八話:逃げましょう
フィリシアたちは転移の祭壇に向かうために遺跡を後にした。
風の精霊によると天候はしばらく晴れ。
祭壇は険しい山の中にあるため、子どもを連れ歩かなければならない自分たちにはありがたかった。
唯一の懸念はサブローの足止めした王国兵が追い付かないかどうかであったのだが、
「本陣の食料庫を燃やして馬を逃がしましたので、結構時間は稼げますよ」
と驚きの戦果を明かしたため、幾分気が楽になった。
本陣でも人を殺していないことを聞き、もはや感覚がマヒしてその程度では動揺しなくなっていた。
大人なら五日、子どもを含めた自分たちでは一週間はかかる道のりを歩き始める。
まずは見晴らしのいい平原を進み、こちらで王国兵に追いつかれることがなくてよかったと胸をなでおろした。
隊列は探索術の使えるフィリシアとアリアが先頭を歩き、、エリック、マリー、アイ、クレイ、アレス、サブローの順で組んでいる。
フィリシアとアリアが交代で探索術を使って警戒し、しんがりを一番強いサブローに頼むという構成だ。
遺跡を出てから半日は平和に進む。ここまで何もなく進めるとは、一族の里を襲われたときは思わなかった。
「なにかくる。たぶん獣か魔物」
フィリシアとともに先頭を歩いていたアリアが足を止め、警告してきた。
すぐに気を引き締め、周りを警戒する。最後尾についていたサブローがやってきて、その身を変えた。
「犬みたいのが居ますね。……首が二つ? んん?」
「魔物の方ね。この辺で犬っぽいなら多分オルトロス」
「魔物……オルトロス……。魔法に次いでようやくファンタジーっぽい要素に遭遇できました」
「この辺だと厄介だけどあんまり珍しくないぜ。けどまーあいつらも魔人のにーちゃんにだけは言われたくないと思うぞ」
「僕にだけは言われたくないって……もう少し容赦してください、アレスさん。あの手の奴は獣と対応が変わらなさそうですね。群れの頭をつぶしてきます」
「おういってらー」
一足飛びに消えていったサブローの背中に、アレスは声をかけていた。
その気安い様子にフィリシアは唖然として赤毛の少年を凝視した。
「ど、どうした、マリーのねーちゃん」
「あの、いつの間にサブローさんとそんなに仲良くなったのですか?」
「仲良く……? あれ、そういやなんでだ?」
アレスも今気づいたという様子で首をひねっていた。後からやってきたクレイが噴き出しながら説明する。
「サブローさんぼくらによく話しかけてくるし、アレスとは特に話が弾んでいるんだな」
「いやだって魔人のにーちゃんの話けっこう面白いし。んー、うん? 言われてみればもう怖くないや」
アレスは後頭部をかきながらサブローの消えた方向を見つめた。
マリーは環境への順応が昔から早かったが、よく一緒に行動するこの少年もたいがいそうだった事を思い出す。
それを聞いていたエリックは固い表情を浮かべたが、一番動揺してたマリーがアレスに食って掛かったため、意識の外に追い出した。
「うぇええっ! なんでアレスがおにいちゃんと仲良くなるのバカッ!」
「しらねーよ! 馴れ馴れしい魔人のにーちゃんに言えよバカッ!」
「うー、アイといっしょにいないといけないからマリーはお話しできないのに―。バーカバーカ」
「うっせえ自分のせいだろ、バーカバーカバー……」
「やめなさい! 今がどういう状況かわかっているのですか!?」
里にいたときのようにケンカを始める二人を叱り飛ばし、今がどれだけ危険な状態かこんこんと説いた。
柳眉を逆立てて二人を怒鳴り散らし、フィリシアは情けなくなる。
王国兵の脅威が薄れたとはいえ、家族を失った過酷な状況のはずなのに緊張感がなさすぎた。
◆◆◆
魔物を追い払ったサブローが帰ってきたのだが、長々と叱られている二人を前に状況を把握できず、立ちつくす。
「どうしたんですか二人とも?」
「いつものことだから気にしなくていい。オルトロスの死体、持ってきたの?」
「はい。食べられる奴かどうか判断がつかなかったので、とりあえず」
「オルトロスの肉は硬いからかなり長時間煮込む必要がある。急いでいる以上、肉は捨てるしかないかな」
「そうですか……もったいない……」
「でも毛皮は結構使えるし、高く売れる。剥がすからちょうだい。説教が終わるまでには作業を終えるから」
アリアが嬉々としてナイフを手に取ったので、サブローはウェストポーチから鞘に収まったサバイバルナイフを持ち出し、柄の方を向けた。
「使います?」
「ナイフ持っていたんだ。見せてもらってもいい?」
「どうぞ。僕が持っていても料理くらいにしか使い道ありませんし」
「けっこういい刃物ね。使い道が少ないならなんで持っていたの?」
「教官に訓練で持たされました。実際料理には役に立ちましたが、それ以外は自前の触手でだいたいどうにかなりますし。しかしあのサバイバル訓練は二度とやりたくありません。……虫、美味しくありませんでした。……生で食わせるとか本当勘弁してください」
「さすがに生はお腹こわすよ? ちゃんと手間暇かければ美味しいし」
トラウマを呼び起こして青い顔をするサブローに、作業を始めたアリアが突っ込む。
「手間暇かければ? なにか虫の料理でもあるのですか?」
「揚げたりとか、後は単純に塩焼きとか。煮て保存食にしたりとかもあるし」
「へー。魔人になる前に食べたイナゴの佃煮みたいなものですかね。あれは割と美味しかったです」
その会話を聞いていたクレイがふとあることに気づく。
「魔人になる前? ということは、サブローさんは前は魔人じゃなかったんだな?」
「フィリシアさんたちには言いましたけど、魔人はみんなそうですよ。逢魔という魔人を生み出す組織によって変えられます。まあ僕らの世界でも、魔人が元人間ということはあまり知られていませんが」
「魔人をうみだす? こわい……おとぎ話の魔王軍みたい……」
ずっと黙っていたアイが怯え、焦ったサブローは近寄れないので身振り手振りでクレイにフォローを頼む。
優しい丸顔の少年は快諾して、アイの背中を撫でて落ち着かせた。
「サブローさんの世界の話だからここは安全なんだな。オーマとかいう怖い連中も現れないと思うんだな」
「そうですね。それにそろそろ滅んでいるでしょうし」
「え!? そうなの?」
「だってクレイさん、逢魔の連中は僕がここに来る前に追いつめられて壊滅状態でしたからね。ざまあみろって奴です。悪の栄えたためしはありません」
快活に笑い飛ばすサブローを、クレイは複雑な顔で眺めた。
話の流れからして彼は逢魔に所属していると思っていたため、滅んで清々している姿に戸惑いを隠せないのだ。
オルトロスの毛皮をはがしているアリアが、手を休めずクレイの気になっている部分を遠慮なく踏み込んでいった。
「サブローさんはオーマにいなかったの?」
「いや、所属していましたよ。けれどその辺少し長くなりますし、僕にもわかっていない謎があります」
サブローが指した謎は洗脳が解けたことだったが、自分でさえよく理解していないため、まだ黙っていた。
それに子どもに聞かせて楽しい話ではない。
「ふーん。まあサブローさんが話したくなったら続き、お願い。さて、毛皮は剥がし終えたからクレイ、仕上げを頼める?」
「任せるんだな」
最後までアリアがこなすと思っていたサブローは意外に思う。
しかし毛皮を受け取ったクレイは比較的平べったい岩に裏返して置き、ヘラを持ち出して伸ばしていった。
熟練の手つきに思わず感心のため息が漏れる。
「アリアさん、あれはなにをやっているのですか?」
「皮にこびりついた脂肪を除いているの。クレイは手先が器用だからそういった作業が得意だし早い」
「なるほど。クレイさんはすごいですね」
「そ、そんなことないんだな」
「いやいや、そんなことありますって。僕なんてサバイバル訓練を受けていた当時、食べるためにウサギの皮をはがそうとしたのですが失敗しました。何度か挑戦しましたがいまだできない辺り、サバイバル適正のない現代っ子です。……言っていてなんだか情けなくなってきました」
本当に情けない発言なのでクレイが顔を引きつらせ、アリアはうつむいて必死に笑いを堪えていた。
もしかして一人で生きていけないタイプではないか、という疑問が彼らに湧き上がってくるが、魔人本人の名誉のために黙っておく。
「ふふ、ふ」
アイが思わずといった様子で控えめに笑っていた。アリアはもしかして狙ってやったのかとサブローの方を見ると、
「お、アイさんが笑っています。しかしなにがおかしかったのでしょうか? まあとりあえずよかったよかった!」
なんて無邪気に喜んでいるので、考えすぎたと首を横に振った。