五話:合流、混乱、チョコレート
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フィリシアが召喚した魔人はどうやら変わっているらしい。
こちらの頼みを二つ返事で引き受け、自分たちを命の恩人と呼び、フィリシアが怪我をしていると聞いて心底心配そうに声をかけてきた。
さらに彼はたかが衣擦れの音一つで顔を真っ赤にしながら謝罪するし、仲良しが一番だと言い、自らを落ちこぼれだと明かした。
フィリシアが呆れるほど馴れ馴れしい妹にうんざりするどころか、うれしそうな顔で可愛がっている。
本当に魔人だろうかと時々疑わしく思うのだが、暗い洞窟でも迷いなく先に進み、服の端から伸びた触手を操って、マリーが転ばないように障害物をどけていた。
いや、マリーだけではない。フィリシアの目の前の大きな石をさりげなく触手で取り除いていた。
文献や伝承の魔人と本当に違っている。魔人がもともと人間だったことも彼の口から初めて聞いた。
そういえばその時の彼の眼は、後悔をしているように見えた。
「さて、ようやく外ですね」
サブローの言う通り、三人は洞窟の外へと出る。
日は傾きかけているが、森はまだ暗くなっていない。
フィリシアは母が消えた方角を一度見るが、首を振って甘えを切り捨てる。
もう間に合わないならば、まだ生きている可能性がある精霊術一族を保護するのが先だ。
こちらには魔人が全面的に協力を申し出ているのだから。
「フィリシアさん、一つ提案があります」
一本の木を見上げていたサブローに声をかけられ、フィリシアは「はい」と返事をする。
魔人へと姿を変えた彼は木の頂点を指をさし、説明を始めた。
「僕が二人を抱えて上に跳び乗りますので、合流予定の遺跡を教えてください。
上手くいけばかなり短時間で移動が可能です。……乗り心地は保証しませんが」
「わかりました。お願いします」
サブローが触手を腹に巻き付け、傷に障らないか尋ねてきたので、フィリシアはちょうどいい具合だと答えた。
ちなみに妹は初めて正面から触る触手の感触を堪能している。どこまでもマイペースなようだ。
「舌を噛みますから、跳んでいる間は喋らないでください。それでは行きますよ」
言い終わり、サブローが枝から枝に跳び移った。
枝を蹴る反動で少し目が回りそうだったが、宙に浮いている浮遊感は癖になる。
言うほど乗り心地は悪くないかもしれないとフィリシアが感想を抱いたとき、サブローは木の頂にたどり着いた。
「フィリシアさん、それでは案内を頼みます」
「はい、ここの高さなら見つけるのはさほど難しくありません。あちらの赤い壁が目立つ遺跡がそうです。あそこなら門を閉めればしばらくは王国兵の侵攻を防げますし、風の精霊術一族なら抜け道で逃げることができます」
「なるほど、隠れ場に選ぶのは理由があるということですね……あ、子どもが何人かいます」
「え!? 見えるのですか?」
「魔人ですからね。それに王国兵の部隊も確認できました。一番進んでいる王国兵の部隊でも、あそこにたどり着くには半日必要になります」
「半日!? ここからだと歩きで一日かかります。……とても間に合いません」
「えーと、さっき言った通り僕があそこまで運ぶことができます。地形を無視できますし、だいたい十分程度……いや、分って通じるんですか?」
後半のつぶやきは異世界と時間の単位が違うかもしれないというサブローの反応だったが、フィリシアは疑問符を浮かべるだけだった。
「あの、十分で着くんですよね? だとしたらお願いをしたいのですが」
「通じた? そもそも僕は何語で話を……いやそんな場合ではありませんね。フィリシアさん、マリー、しっかり掴まってください。さっきの比でないぐらい揺れます!」
フィリシアが全力でしがみつくと、サブローが足場にしていた枝が爆ぜる。
そのまま木から木へと蹴り跳び、時には触手を駆使して速度を上げた。
フィリシアの身体にすさまじい加速の負荷がかかり、景色が目まぐるしく変わる。
木を登るときのように浮遊感を楽しむ余裕はない。されるがままの彼女はこみ上げる吐き気を、生き残りの一族のためにひたすら堪え続けた。
「着きました。……フィリシアさん、お疲れ様です。背中さすります」
口元を抑えながら、フィリシアはうなずいた。
彼は自分のことをよく知っていたようだ。確かにこの乗り心地は最悪である。
なのに一人だけはしゃいでいる者が居た。
「あ~たのしかった! おにいちゃん、もっかいやって!」
「いやいやいや、フィリシアさんが限界ですからやめてあげてください。というかマリーはよく無事ですね……」
「景色がすごいはやさでかわるし、風もきもちよかったよ。もうさいこー!」
「絶叫マシンが大好きなタイプですか。末恐ろしい」
さすがのサブローもマリーの様子に引いているようだった。
姉としてはこんな時にタフな妹が羨ましい。フィリシアは恨めし気な視線を触手と戯れているマリーに送った。
周囲を警戒してかサブローはまだ魔人の姿だったが、その彼に背中をさすられているのは変な絵面だろう。
手のひらはごつごつしているけども、ちゃんと温かくて吐き気を癒してくれる。
幾分楽になって背中を撫でてくれた彼に礼を言い、フィリシアはふらつきながらも立ち上がった。
「さて、それはでは遺跡の方に……ん?」
突如空気の塊がサブローに襲い掛かってきた。てっきり触手で迎撃するかと思ったが、サブローは無防備に受け止める。
彼は全く傷を負っていないが、フィリシアは精霊術による攻撃だと気付いて振り返った。
茂みから茶髪の少年が飛び出し、どこで拾ったのか槍をサブローに向ける。
「フィリシアさんとマリーを離せ! こ、この魔人めっ!」
震えながら必死に叫ぶ少年は姉妹の幼馴染だ。
裁判長の息子エリック。まじめな彼は勇気を振り絞って魔人と対峙していたのだ。
フィリシアはまずい、誤解を解かないとと口を開こうとするが、その前に妹がサブローをかばうように間に立った。
「エリック、おにいちゃんをいじめちゃだめ!」
「いじめちゃって……魔人ですよ!? それにおにいちゃん!?」
「大丈夫です、エリックくん。彼は、魔人は私たちの味方です」
「フィリシアさんまでなにを言っているのですか!? 魔人がどういう厄災をもたらすのか知っているでしょう!?」
「うーむ、まっとうな反応を見ると落ち着きますね」
やけにのんびりとした物言いと共に、サブローは人間の姿へと戻った。
唐突な変化にギョッとするエリックに向かって笑顔を浮かべ、朗らかに話しかける。
「エリックさんとおっしゃいましたか? 僕は魔人のカイジン・サブローと申します。フィリシアさんに召喚されて君たちを守るよう仰せつかりました。今後の道中よろしくお願いします」
「ふざけるな! フィリシアさんが魔人を召喚するわけがないだろう!」
「……いえ、エリックくん、本当です。彼は禁忌の魔法陣を使い、私が召喚しました」
エリックが絶句し、責めるような目で見た。
申し訳なく、フィリシアがうつむくとサブローが間に入る。
「いや、あれは仕方がありません。僕が召喚されたときフィリシアさんは取り押さえられて、マリーもあわやという状態でした。必要に迫られてのやむを得ない召喚だったことを証言します」
「だとしても、お前はなんの目的があるんだ? フィリシアさんたちを誑かしてなにを企んでいる!」
「目的ですか? 恩返しです」
「おん……がえし?」
呆然とおうむ返しに呟くエリックに対し、サブローは笑みを深める。
「いやいや、聞いてくださいよエリックさん。この世界にくる直前、僕はマヌケにも負けてしまいましてね。どてっぱらに穴をあけてこれは死ぬだけ、って状態だったのですが、何とフィリシアさんとマリーさんは回復魔法で助けてくれました。命を助けてもらって恩の一つも返さないというのは、魔人業界一義理堅いと評判の僕の沽券にかかわります。そういうわけで同行を許してもらっているというわけです」
一気にまくしたてるサブローに戸惑いながらも、賢いエリックは何度もうなずいてから持ち直した。
「……だいたいの状況は把握した。きっとフィリシアさんだけの勝手な行動じゃなくて、族長もそう指示したんだと思う。けど、魔人であるあなたは信用できない。恩を返すだけなんて胡散臭すぎる」
「まあそうですよね。自分でも言ってて『あ、これ怪しいな』って思いますし」
「なに言っているんだこの魔人? もしかしてバカなのか……?」
「ストレートに言われると少し傷つきます。でもまあ同僚にもよく言われていたし、あながち間違いじゃないのでしょうか? いやいや、僕はまだ行けます。まだ賢くなれます。頑張れ、僕」
「だいじょうぶ? マリーはおにいちゃんをバカだっておもわないよ! いいこいいこしてあげる」
「マリーは優しいですね。ありがとうございます」
さっきまで魔人の姿だった男が八歳の子どもに慰められるという光景を前に、エリックがなんとも言えない顔で言葉を失っていた。
その気持ちはフィリシアにはよくわかった。今回はエリックの緊張をほぐそうとサブローがあえておどけている節があるが、半分以上は地である可能性が高い。
この変った魔人は今日一日、フィリシアの魔人観をすっかり塗り替えてしまった。
そこまで思考して、フィリシアは身体がすっかり回復した事に気づき、エリックと視線を合わせた。
尋ねないといけないことがある。
「エリックくん、ここにたどり着いた一族はどれくらいいますか?」
「ぼくを含めて五人。いずれも子どもだけです。他は……女子供、すべて殺されました」
「五人……そんな……」
生き延びた数の少なさにフィリシアは衝撃を受ける。
王国の動きは早く、本気だとは知っていたがまだ甘かった。
膝に力が入らず、崩れ落ちそうになったときポン、とサブローに肩を叩かれた。
「フィリシアさん、とりあえず生き残った子たちに顔を見せましょう。安心させないといけません」
「は、はい。エリックくん、皆さんのもとに案内してください」
エリックは多少迷いを見せたもの、うなずいて先導し始める。
フィリシアも重い足取りで後に続いた。
エリックに案内されてたどり着いた遺跡の一室で、見覚えある子どもたちが姉妹に駆け寄ってきた。
「フィリシアおねえちゃん、マリー、ぶじだったんだね!」
「うん! ちょっとあぶなかったけど、たすけてもらったよ! アイも無事でよかった!」
マリーと抱き合ってお互いの無事を確かめ合っている銀髪の女の子は、薬師の娘アイ。
引っ込み思案でマリー以外となかなか友達になれなかったが、心優しい娘だ。
「ちゃんと合流できてよかったんだな」
「だから言っただろ。マリーみたいなしぶとい奴がそう簡単にくたばるわけないって」
「そういいながらもアレスが一番心配していたんだな」
「てめ、クレイ! 誰があんな奴の心配なんかするか!」
のんびりした口調の恰幅のいい少年が農夫の息子クレイ。
言葉使いが荒い赤髪の少年の方はマリーの悪友、鍛冶屋の息子アレス。
「フィリシアさん、マリー、生きていてうれしい。けど、一緒についてきた冴えない男は誰?」
十一歳という年齢の割に大人びている戦士の娘アリアが、サブローについて質問してきた。
どう説明するべきか、エリックと顔を合わせて少し迷う。
「あたしの見立てではかなりできると人だと思うけど、一族の人じゃないよね?」
「そりゃ強いに決まっています。なんていったって……」
エリックが吐き捨てるように言おうとした時、先にサブローが動いた。
いつものように穏やかな笑みを浮かべたまま魔人へと移り変わる。
「はい、今変ってわかるように魔人のカイジン・サブローと申します。みなさんよろしくお願いします」
あっさりとサブローは正体を明かして人間に戻った。
部屋の中の緊張が一気に高まり、アリアが思わず弓に手をかける。
フィリシアは慌ててマリーとともにその手を押さえ、説明を始めた。
「アリア、待って! 彼は私が召喚した魔人です。こちらに危害を加えることはありません」
「でも魔人だぞ! 召喚しても操れないし、危険で怖い奴だってオヤジが言っていたぞ!!」
「アレスうるさい! おにいちゃんはやさしい魔人だもん!」
「やさしい魔人って……んなもんいるかバーカ!」
「バカじゃないもん! ほんとうにやさしいし、ずっとマリーとおねえちゃんを守ってくれたもん!」
「で、でも魔人だよ。やっぱりこわいよ……」
「ア、アイ、ほんとうだからしんじてよ~」
一気に子どもたちが混乱し、フィリシアもどうやって事態を収めればいいか途方に暮れた。
不意にパン、と大きな音が響いた。
どうやらサブローが両手を叩いて音を出したらしく、視線が集中する。
「優しいかどうかはさておき、愉快な魔人は目指したいと思います。
まあそんなことより皆さん、お腹すきませんか!」
サブローはいつの間にか取り出したのか、銀色の包装紙に包まれた黒い板を何枚か目の前にかざした。
その板が空腹と何の関係あるのかわからず、フィリシアは成り行きを見守る。
「そんな時は登山家も愛用しているチョコレート。あの戦いで砕けていない奇跡に感謝を申し上げたい。とりあえず甘いものを食べて気分転換しましょう。どうぞ!」
自信満々に差し出すが、マリーでさえ食べ物と判断できず食いつかなかった。
しだいにサブローが焦り始める。
「あ、あれ? 分が翻訳されましたし、チョコも適当なお菓子に置き換わるはずでは? もしかしてチョコ自体が存在しないのでしょうか? あ、あの、美味しいですよ! ほら!」
困り眉でうろたえ始めた魔人は黒い板をひとかけらちぎって口に運ぶ。
必死な姿はなんとも哀れで、フィリシアの肩の力が抜けていった。
そんな中、クレイがすんすんと鼻を引くつかせてサブローに近寄った。
「たしかにいい匂いがするんだな」
「いや、本当に美味しいんですよ! 食べてみてください。甘さが癖になりますから」
「お、おいクレイ。魔人の食べ物だぞ。やばいって」
「安全は保障します! 給食のおばちゃんとお口の恋人の名にかけて!」
「なにをかけているかわっかんねーよ! 給食のおばちゃんって誰だよ!」
「それが、アレスさん。話すと長くなるんですけどね、僕が小学生のころ……」
「いや説明するなよ!? なんか馴れ馴れしいぞこの魔人!!」
アレスと気が合っていないだろうか? とフィリシアが半ば呆れて見守っていると、クレイがチョコという物体を少し分けてもらっていた。
皆が固唾をのんで見守る中、チョコの欠片が舐められた。
「ん? たしかにこれ美味しいんだな! ま、魔人さん、よかったら残りも欲しい……」
「ありがとうございますクレイさん! どうぞどうぞ、残りも持って行って皆に勧めてください! 助かりました~~~もう一度感謝をさせてください。ありがとうございます!」
感激のあまりにサブローはクレイを抱きしめてその頭をガシガシ撫でた。
彼の無邪気に喜ぶ姿に子どもたちの毒気が抜かれる。
続いて、食べ物だと認識したマリーが好奇心を押さえられずサブローにねだり始めた。
「おにいちゃん、マリーもたべてみたい」
「もちろん構いません。アイさんと半分こですよ?」
「うん! ……おいしー!! アイ、いっしょにたべよー」
マリーの勧められて、最初は不安がっていたアイも口にしたとたん夢中になった。
アレスまで「ふ、ふん、まあまあだな」とか言いつつ食が進んでいる。
アリアもひょいと一つまみ食べ、サブローに向き直す。
「えーと、魔人さん?」
「サブローで構いませんよ」
「うん、サブローさん。美味しいしありがとう。でももうちょっと甘くないものはない?」
「あー、僕が甘党なんでビターは用意していませんでした。申し訳ありません」
「甘党の魔人……フィリシアさん、変わったもの呼び出したのね」
「それは今日一日、何度も思いました」
フィリシアが力なく返すととアリアは微笑んで隣に座る。
「でも、危険な奴じゃなくてよかった。心配していたフィリシアさんも思ったよりマシな状態だし」
「はい。……マシな状態?」
どういうことだろうかと疑問が浮かんだが、サブローに呼ばれて聞き返す機会を失う。
返事をしようと声の方向に首を向けると、チョコの欠片を放り込まれ、口の中に甘さが広がった。
「ん!? ……美味しい、ありがとうございます」
「君とエリックさんの分です。ちゃんと食べて休んでください」
「いいえ、エリックくんにはともかく、私の分はみんなに分けてください」
「それはいけません。ちゃんと食べて、休んで体調を整えないと周りも不安になりますよ」
フィリシアが驚いて顔を上げると、心配そうにのぞき込むサブローの瞳があった。
そういえば、禁忌の祭壇のときから彼はずっとこちらを気遣って動いていた。自分の思った以上に身体に負担がかかっているかもしれない。
周りの子どもたちも心配そうに見ている。フィリシアは少し迷ったが、サブローの厚意に甘えることにした。
「はい、いただきます」
「安心しました。さて、僕はもうひと仕事してきます」
「もうひと仕事?」
フィリシアが聞くと、彼は外を指さして続ける。
「もうじき夜になりますからね。魔人ゆえに夜目が利きますので、王国軍を足止めをしてこようかと思います。そうすればみなさんここで休めるでしょう?」
「よろしいのですか?」
「良いも何も、僕はそのために呼ばれました。働き者ですし。明日の朝までには戻ります。それに僕がいると休めない人もいますしね」
冗談めかして出て行こうとするサブローの袖を、フィリシアは思わずつかんでしまった。
無意識の行動で、何か意図があったわけではない。
意外そうにこちらを見る彼に、とにかく声をかけようと口を動かす。
「あ、あの、無茶はしないでください」
「……はい。任せてください」
サブローが嬉しそうに返し、その身を変えて夕闇の森へと消えた。
袖をつかんで、自分は何を言いたかったのか。
フィリシアはわからず、ただサブローが消えた森をじっと見ていた。




