四十一話:日本での日常
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フィリシアがサブローを伴って施設に帰る頃には朝になっていた。
車という乗り物の中で眠ったらしく、帰りはサブローにお姫様抱っこで運ばれたらしい。
そんなことを目の前のタマコに聞かされ、恥ずかしさで顔を伏せてしまった。
「あはは、フィリちゃんかわいいー」
「フィリちゃん……?」
「あれ? 嫌だったら呼び方戻すけど……」
不安そうなタマコにかまわないと返すと、彼女のことは「タマちゃんって呼んで」と気軽に言われた。
少し照れ臭かったが、お互い愛称で呼び合うことは嬉しいことだった。
そして新しい友人は同じ部屋で暮らすことが決まったことを教えてくれる。
「一部屋に二人入ることになっててね、私の前の同居者はミコお姉ちゃんだったんだ。ガーデンの寮で今は暮らしているから、ちょうど空いていたんだよね。うちは長く暮らしている方が、新しく入ったルームメイトの世話を見るってルールなの。だからフィリちゃん、なんでも私に相談してね。力になるよ!」
「はい、頼りにしています、タマちゃん。……そうなるとマリーは誰と相部屋なんですか? 迷惑をかけていなければいいのですが」
「あーマリーちゃんはアイちゃんと一緒だよ。ちょっとルールと違うけど、仲が良い二人を引き離すのはかわいそうだなって、園長先生が」
フィリシアはほっと胸をなでおろした。あの奔放な妹が色々と心配だったのだが、アイが一緒なら安心できるだろう。
「それにしても師匠さんがタマちゃんと相部屋だったのですか……」
「師匠?」
目を丸くしているタマコに、天使の輪に選ばれた経緯を簡単に伝える。
名前で呼んでくれないこと、師匠と呼べと言ったことに対して少し愚痴ると、彼女は腕を組んで考え込んだ。
「ミコお姉ちゃん珍しく複雑そうだなー」
「そうなんですか」
「お姉ちゃん、すごく単純な人で殴って解決すればいいって考えている節があるからね。そうじゃないものは人に丸投げすればいいって言ってたし」
フィリシアは一気に不安になる。師事する人間を間違えたのではないだろうか。
「まあフィリちゃんわかりやすいからなー。誰かさんへの好意とか」
そうにやにやと言われてフィリシアは怯む。隠しているつもりはないが、こうも堂々と言われると結構恥ずかしい。
「んー、でもサブお兄ちゃんがいまだ気づいていないのは意外だったなー。エリックたちに鈍い鈍いいわれて半信半疑だったけど、昨日見た感じ言われた通りだったし」
「そうなんですか?」
「ああいうのはミコお姉ちゃんだけだと思っていた。ずっとそばにいたから仕方ない部分があるし。本人にそういう素質があっただけなんだねー。本当にびっくり」
それ以外は気が利くのにね、でタマコは締める。
フィリシアはなんだかとても残念な気分に襲われた。
施設の中は基本的に広くて清潔で、置かれている家具も高級そうで快適であった。親がいないことで暗くうつむいている子どもは少ない。
フィリシアの知る王都などの孤児院とは基本的に違っていた。そうタマコに質問をすると、園長である林康子の力らしい。
もともと資産家だったらしく、ギフトをもつ子どもが集まってガーデンに出資を受ける前から大きな施設ではあったとか。
そして園長にどれだけ世話になったかタマコが嬉しそうに語る。サブローもそうだが、彼女たちも園長を慕っているようであった。
フィリシアも昨日優しくしてもらったことを思い出し、胸が温かくなる。
「まあ色んな事情を抱えている子ばかり連れてくるから、最初は警戒心丸出しだった人も多いんだけどね。そう考えるとフィリちゃんたちは珍しいかも」
「私たちはサブローさんが力になってくれましたから。……しかしそうなると、あのサブローさんも最初は違っていたのでしょうか。少し想像がつきません」
「どうなんだろ? サブお兄ちゃんはここに来る前のことを覚えていないみたいだし。ミコお姉ちゃんは最初から変わっていないって言っていたけど」
それはとてもサブローらしかった。ブレなさ具合は尊敬に値する。
「さて、フィリちゃんご飯食べに行こう。そっちの世界の話を聞かせて。サブお兄ちゃんが帰ってきてから楽しみでしょうがなかったんだ!」
好奇心に顔を輝かせるタマコに応じ、フィリシアも楽しみになる。
こちらもこの世界について聞きたいことは山ほどあるのだ。
どうやら彼女たちは休日らしいので、時間はたっぷりあった。
昼食の後、やたら元気なマリーがサブローに話しかけていた。昨日いろいろあって構ってもらえず寂しかったのだろう。
ちなみに食事前の彼はエリックに責められていた。フィリシアたちの世界からここに戻るのにサブロー自身の力が必要だと説かれて驚き、素直にお叱りを受けていたのだ。
年下の男の子に説教を受けてしょげている姿がかわいそうだったので、今回フィリシアは遠慮した。だというのにやたら警戒して失礼だと思う。
そういう風に考えていると、ふと首輪が目に入った。タマコに断りを入れてから、サブローに近づく。
「あれ、おねえちゃん?」
「ああ、一つ確かめたいことがあるだけです、マリー。サブローさん、首の奴の調子はどうですか?」
「色々と不安がありますねこれ」
やはり、とフィリシアの顔が曇った。
「脆すぎます。試してみたところ魔人の変身能力を奪う程度の効果しかありませんよ。生身の身体能力はそのままですので、僕でも簡単に壊せます。ガーデンにもっと頑丈に作るように意見をしなければなりません!」
「そっちですか!?」
鼻息荒くするサブローに対し思いっきり脱力する。自分の身体を二の次にする性格なのはよくわかっていたが、あんな目に遭ったばかりなのにこの調子である。フィリシアは呆れて物も言えないでいた。
「おねえちゃん、おにいちゃんはさっきエリックに怒られて元気がないから叱らないで」
「マリー、大丈夫です。別に怒るようなことではありません。ありませんけど……」
もう少しなんとかならないだろうか。気が抜けたフィリシアを前にサブローが困っていると、園長が近寄ってくる。
「フィリシアさん、少しよろしいでしょうか」
「はい、大丈夫です」
「フィリシアさんたちの書類を作成してまとめているのですが、姓の方はどうしますか?」
「姓ですか? やはり必要なんでしょうか」
「あると便利ではありますね。エリックさんたちと相談したところ、フィリシアさんに任せるとおっしゃっていました。同じ苗字で構わないそうですよ」
「それでしたら……シルフィードでお願いします」
「シルフィード? それなーに、おねえちゃん」
フィリシアの頬が引きつる。
「マリー……大昔、私たちの一族に王から送られた、風の神の名前です。式典や祭りの際にもこの名義を使っていたでしょう」
「え、そうなの!?」
「マ・リ・ィー……」
こめかみを押さえながら、つい低く妹の名を呼んだ。不穏な空気を感じたマリーはサブローを盾にして逃れようとしている。
「まあマリーはまだ幼いですし」
「アイは知っているので言い訳になりません。サブローさん、甘やかしてはいけませんよ」
「で、でも、うちはお薬を王都に発注するときに使っていたから覚えているだけで、マリーのようにあんまり触れていないならしかたないかも……」
少し離れてちょこんと座っていたアイが慌ててマリーを擁護する。しかしその理屈は通らない。
「それを言ったら族長の仕事を見ていたマリーが知らないのはおかしいことになります。普段遊んでばかりだったからですよ」
「まあまあ、今日はそこまでにしましょう。みなさんの学校転入の書類を用意するために、聞かないとならないことは山ほどありますから」
「え、フィリちゃんと学校行けるの!?」
園長の話を聞いてタマコが嬉しそうに駆けつけてきた。フィリシアも唐突な話に虚を突かれる。
風の一族は王国ので役割的に知識が必要なため、子どもを集めて一緒に勉強する機会はあったが、王国の学校などには通ったことがない。
興味はちゃんとあるのだが、フィリシアにはその前にやるべきことがあった。
「あの、園長先生……」
「わかっています。あなたの世界のことでしょう?」
園長はフィリシアの肩に手を置き、優しい顔を向ける。
「上井長官も同じ意見ですが、フィリシアさんを向かわせることには基本反対です。あなたにはこちらでタマコの言う通り学業に励んでほしい」
「ですが!」
「落ち着いて話は最後まで聞いてください。……それがかなわないのは、私たちもよく存じています。あなたは逢魔の潜伏する世界を行き来できて、しかも天使の輪に選ばれた。どうしても送り込まねばならないでしょう」
けれども、と続けてから園長の腕にやさしく抱き寄せられた。
「いつかで構いません。タマコさんの言う通り、平和に暮らしてください。こちらでもあなたの世界でも構いませんから」
「……いろいろ気にかけてくださって、ありがとうございます」
彼女には感謝しかない。こちらのことを考えた上で最大限フィリシアの意志を尊重してくれる。サブローやタマコが慕うわけだ。
「……園長先生もこういっていますし、戦闘は僕とミコに任せませんか?」
まだ諦めていなかったサブローの提案を断り、翌日にガーデンへ向かうことになった。




