五十四話:いきなり不穏な魔物の動き
光が収まると数か月前に見た転移の祭壇と似た作りの室内にいた。たしかフィリシアの説明では、地の一族が所有する転移の祭壇だったはずだ。サブローの干渉がなければ、とっくに訪れていた場所である。
サブローは地面の魔法陣と周囲を注意深く観察する。転移前の日本は昼だったが、時差があるようでこちらは夜のようだ。祭壇の中は暗く、フィリシアたちのためにライトをつける。
礼を言うフィリシアたちを連れて、石畳を踏みながら祭壇の外へと出た。ミコが夜空を見上げて、感嘆の声を上げる。
「本当に月が三つもある……。多くて四つだっけ?」
「はい。まあ四聖月の日もだいぶ遠い話ですが」
虫の音が穏やかに流れる中、ミコが満足したようにうなずいてどうするか尋ねてきた。風の一族と同じように休憩用の小屋が用意されているので、今夜はそこで朝になるのを待つことになった。
魔人であるサブローなら夜でも問題なく動けるが、二人はそうもいかない。天使の輪がある程度肉体を強化してくれるとはいえ、今は待機モードであるため恩恵は得られない。特に起動させる理由もないので、夜の移動はサブローが警戒することで話がついた。
そして移動する前にと、荷物から目的の物を取り出した。ドローンの電源を入れると、宙に浮かび上がってライトを照らす。『暗くてモニター見えづらいッス』とさっそく文句をいただいたため、しばらくは荷物に戻ってもらった。こちらの昼に合わせるため、毛利は今から寝ることにしたようだ。
観測結果によると、時差はあちらの世界と半日ほどあるらしい。日本とブラジルくらいに時間が違う。
整備された道を三人は進む。転移の祭壇が山の頂上にある風の一族とは違い、こちらは森の深いところにあった。
数か月前に通った山道の方もだいぶ整えられていたが、こちらはより綺麗に道が作られていた。草木は取り除かれ、石畳が敷かれており、車が二台程度は通れるほど道幅が広い。森と道の間はロープで区切られ、いくつもの看板が置かれていた。フィリシアによると、危険を知らせる注意書きがあるらしい。
さらにあのロープは弱い獣や魔物を避ける魔法がかけられているらしく、安全が確保されていた。とはいえ飢えた獣の気配はそこそこ感じるため、ブレスレットを外して魔人の存在で散らせた。異世界ではいつでも着脱してもいいことになっている。ずいぶんとガーデンに信頼されたものだ。
しばらくは同行している二人も警戒して進んでいたが、サブローの目に信頼を置いていることもあり、静かな道のりの中で口が軽くなってくる。温泉の存在を聞いたとき、ミコが目を輝かせた。
「温泉か、いいね」
聞けばガーデンの社員旅行で去年行ったとき以来だとか。時期が来ればサブローとフィリシアも一緒に行くことになる。ミコは一足先に二人と温泉に来れることを喜んでいた。
社員旅行の様子を聞いて楽しくなってきた頃合いに、休憩用の小屋を発見した。子どもを連れた旅と違い、鍛えた三人の足は速いようだ。
とりあえず勝手を知るフィリシアが先に入って、眠る準備をした。見張りの話の際、少し口論になる。
「サブ、なんでそんなに一人で見張りを引き受けたがるの?」
「魔人の感覚は鋭いですし、僕が一人外にいたほうが効率がいいからです」
「それを言いましたら私の探索術だってあるじゃないですか。いい加減にしないとまた眠るまで監視しますよ」
「え、そんなことしてたの……」
フィリシアの顔を穴があくほど見つめるミコはひとまず置いておき、サブローは眉根を寄せる。どう伝えればいいのか、手詰まり状態だった。
サブローが困っていると、以前に似たようなやりとりをしたことのあるフィリシアが察する。
「あ、サブローさんもしかして、二人っきりになるのはマズいとか思っていますか?」
「……二人とも警戒心がありませんよ。僕だって男です」
二人が半眼で睨んできた。すごく残念なものを見る表情を向けられているが、そんな顔をされるいわれはないはずだ。
「アホらしい。作業分担、リーダー命令!」
一応のリーダーであるミコに強制され、見張りのローテーションが組まれた。サブローは肩身狭い思いをするだろうと確信しながら、渋々従った。
翌朝、久しぶりに井戸を使って顔を洗い、背筋を伸ばしてドローンを起動する。待機していたのか、さっそく毛利の声が聞こえてきた。
『いやー昼夜逆転生活ッス』
「無理はしないでくださいよ」
『大丈夫ッスよ。逢魔にいるころからこんな感じだったッスよね』
懐かしむ毛利がモニタリングしているだろうドローンに、サブローは笑いかける。小屋に戻ると、先に朝の支度を終えたフィリシアたちが食事の準備をしていた。
今回は先にフィリシアが用意した弁当を食べることになる。タマコやマリーも手伝ったことをフィリシアが楽しそうに話した。おにぎりやだし巻き卵といったあちらの料理が堂に入っている。
『フィリたんの弁当美味そうッスねー。羨ましいッス』
そういう毛利はカップラーメンで食事を済ませたらしい。フィリシアがちゃんと食事するべきだと心配していた。隣のミコがいたたまれない顔をしているのをサブローは目撃し、普段は今の毛利と似たような食生活だなと推測した。元の世界での生活に戻ったら、たまにご飯を作りに行こうとひそかに決意する。
食事を終え、小屋の掃除を始めた。次に使う人のために気を遣うのは当然だ。滅んだ風の里に向かうのに利用する人間がいるかどうかはわからないが。
掃除を終えると、高く上がって周囲を偵察していたドローンが下りてきた。周囲に人影がないことを報告され、ついでに天使の輪による高速移動を提案された。
特に反対する理由はない。ミコとフィリシアが天使の輪を展開し、宙に浮く。サブローはミコの機械腕につかまり、周囲を視認する。毛利の報告通り人影は見当たらない。
機械武装をまとう二人が炎と風でそれぞれ加速する。魔人の身体でなければきつかっただろうと冷静に考えながら、サブローは移り変わる景色を楽しんだ。
あっという間に森を抜け、ひらけた場所にやってきた。歩きに移るかどうかフィリシアとミコが意見を求めてきたが、サブローは不穏な光景を目にしていた。荷物にしまっていたドローンを起動させ、毛利も会話に参加させる。
「地の里の方向でけっこうな規模の戦闘が行われています」
『あー本当ッスね。ズームして確認したところ、小柄な魔物と戦っているッス。あれはゴブリンって奴ッスね』
エリックの情報提供と観測により、ガーデンはかなりの魔物の種類を把握している。毛利の照合を受けて、フィリシアが納得した。
「ゴブリンが村を襲撃することはたまにあります。地の里なら問題なく撃退できるはずです」
『そうッスかね。なんか旗色わるそーッスよ』
「ゴブリンとやらの数が多いのでしょう。さらに大きい個体も十匹くらいはいそうです」
「大きな個体……グレートゴブリンですか!? しかもそんなに……」
フィリシアが驚愕して再度確認した。サブローはミコに身体を固定してもらい、タブレットを取り出して地図アプリを起動させる。この辺りの地形はデータで入っており、一部分を拡大させて二人に見せる。
「百匹近くのゴブリン部隊がこちらに展開しています。数匹の人間に近い体格のゴブリンが指示を送っているのが見えました」
『ホブゴブリンって奴ッスね。頭のいい厄介な連中だとデータにはあるッス』
「そんなに多くのゴブリンが組織だって襲い掛かるなんて……冒険者、もしくは国に頼るべき事件です」
見たところ武器を手にし、鎧を身に包んだ兵士らしき人たちがゴブリンの侵攻を押しとどめている。劣勢ではあるが、どうにか堪えていた。
そう思っていたサブローはあるものを目撃し、考えをあらためて眼を鋭くする。大規模な部隊を囮に素早く動くゴブリンの一団が裏手に回っており、無防備な場所を奇襲するらしい。頭が回る。サブローは指を使って独立部隊の動きを二人に説明する。
「よし、現場に急ごう。本隊はあたしとフィリシアで片づける。サブはその奇襲部隊をお願い」
ミコの指示に不満はなく、サブローとフィリシアは頷いて先を急いだ。ブレスレットを外し、準備を整える。
来て早々戦いとは忙しいものの、地の里が襲われている状況は見捨てておけない。ミコがより加速したのを身体に感じながら、サブローは彼らの無事を祈った。
 




