六十五話:休日のち出会い
「おにいちゃん、いっしょにおやつ食べよう!」
サブローはマリーに誘われて、一緒にテーブルに座って用意されているドーナツを食べ始めた。これは施設に帰る前にドーナツ屋で買ってきた物だ。大口でかぶりつくマリーを複雑な気持ちで眺めながら、あちらの世界に残っているフィリシアたちを心配する。
そう思案していると、エリックやナナコが姿を見せて近寄ってきた。
「サブおにいちゃん、明日か明後日にはフィリおねえちゃんが帰ってくるんだよね?」
「そうですよ。フィリシアさんもナナコに会えるのを楽しみにしていました」
ナナコは嬉しそうに顔を崩し、ドーナツを一つ取った。エリックも一つ取りながら、サブローを眺めて会得がいったように何度もうなずく。
「サブローさんの身体も特に問題なさそうですし、実験はうまくいったみたいですね」
「なんだか複雑な気分です。逢魔を倒すまで帰ってくることはないと思っていましたし……」
時差は慣れの問題なので置いておくにしても、逢魔の問題を放置して帰ってくるのはどうにも落ち着かなかった。宿題を残したまま学校に登校するような気分である。そのまま言葉にすると、すでに部屋にいたアリアが呆れた。
「宿題と違って一日二日で片付くような問題じゃない。ガーデンが休めと言っているなら、ありがたく休めばいいじゃない」
「しかし最近まで毎日温泉を利用していましたから、充分鋭気は養っています。魔人と戦ったのは主にミコとフィリシアさんでしたし、なんだかやる気を持て余してしまいますね」
サブローは腕を組みながらぼやく。今のままの気分でいいわけではないので、切り替えたいのだがいまいち上手くいかない。
なぜ休みをもらい、元の世界に戻ることになったのか。そのきっかけをもう一度思い返した。
御者に何事もなければ首都エグリアに五日で着く予定だと聞かされた。整備されていない道を進んでいるためか、けっこう揺れが激しい。
しかし地の族長が用意した馬車はかなりの高級な物らしく、衝撃を吸収する機構が設けられ、そこそこ快適である。
道中、魔物に襲われた際の護衛を御者に頼まれる。元々そのつもりであった。サブローが右手のブレスレットを外せば寄り付かないだろうが、ここは馬車だ。馬を怯えさせてはいけない。手はかかるが、魔物の発見と迎撃は自分たちでこなすべきだろう。
あともう一つ、盗賊に襲われる可能性もあると教えられた。とはいえ、メンツがメンツなので御者も安心しきっている。今夜は野宿になるが、途中いくつかの村を経由する。
サブローは変わり映えのしない景色を眺めながら、たわいもない話を続け、ドローンに報告書を送り終えた。
『隊長、ミコっち、フィリたん。次の目的地に着くまで間が空いたんで、それぞれシフト組んで一日休みを取ってほしいそうッス』
休みとはいったいどういうことだろうか。ドンモとインナも興味津々で成り行きを見守っている。毛利はドローンを通し、説明を始めた。
『こいつの魔力投影ライトを使った魔法陣なら、一人は戻せるッス。まあ自分らの世界に戻るには隊長が立ち会う必要があるのは、言うまでもないッスけど』
これはドローンの魔法陣の最終テストにもつながっており、人がこの魔法陣で行き来できる最後のチェックを手伝ってほしいと、毛利は熱心に説く。
サブロー個人としてはフィリシアとミコだけに利用させたかったが、そのことを言うと二人に鬼のように責められるだろう。さすがに察しがつき、順番を相談することにした。ドンモとインナにも参加してもらうことにする。
最初は誰を向かわせるか、という話題になる。
「フィリシアさんとミコ、二人とも僕より先でいいので順番を決めてください」
そう勧めると、二人は悩ましそうにした。そんなに元の世界が恋しいのだろうか。まあ家族もあそこに残っているから当然だろうが。
「……私たち片方がいない間が少し心配ですね」
「まあお互い抜け駆けするような性格じゃないのはわかっているけど」
二人がなにやら相談し合う。話題についていけず、一人取り残されて少しむなしくなった。
「サブローさん、最初に戻ってください」
「え!? それはまたどうして?」
「サブがいないと帰れないけど、順番には影響しないし。まあなら最初に帰ってもらおうかなって」
サブローは虎の魔人との戦いでは一番楽をしたため、先に休むのは気が引けた。後回しでいいと主張するのだが、二人は首を縦に振らずに話す。
「師匠さんと相談したいこともありますから、先に行ってくれると助かります」
「しばらく女子だけのメンツもいいしね」
「あら、アタシも女子扱い? すごくうれしいわ」
ドンモが嬉しそうにはしゃいだ。本当に相談したいことがあるらしく、不思議で仕方ない。しかもサブローに聞かせたくないことのようだ。
寂しくなるが、人の秘密を暴く趣味はないので大人しく納得した。
『じゃあ今日の野宿地点についたら、フィリたんは隊長を送ってほしいッス。頼んだッスよー』
毛利の明るい声に、フィリシアが了解した。
半日ぐらい進んでから馬車を止め、野宿の準備を始める。とは言ってもたき火を起こし、食事の準備に入るだけでその日は良かった。草原であるため障害物は少なく、魔物や盗賊の襲撃があればすぐに気づけるような場所だ。ドンモやミコなら難なく対処ができるだろう。
ドローンが宙に浮かび、ライトを照らす。魔法陣の形に現れた光の中央にサブローは立った。人一人分のスペースだけ円形状に空いており、そこに立つことが決められている。
「いつかアタシたちがサブローの世界に行くのもいいわね」
「そのときはご案内しますよ」
「本当? 覚えておきなさいよね、カイジンさん」
顔を明るくしているインナに微笑み返す。御者はなにが起こるのか興味津々だ。フィリシアがこちらに確認を取り、魔法陣に両手を向ける。同時にサブローも自分が向かう先をイメージした。
魔力が送られ、魔法陣の形をした光が輝きを増していく。白い光があふれ、懐かしい光景を目にした。ミコが「青くない?」と光の色に疑問を持っているが、サブローは二度この光を目撃している。
夜空を染め上げ、光が溢れた。サブローは浮遊感を身体に受け、世界が変わるのを落ち着いて待った。
サブローたちが休みをもらうことは伝わっていたらしく、帰ってくるなり施設の家族が歓迎してくれた。アレスに叔父とのことを伝えると、照れ臭そうに礼を言われる。
マリーが今終始ついて回って可愛く、構い倒しだった。園長に報告と地の族長の感謝を伝え、タマコを始めあちらの様子に興味がある子たちに話をしたり、様々な技術の礼をエリックに言ったり、心穏やかに過ごす。
今日、サブローがこちらに来た時間と同じ頃にガーデンに向かい、フィリシアかミコと交代する手はずになっていた。それまでのんびりするように、長官と毛利にしつこく言われたのだった。そんなに信用がないのだろうか。
「けどもう魔人を一体倒したんだね。さすが仕事が早い」
タマコが嬉しそうにしていたので、ミコとフィリシアの活躍を強調する。仲のいい二人の話を楽しんで聞いてくれた。
そして話がドンモとの再会から、四人目の勇者が誕生するという予言があったことに移った。本を読んでいたアイが顔を上げ、興味を示す。
「すごい、四人も勇者がそろうの?」
「そうみたいですね。今まで二代目以降の勇者が見つかっていなかった、創星の聖剣自身がおっしゃったわけですし、ほぼ確実だとラムカナさんも保証していました」
「どんな人だろう。サブローおにいちゃんの味方になってくれるといいなー」
アイの言葉に嬉しくなり、サブローの目じりが下がってしまう。隣で黙々とドーナツを食べていたマリーが、そういえばとこちらに声をかけた。
「おにいちゃんって、アルバロおにいちゃんと仲良くなったんだね」
「はい。とても話が合いましたよ」
「つよい人がすきだったから、きっとおにいちゃんとも話しやすかったんだよ」
明るく言われると悪い気はしなかった。清潔な広い部屋で、大好きな家族が穏やかに過ごすのを見て、サブローは心が癒されるのを実感した。
ガーデンがどのくらいの頻度で元の世界での休日を与えるつもりかはまだわからないが、時折ここに戻してくれるのは粋なはからいだ。
サブローはマリーの口元の汚れをぬぐってやりながら、後で長官に感謝を伝えることを考えた。
ガーデンの魔法陣に入り、転移の準備ができたことを伝える。エリックがタブレットを片手に魔法陣へ魔力を送る準備を終えた。
ドローンから入る映像を見て、転移先のイメージを固めるそうだ。これで魔力投影ライトの魔法陣へととべる。すっかりエリックに頼りっぱなしだ。そのうち、兄やミコと一緒に労わなければならない。
やがて青い光が部屋に満ち溢れて、海のように穏やかな青に染め上げた。
数分静かに待ち、青い光が晴れると満天の星空と、二つの月が迎える。今日も異世界の夜空は絶好調のようだ。
目線を下げるとまばらに素朴な家が見えた。二、三十軒はあるだろうか。ほとんどの家の周囲にはあぜ道と畑がある。ここはどうやら、中継地点の村であるようだ。
「すばらしい! 転移の術は何度か見たが、青い光は初めて見た! これが異世界への移動か」
やたらはしゃぐ声が耳に入った。サブローがいぶかしげに声の方向に視線を投げると、見覚えのない少女がいた。
桃色に近い赤毛の長髪を長く編み込んだ、赤目の活発そうな娘だ。小柄の身体を頑丈そうな革製の部分鎧で包んでいる。見せかけか本物か鞘に収まって判別できないが、立派なつくりの長剣を背負っていた。正直言って不釣り合いだ。
彼女はアリアやエリックと近い年齢に思える。周囲に集まっている村人が親だろうか。ごっこ遊びにしろ体格に似合わない剣で怪我をしたら危ないと、ちゃんと注意をしてもらわないと困る。
少女の後ろでフィリシアやミコがやたら疲れた顔でこちらのやり取りを見守っていた。どうやらやんちゃな子供のようだ。
「いやはや、君の話は聞いているよ。一度会いたいと……」
「もうすぐ夜も更けます。子どもが一人で歩いていると危険ですので、お家に帰りましょう。送っていきますよ」
サブローは言葉を挟んで、頭にぽんと手を置いた。村人がなぜかざわついている。
「僕はカイジン・サブローと申します。えーと、君の名前は……」
「き、キミ! 無礼だぞ!」
「その手を放してください。自分がなにをしているのか理解しているのですか!」
おそろいの白い鎧を着た男女が抗議してくる。整った顔立ちの二人には似合っているのだが、目立って戦闘に向かなそうだと思った。
同時に、サブローが今撫でている少女はどこかのお嬢様なのだろうかと考える。たぶんだが、あの二人は護衛なので抗議しているのだろう。気安すぎた。
慌てて手を離そうとした瞬間、ストロベリー・ブロンドの少女に手を抑えられた。
「いや、しばらく撫でて構わない。ふむ、なかなか心地いいなこれ」
「ですが、ナギ!」
「けっこう夢中になるぞ、これ。もう少しやり方を学んでから、愛しい君たちにも実戦しよう」
彼女がそういって笑いかけると、抗議していた男女は顔を赤くして黙り込んだ。なんだか湿っぽい空気が流れるが、サブローは気のせいだと強引に結論付ける。
「えーと、ナギさんでよろしいのですか?」
言いながら、サブローは既視感を感じた。どこかで耳にした覚えはあるのだが、どうにも思い出せない。
「ああ、わたしこそが今代勇者の一人、虹夜の聖剣を持つナギ・オーエンと言う。ナギ、と愛しく呼ぶように。君の身体については教えられているから、安心したまえ」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ナギが握手を求めてきた。サブローはたっぷり数秒間その手を眺め、驚愕に叫んだ。




