五十話:とうとう決まる異世界転移の予定
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「こう! 勢いよく相手を叩きつけて! いい、小娘!!」
組み合った相手に見立てたサンドバックを投げ飛ばし、荒れているミコが言い切った。誕生日にサブローと二人で出かけたことを聞いてから不機嫌だとイチジローは言っていた。
とはいえ、フィリシアに当たられたことはない。言葉は多少乱暴ではあるものの、指導内容はいつもと変わりなく、組めば丁寧に説明してくれた。
サブローに対しては甘えたようにいじけてみせるのだが、なんとも不思議な人である。
「次はサブをゆっくり投げるからちゃんと見ておくように。サブ、前に出て!」
「……本当にやるんですか、ミコ」
柔道着を着たサブローが前に出る。呆れているイチジローも同じく道着姿で見守っていた。今回はこの二人も一緒に参加している。
ちなみに先日のサブローは報告を終えた帰りにレンタカーを回収したり、レストランの予約もキャンセルしたりと大変だったらしい。今度まとめて振替休日をもらったので、いっしょに髪留めを買いに行く約束をしている。ミコに話すともっとすねそうなので黙っていた。
「グダグダ言わないで組む! 受け身上手いんだからちゃんと小娘の手本になること」
ミコは強引にサブローに組み付き、フィリシアに解説を始める。手順をゆっくり見せながら、腰を反転させて眉をしかめた。
「サブ、もっと相手役として身体を密着させてよ。上手く見せられない」
「…………ミコ、あなたは一つ忘れていることがあります」
「なに?」
不機嫌を隠さず、肩越しにサブローを睨んだミコだったが、すぐに驚きの表情に変わった。フィリシアにはサブローの反応に覚えがある。
「その、僕たちはもう子どもじゃないんですよ!」
サブローは顔を真っ赤にして急いでミコから離れた。フィリシアの指導だというのに乗り気でなかった理由はこれか、とようやく思い至る。
「え、もしかしてサブ、あたしを意識してんの?」
「当たり前じゃないですか。なんだかんだ言ってミコは綺麗なんですから、密着して冷静でいられるわけないでしょう」
「――そっか、サブは綺麗だと思っていたのか。意識してくれるのか」
ミコが無邪気に笑う。本当にうれしそうに。今度はフィリシアが危機感を覚える番だった。タマコの圧倒的不利という分析が脳裏によみがえる。
たしかにミコは手足が長く背がすらっとしている。胸が小さいことが逆にバランスをとっていた。顔だちも涼しげな切れ長の目の美人である。タマコが持ち出してくる雑誌のモデルと比べてもそん色がない。強力すぎるライバルだった。
「四年前はミコがくっつこうがなにしようが平然としていたのに、サブも変わったもんだな。成長したのか? こういう場合どっちが成長したことになるんだ?」
イチジローがのんきに頭を悩ませている。ミコはまだだらしない笑顔のまま、訓練を続けた。
「えへへ……じゃあ仕方ないから兄貴、相手役お願い」
「お、おう。妹が不気味なほどご機嫌で怖い」
緩やかな訓練様子の中、フィリシアはただ一人緊張感を忘れずにどうするか頭をひねっていた。
長官に呼び出され、訓練の後に四人は指令室へと集まった。すでに毛利は待機しており、こちらに緩く手を振って、相変わらずの軽そうな様子を隠しもしない。
ただここ最近、フィリシアは彼の表面上の明るさの中になんとなく芯みたいなものを感じていた。こちらが緊張したり思いつめたりすると、あえておどけてほぐそうしてくる。
ミコもその辺はちゃんと感謝しているようで、口ではなんども殴ると言っているものの、実際手をあげているところは見たことがない。
それを言うと毛利は、
「いや、ミコっち見えないところで蹴ったりしてくるから陰湿なんスよーハーッハッハッハ」
なんて笑い飛ばしていたのだが。きっと何か目の前で失言したのだろう。
そんなくだらないことを思い出しながら長官の前に立つ。彼は真剣な表情で重々しく口を開いた。
「とうとう来るべき時が来た」
モニターに魔法陣のある部屋でスタッフが作業を続けている姿が映った。
「観測世界K――フィリシアくんの世界へ君たちに突入してもらう日が決まった」
長官が示した予定日は来月の末だ。どれだけ急いで調整しても準備がそれほどかかるらしい。
「ついに向かう日が来たんですね。腕が鳴ります」
イチジローが気合を入れると、長官は申し訳なさそうに目を伏せる。
「すまないが、明光寺は待機してもらう。異世界への突入メンバーはサブロー少年、明光寺光子、フィリシアくんの三人になる」
「どうしてですか! 逢魔が異世界で新たな戦力を得ている可能性もあります。全力で立ち向かう必要があると思いますが!」
「私もそう思っている。だが、この世界にいるかもしれない、無視できない魔人がいる」
サブローが青くなる。水族館で目撃した、あの顔だ。
「竜妃ですか」
「奴が本格的に活動したときに備えて、明光寺にはこちらで待機してもらう。なに、新しく作った道具でいつでも駆けつけられる」
「こいつッスよー」
毛利が持ち出したものを見て、フィリシアは眉をしかめた。確かドローンというおもちゃのはずだ。施設でアレスが同い年の子と一緒に操作して遊んでいたことを思い出す。
「おもちゃですか?」
「いやいや、フィリたん。ドローンの用途は玩具ってだけじゃなくて……この話は長くなるッスから、また後で。とりあえずこいつを見るッス!」
毛利が操作をしてドローンを浮かび上がらせた。下部から光が発せられ、床を照らす。サブロー達は怪訝な表情を浮かべていたが、フィリシアはすぐに気づいた。
「魔法陣の気配?」
「ご明察ッス。開発部がエリックちんと協力して開発した魔力投影ライトッス。魔法陣の形で照らせば、いつでも人一人分くらいはこちらの世界を行き来できるって奴ッス」
「さすがエリックさん。いつの間にこんなものを……」
サブローが感心してドローンを見上げた。フィリシアも同じ意見である。
「こちらの世界からドローンを操作できるようにしたみたいッス。その時ある程度地図を作成してみたッス。今度支給するタブレットにアプリとして入れといたんで、現地で確認お願いッス。それと通信はこのドローンで行うッス。世界を超えた通信ができるシステムをエリックくんの協力で開発したとのことッス。マジあの子スゲーもんスよ」
「ありがとうございます。なんとまあ、万全な状態ですね」
「異世界に行けば君たち三人はほぼ孤立状態だからな。最大限支援は行うが、無理はするな。いざという時のために退路は常に確保しろ」
長官の気遣いが嬉しい。詳しい日にちと時間の打ち合わせと、フィリシアとの異世界の情報のすり合わせを行う。
すっかり遅くなった帰り道、月が見えない夜空を見上げて、フィリシアは元の世界の夜を思い出していた。
施設で園長に報告すると、マリーたちの近況を地の里の親戚に伝えるため、写真を撮ろうという話になった。いい考えだと思ったフィリシアがスマホを持ち出そうとすると、どうせなら本格的にとカメラという道具を渡された。
スマホですら持て余しているフィリシアには扱えないと訴える。そうしたら、話を聞いていたタマコが近寄ってきた。
「じゃあわたしが撮ってあげるね」
「良いんですか?」
「フィリちゃんのためだもん。お安い御用だよ。マリーたちと一緒に写りなよ」
親友と言ってもいい間柄になったタマコに甘え、妹たちを探しに向かおうとした。
「ちょい待ち。マリーたちにこれで居場所を聞くから」
タマコが持ち出したスマホを見て、フィリシアはハッとする。
「あ……スマホがありました」
「いまだ慣れないねー。フィリちゃんからの返信が欲しいよー」
笑いながら泣き真似をするタマコに対し、フィリシアはむくれる。歩みは遅いかもしれないが、ちゃんと親友の言うことを聞いて学んでいる。近いうちにスマホを使いこなして驚かせようとひそかに考えた。
「うわ、エリックの奴カメラの方に興味津々だ……。長文で食いついている」
「想像できます」
エリックは自分が興味のあることはとことん調べないと満足しない性格である。ただ、ここにきてから悪化していないだろうか。幼馴染の将来が少し心配になる。
「まあとりあえず行こう。ふふ、いつかフィリちゃんをコスプレさせて撮影するのもいいなー」
タマコの言葉になぜか悪寒を感じながら、先導する後をついていく。カメラの持ち方がやたら手慣れていることに気づき、頼れる親友だと心強く思った。
「おっしゃー! マリー、そこでキメッ! いいよ、いいよー。アイは恥ずかしがらない! 照れた方が負けなんだからね!!」
親友の豹変っぷりにフィリシアは頬をひきつらせた。先ほど頼もしく思って頼んだことは、早まった結果だろうか。
「地の里に見せる写真なんだから、自然な姿の方がよくない?」
「アリア甘い! 自然という演出が一番難しい! 写真写りとは戦争よ! 女の戦いよ!!」
「タマコさん……どうしてこうなるまで放っておかれたの……」
アリアが肩を落としてうなだれる。彼女はもともと写真が苦手なのもあって乗り気ではない。もっとも、暴走する親友は逃がさずにカメラを片手に指導を始める。
「アリアの小顔美人っぽさを印象付けるために比較対象を置きたい……。ケンジー、かもーん!!」
「タマコ姉、写真の撮りがいがある相手を見つけて暴走している。こうなるとミコ姉でも止められないんだよな」
ケンジが疲れた顔をして大人しく従った。背中に哀愁が漂っていたが、あれは将来の自分の姿だとフィリシアは確信した。しかもアリアを撮り終えたら次は自分だろう。直接向かうつもりだというのに、タマコを止められる自信がなかった。そうフィリシアが頭を悩ませていると、ちょいちょいとマリーが裾を引っ張る。
「おねえちゃん、おねえちゃん」
「マリー、どうしました?」
「写真をもっていくのもいいけど、動画もとったほうがいいんじゃない?」
「あーそれもそうね。カメラでも一応取れるけど、持ち運びできるフィリちゃんのスマホの方が手軽でいいかも。そっちは任せる」
「まかされた! おねえちゃん、とろうとろう」
妹に急かされて、フィリシアはスマホを取り出した。しばらくじっと見つめ、困った顔でマリーを見つめる。
「動画ってどうやって撮るんですか?」
「普段からつかおうって意識がないから、こういうときにこまるんだよ。おねえちゃん」
マリーが心底呆れて操作方法を教え始めた。普段とは逆の立場になったことに対し、調子に乗っているのならまだフィリシアは救われていた。だが、姉のあまりの無様さにそんなことを忘れている妹の姿があったので、心底打ちのめされた。
手元がブレて動画の体をなしていなかったり、間違えて写真の方を撮ったりと失敗を重ね、しびれを切らしたマリーが撮影者となってようやく動画は撮り終えた。
 




