七十五話:水を差す無粋な行為
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「フィリシア、少しよろしいですか?」
聞き覚えのある声にフィリシアは急いで振り返る。後方に騎士を待機させた王国アエリアの王族、シュゼット・ル・ギャルその人が微笑んでいた。
フィリシアは一瞬口を開けてから、一人分座れるスペースを作って勧める。
「ど、どうぞ、王女様!」
「よろしいのですか? 他にお連れの方がいるのでは……?」
そんな相手はいないことを告げ、ドンモたちも勧めてから、シュゼットはフィリシアの隣に腰を下ろした。
どうやら隣の貴族の一団らしき貴賓席は、彼女の指定席だったようだ。身を乗り出してサブローを応援するフィリシアを見つけて、声をかけに来たのだ。
「昔のようにシュゼと呼び捨てにしてもよろしいのに。……いえ、あなたの故郷を滅ぼした一族なのに、ずうずうしいですね」
「そんなことはありません。……それに知らなかったとはいえ、恐れ多いことを当時の私はしました…………」
父親に仕事で王城に連れられた時、一人暇を持て余しているフィリシアの元へ彼女は訪れたのだ。後々王女だとわかるのだがそのときは侍女を一人も連れておらず、やたら気安く話しかけるので身分の低い貴族の令嬢かと勘違いしたのだ。戻ってきた父の凍り付いた顔はいまだトラウマだ。
「気に病む必要もないと思うんですがねー。王都で調べていた時、あなた様が風の里の襲撃を最後まで反対して、果てに軟禁されたと聞いていますぜ」
ゾウステが嬉しい真実を知らせてくれた。彼女はやはりずっと味方でいてくれたのだ。フィリシアが感謝を述べると、シュゼットは顔に陰を落とした。
「フィリシア、礼を言われるようなことではありません。違和感を信じてもっと強硬策をとっていれば、あんな悲劇は起こらなかったのです。すべてはわたくしの不徳が致すところ。今の亡命せざるを得ない状況も自業自得です。なにより、王都の民には苦痛を強いています」
シュゼットは魔王に奪われた国を思い、その心境を吐露し始めた。フィリシアはなんと声をかけていいかわからず、押し黙る。
「王女殿下、大丈夫よ。王都も王国も、アタシとあの二人が全力を出して取り戻すからね。あ、イ・マッチもたぶんそうよ」
「ラムカナ様……感謝いたしております。そういえば、魔人様は聖剣で斬りかかったりしませんね」
「サブローさん、剣を扱うの苦手なんです。ですので、あの通り防御に使う方針で行くみたいです。聖剣はとても頑丈だからと……」
聖剣を盾代わりに使うと聞かされてシュゼットは目を丸くして感心した。この王女は素直なため言葉通りに取ってくれているが、観客の中にはやはり魔人は聖剣に選ばれていないのではないか、なんて難癖をつけてくるものもいる。そんなことを言うのなら、聖剣を持てるかどうか試して重さにつぶれてしまえばいいのに。
フィリシアの内心が荒れていると、ドローンを抱えているミコが戦う様子を見てつぶやく。
「それにしてもサブ、兄貴相手にしたときみたいな戦い方だね」
「イチジローさんと……ですか? 言われてみれば、そんな気はします」
あの兄弟との対決と比べるとかなり拮抗しているのでフィリシアは気づかなかったが、よく注視するとミコの言う通りであった。どことなく見せることを意識して動いている気がする。
サブローはモニタリングしやすいようにと、イチジローとの戦いではあまり目くらましを使わない。ただ、トリッキーな動きを控えているのは、素早いナギに捉えられて使う暇がないだけだろう。
しかし、そう考えるとイチジローの異常な強さが際立つ。サブローを前に割と余裕だったドンモはともかく、ナギ相手には完全な格上ということになった。
そんな話題の人物を気になったのか、ドンモが会話に加わってきた。
「フィリシア、イチジローって誰かしら?」
「サブローさんが言っていた『魔人を殺す魔人』と呼ばれている人です。師匠さんの実のお兄さんでもあります」
「ああ、サブローが兄と慕っていた相手ね。こっちの世界にはこないの?」
『いまだ来たがっているッスよ。ただ、こっちにも厄介な魔人が残っているんで、そちらの捜索に専念してもらっているッス』
ミコが抱えているドローンが言葉を発したので、驚くシュゼットに遠くの人物とやりとりのできる魔道具だと説明をした。
毛利が『リアル王女様と出会えるなんて光栄ッス』なんて軽い様子を崩さずに喋りかけてくる。
「『魔人を殺す魔人』……そのようなお方がいらっしゃるのですか」
「はい。サブローさんと同じく優しい人です。ずっとお一人で他の魔人を相手にしながら、オーマの首領……こちらで言う魔王に操られるサブローさんを助けるために戦い続けていたそうです」
「……この天使の輪が使い物になるころには、アニキは逢魔をほぼ壊滅状態までもっていったからね。ずっと負担をかけていたな……」
ミコが歯を食いしばって当時を思い返す。サブローが敵にいる間、彼女らはどれだけ辛い思いをしたのだろうか。フィリシアには想像がつかない。
場の雰囲気が重くなった時、ドンモがなにかに気づく。
「ナギの奴、聖剣の光を使う気ね」
「闘技場でナギが聖剣の光を使うのを初めて見ます。すごいですね、サブローさん」
ベティが本当に意外そうにつぶやく。フィリシアもドンモと創星以来に見かける、第三の聖剣の光を前に生唾を飲み込んだ。
◆◆◆
サブローが後方に跳ぶと、珍しくナギは追撃せずに距離を開けることを許した。先ほどまでは悦び追い立て、接近戦が繰り広げられたのにと訝しげに思う。
彼女は視界を邪魔する額の血を袖でぬぐってから、挑戦的な笑みを向けてきた。すぐに血がにじんできたが、彼女は正面を見据える。
「そろそろお互いにネタばらしをしようではないか」
剣を下段に構え、ナギはプレゼントを開ける前の子どものような無邪気な顔をした。サブローは思わず微笑ましくなって吹きだす。
「この瞬間を楽しみにしていたんだ。笑うだなんて酷いな」
「すみません。なんだか弟や妹を思い出してしまいまして」
なら仕方ない、とナギは許してくれる。そして身体をひねり、力を溜める。
「さあ、わたしの光だ!」
大歓声が沸き上がる。サブローの本能すべてが、ナギを近寄らせてはマズいと警告をしてきた。触手を展開し、鞭のようにしならせて全方位からとびかからせる。
ナギは自らにあたる二本を見極め、剣を振り上げた。瞬間、サブローの膝から力が抜ける。
「なっ!?」
「ぼんやりしている暇はないぞ、サブロー!」
刀身に虹色の光をまとわせて、彼女は迫るもう一本触手を断ち切った。聖剣の切れ味が上がっているが、それだけではない。急いでサブローは一本の触手を地面に突き刺し、自分の身体を持ち上げて彼女の頭上を飛び越えた。
逃げた姿が不評を買ってブーイングが飛ぶが、ナギが地面を踏みぬいて生まれた拳大の土の礫を闘技場の壁にぶつけてヒビ割れを起こし、観客席を睨みつける。次はそちらに投げるぞ、と力強い瞳は雄弁に語っていた。
シィンと静まった会場の中央で、額の血が止まったナギは期待に満ちた視線を向けた。
「さて、答え合わせだ。早々に逃げの一手を打ったということは、虹夜の光について察しがついたのだろう?」
「戦いにくい剣です。切った相手の体力を奪うなんて……」
ナギは嬉しそうに額をぬぐうと、すっかり綺麗になった額を見せてきた。おそらく奪った力の分、身体を癒せるのだろう。戦った相手は消耗させられるというのに、使った本人はどんどん元気になっていく。そうなると避けるか防ぐかして、斬られないようにするしかない。この手練れであるナギを相手にしながらだ。
そうなると触手をいくつも同時に使うのはまずい。断たれても再生ができる分、警戒がおろそかになってしまう。八本の触手を縮め、二本の触腕だけを前に出す。
「創星さん、僕たちも使いますよ」
「待ってました! こーくんのネタバレダメとかアニキまじめすぎんぜ、まったく」
創星が嬉しそうに応える。聖剣の光を出すということで、観客席が騒がしくなった。魔人の聴覚が「ハッタリに決まっている」「魔人が光を使えるほど聖剣に選ばれるはずがない」という声を拾ってくる。なんだか申し訳なくなった。
しかし、ナギが期待している以上サブローも温存するわけにはいかない。それに今わかった相手の能力的になかなか都合がいい力なのだ。
サブローは姿勢を低くし、這うようにナギへと突進する。たたんだ触手で地面を叩いて加速させて勢いを増す。
ナギが剣をまっすぐに振り下ろした。触手で自らの軌道を変更させ、その一撃を避けた。もっとも彼女もそんなことは先刻承知、すぐに剣を寝かせて横に薙いだ。
「むっ!?」
一撃を空振りし、ナギは目を丸くした。サブローの下半身が淡く光り、今にも飛び出しそうな姿勢で固まっている。
その虚を突いて、一本の触手が相手の無防備なわき腹を殴り飛ばした。まともに受けたナギが地面に転がるものの、すぐに上半身の力で跳ねあがって立ちあがった。
サブローは光の拘束が解かれ、地を滑ってから腰を据える。
「自分をその場に固定させる力なのか? いや違うな。おそらく対象は自由自在に違いない。光から逃れた触手が自由に動いていたからな」
ナギの推測は正しいので、素直にうなずいた。三秒だけ光が指定した物体をその場に固定する力だ。先代はもう少し長く固定でき、身動きの取れない敵を時間切れまで殴り続けたと創星に聞かされている。
光が及ぶ距離は短く、一度使用すれば次に使えるようになるまでタイムラグが生じ、連発が効かないので使いどころは考えないといけない。しかも光が覆える範囲は人の半分程度でしかない。
そのデメリットは教えるとナギに怒られそうなので黙っておく。頭のいい彼女なら放っておいても気づくだろう。
「はは、不意を突かれたのは二回目だ。なるほど、相手の間を読むのが上手いのだな」
「鰐頭さんに仕込まれたからですが……そんなに上機嫌になるほどですか?」
出会ってまだ一週間と少しの付き合いだが、ナギの人柄はわかりやすかった。気に入った相手が手ごわければ手ごわいほど、彼女は喜ぶ。
ゆえに、嬉しそうだということはサブローの間を読む力は彼女の眼鏡にかなったということだ。
「出会ってきた暗殺者とは比べ物にならないくらい巧みだ。すばらしいよ」
「……褒められた気がしませんね」
なにせ比較対象が暗殺者だ。風聞が悪すぎる。ナギはすまないと謝るのだが、笑っているため効果半減だ。
サブローは触腕の剣を防御のために眼前に持ってきて、ナギは半身で剣の刀身を隠した。
機を伺い、緊張感が高まる。それを察したのか、観客も静かになった。
数秒、じりじりと互いに距離を縮める。間に幾通りもの戦闘結果を思い浮かべながら、次々手を想定する。
「いくぞ!」
ナギの声を合図に、それぞれの踏みしめる大地が土煙をあげて爆発する。地を蹴った二人がそれぞれの最高速度で正面からぶつかり合おうとした。
「ま、魔物が逃げたぞー!!」
突如現れた兵士が目を赤くしたマンティコアに吹き飛ばされる。サブローは宙に投げ飛ばされたその男の身体に向かって、触手を伸ばした。




