六十一話:魔人と過去と勇者と
虎の魔人の姿を確認してから翌日、太陽が真上に上がった時間にとうとう敵は姿を見せ、不快そうな顔をする。
「おいおい、もうゴブリン連中全滅したのかよ。つかえねーな」
唾を吐き捨て、不機嫌そうに顔を歪めて歩みを進める。関所となっている地の里の門前まで来たとき、合図を送られた自警団の団員が見張り塔の矢狭間から矢を向けた。
「そこまでだ、魔人」
塔から見下ろすイルンが忠告する。正体がばれていることに敵は多少の驚きを見せたが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。
「ほう、もうバレてんのか。けど矢程度で俺をどうにかできると思っているなら間違いだ」
「いや、こちらには協力者がいるからね。これはまあ、ただの囮さ」
イルンが安心したように笑みを浮かべた瞬間、サブローは制御装置を外し、触手を使って跳躍した。敵の裏を陣取り、逃げ場を失くす役割を担っていた。
「あ? 急に魔人の気配が……ってサブローか。こりゃ楽勝だな」
「お久しぶりです、タイガさん。まあ今回の相手は僕ではありませんよ」
不思議そうにする敵を前に不敵に笑い、力を抜く。口ではそういっていたが、状況次第では参戦するつもりであった。とはいえ、そんな事態に陥る可能性は低い。
上空からミコとフィリシアが現れ、門の前に降り立った。
「あ? ガーデンの制服……チッ、こんなところまで追いかけてきやがって」
だるそうに舌打ちをし、虎の魔人へと姿を変える。牙をむき出しに愉悦に満ちた顔を向けた。
「まあ、綺麗な姉ちゃんを差し向けるってのはありがてーな。剥いたときが楽しみだ」
敵は下卑た笑い声を出し、前傾姿勢をとった。サブローは腕を組み、手を出さないポーズをミコに見せる。無敵の幼馴染はそれを確認し、静かにうなずいた。
虎が吼える。
地を駆け、サディスティックな笑みを浮かべながら右拳を機械のガントレットへとぶつけた。甲高い衝突音が門前で響く。虎の魔人は二度、三度と連打を繰り返してから、後方に跳んで距離をとった。
挑発するようにその場でフットワークを刻み、再び殴りこんだ。一連の流れを数回繰り返すと、自警団の中に不安のざわめきが広がる。今のところ、ミコは魔人のなすがままになっていた。
「グハハッ、ガーデンの新兵器とやらもたいしたことね―な!」
敵が調子に乗ってつかみにかかった瞬間、ミコが吐き捨てた。
「この程度か」
呟き終えると同時に、火柱がタイガを飲み込んだ。熱量に耐えられず跳び逃げる敵を、ミコは逃がさずに巨大な拳を叩きこんだ。
地面を数度バウンドした虎の魔人が怒りに吼える。力を溜めるために身体を沈めた瞬間、風の刃が足の健を切った。
無様に悲鳴をあげて地面に転がる敵を、フィリシアが冷たい目で見降ろしている。自分に向けられたわけではないのに、サブローは背筋が寒くなって震えた。
「殺してやる……殺してやる……」
タイガは呪詛を吐いて、怪我を負った足をかばいながら四つん這いになった。無事な方の足と両手で速度を補うらしい。地面から塔の壁を跳び移り、加速をつけてからミコを襲う。正面からの力押しはあきらめたらしい。
しかしそれもしょせんは無駄な努力だった。ミコは裏拳を叩きこみ、宙で無防備になったタイガに追撃をぶち当てる。骨が小枝のようにあっさり折れる音を聞き、サブローはあばらを何本か折ったと判断した。
奥のフィリシアが腕を上げる。上空に現れた巨大な空気の塊は地面につく前の魔人を撃ち抜き、地面に叩きつけた。衝撃で生まれた窪みの中央で痙攣する敵に、サブローは話しかける。
「タイガさん、降参しますか? 魔人の力を封印した上でガーデンに送ることになりますが、今なら生きたまま帰ることができますよ」
「ふざ……けるなぁああぁぁ!」
虎の魔人が跳ね起き、サブローの首に噛みつこうとする。その動きは遅い。サブローは冷静に開きかけた口をつかみ、牙を握りつぶした。
「はがっ!? うそだろ!」
「意外ともろいものですね」
牙の欠片を見つめながら思わずつぶやく。まさか魔人に変る必要すらないとは思わなかった。責めるような目のミコに睨まれて、サブローは焦る。不可抗力だから勘弁してほしい。
「ヒッ」
タイガが短く悲鳴をあげて、サブローから離れていく。ミコに向かっていくのかと思ったが、彼女も避けて壁を数回跳び移った。
「お、お前なら!」
一番弱いと判断したフィリシアに狙いを定めたらしい。人質にして逃げようと考えているのだろうか。だとしたら甘い。ミコがわざと通した理由に気づいていない証拠だ。
虎の魔人は両手の爪をむき出しに、フィリシアにつかみかかろうとする。彼女は視線を鋭くして機械の翼を広げ、その場を素早く回った。硬質な片翼がタイガの全身を叩き、ミコの手前まで転がり跳ばす。
「フィリシア、気が済んだ?」
「はい。後はお任せします」
ミコの呆れ声を受けて、フィリシアは満足そうに返す。一発殴りたいと常々主張していた甲斐があったのだろう。正直言って危険な真似だった。彼女が対応できると判断しなければ、自分たちは敵を通しはしなかっただろう。
ミコは巨大な手のひらで魔人の身体を包み、納得がいかないような顔をした。
「四年前からあんただけはあたしの手で倒すって決めていたのに、終わるときはあっさりなもんだね」
噴出した炎が魔人を蹂躙し、聞くに堪えない悲鳴があがる。フィリシアの風によって炎がより火力を上げ、頑強な肉体を持つ敵を消し炭に変えた。
ミコが握った拳から灰がこぼれて風に紛れて消えていく。サブローが魔人に変った元凶であるが、虎の魔人という力にあぐらをかいた、取るに足りない男でしかない。こうなるのも妥当としか言いようがなかった。
◆◆◆
灰に変った敵を見届け、ミコは四年前を思い出した。
兄が帰ってくると聞き、買い物に出かけたサブローに呆れたのを覚えている。この男は自分の誕生日に誰かのプレゼントを買おうとしていた。
言っても聞きはしないので、ミコは付き合う。兄としては祝うために帰ってくるので、サブローからプレゼントをもらっても複雑だろう。小言をもらえばいいと投げやりになる。
だけど、二人で出かけるのは久々なので楽しかった。施設にいれば常に誰か集まっていたので、それらしい雰囲気になる機会はほとんどなかった。
ショッピングモールで兄が好きそうなものを漁りながら、笑い合う。ミコは関係を進めるのが怖かったが、サブローを少しの間だけでも独占したかった。
「『魔人を殺す魔人』の妹だな?」
ぶしつけな質問に振り返ると、男が世間を騒がせる怪魔人へと姿を変えた。周囲が一気に騒がしくなる。
虎の顔が歪に笑い、ミコを剛腕で吹き飛ばした。壁に叩きつけられ、息が詰まる。
「おっと、殺しちゃまずいんだった。けどこの傷、お前の兄貴にやられたんだぜ。妹のお前が償わないとな」
圧倒的な暴力の匂いに、ミコは恐ろしくなる。このころから道場に通い、男勝りの強さを誇っていたが、魔人を前にはどうしようもなかった。歯の根が合わず、身体が震える。
ひたすら心の中で助けを求めていた時、視界が白く染まった。
「ミコ!」
消火器を使ったサブローがもうろうとするミコをつかみ、引っ張り上げる。虎の嗜虐的な笑い声がすぐ近くにあった。
「見えなくてもな、匂うんだよ!」
サブローはなにかの小瓶を投げつけ、魔人が砕く。いい匂いがミコの鼻に広がった瞬間、襲撃者が鼻を抱えて転がっていた。
いつの間にか香水を手に入れていたらしい。化粧品コーナーの端にサブローのサイフが置かれているのを見て、こんな時に細かい奴だと感心した。
意識が飛びそうになるのをどうにか堪えながら、ミコは必死に足を動かした。サブローの誘導に従い、倉庫らしき部屋の物影に隠れる。
「サブ……だけでも逃げて」
涙を流し、そう懇願する。サブローは安心させるようにいつもの微笑みを浮かべて、ミコの頭を一撫でした。
「大丈夫です。僕がなんとかしますから、ミコは寝ていてください」
その言葉の真意を、意識を失いかけている頭では理解しきれなかった。サブローの手の温かさが心地よく、まぶたが落ちた。
しばらくしてガーデンに保護されたミコは、あの後サブローが囮になったことを教えられた。
大事な幼馴染はどれだけ痛めつけられても居場所を吐かず、イチジローが駆けつけるまで耐え抜いた。『魔人を殺す魔人』が人質を取られて手を出しにくそうにしているのを見て、利用価値があると思われたのか連れていかれた。
ミコは絶望に泣いた。サブローは自分の身代わりに連れていかれたようなものだ。後に魔人に変えられていると知って、より気分を沈めた。
ミコは大いに荒れた。サブローと一緒に通うはずだった高校には顔を出さなくなり、ひたすら身体を苛め抜いた。持て余す激情のままに暴れて、園長や兄に何度も迷惑をかけてしまった。
これではいけないと思いつつも、ふとした時に胸が苦しかった。性根を叩き直してやると意気込むイチジローに連れられたガーデンで天使の輪に選ばれるまで、ミコは迷走を続けていたのだった。
「師匠さん、どうしました?」
心配そうなフィリシアに声をかけられて、ミコは意識を現在に戻す。妹でもある彼女に微笑もうとして、雫が頬を伝って落ちた。疑問に思って手を当てると、泣いていたのだとようやく自覚した。
頭にあの日感じた、手のひらのぬくもりを感じる。顔を上げると、やはり心配そうなサブローの顔があった。
「ミコ、なにか悲しいことがありましたか? どこかを痛めたわけではないようですし……」
たまらず、ミコはサブローの胸ぐらを引き寄せて、涙で濡らした。
「きゅ、急に抱き着かれても心の準備がっ!」
焦るような声が頭上から聞こえてきたが、泣き声が激しくなるとまた優しい手のぬくもりを感じた。
「ごめん……サブ……あたしの、代わりに逢魔に、連れていかせて……」
「そのことでしたか。結果的にはそれでよかったと思います。僕と違ってミコは女性ですから、あそこでなにをされたかわかりません。……鰐頭さんの前ならともかく、あいつら隠れていろいろやっていたらしいですからね」
苦々しそうなサブローが落ち着かせるために背中を撫でる。ガーデンの診断でも、ミコに魔人の素質はないとされていた。逢魔に行ったのであれば、彼の言う通り酷いことになっただろう。
けれども、それはサブローが代わりに苦しんだというだけだ。身体の傷はミコも目撃している。どんな目に遭わされたのか想像に難くない。ますます胸ぐらをつかむ手に力が入った。
「アンタ、いつも女に抱き着かれているわね」
女性口調の男の声が聞こえて、ミコは驚きすぎて涙が引っ込み顔を上げる。少しむくれていたフィリシアの顔が明るくなった。
「ラムカナさん!」
サブローに名前を呼ばれた鮮やかな赤い鎧の男はバツが悪そうに頬をかく。
ドンモ・ラムカナ。目の前の強い意志を秘めた瞳を持つ彼が、報告にあった勇者だとミコは気づいた。
「急いできたんだけど、間に合わなかったようね。ごめんね」




