四十三話:防衛組織で己を知ろう!
「いえ、ですからこれは訓練のための前準備であって、他意はありません。痛みを伴いながら限られた戦力でどう戦い抜けるか、それを自分に問い工夫するためのものなんです。ほら、魔人ですから人みたいに脱臼癖がつかないらしいですし、おかげで痛みに強い体質になれました。鰐頭さん相手だとよくやっていた方法ですし、同じくらい強い兄さん相手なら効果も大きいと考えたわけです。ですから無茶をしたわけでも、自分の身体を疎かにしたわけでもありません。その辺のことをご理解いただけると幸いです」
「言っている意味がなに一つわかりません」
フィリシアに切り捨てられて、正座しているイカの魔人がうなだれる。一緒に取り囲んでいるミコも怒り顔でさっきまで説教に加わっていた。
「あのヒゲ、俺の弟になんてことを教えているんだ!?」
「その訓練やっているの隊長だけッスよ。鰐頭親分、わりとまともな方だったけど魔人用訓練メニューは非常識だったからッスねー」
「……それは異世界で戦った鷲尾さんたちのおかげで知りました。でもせっかく魔人になったんですし、回復能力の高さは活かすべきではありませんか?」
「なんでそんなところだけ鰐頭親分の思考に似ちゃったんスか……。痛い中での判断力を養うだけで、痛いからって強くなれたり鍛えられたりはしないッス。それと痛みに強い体質なのは別に鍛えられたからじゃないッス。隊長の場合元からッスよ」
「昔から怪我してもへらへらしているような奴だったけど、こんなことになるなんて。サブ、その気持ち悪い訓練は今後禁止」
「いや、でも……」
『でもじゃない!』
イチジロー、ミコとハモりながらフィリシアは声を張り上げる。サブローは魔人となった身を縮めながらしぶしぶ了承した。
「だいたい隊長、これテストも兼ねているんスから万全の状態じゃないと意味ないッス」
「でもなんだか落ち着かないんですよ。だいたい不利な状況ばかりでしたし」
「エビやん愚痴っていたッスよ。まともな状態でなんで挑まないかって。ドン引きだったッス」
「え、知りませんでした」
「この師弟は……はあ、英雄さんのためにも次はまともな状態で計測ッスよ。いいッスね」
毛利が念を押し、ようやく元の部屋に戻る。フィリシアは出来れば待機しておきたかったのだが、全力を測るために二人きりにしないといけないそうだ。
離れる途中、もやもやした気持ちを抱えながら毛利に声をかけた。
「モーリさん、本当にサブローさんを鍛えた人はまともな人だったんですか?」
「まとも……なんというか、強い魔人ってどっかネジがとんでいるんスよ。人格的にはいい人ではあったッス。多くの魔人と違って人間に対しても普通に接していたし、鰐頭親分がいなければ隊長とっくに壊れていたと思うッス」
ただ、と毛利は呆れ顔で続けた。
「極端なトレーニングマニアで、魔人の訓練方法を自分自身を実験台にして組み立てていたッス。それの実践と証明のためなら目の色変わる変人だったッス。まともについていけたのは隊長くらいッスね。さっきみたいな頭おかしい状態で戦わせようとしたッスから」
「兄貴が戦った相手で、洗脳されている魔人以外では唯一まともだったとは言っていたかな。その訓練は効果あるの?」
「わっかんねーッス。隊長が滅茶苦茶弱いランクから、数人のトップ魔人以外にはまず負けないってレベルになったのは事実ッス。けど理論が無茶苦茶で正直隊長が素質あっただけじゃないかってのが、逢魔の魔人管理部の結論だったスから」
毛利は「正しいと信じているのはあの師弟だけッスね」で締めた。またサブローを信じきれない要素が増えてしまった。フィリシアは痛む頭を押さえながらミコの後に続く。
サブローとイチジローの兄弟対決は訓練といえど、熾烈を極めた。
触手が壁や床に刺さって白い魔人の身体を変幻自在に移動させる。四方八方から襲い掛かる鞭の一撃をイチジローは頑丈な身体で受け止め、力任せに引き寄せ、本体に無理やり拳をねじ込む。
不自然な軌道の拳はサブローに深く食い込むことは叶わず、しかし確実に身体を削っていった。サイの魔人と対決したときからわかっていたが、サブローはかなり奇抜な動きをする。
幾多の触手が意識外からの攻撃を警戒させ、自身の動きを変化させ、気を抜けば全身を使って深手を与えにくる。普段使い控えている四肢は触手以上に威力を秘めているらしく、ここぞという時に駆使して頑丈そうなイチジローの外装をも軋ませた。
対してイチジローは圧倒的な身体能力を誇り、サブローの重い一撃をも受けきり、ただ殴り蹴るだけで必殺の一撃と化した。時にはただの殴る余波でサブローの触手を弾き、生みだされた隙をついてくる。機動力も高く、無秩序で読めないサブローの動きにただ健脚だけでついていっている。
そんな二人がぶつかり合うだけで衝撃の波が発生し、モニターが大きくぶれる。この映像だって油断すれば見えないほど速く動ける二人の動きを、遅く映し出した結果らしい。
初見だと何が起きているのかフィリシアには全く分からなかった。
「さすがはA級魔人とその弟ッスね……。血はつながっていないと聞いていたんスけど」
「A級魔人?」
フィリシアが聞き返すと、イチジローを含めた五人しか存在しない魔人の名称らしい。サブローは違うのかと尋ねると、最終的にはB級上位に分類されていたと答えが返ってくる。
どうやら逢魔では魔人をランク分けしていたようだ。もっともサブロー本人はずっと初期に計測したC級ランクだと思っていたらしいのだが。
先ほど毛利が言っていた、サブローが強いと自覚を持つのを嫌がった誰かの仕業だろうか。
「けどまあ地力の差が出ているんだ、この辺」
ミコの言う通り、サブローは徐々に押されていった。かすめるだけでダメージを蓄積させる相手に対し、イカの魔人は直撃でもなければまともに攻撃が通らない。触手をぶつけるより、イチジローのわずかに触れた打突が重かった。
いくら奇抜で柔軟な対応が得意と言っても限界はある。サブローは動きが鈍った隙を突かれ、接近を許してしまった。
「そして何度見てもこの動きは理解しづらい……」
イチジローの重い拳が繰り出される。受け止めたサブローはその衝撃を用いて身体を回転させ、触手と拳を一点集中して相手を打つ。ミコの言う通り攻撃を受け止めた後の動きとは思えない理解不能な反撃だった。
別のモニターを確認したミコが足さばきによるものだと解説したが、どう立ち回ればあんな反撃ができるのか。
とはいえその不意打ちもイチジローの身体を少し揺らした程度で、サブローは首筋と思わしき場所に手刀を突き付けられて降参する。映像の兄弟はお互いの健闘を称えあい、朗らかに笑っていた。今頃もう一度手合わせをしているだろう。
「このときの兄貴は上手く衝撃を逃がした。完全に意識外だったのによくやる」
「そんなことができるのですか?」
「ずっと一人で魔人に対応していたから、もう身体に染みついているみたい」
「とんでもねー化け物ッスね。隊長もほぼ実戦形式のやり取りを鰐頭親分とやっていたから、考えずにああいう動きができるッス。似た者兄弟こわっ」
フィリシアは頭を抱えた。いずれこの二人の戦いについていかねばならない日が来るのだ。
あの天使の輪という絶大な力を得て自惚れていたと自覚する。この二人の戦いを見た後だとどれだけ時間がかかるのか見当もつかなかった。
「小娘、この二人に追いつこうって考えているならやめなよ」
「別にそこまで求めているわけでは……」
「あたしと『パワーズ』でも兄貴相手なら一分持つか怪しいんだから……。サブがここまで強いのは意外だったけどね。あっさりと抜かれていた」
「鰐頭親分は隊長のことえらい気に入っていたからッスねー。首領を守ることより力入れていたんじゃないかって疑惑があるッス」
毛利が明るく笑いながら、タブレットだと説明された板を操作している。先ほどからモニターを見ながらなにやらいじっていた。
「ミコっち、とりあえずフィリたんの訓練はこんなスケジュールでどうッスか?」
「よくわからないけどこれが効率良いなら任せる。やりながらあたしは感覚で修正するし。あとで印刷しといて」
「相変わらずのアナログ人間ッスね。スマホの扱いすら適当すぎて女子としてはどうかと思うッスよ」
ミコがうるさそうに顔をしかめながらも、なにも言い返さなかった。思うところがあるのだろうか。
このやり取りでフィリシアの訓練を組み立てているのは毛利だと理解したので、よろしく頼む。
ミコの言う通り追いつくことは考えず、天使の輪を使いこなすことから始めるべきだ。
あらためてフィリシアが決意を固めていると、長官が近づいてくる。今度は自身の天使の輪を起動実験したいと要請された。




