幕間その二:海神三郎という子
林康子の人生はギフトという不思議な力とともにあった。
相手の心を落ち着かせるだけの些細な能力。今でこそ優しい能力だと言われているが、両親からの反応はそれぞれだ。
生まれたころから使えたらしく、抱き上げた赤子が不自然に光って母は悲鳴を上げたらしい。ずっとよそよそしいものを感じて育った。
実業家だった父はギフトを知っており、能力を知るととても歓迎した。大事な取引には連れまわし、表向きには親馬鹿に見えただろう。だが取引相手によっては力を使い、交渉を父に有利な形に何度も導いた。
そうして業務の内容も覚えさせられ、父の後継者として順調に育っていった。康子はそんな両親に愛想を尽かしながらも、一人で生きていける力を磨いていった。
両親がひょんなことで亡くなったときも涙は出なかった。
葬式を立派に取り仕切り、遺産をいくつか整理して、父の業務を受け継いだ。
若い女の身をであることを心配されたり、将来を閉ざされたと嘆く役員がいたり、反応は様々だ。
父に施された業務能力を活用してそういった反応を黙らせ、会社をどんどん大きくしていった。
そういえば家庭教師を行った優秀な生徒である上井喜敏には急ぎすぎていると指摘されたときがあった。
そうは言われても父からは効率よく、自ら望む結果を引き寄せる手段しか教わらなかった。
結婚どころか他人に人生を預けるのが煩わしく、ただひたすら仕事に没頭した。そうしてふと気づくと、自らの業務室はとても高い位置に置かれるようになった。
街並みを見下ろし、なんだかどうでもよくなる。会社を信頼できる人物へと引き渡した。
急な康子の退陣はいろんな人物から心配された。しかし新しい夢ができたと誤魔化し、周囲を強引に納得させる。
康子は自宅の一室に座り、自らの人生に付き合い続けたギフトと向き合うことにした。
調べてみると林康子は自分との同族、ギフトを持つ人間の多くが不幸になっていることを知った。
彼女本人は自分の半生を幸福な部類と認識している。実利主義すぎるが、ギフトを持つからむしろありがたいと考えてくれた父はまだいい方だった。優秀さを示せば後継者としても考えてくれたし、何不自由なく育ててくれる。
しかしギフトはまだ表社会では知名度が低く、なんらかの病気かと疎まれたり、理不尽な研究のために引き取られたり、聞くに堪えない扱いが多かった。
これほど素晴らしく有能な力をもつ人材が、無意味に消費されるのはもったいない。父譲りの冷徹な思考をもってそう判断し、ギフトをもつ人間を集めることにした。
接触してみると大人のギフト持ちはあまりいい印象を持つことが少なかった。
特別な力を持つことによって傲慢になっていたり、逆に不遇な環境にあって卑屈になっていたり、ろくに使えそうになかった。
ある時は廃人同然になるまでギフトを使い捨てられて、眉をしかめることもあった。正直精神衛生上よろしくない。
康子はそれらの人間を諦め、一から育てようかと思い至った。
子どもは正直嫌いじゃない。父のように一から自分の持つ技術を叩きこみ、有能となったギフト持ちの人材を様々な業界にデビューさせる。良い夢だと改めて思った。
コストはかなりかかるだろうし、かけた分戻ってくるかは不明だ。しかしこのことに関しては趣味に近いものであり、金に糸目をつけない気ではある。
さっそく行動を起こし、表向きは孤児院として児童養護施設「誇りの園学園」を作り上げた。
ギフトを持つ子どもを集め、教育を施す日々は楽しかった。
明光寺一治郎のようにギフトをもつ兄妹のいる普通の子どもも引き取ることになったりしたが、些細なことだ。
ギフトをもつ少年少女が知識を得て、身体を鍛え、ギフトに自信を持つ。いつかそのように成長し、様々なジャンルで活躍するかと思うとにやけてしまう。
ガーデンとか言う国際組織からも出資を申しだされ、順調な日々を送っていた。新しい趣味を持ったことは成功だったようだ。
林康子は「海神加奈」という人物を訪ねに行った。ギフトを持っているが、大人の女性である。ただ、彼女には五歳になる子どもがいた。親に預けていたらしいが、去年亡くなって引き取ったらしい。
ギフトを持つ親の子どもも、またギフトを持っている可能性が高い。正直ろくでもない女であるため、声をかけるのも億劫であった。
しかし子どもがギフトを持っている場合は自分の施設に連れて行き、英才教育を施したい。電話で約束とりつけ、彼女の住まいへと向かった。
約束を反故にして、康子は回れ右をしたくなった。
目の前の安普請なアパートは清潔と言えず、これから尋ねる女性の性格上掃除もされているか怪しい。
潔癖症というわけではないが、育ちがいい康子としてはご遠慮願いたい場所だった。覚悟を決めて階段を上がり、約束を取り付けていた部屋のドアをノックした。
反応はない。もう二、三回叩くと、ドアノブが回ってドアが開いた。
「いらっしゃい」
小さな子どもが椅子に乗りながら、ドアを開けて出迎えた。康子は混乱して母親の所在を尋ねた。
「おかあさん、おとこのひとのところにいくって。だから、ぼくがあいてしなさいって、いってた」
ニコニコと、子どもは中へと招く。伸び放題の黒髪。薄汚れて襟が伸びきったTシャツ。真っ黒な爪が少年の取り巻く環境を教えてくれる。
ギフトをもつ子どもを引き取るときに、似たような境遇には何度も遭遇した。それでもけっして康子が慣れることはなかった。
通された台所は意外と片付いていたが、開いているふすまの先の部屋は予想通り酷いありさまだった。
むしろなぜここだけが比較的片付いているのか疑問をもって、母親が客のために片づけたのか、と子どもに尋ねる。
「ううん。お客さんがくるっていっていたから、ぼくがかたづけたの。おかあさんなにもいわなかったけど、これでよかったのかな?」
ため息しか出ない。確か目の前の子どもはまだ五歳だったはずだ。親はいったいなにをしているのか。
とりあえず勧められた椅子に座り、ずっと笑っている少年の顔をまっすぐ見つめた。
「えーと、サブローくんでよかったでしょうか?」
「うん! ぼくサブロー、ごさい!」
「そう、えらいですね。僕はお母さんのように、ギフトが使えますか?」
「ギフト?」
「えーと、お母さんは風を自由に起こすことができるのですが……ビューってなったりしませんか?」
子どもの語彙に合わせるのは難しい。康子はこれでいいのか不安になったが、サブローの顔が輝く。
「うん、おかあさんはビューってできるよ!」
「良かった、通じました」
「でもね、ぼくはできないんだって。おかあさんはできるから、ぼくをたたいたりおこったりしていいんだっていってた」
康子の顔が曇る。なんでたかがギフトが使えるかどうか聞くだけで、こんなに陰鬱な気持ちにならないといけないのだろうか。
この仕事を始めてから一番ストレスのかかる部分だった。
「それでは他になにか特別なことはできませんか? 光ったり、水を出したり」
親のギフトと同じものが受け継がれるとは限らない。靖子は慎重にギフトの有無を確認したが、特に見当たらなかった。今回は空振りだ。
礼を言って立ちあがり、さっさとこの家から離れることにした。もちろん児童相談所に連絡をすることも頭に入れる。ギフトを持たないとはいえ、この少年を放っておくのは気が引けた。
その肝心のサブローはじっと康子の顔を見上げている。いったい何に興味を惹かれたのだろうかと思っていると、子どもはお腹の虫を鳴らした。
こういったことは珍しいことではない。バッグに入れていた菓子パンを取り出し、サブローに差し出した。だが、彼は興味を示さずにお腹を鳴らしたままこちらを見つめている。
こんなことは初めてだ。お腹を減らした子どもは今まで一番に食いついていた。どうしたのだろうかと尋ねようとした時、サブローが脚に抱き着いた。
「だいじょうぶ、いたいのいたいのとんでけー」
康子は訳が分からず混乱した。どうしたのか聞いてみると、彼は脚にうずめていた顔を上げて無邪気な笑顔を向ける。
「おねえさんがなきそうだったから、いたいのかなって。だいじょぶ? うまくできたかなー。おばあちゃんがよくこうしてくれた!」
正直彼の母親よりもかなり年上で、お姉さんと呼ばれる年齢ではないのだが、彼は他に呼び方を知らないのだろう。
そこまで幼い子どもが自分の空腹を差し置いて気遣っているのが、理解できなかった。
「私は泣きたいわけではありません。サブローくんの勘違いです」
「かんちがいって、なに?」
「えーと、サブローくんは私が泣きそうだと思ったようですが、本当はそんなことはないということです。別にどこも痛くありませんよ」
「そっか、いたくないんだ」
彼は安心したように何度もうなずく。
「だったらよかった! おねえさん、だいじょうぶなんだ」
不意に、康子の目頭が熱くなる。これではあべこべだ。空腹を抱え、ろくでもない親を持っている。気遣われるべきは目の前の子どもだったはずだ。
きっと自分が不幸だと理解してはいない。悲惨な状況だとはわからないだろう。それでも身体の苦痛は無視できない。ひもじい状態はずっと続いている。
そんな状況なのに同情しただけの康子を、泣きそうだと思い違いをして彼は心配したのだ。なにもかも自分の状態を置いて、一番にだ。
「お、おねえさんないているよ! やっぱりいたい? どこのいたいのを、とばせばいい?」
無意識にサブローを抱きしめる。康子の両親が与えず、彼の母親も与えなかったはずの無償の愛情を、目の前の子どもは持っていた。
愛しさがあふれて、涙と変わりこぼれ続けた。
「それではサブローくんは私の施設で保護します。同意の書類を後日送ってください」
どうにかつながった携帯の向こうから、面倒くさそうにうなずく女の声があった。
本当に送られてくるか心配だったが、後々書類が郵送で届けられた。児相に訴え出る可能性も示唆したため、すでに何度も注意を受けている彼女は面倒に思い、同意したのだろう。
あるいは邪魔に思っているサブローを押し付けられて、清々しているのかもしれない。いずれにしても気分が悪い思い出だった。
当時の康子は対応をとりあえず終えて、サブローに微笑みかけた。
「さあ、サブローくん。私と一緒にご飯を食べに行きましょうか」
「でも、おかあさんが……」
「大丈夫です。お母さんには許可を……ごほん。お母さんは私とご飯を食べてきなさいって、言っていましたよ」
嘘はついていない。サブローは戸惑っていたが、やがて頷いた。とりあえず菓子パンを与えてもよかったのだが、それよりもまずは美味しいものをご馳走してあげたかった。
高級料理店の味を子どもは理解できるか不安だったので、とりあえず近くのファミレスへと寄った。
メニューを見せて選ばされると、なんともピンと来ない顔をしていた。聞けばこういう店で食事をするのは初めてらしい。
とりあえず子ども相手なら外さないだろうとお子様ランチを注文して与えることにした。
食事にはいるとサブローはとてもうれしそうに、食べ始めた。
手づかみで食べそうだったので、フォークとスプーンの使い方を教えると、すぐに学習して使いこなす。地頭は良いようだ。
コーヒーを飲みながら彼の食事の様子を観察していると、なぜかハンバーグだけは手を付けずにいる。
不思議に思って嫌いかと尋ねると、サブローは首を横に振った。
「おかあさんが好きかもしれないから、もってかえってあげるの。とってもおいしいから、はじめてだから、いちばんおおきいのを」
なんともいじらしいことを言ってきたので、お母さんには同じものを買って帰るから大丈夫だと嘘をつく。
純真な彼は疑いもせず喜び、ハンバーグを食べては美味しい、ありがとう、と感謝をし続けた。
家でなく施設に連れてきたことで、サブローは顔を曇らせた。
今になって康子は多くの子どもはこの段階で似たような顔をしていたことに気づいた。あんな不衛生な場所でも、彼には住み慣れた家だったのだ。他の子どももまた同様だったのだろう。
自分は酷いことをしていたんだと罪悪感を胸に抱きながら、ひざを折って視線を合わせる。
「サブローくん、今日からここがあなたのおうちです。お母さんも同意してくれました」
「おかあさんは? いっしょじゃないの?」
「申し訳ありません。ここに住むのはサブローくんだけです」
目を丸くする子どもを前に、康子はなにを言えばいいのかわからなくなった。「おかあさんはいつむかえにくるの?」と多くの子どもが問いていたことを思い出す。自分は彼らにどう答えるべきだったのだろうか。いまどう答えれば、目の前の少年は安心するのだろうか。
心の問題を全く考えていなかったツケが回る。しかしその考えは杞憂に終わった。
「そっか、よかった!」
「良かった……とはどういうことですか?」
「うん、おかあさんはずっとぼくがじゃまだっていってた。いらないっていっていた。だからきっといまごろよろこんでいる。おかあさんがよろこんでいるなら、ぼくはうれしい!」
また愛しさが溢れてしまう。どんなにひどい親でも離れたくない、一緒に居たいと愚図る子はいた。
けれども心無い親の願いがかなって喜ぶ子どもなんて、康子は知らない。
「おねえさん?」
「私のことは園長先生と呼んでください。サブローくん、君は決して邪魔なんかではありません。私は許されるなら、君とずっと一緒にいたい」
「ぼくがいると、えんちょうせんせーはほんとにうれしいの?」
「はい、ダメでしょうか?」
サブローは優しく笑って、康子に抱き着く。
「えんちょうせんせーがうれしいなら、ぼくはそばにいるよ!」
靖子はもはやギフトなんてどうでもよくなった。
ギフトを持っていてもこの子の親のように救いがたい人間がいる。ギフトを持たずとも、ただただ誰かの幸せを願える人間がいる。
当たり前のことで、ずっと自分は知っていると思っていた。だけどようやく、この段階になって、この年齢になって実感してしまった。
遅いのかもしれない。ずっと間違えていたのかもしれない。だけど今はこの子に幸せになった欲しい。ただ純粋に、そう願った。
康子は職員に教育の難易度を下がらせ、一般の学校に通う手続きを済ませた。ガーデンにもこれからはギフトを集める特殊機関ではなく、普通の孤児院として運営すると通達した。
唐突な方針転換には多くの者が疑問の声をあげた。しかし康子の決意は固く、ギフトを集めるときに使ったコネを、今度は恵まれたない子どもたちのために活用し始めた。
職員は最初は戸惑っていたが、サブローをはじめとして普通の子どもたちをかわいがる康子を見るうちに、自然と今の方針に従うようになった。
いつの間にかガーデンで出世していた上井喜敏も、「今のあなたの方が何倍も魅力的だ」とわかったような態度で笑い飛ばしていた。
いまだガーデンの出資が続いているのは、彼の尽力によるものだった。康子としては自前の資産運営でどうにかなるのだが、それでも感謝をしている。
「園長、サブローくんが!」
職員の一人が焦りながら駆け込んできた。またか、と康子は冷や汗をかきながら立ち上がる。
引き取ってわかったのだが、サブローには警戒心というものがなかった。危険なギフトを暴走させている相手でも、寂しそうだからという理由で近づく。
自分の身体が傷つくことをお構いなしにだ。炎のギフトでやけどを負おうと、電撃のギフトでしびれようと、笑って相手を慰め始める。
そうして気づくと、彼の周りにはギフトを持っていようといまいと人が集まっていた。康子なんかよりよっぽど上手く子どもたちを助けてくれた。
ただ、自分の身は案じてほしい。今のところ頭痛の種であった。急かす職員に続いて、自分も足早に部屋を出る。
忙しく心配をかけられてばかりだが、彼が来てからの毎日はとても充実していた。




