五十五話:風の殲滅力
守りの薄い後ろをつかれ、地の里を守る戦士階級の兵士たちは困惑した。
風の一族が滅ぼされてごたごたしていたある日、大規模なゴブリンの部隊に襲われたのである。集団程度の規模なら別に珍しいことではない。小さな村ならともかく、精霊術一族で二番目に規模の大きい地の一族である。例年であれば冒険者を雇う必要もなく、苦も無く迎撃していた。
ところが、二日前から行われているゴブリンとの争いは今までと規模が違った。数は軍隊かと見まがうほど多く、ある程度統率が取れており、戦い慣れていた。ホブゴブリンの指示に従い、拙いながらも人間のように戦い続けて実に厄介であった。
とある用で数日前からこの里に訪れていた勇者の仲間である聖女がいなければ、被害はもっと出ていただろう。
首都エグリアに国による兵の派遣を要請させ、間に合わないようなら冒険者を雇うようにと人員を送った。ゴブリンに捕まることなく先に進んだことは確認しており、後は援軍がくるまで持ちこたえればよかった。
だがそのことは敵も承知だったようで、なんと部隊を分けて少数精鋭で奇襲をかけてきたのだ。後方で食事を運んでいた若い兵士が尻もちをつき、グレートゴブリンに見下ろされている。
基本ゴブリンは小柄であるが、戦闘に特化した巨大な個体が集団に一、二匹いる。今回のように十匹近く集合し、奇襲部隊に組み込まれることは本来あり得ない。
ウルフライダーと呼ばれるゴブリンの騎兵部隊が、狼を上手く操って何人かを地面に伏せさせている。助けは期待できない。取り残された若者は巨大な拳を振り下ろされた。
しかし、グレートゴブリンの一撃は届くことなく、突如空から降ってきた人影に蹴り飛ばされ、岩に叩きつけられた。
「お怪我はありませんか?」
紺の仕立ての良い服を着た、冴えない黒髪の男が笑いかけてきた。若者は急展開に頭がついていけず、ただ頭をぶんぶんと上下に振った。
そして喧騒に包まれていた戦場の空気が変わった。ゴブリンたちの視線が突然現れた男に集中し、全員怯えていた。
彼が一歩踏み出すと、グレートゴブリンが吼えて空気を震わせた。狂ったよう飛び出し、青年に殴りかかる。肉を打つ嫌な音が響くと、巨大な拳は小さな手のひらに止められていた。
兵士一同、唖然とする。
ゴブリンはさほど強くはないが、目の前のグレートゴブリンは戦闘に特化していることもあり、オーガに少し劣るくらいの膂力がある。受け止めるなんて勇者くらいに加護を受けて、身体能力に圧倒的な差がなければ不可能だ。
自分より一回り小さい相手に拳を止められた魔物は、腕を引こうとして戸惑っている。どうやらどれだけ力を入れてもびくともしないようだ。グレートゴブリンが恐怖に顔を歪め、もう片方の拳を叩きこもうとする。
瞬間、黒髪の男が巨大な拳を握りつぶした。骨が次々砕ける音が戦場を支配し、五指があらゆる方向に向いた手を抱えてグレートゴブリンが転がった。
「せめて苦痛なく」
そうつぶやくが早いか、男は転がる魔物の首をつかみ、百八十度回転させる。グレートゴブリンはしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。
きっちり息の根を止めたことを確信したためか、彼は次のゴブリンに近寄り始める。恐怖に支配された高速部隊は、その足を今度は逃走にもちいた。
我先にと逃げ出す様子を見送った彼はため息を一つつき、今度はこちらに振り返る。
「安全は確保しました。安心してください」
笑いかける男を前に、兵士たちは戸惑う。急に現れて魔物もびっくりの力を見せつけた彼に対し、どう対応をしていいのかわからないのだ。
誰か代表して話を聞けと視線で押し付け合っていると、より後方から声があがる。
「カイジンさん、ようやく来たのね!」
長い黒髪を振り乱す、白い法衣に身を包んだ聖女が声を張り上げた。カイジンと呼ばれた男はその姿を見つけ、嬉しそうに返事をする。
「はい。オコーさん、お久しぶりです」
サブローはミコに投げてもらい、奇襲を受けている戦場に送ってもらった。彼女と組んだ時はよく使っていた手なのだが、初めて見るフィリシアはずいぶんと引いていた。守りの精霊術を使ってもらい、より安全性が増したので礼を言う。
とりあえず目についた大柄のゴブリンに蹴りを入れてから、一瞬で出し入れした触手と風の守りで衝撃を吸収した。
急いで敵をしとめて次に標的を決めたとき、ゴブリンの部隊は一目散に逃げていった。やはり魔人の気配は脅しに有効なようだ。無駄な戦いを避けられてホッとする。
安全であることを兵士たちに教えると、戸惑った視線を向けられた。なにかまずいことをしたのだろうか。サブローは特に思い当たらない。
どうしたものかと悩んでいると、インナの声が聞こえて笑顔になる。挨拶を交わし、フィリシアたちの戦闘の様子を見守りに行くことを伝えた。
「フィリシアちゃんが戦う!?」
「見れば納得します。それにミコがついているので、万が一もあり得ません」
心配するインナに対し断言し、見晴らしのいい場所へと連れて行ってもらった。地の里にくるのが遅れた理由を後で話すことを伝えながら、たどり着く。
「え、あれがフィリシアちゃんなの!?」
驚くインナの視線の先には機械の翼を広げ、無数の風の弾丸を放つフィリシアの姿があった。
◆◆◆
恐ろしい速度で離れていくサブローを見届けてから、フィリシアは顔をひきつらせた。投げ飛ばしたミコは平然とフィリシアを促し、戦場のど真ん中に連れていかれる。
ゴブリンも地の里の人たちも遠慮なくこちらを見ていた。じろじろ見られることに慣れているフィリシアだが、この大量の視線はさすがに居心地が悪い。
「ゴブリンってのだけ狙って倒すこと。できるでしょ」
ミコが割ときつい要求をしてきた。できないことはないが、かなり集中しなければならない。おそらくこれも訓練の一種だろう。
障害物のないひらけた草原でぶつかり合っているのは幸いだ。フィリシアは風の精霊に頼み、数え切れないほどの空気の塊を産む。ゴブリンの姿を一人一人捉えて照準を定める。
ゴブリンから矢が放たれるが、この高度では届かない。宙にとどまっていた風の塊の枷を解放し、敵へと放った。
次々と魔物の頭が風の弾丸で吹き飛ばされる。この数か月ですっかり風を精密に操れるようになった。サブローやイチジローも褒めてくれた上、伝説の始祖になれたようで密かに鼻が高い。
もっとも天使の輪の扱いに関しては、隣のミコにまだまだかなわないのだが。
「狙いはいいけど威力がまだ甘い。四、五匹逃げていった。個々に合わせて威力を調節できるようになること。今後の課題かな」
ベテランの評価を受け、フィリシアは唇を尖らせながら頷いた。一応一人前と認められたはずなのに、不肖の弟子扱いを受けている気がする。
それにしても天使の輪の力は絶大だ。一流の魔導士に匹敵するほど、フィリシアの精霊術を強化してくれる。魔人と対抗できる力というのは過大な評価ではないだろう。
ひとまず、ミコに先導されて地面に降り立った。フィリシアは血の匂いに顔をしかめながら、これの大半を自分がやった事実に少し怖くなった。
「そ、そこでとまれ!」
兵士の一人に矢を向けられ、制止された。いや、一人だけではない。彼らは恐怖にひきつった顔でこちらを見ていた。
ミコは仕方ない、と両手をあげて無抵抗を示した。フィリシアもそれに倣い、自分の立場を明かす。
「私は風の精霊術一族の族長の娘、フィリシアと申します。敵ではありません」
「嘘をつくな! 風の一族はもう滅んで……」
「フィリシア? 本当だ、フィリシアじゃないか!」
兵士の言葉をさえぎり、見覚えのある青年が飛び出してきた。
「イルン兄さん! お久しぶりです」
「ああ、間違いなくフィリシアだ。聖女に生きていると聞かされて半信半疑だったけど、本当だったんだな。母さんも喜ぶよ!」
イルンはフィリシアの五つ年上の従兄だ。非常に優秀で次期族長の最有力候補だった。そして彼の言う聖女という単語には心当たりがある。
「聖女……オコーさん、先についていましたか」
「と言っても数日前にな。フィリシアたちがいないことに驚いていたぞ」
「悪いことをしました。後で謝らないと」
「それもいいけど、いい加減そこの綺麗な人を紹介してくれないか」
あ、とフィリシアは呟いて慌ててミコに振り返る。彼女は気を遣ってか話に口を挟まなかったが、忘れられていたことに抗議の視線を送っていた。
「こちらは私の上司で、師匠さんにあたるミョウコウジ・ミコです」
「ただいま紹介に預かりました、明光寺光子と申します。気軽に名前の方のミコとお呼びください」
ミコは折り目正しく礼をする。イルンも真剣な表情で礼をもって応えた。
「私は地の精霊術一族の族長の息子、イルンと申します。フィリシアをあそこまでの使い手に育てたのがあなたですか……」
「天使の輪の力と、フィリシアの努力の結果です。使い方を教えただけにすぎません」
「謙虚なんですね。もう少し砕けた喋り方をしていいかな?」
「あたしもそっちの方がいい」
いつものミコに戻ってフィリシアは安心する。あまり外での彼女を見ていなかったので新鮮ではあったが、違和感もすごかった。
「しかし聖女の話を聞いて、フィリシアを助けた相手は男だと思っていたんだがな」
「いや、それはサブ。あたしはあいつが連れてきたフィリシアを鍛えただけだし」
「そういえばサブローさん、地の里で拘束されていたりしませんよね?」
ミコとともに不安になって顔を突き合わせる。イルンがどういうことだと尋ねてきたので、ゴブリンの奇襲部隊の存在と、その迎撃にサブローが向かったことを伝えた。恩人が被害を受けては大変だと、イルンは伝令を急いで向かわせた。
「サブローさん、無抵抗に地の精霊術を受け止めていなければいいのですが」
「絶対それでもニコニコしている。しかも無傷で」
「どんな人なんだ!?」
驚愕するイルンに疲れた笑みを返し、急ぐことにした。道中マリーたちの無事を伝えると彼は喜び、助けてくれたサブローに礼を言うためとより張り切った。




