四十四話:要訓練
今すぐ天使の輪を実験するというわけではなく、日程の確認だけで今日は終えると聞いた。
さらに多くの書類を渡され、職員に読み上げてもらいながらいくつかサインを行う。
天使の輪をフィリシアに使わせるために必要な書類とのことだが、やたら量が多かった。
いくつかは保護者である園長の許可ももらいに行く必要があるそうだ。
どうにか必要書類に書き込みを続け、ようやく今日の作業は終わりとなる。
そして長官と実験を行なう日を相談し、園長にも確認取ってから始めると説明されて解散となった。
ガーデンから施設に帰るころにはすっかり遅くなってしまった。
園長やタマコ、妹たちに温かく迎えられ、家族との食事にありつく。
エリックに自分たちの世界を根掘り葉掘り聞かれたと愚痴ると、彼は興味深そうな顔をした。
「次はぼくも連れて行ってもらえますか?」
あんな目に遭わせるのは申し訳ない気がしたが、フィリシアはありがたくその提案を受けることにした。
それから数日間は平和だった。サブローや園長はちょくちょくガーデンに向かっていたが、フィリシアの出番はまだらしく施設で待機していた。
待っている間もこの世界の常識を学びつつ、勉強も始めた。もともとフィリシアは学ぶのが嫌いではないので、目新しい知識の数々を吸収していく。
異世界からの幼馴染や妹も年齢によって学習内容が違うが、それぞれ課題を出されていた。他はともかく、アレスと妹が心配である。特にマリーを厳しく監視しつつ、フィリシア自身も力を入れていく。
「フィリちゃんすごいね。覚えが早くて先生たちも感心していたよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです。この調子ならわたしと一緒に学校通えるって言っていた。いつか一緒に行きたいね」
「……私もタマちゃんとなら一緒に通いたいです」
お互い笑い合い、いつか来るかもしれない未来に想いを馳せた。
ある日の朝、外に出ると施設の運動場でアレスが走っていた。穏やかに見守っているサブローを見つけて、こちらに来る前の二人のやりとりを思い出す。いつか自分の答えを見つけたときに後悔しないよう、強くしてほしいというアレスとの約束を。
「おはようございます。サブローさん、例の約束を果たしているのですか?」
「はい。アレスが結構やる気満々でしたから。まあ年齢が年齢ですし、基礎体力をつけるだけですけど」
いつの間にかアレスを呼び捨てにしている疑問はさておき、あの鰐頭とかいう男の訓練はつけないのか尋ねると、サブローは首を横に振る。
あれは魔人用のメニューであって、鰐頭という男自身も人間を鍛えるときは常識の範囲内だったと答えてくれた。
アレスにはどういう訓練内容を与えているのか尋ねると、走り込みを始めとした基礎的な物だった。アレスの年齢を考えても常識はずれな運動量ではない。
まあ他人に対してはわきまえた判断ができる人なので、その辺の心配はしていなかったが。これが自分となると身体を壊す勢いで無茶をする。
「はあ、はあ、にーちゃん、つぎ、たのむ、はあ」
「その前に水分補給をこまめに。次は三分後に行いましょうか」
サブローは水筒から飲み物を渡し、アレスの息を落ち着かせる。フィリシアもこれからのことを考えると鍛えたほうがいい。そう頼んでみると、体力を測ってからメニュー決めることを請け負ってくれた。
「おれのときもいろいろ測っていたな」
「限界を知っておくと便利ですからね。鍛える上でも、ギリギリまで自分を動かす上でも」
後半物騒な話が聞こえたが、フィリシアはあえてスルーした。
ちなみにこのことをタマコに教えると、
「フィリちゃん、想いを気づいてもらえるチャンスが増えるね。ミコお姉ちゃんのこともあるからわたしは中立だけど、がんばってね!」
なんて言い出してきた。
とうとうフィリシアが天使の輪の実験を開始する日がやってきた。園長もついてきたおり、心配そうに身を案じてくれる。
今日は天使の輪の起動実験だけなのでエリックは連れてきていない。サブローは心配だからと同行している。
先導するミコについていきながら実験室へ入る。長官によりとうとう腕輪状の天使の輪を渡された。
「天使の輪『エンジェルType4』の所持者に任命する」
「ありがたく承ります。……四ですか、縁起がいいです」
「え、そうかな」
「フィリシアさんたちの国だと四が縁起のいい数字みたいですよ。一年に一度、四つ浮かぶ月に倣って」
説明されて、ミコは月が四つあることの方に驚いていたのだが、毛利が「観測通りッス」と平然とする。
計測用の機械だと教えられた物をあちこちにくっつけながら、左手首に天使の輪を固定する。と言ってもフィリシアが腕輪をもつだけで、勝手に手首に収まった不思議な道具であったが。
準備を終えると、ミコと一緒にサブローたちが使っていた訓練用の大部屋へと向かった。先導する彼女はフィリシアが暴走したときの抑え役らしい。
「うし、小娘、まずは天使の輪を展開。できる?」
「やってみます」
あの時は夢中だったが、あらためて展開させようとすると少し不安になった。とりあえず腕輪に魔力を送ると、あっさりと巨大な羽となって背中に現れる。フィリシアの杞憂で終わったようだ。
「あたしのときは苦労したんだけどな~」
「じゃあ師匠さんより才能あったりしますか?」
ミコは生意気と笑い返し、力を少しずつ開放するように指示してきた。フィリシアはわずかな魔力を羽に送る。
「え!?」
すると羽は盛大に風を吹き出し、フィリシアの身体を恐ろしい速さで上昇させようとした。間をおかずにミコが天使の輪を起動させ、巨大な羽を捕まえる。
「ありがとうございます。これ、反応がとても敏感です」
「焦らずゆっくり。あたしの場合は最初どれだけ力を入れてもうんともすんとも言わなかったから、全く逆の特性か」
先は長そうだとミコがつぶやいて、何度か力を送り直す。やはり羽のレスポンスは過剰で、上手く操れずに悔しい思いをする。
今度は込める力を増やす実験を始め、ミコに抑えられながら魔力を多めに送ってみた。
部屋いっぱいに暴風が吹き荒れ、頑丈な壁や床を切り裂いていく。炎の壁で風を防いだミコは無傷だが、訓練室は無残な有り様だった。
どうにか最初に教わった方法で羽を鎮めるが、自分が起こしたと信じたくない光景が広がる。
『ハッハ、フィリたんやべーッスね』
「魔人の群れに突っ込ませるだけで死体を量産しそうな勢い。まあもうそんなに魔人っていないんだけど」
フィリシアは軽口をたたく二人にまともに反論する気になれない。このじゃじゃ馬を上手く乗りこなさないといけないのかと気が重くなった。
一通り実験を終えて、部屋に戻ったフィリシアは盛大に息を吐き出す。もう少しうまくやれると思ったのだが、世の中厳しい。
「ドンマイ、まあ初めはそんなもの。使っていくうちに慣れていけばいいし」
「理論は任せるッスよー」
慰めてくれる二人の言葉が温かい。途中、毛利はサブローに呼び出され、なにやら話し込んでいる。フィリシアはお茶をちびちびすすって喉を潤す。
「師匠さん、疑問に思ったのですが、適合者って何人いるんですか?」
「四人。もちろん小娘が四番目」
「へー、また縁起がいいです。でも思ったより少ないんですね」
「完成したのはいいけど、逢魔の技術も応用しているから未知な部分が多いみたい。あたしだって二年の付き合いだけど、まだ力を開放しきっていないみたいだし」
「使いこなせるようになるまでにどれくらいかかったんですか?」
ミコは半年、と短く教えてくれた。ドンモたちの言葉をフィリシアは思い出す。彼らが地の里に向かうまで、三、四か月しかない。
「どうにかその半分で物にならないでしょうか……」
「んー、小娘の天使の輪がどういう特性を持っているかしだいかなー。他の適合者だって使いこなすまでまちまちだったし」
「他の適合者……話を聞けたりはできませんか?」
「あいつらも忙しい。小娘が来るまでは三人しかいなかったから、あちこちの支部にとんでる」
ままならないものである。何度もここに通ってコツをつかむしかないらしい。
フィリシアが先行きを不安に思っていると、サブローと毛利がタブレットという板をもって近寄ってきた。
「ミコっち、隊長と相談して作ったトレーニングスケジュール確認してほしいッス」
「いいけど、サブと相談?」
「フィリシアさん本人に鍛えてほしいと言われたので、ケンちゃんと話しあいました。朝に無理をさせたり、逆にこちらで無理をさせて身体を壊すわけにもいきませんし」
「鰐頭親分はその辺の塩梅が上手かったッスね。隊長相手だとアホみたいに加減しないのに」
二人が逢魔時代を懐かしがっている。ミコはトレーニング内容を確認しながら、渋面を作った。
「朝にサブと一緒に鍛えるのか……わかった。あたしも付き合う。この時間にくればいいんでしょ?」
「ミコ、いいのですか?」
「小娘の面倒はあたしが見るって約束したしね。それとも迷惑?」
ミコは「まさか」というサブローの返事を聞いて安心していた。フィリシアは歓迎するべきなのだが、なんだか胸がもやもやする。
しかし特に断る理由もないので、三人にあらためてよろしくと伝えた。
今日の日程の最後はフィリシアたちの世界に物を送る実験らしい。
長官に案内された部屋にたどり着いて、思わず目を丸くする。
「転移の魔法陣……どうしてこの場に?」
「逢魔にあった奴ですね。ここに運び込んだのですか?」
サブローの疑問を長官は肯定する。魔法陣が描かれた床を切り抜いて運んだらしい。様々な計器に囲まれ、黒い線が伸びていた。データを取るためのコードだと毛利に説明されたが、フィリシアにはチンプンカンプンだ。
「逢魔を追いつめたとき、奴らが潜んだ部屋にはこの魔法陣を置いて魔人と首領が消えていた。我々はこの魔法陣を半信半疑で調べたところ、異世界を確認してしまった。逢魔の元研究員の協力もあり、異世界を観測できるようにはなったが、追跡する手段は持てなかったのだ」
説明を受け、フィリシアは納得する。エリックが転移の魔法陣から元の世界に帰るのは簡単だと言っていたが、自分たちもまだ確証を得ていない。
実験でその辺も確定させておくべきだろう。職員が魔法陣の中央になんらかの機械を置いた。
「あれは異世界でこちらの観測機に信号を送ってもらう機械ッス」
質問する前に察して教えてくれた毛利に礼を言う。あれを自分たちの世界に送ればいいらしい。
失敗は出来ない。フィリシアは深呼吸をして、魔法陣へと手のひらを向ける。長官はただ静かにうなずいて促した。
行き先は特に指定されていない魔法陣だったので、フィリシアのイメージによって転移先が決まる。もっともサブローのように転移の系統に明るいわけではないので、転移の魔法陣が置かれている場所に限られるのだが。
それなら風の里に伝わる転移の祭壇で構わないだろう。何度も訪れた場所を脳裏に浮かべ、魔力を魔法陣へと移した。
魔法陣が青く輝く。フィリシアたちの世界だと白く光っていたのだが、ここでは違うのだろうか。
青い光が加速し、機械の周りを回転して部屋を青く染める。
ひときわ激しく輝いて、光が薄れていくと魔法陣の中央は空になっていた。
「異世界より信号が確認されました!」
職員の一人が報告し、場が湧き立つ。成功するかどうか緊張していたフィリシアもホッと胸をなでおろす。エリックの推察は正しかった。
長官が肩を叩き、感謝を口にしてくれた。あまりにも周りが褒めてくれるので、フィリシアは気後れする。
「あとはあちらの世界から戻れることを実験していこう。引き続きフィリシアくんも協力を頼む」
もちろん長官に頷いて、フィリシアは決意を新たにする。この手のことに詳しいエリックを紹介し、サブローの携帯に写された魔法陣の話をして、今日は解散となった。
 




