六十話:慌ただしい魔人対策の日々
地の里に魔人が迫っていることを発表された日は当然ながら荒れた。
理由を求められた地の族長家はゾウステの手紙の内容を包み隠さず公表した。あまりにも理不尽な理由に里の人々は魔王を口汚くののしり、原因となった風の里まで矛先が向く。フィリシアの顔が暗くなったのを確認して、サブローは自分のことを教えるように促した。
続けて告げられたサブローの正体に、彼らは唖然となった。先ほどまでの怒りが集まるのをサブローは感じ、地の族長一家や風の里への様々な感情を逸らすことに成功して安心する。
インナや地の族長たちが必死になってフォローをしてくれたものの、その程度で収まるものではない。あまり押さえつけすぎるとまた彼らに激情が向けられかねないので、ほどほどのところで切り上げさせておく。
ミコが不機嫌なのと、フィリシアが先ほどよりよけいに顔を曇らせたことが気になったが、今回は我慢してもらう。
こうして、サブローは地の族長家以外に監視をつけられる日々を送ることとなった。
「あの、そんなに武器を構えて疲れませんか?」
今日、フィリシアが作ったマフィンを食しながら、見張りについた若い兵士に話しかける。彼は槍を手に緊張した面持ちを向けていた。恐怖によってなのか、まだ訓練が足りないのか、武器を持つ手が震えている。たぶん両方だろう。
サブローを監視すると自警団が主張したのはいいが、魔王に差し向けられた魔人の方も警戒しないといけない。その上、発言力の強いアルバロが監視には非協力的であったため、回せる人員は限られていた。
最初は四、五人ほどついていたのだが、忙しくなるにつれて数は減り、今ではいまいち頼りない若者だけになっていた。何度か名前を尋ねたものの、いまだ聞き出せていない。サブローは仲良くなってから知りたいものだとひそかに思っていた。
「そうやって武器を下げさせたところを、逃げるつもりなんだろ!」
「……ああ、そういう風に聞こえますよね。煩わせて申し訳ありません。しかしお疲れのようですし、少しは休まないと身体を壊しますよ」
警戒心を強めるのを見届けながら、サブローは彼用に分けておいたマフィンを差し出した。
「気を遣っているふりをして、油断させようだなんて……」
「はい、お一つどうぞ」
サブローはニコニコと彼の口元にマフィンを運ぶ。相手は口をあんぐりと開けた。
「な、なにを……」
呆れから口を開けたのをいいことに、サブローは一つねじ込んだ。油断をつかれて彼は焦って吐きだそうとするのだが、食べ物を粗末にするのはもったいないのでそれを許さない。もごもご口を動かしていくうちに、美味しいことに気づいたのか、だんだんマフィンを腹に収めていった。
見張りとして付き合いの長い彼は、朝からなにも食べずに仕事につくことが多かった。そのことに気づいたサブローはフィリシアに頼んでおやつを作ってもらっていたのだ。
「う、うまい……」
「ですよね。フィリシアさん、すっかりお菓子作りに目覚めて日々美味しくなっているんですよ。僕らの家でリンコやクレイに教わっていましたし」
「い、家? まさかなにか変な材料を仕込んだんじゃ……」
「大丈夫です。ここで買った材料しか使っていませんでしたし、スティナさんたちも一緒に楽しそうに作っていました。今度見に行きますか? 歓迎してくれますよ」
誘ってみると、彼は複雑そうな顔をした。行きたいが職務との板挟みになっているように見える。そういえば里の中でスティナは人気がある女性だった。サブロー達の世界で言うミスコンみたいな催しで長年頂点に立ち続けているらしい。人妻にかかわらず、コナをかけてくる連中が多いとイルンが愚痴っていた。
それともフィリシアかミコの方なのだろうか。里であの二人の人気が上がっているとスティナに聞いた気がする。それならそれで仲良くなれるきっかけができていいのだが。
「か、監視中に気を抜くことはできない!」
サブローは苦笑して彼にマフィンをもう一つ勧めた。ごくりと唾を飲んだのを確認し、断られる前に押し付ける。
お茶用の水筒を下げながら、サブロー達の訓練用に貸してもらっている空地へと向かった。来るべき日に備えてミコがフィリシアを鍛えている。
激しい風切り音と、なにかがぶつかり合う轟音が響いている。いつ魔人が来るかわからないので、疲れを残さない程度にするべきだと何度も言ったのだが、二人とも聞き入れない。
やる気があることはいいことだが、気負いすぎて倒れないだろうか。目下のところ、サブローの悩みであった。
「フィリシア! 狙いがずれているけどもう降参?」
「ま……まだやれます!」
フィリシアが叫び、風の弾丸を放った。散弾のように細かく分割した空気の塊を、自らの身体にあたる面積だけガントレットで遮り、ミコは無傷で過ごした。
「攻撃面積を増やしすぎ! ちゃんと敵に集中させて。端までコントロールが届いていない!」
「は、はい!」
息を切らせながら二人の動きが激しくなる。今魔人がやってきたら二人はどうするのだろうか。備えるという言葉を頭に入れてほしい。
「あ!?」
空気の弾丸が一つコントロールを失い、サブロー達に飛んできた。監視の若者が短く悲鳴をあげている。そのままでは当たるだろう。
彼に直撃する前に、サブローは風の弾丸を握りつぶした。手のひらの中で衝撃が暴れまわり、握った拳がわずかにぶれる。
「お怪我はありませんか?」
にっこり尋ねると若者はがくがくとぎこちなく頭を縦に振る。
「根を詰めすぎですよ。休憩しましょう」
「すみません。ですけど、その前に手のひらを見せてください!」
監視の彼とサブローに謝るフィリシアが焦って申し出たので、軽く開いてから向けた。同時にサブローも眉をしかめる。手のひらがズタズタになって血を流していた。
「すごいです、フィリシアさん。前はこんなことなかったのに……ずいぶん成長したんですね」
「そんなのんきなことを言っている場合ですか。手当てをしますからそのまま……」
「じ、自分がやります」
その提案にサブローが驚いた。監視だけのはずの彼が近寄り、地の精霊に回復を頼んでいる。みるみる怪我が治り、一分もかからず万全の状態になる。
「すごいですね」
「地の精霊術による回復術ですからね。風の回復術よりも効果が高いんですよ」
自己治癒なら火の精霊術が強いのだが、他者を癒すのなら地の精霊術が効率が良いらしい。水はどちらも得意で、風はどちらも苦手だと、前に聞かされたことがあった。天使の輪による精霊術の強化でも、回復術はそこまで効果が上がらないとのことだ。
「けど、地の回復術とはいえここまで治癒力が強いなら、自警団より薬師か治療師になられた方がよろしいと思われますが……」
「……実家は治療師です。ですがまあ、親とケンカをしていまして……」
彼はバツが悪そうにする。実の親を知らないサブローにとってはいまいちピンと来ない話題だった。
「これで貸し借りなしだからな」
人によって態度が違う、とフィリシアが機嫌を悪くする。サブローは目線で彼女を窘めてから、治療してくれた彼に笑顔を向けた。
「そうですね、お礼に今度おごりますよ」
相手は混乱をして、こちらを凝視する。
「あ、あんた貸し借りの意味を分かっているのか?」
「困ったときはお互いさまということですよね。それはそれとして僕がこのお礼をしたいだけですので、気にしないでください」
この世界の金なら持ち込んだ物を換金し、かなり余裕があった。地の族長の紹介で信頼のできる商人と出会うことができたのだ。フィリシアによると、エリックが厳選した換金用の品物を高く買い取ってくれたそうだ。
その中には懐かしいオルトロスの皮や、異世界でいくらつくのか興味があるという長官の実家の着物も入っていた。ついた金額は品物につき細かく記載し報告してある。着物はかなり高価な魔道具並の値段らしく、長官が満足していたと毛利が言っていた。
「な、なんなんだあんた……」
「はいはい、そこまで。フィリシアも休憩でいい?」
「はい。すぐ再開しましょう」
「いや、ほどほどにしましょうよ。実戦も控えているんですから」
持ってきたコップにお茶を入れ、それぞれに配る。自分にも渡されるとは思わなかったらしい監視の人が焦っていたが、遠慮なく飲むように勧めた。
自警団が所有する見張り用の塔へとサブローは訪れた。緊張した空気が流れるのは申し訳ないが、魔人の目ならかなり遠くまで確認できる。先に見つけてなるべく余裕は持たせたい。
「よう、きたかサブロー」
野性味あふれる笑顔でアルバロが出迎え、あいさつを交わす。鍛錬に付き合う関係でだいぶ親しくなった。握手を交わし、最上階に出る。
いつもの監視の若者だけでなく、複数人警戒してついてきていた。文句を言おうとしたアルバロを止めてから、断りを入れて魔人へと姿を変えた。
「どうだ」
「…………来てしまいましたか」
ため息をつき、姿を戻して腕輪を装着する。距離がかなりあるためサブローの存在には気づかれていない。起動したドローンを操作する毛利にフィリシアたちの元へと向かい、襲撃を知らせるように頼んだ。
「そうか、ついにか」
「周りを警戒せずに堂々と歩いていました。明日には着くでしょう」
アルバロは部下に指示し、自警団の団長に報告へ向かわせた。不安そうな監視の団員がそれぞれ顔を見合わせている。
「大丈夫だ、お前ら。フィリシアの力を見ただろ。あれがある上に、勇者のパーティーメンバーがいるんだ。元気出せ」
アルバロが安心させようとしても、周りの顔は晴れない。この場にドンモがいてくれれば自分ではできない、人々を安心させるという役割を果たせた。今はどこでなにをしているのだろうか。
ないものねだりをしても仕方がない。魔人が襲い掛かってくるというストレスを彼らに与えることになるのなら、早く倒して取り除くべきだ。
サブローは早々に迎撃の準備を始めた。




