四十六話:訓練訓練また訓練
とうとうエリックをガーデンへと連れていく日がやってきた。
十二の子どもが役に立つのかという疑念もあちらにあるのだろうが、一応話を聞こうということになった。エリックはそのことを教えられても、当然の反応だと理解を示した。相変わらず賢い子だ。
「小娘、エリ坊、よっす」
迎えに来たミコが気安く挨拶してから、エリックの頭を撫でる。
「あの、ミコさん、恥ずかしいのですが」
「まだ子どもなんだし生意気言わない」
ミコは戸惑うエリックに笑いかけ、案内を買って出た。サブローは先にガーデンに出て、イチジローと訓練中らしい。フィリシアもエリックを置いてミコと訓練をする予定だ。
「あの質問責めの中にエリックくんを一人置いていくのは申し訳ないのですが……」
「大丈夫ですよ。むしろそれを聞いて楽しみにしてきましたし」
「まあ手加減するようにあたしと兄貴が言ったから、さすがに自重すると思う」
ミコの保障を受けて、少し安心する。彼女はクールな外見とは裏腹に、とても情に篤くて世話焼きだ。フィリシアを含む幼馴染たちや妹を新しい家族と呼んで憚らない。
マリーもあっという間に懐いて「ミコおねえちゃん」と慕いついて回っている。恐れられるときもあるフィリシアとは大違いだ。納得がいかない。
「じゃあ、あたしは小娘と天使の輪の訓練をするから、なにかあったら近くの職員にあたしか兄貴を呼ぶように言って。すぐに駆けつけるから」
「ありがとうございます。……本当、サブローさんと同じで心配性ですね」
苦笑するエリックと別れ、二人でいつもの訓練室に向かう。彼には悪いが、正直今のフィリシアは自分のことで手いっぱいである。頑張らなければいけないと、気を引き締めた。
フィリシアは翼を展開させ、風を落ち着かせた。反応の敏感さにも慣れつつあり、暴風を巻き起こすことも少なくなってきた。
おっかなびっくりに空中を浮かびながら、風船のようにゆっくり移動をする。少しでも速度を上げようとするとコントロールを離れそうで怖い。
「まあまずは攻撃の感覚をつかもうか」
明日の天気を告げるかのような気軽さでミコが今日の訓練内容を決める。ターゲットと思わしき板が現れ、風で撃ち抜くよう指示された。
風の精霊に頼み、オーソドックスな風の攻撃術、空気弾を一つ発動した。信じられないほどの巨大な空気の塊が生まれ、あっという間にコントロールを離れる。
ドン、と部屋中が揺らぎ、壁に大きなくぼみが出来た。
「す、すみません!」
『ダイジョーブッスよ。想定の範囲内ッス』
「あたしと同じならあれだ。弾を小さくするイメージじゃなくて、おっきな塊をいくつも分裂させるイメージ」
ミコのアドバイス通りの思考を組み立て、術式に魔力を伝える。するとオーソドックスな攻撃術は、無数の空気の塊を生みだしてしまった。
精霊に通した魔力の量はたいしたことないのに、まるで伝説に伝わる、精霊王に愛された始祖の精霊術みたいだった。
フィリシアが生まれた空気の塊の量にそう感想を抱いていると、とどめる意思が緩んで発射されてしまう。急いで気を引き締めるが後の祭りだった。
部屋全体が衝撃に揺らぎ、無数の弾痕が刻まれる。
『ターゲット殲滅したッスねー』
「部屋の中全部を撃てば、そりゃまあそうなる」
ミコの呆れ声を受けてフィリシアは身を小さくする。攻撃動作を一つとってもこのありさまだ。先とはとても長い気がした。
ところがフィリシアの不安は杞憂に終わってしまった。
ミコが笑顔で「これなら攻撃動作は早めに覚えそう」と言っていたが、確かに基本は精霊術だと理解すればあとは早かった。
周囲に無数の風の刃を渦巻かせ、一つ一つ順番に射出した。次々現れる木の板を撃ち抜いていくと、フィリシアはなんだか楽しくなってきた。
「じゃあ次は複数同時に操ってみようか」
ミコの提案により、同時に破壊するターゲットを二つ、三つと徐々に増やしていく。
待機させた風の刃がコントロールを外れるまで、十二の板を同時に撃破し終えた。
『フィリたん器用ッスねー。ミコっちはこれやれるのにだいぶかかったらしいッスけど』
「その分一撃はあたしが重い!」
『……脳筋すぎるッス』
通信機の毛利にフィリシアは同意した。なんというかミコという人間は、単純すぎる傾向があった。
サブローは性格的なものだが、彼女は行動原理そのすべてがそうだった。悪い人間ではないのだが。
「距離を置いた攻撃はすぐなんとかなりそうだし、やっぱ問題は動きか……。接近戦を修得するには必要だし」
『ふーむ、もう少し挑戦してダメだったら、予定通りミコっちが武術仕込むッスか?』
「武術……ですか?」
『ミコっち柔道と空手の段持ちッスからねー。黒帯黒帯。実際身体の動かし方を覚えてから、いつでも接近戦の訓練に移れるように備えるッス』
「と、いうわけでしごくから覚悟するように」
フィリシアはとりあえず同意して、翼に魔力を送った。予想通りあっさりと暴走してミコに止められる。
数回挑戦し、特に成果がなかったので武術の訓練に移った。
柔道着とかいう頑丈そうな衣服に身を包んで訓練に入った。しかし、フィリシアは拍子抜けすることになる。
ミコが教えたのは受け身と前転だけだった。これでいいのか疑問をぶつけると、
「そういうのはちゃんと受け身が上達してから言う」
などと注意をされてしまった。もっと厳しい訓練を想定していたフィリシアはこれでいいのか内心焦る。
その後も空手の型など基本的な物を反復練習と、朝の延長のようなトレーニングを時間いっぱい課せられた。
シャワー室で汗を流してから着替え、サブローたちと合流する。ミコはまだ戻っていないので、先ほどの疑問を二人にぶつけた。
「ミコは道場通いが長いですし、言うこと聞いていて問題はありません」
「大雑把に見えて教えるの上手いしな。あんな妹だけど、フィリシアちゃんのことを考えているし、大丈夫だと思うよ」
「ですが……早くオーマを追いかけないといけませんのに、こんなに悠長なことでいいのでしょうか?」
フィリシアの焦る様子を見て、サブローは安心させるように微笑む。
「これは鰐頭さんの言葉なんですが、基本的なことを繰り返さないと血肉にはなありません。強くなりたいのなら日々の積み重ねこそが大事、そうおっしゃっていました。フィリシアさんも焦らず、ミコの言う基本的なことを繰り返して物にしていきましょう」
「思った以上にまともなことを言っていたんだな、あのヒゲ。なんでそれがあんな変態訓練になるんだ?」
イチジローが渋面を作ってぼやく。その姿に前々から持っていた疑問を解消することにした。
「サブローさんの教官、ワニガシラって人とイチジローさんはお知り合いなんですか?」
「まあ首領を追いつめるとだいたいあいつがいたからな。何度も戦ったよ。でもヒゲがいると魔人の被害が少なかったし、目的以外の破壊は好んでいない奴だったから、よく覚えている」
「兄さんと戦った後は、よく僕に近況を教えてくれました」
「あいつがサブのことを気にしているのは、敵の俺にもわかったよ。ヒゲの奴、最期にお前の居場所を教えてから逝ったからな……」
なんだかしんみりとした空気が流れる。フィリシアはそういえばと鷲尾の言っていたことを思い出した。
「転移前にサブローさんと戦った魔人が言っていたのですが、生きている状態で召喚されるとのことでした。そのワニガシラさんや洗脳された方々も、そういった状態で私たちの世界にいるということはありませんか?」
「どうなんだろうな。ヒゲをはじめとして、倒した魔人の死体はなるべく回収しているし。少なくとも、ヒゲと洗脳組は全員保管されているはずだ。異変があるならこちらに伝わる」
そうですか、とフィリシアはサブローに対して謝罪をする。彼本人は気にするなと笑ってくれた。
またもドアが開き、毛利とミコが一緒に入ってくる。何の話をしていたのか聞いてきたため、直前の話題を教えた。
「あー、その話題を出したってことは、要するに味方になる魔人が欲しいってことッスかね、フィリたん」
「まあ、そうなりますね。難しいとは思いますけど……」
「いや、一人心当たりがあるッスよ。しかもA級魔人で」
フィリシアは意外な事実に仰天する。ミコもまた同様だ。誰だか思い至ったのか、サブローはすぐに名前を出す。
「海老澤さん、見つかっていないんですか?」
「おそらくフィリたんの世界にいると思うッス。あの人が逢魔に従うなんて思えないんで、どっかで遊んでいるんじゃないかと」
「オーマに従わないって、魔人なのにですか?」
「前も教えたとおり、強い魔人って我が強いんスよ。洗脳だって受け付けないッスからね。隊長は精神面だけでかなり抗っていたッスけど」
「サブなら当然」
ミコが誇らしげにない胸を張る。イチジローが先を促したのを確認し、毛利は続けた。
「んで、エビやんもかなり面倒な奴ッス。もともと魔人になることは乗り気じゃなかったし、逢魔やほとんどの魔人の主義主張を嫌っていたッスね」
「魔人になるのは乗り気ではなかったということは、サブローさんみたいに無理やりってことですか?」
「いえ、違います。…………彼を魔人にしたのは僕です」
はあ、と大きくため息をサブローがつくと、毛利はおかしくてたまらないと言った様子で腹を抱えた。
「ケンちゃん、笑い事ではありませんよ……」
「いやエビやんちょー笑い話にしていたじゃないッスか。いやね、エビやんずっと魔人を断って逃げ回っていたんスけど、断れオーラだしまくって勧誘する隊長に興味持ったらしいッス。鰐頭親分を撒いたコイントスを持ち掛けて、隊長が勝ったら魔人になってやるーって条件を出したッス」
「それに勝ったんですね……」
「一生の不覚です。まさか、イカサマを見抜いたら勝ちだなんて知らなかったんです……」
ずいぶん刹那的に生きる人物のようである。フィリシアは気が抜けてしまった。
「あんなに落ち込んだ鰐頭の親分初めてみたッス。あの人に見抜けなかったイカサマを見抜いたんだから、誇っていいと思うッスよ」
「結果が結果ですし」
「昔からトランプとかサイコロを使ったゲームでサブは負けなしだったけど、そんなことになるなんてな。けど他のA級というと……この様子だとピートのことじゃないし、あの鎧武者っぽい魔人か」
「そうッス。良い人とは言えないッスけど、隊長と敵対することだけは絶対ない人ッス」
なるほど、とフィリシアは脳裏にその人物のことを刻み込んでおく。サブローの味方になってくれるなら魔人だろうと誰だろうと大歓迎だ。
興味がわいて他のA級魔人のことを聞こうとした時、ふとエリックが帰っていないことに気づく。
「話は変りますけど、エリックくんはまだ質問責めにあっているのでしょうか?」
「そろそろ止めに行った方がいいかな」
ミコも心配そうに立ちあがろうとする。だが、サブローとイチジローは首をゆっくり横に振った。
「一回様子を見に行ったけど、大丈夫そうだった」
「むしろあんなに楽しそうなエリックさん、初めて見ましたよ。水を差すのもかわいそうですし、満足するまで待っていましょう」
「え、楽しそう……ですか?」
フィリシアは信じられずに聞き返す。二人も意外だったらしく、呆けた表情になっていた。
「いやー、とても有意義な時間でした」
帰ってきて早々、エリックは満足げに何度もうなずいた。職員ともすっかり仲良くなったらしく、親しげに握手を交わした。
名残惜しそうに別れを告げながら、彼はこちらに近寄ってきた。フィリシアは不思議に思って尋ねる。
「そんなに楽しかったのですか?」
「ええ。こちらの世界とぼくらの世界の違いは検討したかったですし、とても興味深いものでした。こちらでは架空のものがぼくらの世界にあったり、逆にぼくらのところでは伝説となっているものがここでは一般的になっていたり、実に興味深い時間を過ごせましたよ。たとえば……」
「あ、いえ。長くなりそうですので、後でお願いしますね」
フィリシアから聞き出そうとは絶対に思わないのだが、とりあえずそう答える。やや不満そうにしながらエリックは、今度はサブローの方へ向いた。
「サブローさん、今度開発部の人たちと一緒に会ってくれませんか?」
「構いませんが、またどうして?」
「いえ、ぼくらの世界からこちらに戻る実験を行ないたいと相談されました。そこで時限式の転移術式を例の発信機に刻めば行けるんじゃないかと考え、提案しました。こちらへの転移はサブローさんの力が必要なので、助力をお願いします。もちろんやり方はぼくが教えますよ」
「……さすがエリックさん。僕でよければいくらでも力になります」
サブローが快諾し、エリックも引き続きガーデンに通うことになった。後で聞いたが、若干十二歳にして聡明な彼はガーデンの各部署も目をつけてしまったらしい。
フィリシアがうんざりしたガーデンの取り調べでこうなるなんて思わなかった。人生何がどう転ぶのか、本当にわからないものだった。




