四十話:ようやく一段落
「長官、どうしてここに?」
「お前たちが把握していることを、私が知らないわけがないだろう。薬を使うと情報が入ったから先手を打った。上層部経由で連絡を入れ、私が引き取る同意を得たのだ。もう少し信頼しろ、バカ者」
ミコは気まずそうに目線を泳がせる。フィリシアも言葉を失って目の前の人物を見直した。
長官はサブローを下ろさせ、その拘束具を解く。
「あの、はじめまして。僕は……」
「ふふ、はじめましてではないさ。久しぶりだな、サブロー少年!」
長官は嬉しそうにサブローの肩を叩く。叩かれた方は意外そうに見上げていた。
「覚えていたのですか?」
「あのときはボランティアの一員だったな。私は将来有望な少年少女を忘れないタチなんだ。……逢魔に居ながらもけっして折れず、良き成長を果たしたようだな。今まですまなかった」
男くさい笑顔を浮かべながら長官はサブローの頭を撫でる。
そうされているとサブローは幼い顔なのもあって、小さな子どもに見えた。
「それとさっそくだがもう一つ謝らないといけないことがある。サブロー少年、君の首輪はしばらく解放できない。外すにはこちらの許可が必要となる」
「当然の処置だと思います」
サブローはあっさりと納得するが、フィリシアは不満だった。
たしかに自分も彼の無茶を押さえるために欲しいとは思ったのだが、危険人物のような扱いは望んでいなかった。
我ながらわがままな気がしたが、嫌なものは嫌なのだ。
「その代わりと言ってはなんだが、林さんの家に帰って問題ない」
「え……それは、本当に?」
「安心して家族と過ごしたまえ。……そこの明光寺光子だけは明日からにしてもらうがな」
ミコはすまし顔で肩をすくめているが、よく見ると口の端がわずかに痙攣していた。
地味にダメージを受けているようだ。サブローと今日過ごせないことになのか、なんらかの罰を受けることになのかは、出会ってまだわずかのフィリシアには判断がつかなかった。
「私は咎められるようなことは、なにもないのでしょうか?」
「そもそもフィリシアくんは我々の職員ではないからな。天使の輪を返却してもらえば一緒に帰って構わない。……後日我々に協力をしてくれるならありがたいがな。その際は必要なら再び天使の輪を渡すことを約束しよう」
「まあフィリシアさんが戦う必要はありませんし、二度と手にすることはないと思いますが」
「いえ戦うつもりですよ。オーマはまだ私たちの世界に居座っていますし」
サブローが慌ててフィリシアの両肩をつかむ。
「本気ですか!」
「はい。そもそも私がいないでどうやってあの世界に向かうつもりだったのですか?」
「いや、行き来さえ手伝ってもらえば戦う必要なんてないでしょう」
「お断りします。師匠さんもついてくれましたし、使い方を覚えます」
フィリシアは心配そうにしているサブローの瞳を覗き込み、安心させるために笑う。
「今度はあなたの傍で戦わせてください。足手まといはもう嫌なんです」
「でも、フィリシアさんはまだ子どもですし……」
「再来月に十五になると言ったではありませんか。私たちのところだともう成人だと認められます」
「この国では子どもですよ! ねえ、上井長官!」
サブローが同意を求めるが、長官は残念そうな顔を向けて説明をする。
「こちらとしても未成年である彼女に頼るのは不本意だが、その能力と天使の輪に選ばれた希少性から、異世界に送り込む戦力と見ざるを得ない。もちろん本人の同意があっての話だが」
長官はそれと、と言いながらサブローのインカムを奪う。
「毛利、しばらくは減給を覚悟してもらう」
『げ、やっぱバレてたッス』
さすが長官である。すべてお見通しだ。
一方のサブローはうろたえ、どうにか反論の余地を探していた。まったくしつこい人だ。
「まあ未成年なのはサブロー少年も、明光寺光子もそうだがな。それよりもそろそろ扉の向こうで待機している兄に会ってやってくれないか」
「兄さん……」
呆然とつぶやく彼の目が揺れる。下手をすると泣きだしそうに見えた。
会いたくして仕方ないのは、旅していたときの反応でよくわかっていた。
今のサブローは施設の前で不安になっていたときと同じである。
フィリシアは彼の右手を取り、扉に連れていくことにした。
「行きますよ、サブローさん」
「で、ですが……」
「大丈夫です。お兄さんとても会いたがっていました。それに……」
満面の笑みを浮かべたフィリシアは、優しい声色で告げる。
「ご迷惑でなければ、私が傍についています。安心してください」
不意を突かれたかのようにサブローは呆然とした。
やがて肩の力を抜き、声に明るさを取り戻す。
「よろしくお願いします」
嬉しそうに頼む彼に満足し、フィリシアが手を握る力を強くした時、
『うわ、すごい殺し文句ッス。ミコっち、やばいんじゃないッスか?』
「ケンゴ、うるさい」
聞こえてきた二人の会話に気分を害したため、インカムをそっと地面に置いてから足を進めた。
下山と挨拶をしてからサブローはとうとう兄と対面する。
気まずそうに視線を交わす二人は、どう声をかけていいかわからない様子だった。
血がつながっていないと聞いていたのだが、変なところで似ている兄弟である。
「サブローさんはずっとお兄さんに会いたがっていましたよ」
「え……本当か? サブ」
「…………あの日のことをずっと謝りたかったんです。僕のせいで兄さんを苦しめていたのに、最後に追いつめるような真似をしましたから」
「悪いのは逢魔だ。サブはあいつらに好き勝手された被害者なんだから気にするんじゃない」
イチジローがサブローの頭を撫でる。フィリシアたちの世界では強く頼りになっていた彼が、今日は子どものように思える日だった。
自分と同い年のころに優しい家族と離され、あのひどかった魔人たちに囲まれないといけない日々はどれだけ過酷だったのだろうか。
フィリシアは悲しくなってサブローの片手を自分の両手で包み込む。
「生きていてくれてありがとう、サブ。俺は、お前が死んだとばかり……」
「兄さんが気に病む必要はありません。あれは僕が自分で……」
「そう追いつめたのは俺だ。そもそもお前を誘拐されて、ずっと連れ戻せなかったのは俺が弱かったからだ。けどな……」
イチジローは慈しむように微笑む。いつか見たサブローの笑顔に似ていた。
「サブが帰ってきて、また家族として過ごせると知って、俺はとてもうれしい。それを叶えてくれたフィリシアちゃんには感謝してもしきれない。本当にありがとう」
「いえ、サブローさんの洗脳が解けたのは偶然です。それからずっと、私たちを助けてくれました。サブローさんがここに居る一番の理由は、本人が優しくて強かったからです。私たちはそれを知っています」
「……そうか。本当に自慢の弟だよ」
謙遜しようとするサブローに先んじて、フィリシアは動く。
「はい。サブローさんはとてもすごい人です。ですからもっと褒めてあげてください!」
「もちろんだ」
イチジローと一緒に笑い合う。間に挟まれているサブローは戸惑っていたが、やがて照れ臭そうに笑っていた。
◆◆◆
サブローとフィリシアは園長に引き渡し、施設に帰ってもらった。
逢魔対策本部の一室で長官とイチジローを前に、毛利とともにミコは沙汰を待っていた。
「まったくお前たち二人は! もう少し考えて動け!!」
イチジローに怒鳴られてミコは不満に思う。この兄だって似たような状況なら突貫したはずだ。
実際ミコの考えを肯定したような答えが、苦笑いをする長官によってもたらされる。
「イチジロー、薬の件を知って魔人に変ったお前が言えることではないだろう」
「長官! それは……」
「ハッハッハ、英雄さんは隊長のことが大好きッスからねー。だから巻き込まないようにミコっちと一緒にハブったんスよ。さすがに『魔人を殺す魔人』をガーデンで暴れさせるわけにはいかないッスからねー」
毛利が大きな身体をゆすって笑い飛ばす。声は男にしては高いのに、彼はやたら背が高かった。
顔の作りも充分年上であることを感じさせる。とはいえ敬う気はいっさい起きない。ある意味人徳だろう。
「連中も後ろ暗いことをしていた上に、一歩間違えれば逢魔の追撃が不可能になっていた。こちらの失点を相殺してもまだ責任を問われるだろう」
「ざまあッス」
「下山くんは私の部署に引き取ることに決めた。あそこではもう肩身が狭いだろうからな」
「あーよかったッス。自分たちが減給だけですんで、あいつだけ失業とか職場いじめとかにあったら後味悪かったッスからね」
「長官、ありがとうございます」
ミコは丁寧に頭を下げた。園長の次に世話になっている人だ。自然と言葉遣いもあらたまる。
「そういえばケンゴ、なんでサブのことを隊長って言い直しているの? 本人の前じゃないのに」
「え? だってこれからは隊長は隊長になるんでしょ。違うんスか?」
当然のように言われてミコは考え込む。
言われてみればガーデンの対逢魔作戦において、戦力を遊ばせておく余裕はないだろう。
なにせ魔人に対抗できる戦力は兄を含め四人しかいないのだ。フィリシアはまだこちらの職員ではないし、訓練も足りないので数に入れない。
おまけに向かうのは未知の土地だ。住民だったフィリシアは当然として、先に歩き知ったサブローも案内役として扱われるのが自然だ。
「となるとサブもあたしたちの班に入れるということですか?」
「そうなる。フィリシアくんと違い、彼の場合は強制となるのが申し訳ないのだがな。しばらく不自由をしてもらうことになる。早々に信頼を勝ち取れると私は信じているが」
「かしこまりました。それとフィリシアの件ですが、あたしが面倒を見ていいですか?」
「ぜひお願いしたいが、ずいぶんとやる気だな」
「妹になりますからね。逢魔によって不幸になったみたいですし、できるだけ力になりたいです」
「だったら今みたいに名前で呼んであげればいいのにって思うんスけど」
「……だってライバルでもあるもん。しかも強敵……」
「変なところで可愛いッスね、ミコっち」
毛利は大口を開けて下品に笑った。イラッときたので脛を蹴っておく。
痛みに悶えて静かになったので気分が清々した。
「とりあえずこれからはサブロー少年とフィリシアくんにも協力をしてもらい、異世界へ渡り、そして帰る手段を確立する。思った以上にその手の技術を把握していたようだし、我々の風向きが良くなってきた。……今度は逢魔を逃がさないよう、他の職員にも通達する」
その場にいる全員が一にも二もなくうなずく。全員が逢魔に借りがあった。そろそろ潮時のため、返してもらわねばならない。
ミコは机の下で拳を握る。もう二度と大切な人たちを失う気はなかった。




