七十三話:陰謀無謀
勇者の試合が控えている闘技場の地下で、歩みを進める男の影があった。魔物の檻の前で待機している魔導士を見かけて傍による。
「あの、本当によろしいのですか?」
卑屈な笑みを浮かべた魔導士に、男は苛立ちを隠さないまま乱暴にうなずいた。黒い法衣が動きに合わせてしわを作る。ナギにご老公と呼ばれた男の顔が差し込んだランタンのわずかな光で明らかになった。
彼は運命の女神ミュシクラを崇めるンモラ教団の幹部であった。名をヴァジム・メルカダンテという。
「……もともと、ナギ・オーエンが勇者であることが間違いなのだ」
ナギは身分の低い村娘だった。伝え聞く噂によれば村を魔物に襲われて一人だけ生き残り、農具を使いつぶしながら全滅させたらしい。
偶然通りかかったンモラ教の司祭が発見し、彼女を保護して自らの教会で引き取ろうとエグリアに連れてきた時、聖剣に選ばれてしまった。
ヴァジムとしてはンモラ教団の神が加護を与える聖剣を、どこの馬の骨とも知れない彼女が使うことは反対だった。しかし、ナギはすさまじい功績をあげ、神の目まで持っていたことでほとんどの幹部を味方にしていた。
愚かだと彼は思う。そのせいで、最後の砦である創星の聖剣を魔人という汚らわしい存在が手にしてしまう事態になってしまった。おまけに組織のトップの半数が魔人の勇者を受け入れる方向で話を進めている。ヴァジムは心の底から嘆かわしかった。
「いいか? タイミングを見誤るなよ。勇者といえど、魔人と戦って消耗した隙をこいつに突かれれば、ひとたまりもあるまい」
彼の視線の先には寝息を立てるマンティコアの姿があった。キマイラと並んで有名な合成された魔物である。遊戯用として作り出し、金を手に入れる非正規の魔導士も珍しくなかった。目の前の男もそのたぐいだ。
「わかっております。念のために、もう二、三匹使います」
へへ、と卑屈に笑みを浮かべる男に頷いて踵を返す。魔物と獣の臭いが充満するこの場から一刻も早く立ち去りたかった。
もし失敗してもバレはしない。次はもっとうまくればいい。
そう考えているヴァジムの耳に「ニャー」という猫の鳴き声が聞こえる。どこにも潜り込むものだとため息をついてから、闘技場の地下を後にした。
闘技場の控室で待機しているサブローは、オイルを塗った創星の刀身を布で拭っていた。長い付き合いになるかもしれないので、手入れは必要だろう。たとえ刃こぼれをすることもないほど、頑丈な神の材質であっても。
「ああ、そこそこ。アネゴはこんなに丁寧に扱うことなったから天国だぜ……」
そんなことを愚痴りながらも、声は柔らかかった。創星が先代のことを語るときは本当に楽しそうで微笑ましくなる。どれだけ扱いが悪かろうと、彼にとっては大切な人間だったようだ。
ちなみに一日中先代の話をする中には、一割くらい良いエピソードも紹介してくれる。その話を聞くのがサブローは楽しみだった。
なにせフィリシアと同じ顔をしているというので、親しみがわいてしょうがない。本人は破天荒な先祖に気落ちしていたが。
そんなことを考えて穏やかになっていると、控室の扉が開いて緊張した兵士が開始の時間を知らせに来た。
「か、開始時間になりました」
「ありがとうございます。創星さん、準備はよろしいですか」
「おっけー。オレはアニキの役に立つのが嬉しくて仕方ないぜ。ナギちゃんは強敵だが、なんとか勝って連中を見返そうぜ!」
サブローとしては勝つまでは考えていなかった。闘技場ということで、目くらましの類は封印される。霧状に噴出できるスミも、土煙の類も控えなければならないだろう。
となると、ドンモと同程度に強いであろうナギ相手には不利となる。しかし、やる気がないというわけではない。
この日をナギは本当に楽しみにしていた。サブロー達の特訓を覗きたくて仕方ないという顔をしながら、当日の楽しみと我慢を重ねる姿を目にしていた。
あそこまで期待をされているのなら、応えてやりたい。戦う手段を問うような娘ではないが、周りの目もある以上彼女の名誉のためにも正面から挑むしかないだろう。
それに今回は娯楽だ。演目として期待されているなら、客を満足させねばならない。難しいが、できるだけ頑張る。
長い通路を歩き、入口をくぐると陽光と観客の歓声が降ってきた。いずれもナギを応援する声ばかりだ。
創星が不満そうだが、こればかりは仕方ないだろう。勇者であることもそうだが、何度も闘技場で勝利を収めていたナギは応援されてしかるべきだ。
サブローが魔人であることを差し引いてもだ。むしろヤジがないことが意外だった。
「待ち望んでいたよ、サブロー!!」
よく通る幼い声がサブローを出迎える。紅潮した頬が興奮していることを表していた。両手を振って抱き着かんばかりだ。
サブローも口角をあげて一定の距離を開けて向かい合う。互いの射程範囲から一歩だけ外の距離だ。
「闘技場というくらいですから、魔人である僕はもっとヤジられると思ったのですが」
「そんな失礼な真似はさせないさ。昔、相手にヤジを飛ばす客に瓦礫を投げつけていたら、いつの間にかわたしの試合では消えていてね。ハッハッハ、何度も管理者に注意を受けたよ」
「昔から問題児ですね。よく出入り禁止にならなかったものです」
呆然としたつぶやきにナギはうむ、と一度頷く。
「わたしはここではとても人気でな。出入り禁止にしたくても出来なかったわけだ。管理者には悪いことをしたよ」
「本当にその通りです」
苦笑いをしばし浮かべてから、サブローは顔を引き締めた。魔人の力を解放し八本の触手を広げ、聖剣と鞘を残り二本の触腕に持たせる。さすがに観客の反応に悲鳴が混ざる。
対し、ナギは蕩けるような笑顔で熱い吐息を漏らした。
「ふふ、初めて見たときから思っていたが、その姿は美しいな!」
良く響くナギの声が届いたのか、ざわめきに戸惑いの感情が混ざる。我が身のことながら、サブローとしては観客に同意だった。
「いえ、その感覚はおかしいです」
「そうか? 雪のように白い肌、鍛えられた四肢、勇ましい面構え、八本の太くたくましい触手に、二本の繊細な動きをする触腕。すべてがわたし好みなんだが……」
「物は言いようですね。……卑猥な表現が混ざっている気もしますが、きっと僕の気のせいでしょう。ナギは好みの幅が広すぎますよ」
「……いや、狭いよ。わたしの愛は大きいと自負しているが、誰にでも分け与えるわけじゃないさ」
初めて見る、困ったような笑顔のナギはゆっくりと眼前に剣を構えた。
「おそらく、わたしは王国を占領する魔人を見ても同じ感想は抱かないだろう。ここに居る観客以上に嫌悪をぶつけ、砂粒ほどの興味も抱かない気がする」
柔らかい慈愛に満ちた女神のような顔を彼女は浮かべた。思わずサブローの胸が高鳴る。
「わたしは君個人が好きだ。この場で、胸に宿す“灯り”をより輝かせてわたしにぶつけるかと思うと幸せでたまらない。この日を運命の女神に感謝する」
「…………愛の告白みたいで照れるのですが」
表情の分かりにくい魔人の顔がわずかに赤くなってしまった。場所が場所ならもっと動揺していただろう。
「ある意味そうさ。寝たいというのなら期待に応えるぞ」
「そういうのはちゃんと成長して、将来を共にしたい相手としてください」
まじめな奴だ、と朗らかに笑って言う彼女が身を沈めた。楽しいおしゃべりはここまでのようだ。サブローも全身に意識を張り巡らせる。
開始の合図であるドラが鳴り響き、互いの足場が爆発した。
一瞬で距離を詰め、触手の影響が及びにくい懐で拳をぶつけ合う。目を爛々と輝かせるナギを前に、サブローは全身の感覚を鋭くしてすさまじい力を受け止めた。
◆◆◆
時間は数時間ほどさかのぼる。フィリシアは闘技場の入り口で眉をひそめていた。
――今日のオーエン様の相手、勇者を名乗る魔人との戦いらしいぞ。
――不敬な奴だ。オーエン様に成敗されればいいのに。
――王国ならともかく、魔法大国に来るとは命知らずな奴だ。オーエン様に無様に負けちまえ!
胃がむかむかしてきた。怒鳴りつけたい衝動をどうにか抑えていると、労わるように肩を優しく叩かれた。
「相手にするんじゃないわよ。サブローがどれだけすごい奴かは、アタシたちが知っているでしょ」
男らしいいかつい顔に、薄い化粧を乗せたドンモが人好きのする笑顔で断言する。はい、と短く答えたフィリシアは心が軽くなった気がした。
「うん、ラムカナさんがそういってくれるとありがたい。――――だから、ちょっと見えないところでしめてくるね」
「し、師匠さん落ち着いてください!」
先ほどまでの苛立ちはどこに行ったのかと自分でも不思議になるほど頭が冷えて、フィリシアはドンモと一緒に怖い顔をするミコを必死に宥めた。
獣のように低く唸る相手に途方に暮れていると、懐かしい声がかかる。
「ラムカナの旦那、フィリシアの嬢ちゃん、おひさー」
声の方向に振り向くと、坊主頭の男性が苦笑して頬をかいていた。見忘れるわけがない。彼はドンモのパーティーメンバーであるゾウステだ。
「ゾウステさん、お久しぶりです。さっそくですが手を貸してください!」
「お、おう。誰だか知らねえけど、お嬢ちゃん落ち着きなって!」
ゾウステも加わり、どうにかミコも気持ちを落ち着けてきた。冷静になると、加わった男が初対面だと気付いた彼女は慌てて乱れた髪を整える。
「ラムカナさんの仲間? あたしはサブの同僚のミョウコウジ・ミコ」
「おう、その通りだ。レンジャーのゾウステだ」
よろしく、と二人は手を交わした。ゾウステは先ほどまで自分の手を握っていた相手を無遠慮に眺める。
「しかし、えらい美人だな。カイジンの旦那の同僚って……」
「ゾウステさん、師匠さんは山で話していた、サブローさんの幼なじみの人です」
「はあ~。あの時に話していた」
先ほどまで不機嫌だったミコは「サブ、あたしの話をしていたんだ」と頬を染めて呟いた。彼女が落ち着いたので喜ぶべき場面なのだが、フィリシアは釈然としなかった。
「しかし、カイジンの旦那も羨ましい。こんな美人にならいくらでも尻にしかれ……あいてっ!」
思わずゾウステの足を踏みぬいて、フィリシアはハッと正気に返った。謝罪しようとすると、ドンモに呼び止められる。
「フィリシア、気にしないでいいわ。ゾウステ、アタシの女子会仲間を変な目で見たら容赦しないわよ」
「女子会仲間……はぁ? ええ!!」
ゾウステが驚くのをよそに、ミコとドンモががっちり肩を組む。
「どんな身体でも、ラムカナさんは乙女」
「そういうことだから、よろしく! あ、この間のリップたすかるわーミコ」
「気に入ってくれてうれしい。あたしの妹たちにも評判がいいんだよ、それ」
陽気なやりとりを交わす二人を前に気の抜けたように「はあ」と返事をしてから、ゾウステは慌ててかぶりを振って気を持ち直す。
「そういやそんな場合じゃない。ラムカナの旦那、この試合について耳に入れたいことがある」
先ほどまで緩んでいたドンモの顔が引き締まる。その場で固まっている四人がうなずき、話を聞くことになった。




