七話:紛糾する子どもたち
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フィリシアが朝日を浴びて目を覚ますと、見覚えのない天井が見えた。
寝起きなのに身体が疲れており、上半身を起こすのも苦労する。
隣で寝ていた妹が湯たんぽ代わりの姉が離れたことで身じろぎしたが、それだけだった。
働かない頭でフィリシアは昨日のことを振り返る。
王国軍が故郷を襲撃し、魔人のおかげで遺跡にたどり着いはずだ。
そこまで思い出して、フィリシアは急いで立ち上がる。
先に見張りを買って出たアリアと交代するはずだったのに、寝入ってしまった。
遺跡を出てアリアの姿を探すと、たき火の前で弓を調整している姿を見つけた。
「フィリシアさん、おはよう」
「ごめんなさい、アリア! 一人で任せてしまって……」
「気にしない。昨日あんまりにも気持ちよく眠っていたから、起こすに起こせなかっただけ」
「ですが、私が一番の年長者なのに……」
フィリシアが自己嫌悪からうなだれると、アリアは安心させるように微笑んだ。
「見張りはあたしが一番慣れているから適材適所。勝手に出しゃばっただけよ、本当に。それにしてもサブローさん、魔人だけあってすごいね」
「え? どういうことですか?」
「うん、風の探索術を使ったけど、誰一人王国兵が近寄ってくる気配がない。一人も逃がさずに王国兵を倒したんだと思う」
「たしかにそれは……すごいですね」
念のためにフィリシアも精霊を呼び出して風の探索術を使うが、数時間圏内の距離で人間の姿はなかった。
たしかアリアはもっと遠くまで探索できるはずだ。
その彼女が言うのなら、かなり広範囲の安全を確保したことになる。
「それにしてもどうやったのかな? 五十人近い兵士を動かさないなんて」
「はい?」
「あ、フィリシアさんだとそこまで調べられないか。あたしの探索術で生きている人……たぶん王国兵が五十人近く見つかったの。けど、発見した場所から一歩も動いていない。それも昨日からずっと」
「それって、つまり?」
「文字通り足止めしている。あたしは王国兵を殺しに行くと思っていたから意外」
アリアが好奇心に満ちた青い目を輝かせていた。こんな風に何かに興味を抱いている彼女は珍しい。
一族で一番弓のうまいアリアの父親が、兄弟がいないこともあってすべての技術をに叩き込んだ。
その上精霊術もフィリシア含む子ども世代で一番伸び、男であったならば文句なしにフィリシアの婿候補だったとさえ言われている。
結果、常に冷静で狩りの腕も大人よりうまく、物知りな十一歳の女の子に育った。
「そういえば初めて会ったときも、サブローさんは王国兵を追い払うだけで殺そうとはしませんでした」
「へえ、なにを考えていたのかしら。ちょっと聞いてみたい」
「聞けば答えてくれると思います。あの人、喋るのが好きみたいですし」
「うん、楽しみなってきた。早く帰ってこないかな」
上機嫌なアリアという珍しいものをフィリシアは見た。
好奇心が強いという幼馴染の新たな一面を発見しながら、遺跡の仲間を起こしに向かった。
「このまま魔人を待っていていいのですか?」
エリックがそう発言したのは、朝の支度を済ませていつでも出発できるように準備が整った後だった。
マリーが頬を膨らませ、発言主に食って掛かる。
「エリック、どういういみ?」
「どういう意味もなにも、たった一日で魔人をそこまで信じられる方がおかしいですよ。あの態度は僕たちを油断させるための演技かもしれませんし」
「そんなことないもん。おにいちゃんは絶対にやさしい魔人だもん」
「まだ言ってんのか? 優しい魔人なんているわけないだろ。マリーはバカだからなー。簡単に騙せたんだろう」
「アレスがいうとぜんぜん説得力がないよ。マリーより勉強できないくせに」
「い、今は関係ないだろ!」
マリーとアレスがにらみ合う。二人がケンカしているのは珍しいことではないが、今はタイミングが悪い。
しかもフィリシアとしても議題になっている魔人に関しては結論が出ないため、どう仲裁すればいいのかわからずに途方に暮れた。
それまで黙っていたクレイが、おずおずと口を挟む。
「でも、あんなに美味しい食べ物をくれた人が悪い人だとは思えないんだな」
「んだよ、食べ物に釣られたのか? たしかに美味かったけどよ」
「そんなことはないんだな。だって食べ物をあげた方なのに、もらっただけであんなに喜でくれたんだな。そんな人が悪人だなんて、信じられないんだな」
「クレイ、ありがとー!」
マリーがクレイの両手を取って喜ぶ。その様子を見てアレスが呆れた。
「お前なー、クレイ。騙されやすいんだからちょっとは気を付けろよな」
「だいたい騙していたのはアレスだったんだな。でも、アレスたちの言うこともわかるんだな。本人がどんなに優しくても、魔人の力ってのは怖いもんなんだな……」
「わ、わたしも……ちょっとこわい」
大人しいアイが珍しく会話に加わった。マリーが一気にうろたえて、アイに縋りつく。
「ア、アイ。おねがい、しんじて」
「マリーのことはしんじている。しんじているけど、わたし、弱虫だから……」
マリーへの罪悪感からか、アイが目を伏せる。
そのタイミングを見計らって、エリックが再びフィリシアに提案し始めた。
「見ての通り、魔人への不安を募らせている者もいます。このまま同行させるとせっかく集合したみんなが、また離れ離れになる可能性が出てきます。魔人の合流を待つよりも、僕たちだけで出発しませんか?」
「……それはできません。王国兵と戦ってくれる存在は必要です」
「それなら昨日聞きました族長の指示通り、王国兵にぶつけるという時点で解決しています。律儀に対応してくれた魔人に感謝をしますが、同行させる危険性は無視できません」
「たしかにアリアさんが探索できる範囲の王国兵は、無力化されたと聞きました。父に言われた彼の役目は終わったともとれます。ですが……本当にそれでいいのでしょうか?」
「なにを迷っているんですか、フィリシアさん」
「私は……私は……」
胸の中のもやもやが形にならず、フィリシアは苦しんだ。
エリックの言うことはかなり正しい。サブローの人格がどうであれ、子どもたちの不安は無視できない。
だけどどうしてもフィリシアは同意できずに、なにか反論できる材料はないか必死に探してしまっていた。
言葉に詰まる彼女に、アリアが助け舟を出す。
「あたしは反対。サブローさんは待つべきだと思う」
「アリア、冷静なあなたがどうしたのですか!?」
「冷静になるべきなのはあなたよ。本当はエリックも気づいているでしょ? 今回なにもかもおかしい」
アリアは一拍置いて、涼しげな切れ長の目をエリックに向けた。
「あんなに優遇してくれた王国が突然言いがかりをつけて、しかも捕らえるのではなく虐殺し始めた。あたしたちの役割は気まぐれでなくしていいようなものじゃないし、王様だって評判は良かったよ」
「それは……そうですけど、今知りようがないじゃないですか」
「そう、調べようがない、情報が足りない。だからこの先なにが起こるかわからない。……あたしたちの敵は本当に王国だけ?」
エリックが言葉を失う。アリアの言う通り、彼も同じ疑問を抱いていたようだ。
「悔しいけどあたしたちはまだ子ども。この先起きる事態に対処ができる自信はない。だからサブローさんに味方でいてもらって、不測の事態に備えたほうが絶対に良い。王国の動きが不気味すぎる」
「そうですね。何人か尋問しましたけど、彼らもなぜ精霊術一族を襲ったのか教えられていないみたいです」
唐突に混ざった議題の主の声に全員がギョッとして入口に顔を向けた。
サブローは気まずそうに頬をかき、「おはようございます」と挨拶をする。
「えっ? いつの間に……」
「えーと、『今回なにもかもおかしい』のあたりからですね。声をかけようと思いましたが、皆さん真剣な顔をしていたので……すみません」
うろたえるエリックに謝罪しながらサブローが近寄る。
上から下まで舐めるように見てくる彼に、「な、なにか用?」とエリックが警戒する。
「やっぱり昨日チョコを食べなかったのですね。顔色が悪いですよ」
「あんな怪しい食べ物、食べる気にはならなったからね。フィリシアさんには悪かったけど……」
「まあそんなことだろうと思って魚を取ってきました! どうぞエリックさん」
表情を輝かせてサブローが焼かれた魚を差し出した。エリックが困惑した顔で見ているのだが、彼は別の意味に取ったようだった。
「内臓を取って中まで焼き上げたので美味しいですよ。食べてみてください」
「味の心配じゃない! あなたはいったい何を考えているんだ?」
「だって僕が持ってきたよくわからない食べ物だから警戒したのでしょう? だったらよく食べているだろう魚なら問題ないと考えました! エリックさんただでさえ細いから心配なんですよ。ちゃんと食べて肉をつけないとダメです。僕は水中や海中での活動が得意な魔人なんで、魚くらいならいつでも集められますから遠慮しないでください」
「余計なおせ……」
最後まで告げる前に、エリックのお腹が盛大に鳴って絶句する。これでは格好がつかなかった。
サブローの心配でたまらないという視線に耐えられず、エリックは真っ赤な顔のまま焼き魚を受け取った。
「あ、ありが……とう」
「いえいえ、どういたしまして!」
消え入りそうなエリックの礼に、サブローは心底うれしそうに笑った。
焼き魚はみんなの分用意してあるらしく、配り始める。
アリアは自分の分を受け取りながら、先ほどの疑問の続きを始めた。
「サブローさん、兵士の尋問したの?」
「はい。と言っても乱暴な真似はする必要ありませんでした。なにせ魔人の姿で質問するだけで次々喋ってくれましたからね。いつもこうだとありがたいのですが」
「そう。ところで五十人近い兵士をどうやって足止めした? あたしの探索術の範囲内だと、それだけ多くの兵士が動きを止めているのだけども」
「ああ、簡単です。足を折って木に縛りました。そうしておけば後続の部隊の足止めにもなります」
「……五十人に?」
「近場の五分隊のほかに、もう少し奥の五分隊だから合わせて百人くらいでしょうか?
まあ魔人ですし軽いものですよ」
「もしかして一人も殺していない?」
「ええ。人を殺すのは苦手ですからね」
まじめな顔でうなずくサブローに、アリアは「なんで自分がとんでもないことをしている自覚がないの?」とブツブツ独り言を始めた。
いまいち噛みあっていない会話を耳にしていたフィリシアも驚愕している。百人と言えば風の一族全員を合わせた数に少し足りないくらいである。
そのすべてを殺さず倒して涼しい顔をしている。伝説で国一つ滅ぼせると言われている魔人だけはあった。
会話が途切れたのを見計らってか、マリーがアイを連れてサブローに近寄っていく。
怯えているアイを無理やり引っ張るのはよろしくない。
フィリシアは後でマリーに注意をすることを決めた。
「おにいちゃん、ごちそうさま。おいしかったよ!」
「おそまつさまでした。……マリー、一つお願いがあります」
サブローは跪いて視線を合わせ、珍しくマリーに曇った顔を見せていた。
まじめな話だと察したマリーも真剣にうなずく。
「アイさんを僕に近づけようとするのはやめましょう」
「えっ、なんで!」
フィリシアも意外だったため流れを注目する。表情を優しい笑顔に変えて、マリーの頭を撫でながらサブローは続けた。
「マリーの場合は出会い方のおかげでこうして仲良くなれましたが、僕の力はたいへん危険で怖いものです。普通の人は怯えて近寄りたくないと思っても仕方ありません。それを無理やり近づけようというのはよくないことです」
「でも、マリーはおにいちゃんもアイもだいすきだから、仲良くなってほしくて……」
「それはとても素敵なことだと僕も思います。時にはそうやってマリーがアイさんの手を強引に取る必要もあるでしょう。けれども、今回はその心配はありません。仲良くなる時間が人によって違うのは当たり前ですから」
ゆっくり諭すような優しい物言いに、アイが一番驚いていた。
それもそうだろう。アイは何事も要領が悪い子どもだったため、気が短くなりがちだった子ども集団では浮いていた。
唯一マリーだけは例外だったが、急かしてくる他の子どもたちと仲良くなる事はなかった。
そしてアイの両親は彼女をとても愛していたのだが、他の大人は呑み込みの遅いことに呆れることも多かった。
恐ろしいはずの魔人がアイの性分を肯定する姿は、天地がひっくり返るほどの衝撃だったのだろう。
「それにこんなことでマリーとアイさんの間に溝ができてしまうほうが、僕はとても恐ろしいのです。ですので約束してください。アイさんが望まない限り僕に近づけないことを」
「……うん、わかった。ごめんね、アイ」
「ま、マリーはわるくないよ」
マリーがアイの手を引いてサブローの言いつけを守った。途中、アイが彼に頭を下げたのをフィリシアは見逃さない。
きっと礼が言いたかったのだろう。フィリシアは言葉に出来なかったアイに代わって、立ち上がるサブローに伝えることにした。
「ありがとうございます、サブローさん。アイもきっとお礼を言いたかったと思います」
「……テンポが他の子より遅いことは、悪いことではありません。ですけど、周りについていけずに自信を失っていく事も多いです。
他の子どもにそのフォローを期待するのは難しいものですが、マリーがついているなら安心できます」
「よくわかりますね」
「子どもが集まるところでああいう子は珍しくありません。僕の弟や妹たちにも似たような子はいます。ただ、一人一人理由も解決方法も違いますから、気を遣う問題ではありますけど」
そういって昔を懐かしむ彼の顔はまさしく兄の顔だった。
子どもが好きなサブローがなぜ魔人になったのだろうか、フィリシアは不思議で仕方ない。
自分から魔人の力を望むようにはとても見えなかった。
「フィリシアさん、代えの湿布です。それで、その……」
湿布を受け取ってから、フィリシアは続きを待った。サブローの歯切れが悪いのは初めてみる。
真剣な面持ちで瞳を合わせる彼につられて、少し緊張する。
「……今夜――いえ、フィリシアさんの都合のいい日に二人きりで話せませんか?」
「ひゃい!?」
唐突な誘いにフィリシアの声が裏返る。周りが注目するのだが、サブローは声を潜めていたため内容は伝わっていない。
そのことにフィリシアは安堵しながら、動揺を隠せず返答に困っていた。
「あう、その、ええと」
「昨日のことで伝えたいことがあります。子どもに聞かせる内容ではありませんので」
「あ、ああ……そうですか。そうですよね、わかりました」
勘違いをした自分が恥ずかしくて、フィリシアはぎこちなく何度も首を縦に振る。
エリックやマリーが何を話していたのか探ってきたので、誤魔化すのに苦労をした。