。私は風の一族がこちらに現れたと耳にし、居ても立っても居られませんでした。彼女は私に復讐をする権利があります」
「とはいえ、最初はわたくしも反対をしていました。あのフィリシアをよけい追い詰めるのではないかと考えましたから」
「それがなんでまた?」
ミコが聞くと、シュゼットは顔を引き締めて真剣な目を向けてくる。
「闘技場でミコ様とフィリシアが魔物をくだした姿を見ました。短時間であそこまで強くなり、あなた方という心強い支えのいるフィリシアなら胸の内をぶつけられるのではないか、そう考えたのです。しかし……」
彼女は心の底からフィリシアを案じる表情をして、大きく息を吐いた。
「わたくしの早計だったようです。どうお詫びをしてよいのか……」
「大丈夫じゃないかな。途中まではシュゼット様の考え通りいっていたと思うし、なんでフィリシアが自分を追いつめたのかはわからないけどサブが行った。あいつならなんとかする」
気恥ずかしさをごまかすようにミコは紅茶で喉を潤した。
「フィリシアが一番信頼しているのはあいつだし、昔から泣いている子の扱いはうまいから大丈夫でしょ。……どうか急接近しませんように、神様」
「ミコ、本音漏れているぞ。格好つかねーな」
「聖剣のくせにうっさい。うぅ、でもフィリシアも大事だからサブを行かせないとダメだし……選択の余地がない……」
「ぶわっはっはっは! アニキの周り楽しい! ちょっと風の里について文句を言おうと思ったけど、オレの出る幕はないし任せるわ」
「よろしいのですか?」
ガドスが曇った顔のまま創星に問う。広場の一件を見ていたため、ミコも高圧的にならない創星を疑問に思った。
「アネゴ二号が決着をつけない限り、オレが口を出しても仕方ないからな。それに下手なことを言うとアニキに痛い目を見せられる。誰かが責められていると形はどうあれ仲裁に入るって、いい加減パターンが分かってきた」
「痛がる聖剣……それって武器としてちゃんと使えるの?」
「だいじょーぶ。オレに痛みを与えられるのは選ばれた勇者だけだから。例えばミコがその天使の輪を使ってオレを折りにかかっても、痛くも痒くもない」
ミコはしげしげと創星を眺めて便利な物と感心すればいいのか、理不尽な機能だと呆れればいいのかわからなかった。そういえばミコやフィリシアも普通の剣より重く感じる程度なので、天使の輪で強化した身体なら振れるのではないかと聞いたことがある。
その時の彼は振れるだろうけど、剣としての性能はなまくら以下になると説明した。武器として使うには魂に刻まれた資格のような物が必要らしい。
――まあアネゴ二号やミコなら、オレを持つだけで意味があるけども。
それはどういうことかミコが尋ねる前に、騒がしいナギがやってきたせいで話題が流れてしまった。結局いまだ謎だがそのうち話すだろう。
ミコがそう結論付けてからしばらくして、使用人がなにやらシュゼットに耳打ちをしていた。彼女の顔が多少ひきつったのをミコは見逃していない。魔人がいると心配して駆けこんできた騎士といい、状況しだいではなりふり構わない節がサブローにはあった。
「サブ、なにかやらかしましたか?」
使用人がいるのと、幼なじみのやらかしでミコは思わず言葉使いがあらたまってしまう。シュゼットは無理やり笑顔を作ってから使用人を下がらせ、問題ないと強く主張した。
本当に何をしたのだろうか不安な時間をただひたすら過ごした。気まずい空気を必死に変えようと話しかけるシュゼットに生返事をしていると、扉が叩かれた。
「フィリシアさんが落ち着きました。入室してもよろしいでしょうか?」
シュゼットの許可が出てからサブローは扉を開ける。一方後ろにはバツが悪そうなフィリシアがいた。
二人が室内に進むとまずサブローが謝罪を始めた。なりふり構わず魔人になったことはミコも知っていたが、ドアまで破壊するとは恐れ入った。状況的に仕方ないとはいえ強引である。
弁償をしたいと申し出るサブローに、シュゼットは自分たちのせいだからと断っていた。それでも彼は納得いかなそうに二の句を告げようとしたが、その前にフィリシアが動いた。
「シュゼット様。話の途中で席を立ったこと、私のせいで迷惑をかけたことを深くお詫び申し上げます」
「気にしないでください。不意打ちのような形をとったわたくしが悪いのですから」
フィリシアはシュゼットに小さく笑いかけてから、ガドスに向き直した。今度は緊張した面持ちで胸元を抑えている。
「ガドス・アドーニン将軍、私はあなたを許せそうにありません」
ガドスは覚悟をしていたのだろう。死刑宣告を待つ囚人のような顔で続きを待った。ミコには少しだけ安心しているようにも見えていた。
「風の里を攻めたことが憎いです。王様の命令と疑いを持たずに動いたことを愚かだって責めます。今すぐその身体を引き裂きたくてたまりません」
天使の輪をつかみながら物騒なことを言うので、ミコは心配になって彼女の目をうかがった。瞳は憎しみで濁らず、理性の光があった。
「だけど私には大事な人たちがいます。居場所があります。そのすべてを守るために我慢をします。ですから……」
フィリシアは大きく息を吸い込み、キッとガドスを睨みつける。
「将軍、あなたは私の我慢がきいている間、シュゼット様の力になってあげてください。私が許してもいいと思えるくらい、一生懸命生きてください。また同じような過ちを犯すというのなら……」
フィリシアの顔に表情がスッと消える。時折見せる、本気で怒っている顔だ。
「その時は私が決着をつけます」
冷たい硬質な声が彼女の覚悟を表していた。受けたガドスは神妙にうなずく。
「片腕を失いし身になれど、王女殿下のためにこの身を砕く覚悟はできております。それがあなたの望みだというのなら、この命お預けします」
フィリシアはぷいとそっぽを向き、目を合わせることを全力で拒否した。子どもっぽい仕草にミコは少しだけ微笑ましくなる。内情はそう可愛いものではないとしても。
優しいフィリシアに人を殺せるのか、ミコはわからない。魔人は心理的に別物という意識が入り込む余地があるのだが、その魔人すら彼女はまだ直接殺していない。実際その場面が来ないとどう転ぶかわからないだろう。
ミコはサブローのこともあるため魔人を殺すことは、人を殺していると意識して戦っていた。初めて倒した日は自己嫌悪で吐き続けた。
そんな思いを妹同然のフィリシアにさせたくないと思いながらも、必ず乗り来ないといけないことだろうという不安もあった。
ともあれ、ひとまずは決着がつきその場はなんとか収まった。後は軽い雑談と食事、今後の予定である水の国に行くことを伝えてお開きとなる。長い気がしたシュゼット邸での騒動がようやく終わった。
ミコは心労からへとへととなってベッドに飛び込んだ。帰ってくるなりナギがなにがあったのかしつこく聞いてきたのだ。フィリシアの微妙な変化に気づいたようで、鋭い観察眼だと感心した。
一から今日の話を説明して憤慨したり大笑いしたりするナギに付き合って心底疲れた。彼女は悪い娘ではないのだが、全力で周りを振り回すので今日のように神経をすり減らした後は勘弁してほしい。
ミコがそんなことを考えながら柔らかいベッドを堪能していると、控えめにドアがノックされた。
夜の闇も濃くなってきたため、誰が来たのだろうかと疑問を持ちながら扉を開けると、緊張しているフィリシアが立っていた。
「師匠さん、少しよろしいでしょうか?」
ミコが断るわけもなく中に招いて歓迎した。なにか話があるようで気になる。
「どうした?」
尋ねるとフィリシアは目線をあちこちに彷徨わせてから、なぜだか落ち込み、やがて深々とため息をついた。そんなに二人きりで話すのが嫌なのだろうか。今まではそんな反応をされたことはなかったので、ミコは少なからずショックを受けた。
「フィ、フィリシア……あたしなんかした?」
「しましたけど、師匠さんは悪くありません。むしろ感謝をしています。サブローさんを向かわせたと聞いています」
言わなくてもいいことなのだがサブローは正直に明かしたのだろう。フィリシアは上目遣いにミコの瞳を覗き込んだ。
「水の国で恋人たちに人気のある場所があります。水晶の彫刻が展示されている国立公園で、水晶大樹が置かれている場所です。そこで愛を誓い合ったカップルは長続きするという言い伝えあります」
「へー、よさげね。でもなんで急に話を変えたの?」
「……サブローさんと二人で出かけてください。私のせめてのお礼です」
ミコは目を丸くしてまじまじと発言主を見つめた。礼と言いながらもフィリシアはぶすっとして不服そうで、それでもやらないと気が済まなかったのだろう。本当に生真面目な娘だと和んでしまった。
「そっか。じゃあ三人で行こうか」
「話を聞いていましたか? 私は行きません。だって、それではお礼には……」
「フィリシア、サブと二人っきりで行ったとして、あいつがあんたのことを放って静かに楽しんでくれると思う?」
フィリシアが押し黙ったので、ミコはたたみかけた。
「あたしには見える。今頃フィリシアがどうしているのか、なんでこないのか、心配するサブの姿が」
「それは……その、たしかに」
「そんなんじゃあたしも楽しめないよ。まったく、いつかずるいって言った冗談を気にしすぎだって」
「冗談……? 私、あのときの師匠さんの必死な顔を忘れていませんからね」
今度はミコの方がぐっと息を飲んで怯んだ。大人の威厳が台無しである。
「えーい、そん時はそん時。ほらっ」
「え? 師匠さん……きゃっ!」
ミコは無理やりフィリシアを抱き寄せる。油断をついたおかげかほとんど抵抗を感じなかった。
「だから気にしないで一緒に行こう。フィリシアが元気なのが、あたしにとっての一番のご褒美だよ」
「……ずるいです。子ども扱いして、恩返しだって満足にさせてもらえません」
「子ども扱いじゃないもん。妹扱いだもん」
フィリシアは黙って胸に顔を押し付けてきた。小さく泣いているのが可愛くてサラサラな明るい金髪をただ撫で続ける。
しばらくそうしていると、小さく「ミコお姉ちゃん」というつぶやきが聞こえて、ミコはにやにやとだらしなく頬を緩めた。




