七十八話:私の故郷を焼いた男
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時間はフィリシアが負傷者をインナの元に運び、自分のために用意された座席に戻ってきたころにさかのぼる。
「フィリシア、あなた強くなったのですね……」
シュゼットが座席に戻ってきたフィリシアに感心していた。天使の輪のことを簡単に説明すると彼女はなにかを考え込むように押し黙った。
「王女様、どうかなさりましたか?」
「フィリシア、わたくしは亡命中の身です。王女様はやめてください」
急ににこやかに反す彼女にフィリシアは戸惑った。しかし本人が希望している以上、叶えないわけにはいかない。
「かしこまりました、シュゼット様」
「はい。……それでフィリシア、あなたにお願いがあります」
自分に出来ることならと答えるとシュゼットはフィリシアの手を取り、うるんだ青い瞳を向けてきた。
「あなたの都合のよろしい日にわたくしどもの屋敷へ招きたいのですが……ダメでしょうか?」
「そんな! 身に余る光栄に存じます……」
シュゼットは力なく頭を横に振って、少し困ったように笑った。
「感謝する必要はありません。おそらく、あなたを辛い目に遭わせてしまうでしょうから……」
どういうことかフィリシアにはわからなかった。サブローやミコと相談して日取りを決めることを告げると、後で確認の使者を送ることをシュゼットは約束した。
こうしてフィリシアは王国アエリアの王女、シュゼット・ル・ギャルが身を寄せている屋敷へと向かうことになった。
シュゼット邸へ招かれたことをサブローに教えると、彼は歓迎してくれた。招いた王女は彼らも連れてきてほしいと希望していたので同行を頼んでいた。もちろんサブローたちは快諾する。
それからしばらくして水の国へ向かう準備が一段落つき、フィリシアはシュゼット・ル・ギャルとの約束を果たすことにした。
約束の日に馬車を寄こされ、フィリシアは中で身体を揺らしながら到着を待っていた。
「ううっ、緊張します」
「フィリシアさん、ファイト」
サブローが胃のあたりを抑えているフィリシアに優しく声をかける。父親とともに王城に向かったときを思い出して気が重い。
「そんなに緊張しないでもいいんじゃない? 王女様だってフィリシアと仲良くしたいだけみたいだし」
「昔、それで失敗してお父さんに怒られたんです。そのことを思い出してつい気後れをしてしまうので……」
この気持ちは理解してもらえないだろう。そもそもあの豪華なドレスを見てどうして察しなかったのか、いまだ自分のことなのにわからない。子どもとは不思議な世界で生きているものだ。
「見えてきた。……さすが王族なだけあって豪華だね」
ミコが目を丸くして感想を述べる。フィリシアもさすがに城程とはいえないが、今まで目撃した屋敷の中で特に大きく豪華な建物を前にため息をついた。
王族の屋敷は染み一つない白い壁と目の覚めるような青い屋根を持ち、日の光を浴びて輝いていた。柱の根元にはまるで建物を支えるかのように武神が彫られている。
両脇にそびえたつ二つの塔が屋敷ではなく城ではないかと錯覚させた。しかしその存在を力強く主張するものではなく、均整の取れた建築物が周囲の風景と調和していた。
事実庭園も豪華なもので、何人もの庭師が手入れしているのを目撃する。他国かつ亡命中であっても、さすが大国と知られる王国アエリアが所有する屋敷であった。
「姫路城を思い出す白さですね」
「ヒメジ城?」
「日本のお城です。白い天守閣が見事でして、白鷲城とも呼ばれていたりします。いつか一緒に行きますか?」
疑問に答えてから誘うサブローにフィリシアはぜひ、と食いついた。ミコが「そういえば城とか好きだったね」と懐かしそうにつぶやいている。
広い庭園を横切って屋敷の扉に到着し、使用人に中へと案内される。ところどころに配置されている衛兵や騎士がサブローを見て怯えるような反応をしていた。
魔人の勇者ということが広場と闘技場の件で有名になってしまったので仕方ないのだが、フィリシアはそれでも不快になってしまった。当の本人がまったく気にしていないことがよけいもやもやさせる。
「主人がこちらでお待ちになっています」
使用人が深々と頭を下げて告げる。フィリシアたちは礼を言って扉を開けた。
広い豪華な室内に足を踏み入れると、シュゼットが両脇に騎士を連れて穏やかに出迎えた。
「ようこそおいでいただきました。既にご存知かもしれませんが、わたくしは当家の主を務めるシュゼット・ル・ギャルと申します。亡命中の身ではありますが、アエリア王家の名においてみなさんを歓迎いたします」
「もったいないお言葉……身に余る光栄です」
フィリシアが頭を下げたことを皮切りに、サブローやミコもあらためて自己紹介をした。彼女に勧められて席に座る。
「カイジン様、闘技場の試合はわたくしどもも観戦しておりました。聖剣を持つのに相応しい見事な実力だとわたくしは思います」
「ナギが気持ちよく相手してくれたおかげです。実力以上のものが出せました」
「そんなことはありません。あなた様の活躍はわたくしたちの兵や騎士から聞いています。……こちらとしては耳が痛い話ですが」
シュゼットが悔恨するように目を伏せた。故郷を思い出すと胸が痛かったが、それでもフィリシアは嬉しさが勝る。事前にゾウステに彼女が故郷を滅ぼすことに反対をし続けたことを聞いていたためだ。
「えーと、王女様……でよろしいでしょうか?」
「ミョウコウジ様、気軽にシュゼットとお呼びください」
「かしこまりました。シュゼット様……その、フィリシアになにか話したいことがあるように見えますが、気のせいでしょうか?」
ミコの言葉でフィリシアは目を見開いた。シュゼットは少し迷うように視線を宙に彷徨わせてから、決意したように小さくうなずいて瞳に力を入れる。
「フィリシア、あなたに会わせたい人がいます」
「会わせたい人……ですか?」
唐突なためフィリシアは思わず聞き返してしまう。シュゼットは使用人に呼んでくるように言いつけてから、紅茶と茶菓子を勧めてきた。
腑に落ちない思いを抱えながらありがたくいただいて感想を伝えるのだが、シュゼットはどこか上の空だった。それほど会わせたい相手は曲者なのだろうかと思っていると、先ほどの使用人が連れてきたことを教えた。
「入ってください」
表情を硬くしているシュゼットが許可を出すと、隻腕の男性が入ってきた。年のころはドンモと同じくらいに見える。途中で見かけた騎士たちと似たような貴族特有の服装だった。
フィリシアに会わせたい相手とのことだが誰だかわからない。たしかに見覚えはあるのだが、どこで会ったか思い出せずにいた。不思議に思っていると身内で反応する者がいた。
「あなたは……」
「覚えておられましたか。顔を合わせた時間も短く、名乗りもしなかったので忘れられているだろうと思っていたのですが」
「サブ、知り合い?」
ミコがもっともな疑問をぶつける。サブローは珍しく言いよどみ、迷いが見て取れた。
男は笑みを浮かべ、騎士がするようなきびきびとした動きで踵を合わせて背筋をピンと伸ばした。
「私の名はガドス・アドーニンと申します。王国アエリアでは将軍を務めていました」
よく通る、張りのある声を耳にしてフィリシアは一瞬思考が真っ白になる。もしかしてという疑問が持ち上がる。そもそもサブローはどこで彼と会ったのか。
そして見覚えがあるはずだ。新年のあいさつに彼はずっといたのだ。王に挨拶をするところを見ただけで、会話することも誰かに紹介されることもなかったから、今まで思い出さなかっただけで。
嫌な考えが浮かぶ。心臓が痛いほど跳ねていた。
「……風の精霊術一族・族長の娘フィリシア殿。私はあなたの故郷を攻めた張本人です」
頭をガツンとやられたような衝撃が走った。息が苦しい。フィリシアの脳裏に悪夢が蘇る。
――フィリシア、こんな危険なことをさせ、魔人を呼び出すという罪を押し付けてすまない。愛している。
厳しくも過保護気味な父が家族ごと抱き寄せて過酷な運命を押し付けたことを謝っていた。
――フィリシア、マリーを連れて逃げなさい!
優しく争いごとに向かない母が自分とマリーを逃がすために兵士に立ち向かった。
――こ、このガキ!
――おい、殺すな! 族長一族の娘は捕まえろって命令だろ。
怒鳴られて、腹部を蹴られた恐怖と痛みを思い出した。
旅の最中、悪夢に苦しむマリーや幼馴染たちの姿と、アレスの王国兵が憎いという叫びが今更胸に重くのしかかる。
広場では飲み込めた感情がどす黒く渦巻いていた。逢魔が悪い、彼らは騙されただけだと頭ではわかっている。
「…………どうして」
「謝罪がしたく、私が王女殿下に無理を言って会わせてもらいました。……謝罪して済む問題でないことは重々承知です。あなたの気の済むようにしてください」
逢魔に騙されたからあなたたちは悪くない。本来いうべきその言葉は形になることはなかった。
「いまさら……なにを謝るというのですか……」
溢れだすともう止まらなかった。
「謝れば風の里は帰ってきますか? 死んでしまった人たちは蘇るんですか? 悪夢に苦しむ私や妹たちは救われるんですか!?」
あの日のことはいまだ夢に見る。うなされて目を覚まし、サブローやミコ、施設の仲間たちの顔を見てようやく落ち着く。
マリーやアイだって悪夢を見て一緒に寝たいと甘えてくることがあった。サブローのところに行くことだってあると聞いた。
フィリシアだって朝に泣いている姿をサブローに見られて慰められたこともあった。それも一度や二度ではない。
「返してください……お母さんを、お父さんを、里のみんなを、あの日を……」
フィリシアは知らないうちに身を乗り出していた。
「返せるものなら返したい。しかし、私はあなたのすべてを奪いました。その望みは叶えられません」
「だったらなにをしに来たんですか! 私たちは……私は、放っておかれるだけでよかったんです。サブローさんの傍なら安心できます。施設は居心地がよくて、職場のみなさんもよくしてくれて、新しい居場所が出来たんです。そこにいるだけで、すべてを忘れられそうになったのに……」
憎悪が胸を焦がす。涙をためた瞳を故郷を燃やした将軍に向けた。
「私は絶対にあなたを許しません」
「それが当然です。ですので私はすべてをあなたに委ねに来ました」
訳が分からず視線が厳しくなる。
「仇を討ちたいというのなら無抵抗で受け入れます。あなたが魔物を下せるほど強くなったことは聞いています。私程度簡単に屠れるでしょう」
「ふざけるな!」
それまで黙って聞いていたミコが勢いよく立ちあがり、食って掛かる。
「逢魔に騙されたことはかわいそうだと思う。それだけのことをしてフィリシアの前に現れるのは勇気がいることだってわかる。だけど……」
ミコはガドスの胸ぐらをつかみ、キッと睨んだ。
「憎しみで誰かを殺したっていう重みを、あんたの命をフィリシアに……あたしの妹に背負わせるな!」
「安心してください。手を汚したくないというのなら、私が自らの手で自分の命を絶ちます」
「手を汚すとか、汚さないとかの問題じゃない!」
「…………師匠さん、大丈夫です」
フィリシアは笑おうとしたのに表情が硬くなってしまった。
「しません、復讐なんて。……そうです、簡単に楽になんてさせません」
悲痛な顔のミコが視界に入る。かたき討ちなんてしないのに、なぜだろうか。
「あなたなんて一生苦しめばいい! その片腕の姿で、不自由で、無様に、私たちの苦しみを万分の一でも抱えて、惨めに一生を終えれば……」
せめて恨み言をぶつけようと相手の顔を直視した瞬間、違和感を感じた。ガドスは笑みを浮かべている。もちろん喜びの笑顔ではない。憎しみを吐き出す小娘を見下すような嘲笑でもない。
陰のあるどこか身近な印象の笑顔。この笑顔は――――。
「フィリシアさん?」
それまで黙っていたサブローが不審に思ったのか声をかけてくる。振り返ってフィリシアはようやく気付いた。
「あ――」
彼女はなにを言おうとしたのか自分でもわからなかった。先ほどガドスが浮かべていた笑顔は、目の前の大事な人がよく浮かべていた寂しい笑顔とよく似ていた。
逢魔に洗脳されたサブローと、逢魔に騙されたガドス。己の意志があったかどうかという大きな違いはあるものの、二人には罪を犯したから仕方ないという同じ諦観があった。
「ち、違うんです、サブローさん。わ、私は…………」
何が違うというのだろうか。フィリシアは嫌ったはずだ。サブローにそんな顔をさせる状況を、周りを、過去を、誰かを。
だというのに、彼と似たような立場の相手に彼と似たような表情を浮かばせている。嫌った人々のように責めている。
「アネゴ二号、マジでやばそーだぞ」
創星の声に弾かれるようにサブローが傍に駆け寄る。肩に手をかけられそうになったとき、フィリシアはその手から逃れるように椅子を蹴って離れてしまった。
「あ…………違……」
言い訳をしようとするフィリシアの眼前に、困った顔で所在なさげに手を彷徨わせるサブローがいた。拒否をしたのではないと叫びたかった。だけど、フィリシアにこの気持ちを言葉にする勇気がなかった。サブローに心の汚さを知られたくなかった。
「こないで……」
初めて彼を拒否したのかもしれない。顔を見るのが怖くて下を向き、その場を離れた。
「ついて、こないでください!」
フィリシアは必死に逃げた。しかしどこに逃げようというのだろうか。袋小路に追い込まれたような気がしながらも、ただただサブローの視界に入りたくなかった。




