四話:請け負ってそく行動
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「私は風の精霊術一族の族長の娘・フィリシアと申します。こちらは妹のマリーです」
フィリシアが自己紹介の後、事情をすべて説明した。
サブローはすべての情報を頭に入れながら状況を整理する。
精霊術、地球には存在しないだろう王国アエリア、魔法陣。
すべてが理解の外にあるが、逢魔にいたころにかかわっていた計画で関係がありそうなものがあった。
ケースK――そう呼ばれていた計画は異世界へと渡るという研究内容であった。
どういうわけか逢魔の首領は早い段階から異世界を信じており、戦力増強と同程度の優先順位で研究を進めさせていた。
逢魔の工作員の大半は眉唾物としてみていた研究だが、一部上層部が本気だったことをサブローは知っている。
まさかこの身で体験する羽目になるとは思わなかったのだが。
「――それで、魔人サブロー様に改めてお願いがあります」
「あの、サブローと呼び捨てで構いません。魔人も様も必要ありませんし」
「でも失礼ですし……せめてサブローさんと呼ばせてください。それで……先ほどのなんでも力になるということですが……」
言いにくそうにしている相手に、サブローはうなずいて先を促す。
「北の遺跡に風の精霊術一族の生き残りが集まっています。私たちも含め、転移の祭壇まで守ってもらえないでしょうか?」
「了解しました。これから先よろしくお願いします」
サブローはにっこり笑って右手をフィリシアに差し出した。
彼女は眼を見開き、差し出された右手をみつめて戸惑っている。
「そんなあっさりと……ほ、本当によろしいのですか?」
「あっさり? もしかして僕がなにか失礼なことをおっしゃいましたか? 話を引き受ける際はなんらかの手順が必要だとか」
「い、いえ。そうではなく、なにか見返りとかは……」
「見返り? フィリシアさんは不思議なことを言いますね」
サブローは自分の胸を叩き、朗らかに返した。
「欲しいものはもうもらっていますよ。命を救ってもらいました」
「命を? あの回復術のことですか?」
「はい! 僕は死にたくありませんでしたので、あの魔法はすごく助かりました。お二人は命の恩人です。むしろ僕に恩を返させてください」
「……わ、わかりました。よろしくお願いします」
ようやくフィリシアはおずおずと右手を握り返してくれた。
サブローは嬉しくなって握り返したが、彼女が顔をしかめたため、慌てて手を放し謝罪に移った。
「申し訳ありません。強く握りすぎましたか?」
「いいえ、違います。先ほど王国兵に蹴られたお腹が痛んで……」
「お腹を蹴られた!? それは大変です!」
サブローの大声にフィリシアがびくっと身体を緊張させたが、サブローは気づかずにウェストポーチの中身を漁る。
「湿布をとりあえず貼っておきましょう。いや女の子のお腹を冷やすのもダメですね。患部を温めるタイプの湿布が……ありました。あの、フィリシアさん。血は出ていませんか? 消毒液も持っていますが?」
「い、いえ……血は出ていません。その白い布が湿布なんですか?」
「はい、裏面に薬が塗ってあるのでフィルムをはがしてから、お腹に貼るだけで終わりです。貼った個所が温かくなるのでお腹も冷えません。あ……そういえば貼るには服をまくり上げる必要がありますか。僕は少し離れていますので、貼り終えたら追いついてくださ……」
「いいえ! あ、あの、あちらを向いているだけで構いません。すぐに貼り終えます」
フィリシアの必死な懇願はせっかくつかんだ幸運を逃したくないという心理から来たものだ。
戦力になる魔人が逃げるかもしれないという猜疑心だったが、サブローは全く察せずに別の理由で眉をしかめた。
「いや、それは失礼にあたるのでは?」
「私はそれで問題ありません。あまり一人にならないでください」
渋々とサブローは了承し、身体ごと背を向けて目を閉じた。ごそごそと衣擦れが聞こえ、妙に落ち着かない。
昔からこの手のことには免疫がなかった。
「もうこちらを向いても構いません。……本当に簡単に貼れますね」
「ま、まあそういう風に作られた製品ですしね」
「あれ? サブローさん顔あかいよー。どうしたの?」
「いえ、その……僕の身体は魔人にならなくても身体能力が普通より高くなっています。聴覚もそうでして……衣擦れの音も正確に拾ってしまいました。その、本当、すみません……」
マリーの疑問に対し、サブローはますます顔を赤らめながらしどろもどろに答えた。
声の後半は消え入るように小さくなっていく。
サブローに釣られたせいか、フィリシアも頬を染めて返事をする。
「き、気にしないでください。私自身が申し上げたことですし……」
「いえ、だとしても説明しなかった僕が悪いです。本当に申し訳ありません」
一度深々と謝り、サブローは思考を仕切り直す。
非常事態に色ボケするわけにはいかないし、相手も気持ち悪く思ってしまうからだ。
幾分か調子を取り戻したサブローは先導することを提案し、祭壇を閉じてから三人で洞窟を抜け出すことにした。
しばらくはサブローが先頭に立ち、マリー、フィリシアという並び順だったが、やがてマリーがサブローの隣に並んで話しかけてきた。
「ねえ、サブローさん。サブローさんは魔人なんだよね?」
「はい、そうですよ。って、危ない」
サブローは転びそうになったマリーを一部だけ変化して生やした触手で受け止める。
シャツの端から現れた触手を興味深げに見ているマリーをきちんと立たせ、転ばないように手をつないだ。
「ありがとう!」
「どういたしまして。マリーさん、ちゃんと前を見て歩かないと危ないですよ?」
「うん、きをつける。それでね、サブローさんは魔人だけどものを壊したり人間をいじめたりしないの?」
「そういうのは苦手ですね。みんな仲良くが一番ですし」
「じゃあサブローさんはやさしい魔人さんなんだ!」
「優しい……どうでしょうか? 同僚の魔人には臆病者とか落ちこぼれだとかは言われていましたが」
サブローは顎に手を当てて思案する。彼にとっての優しい印象を持つ相手は兄であり、そのうえ強かった。
優しい男とは兄のこと言うだろう、と結論をつける。
「あのね、サブローさんにおねがいがあるの」
「はい、なんでしょうか」
「マリーはね、ずっとおにいちゃんが欲しかったんだ。だからサブローさんのことをおにいちゃんって呼んでもいい?」
懐かしい響きに、思わずサブローは足を止めた。
首をかしげなら見上げるマリーと目が合い、言葉を失う。
「マリー、さすがに失礼ですよ」
「えー、でもおねえちゃん……」
「でもではありません。サブローさんも固まっているじゃないですか。
あの、すみません。妹が失礼なことを……」
「ああ、いえ。失礼でもなんでもありません。ただ、懐かしくて」
「なつかしい?」
無邪気に見つめるマリーに対し、サブローはひざを折って視線の高さを合わせた。
自分の頬が緩むのを感じながら、優しく話しかける。
「はい。僕は魔人になる前は施設に暮らしていました。そこで下の子どもたちの面倒を見ていましたので、よくお兄ちゃんと呼ばれていましたよ」
「ほんとう? じゃあマリーもそうよんでいい?」
「もちろんです。好きなように呼んでください、マリー」
「わーい、やったー!」
無邪気に喜ぶマリーを見ながら、サブローはふとフィリシアに許可を取った方がよかったかと思う。
魔人である自分を妹が兄と呼ぶのは面白くないかもしれない。
サブローは立ち上がりながらフィリシアの方を見ると、驚きと戸惑いに満ちた表情が視界に入った。
「フィリシアさん?」
「あっ、すみません。……魔人は生まれたときからずっと魔人だと思っていました。人に化けることができるのは物語や文献にありましたが……」
「あーなるほど。僕の世界でも魔人が元人間だと言う情報は伏せられていましたからね。魔人は基本化け物に変わる力を与えられた人間です。……厄介なことに」
サブローは過去の逢魔の悪行を振り返り、嫌悪が漏れ出してしまった。
その行為に加担したのは、洗脳されたとはいえ自分だ。
マリーの小さな手を握る。この姉妹たちの願いをかなえ、その生活が安定したあかつきには元の世界に帰りたい。
サブローは拾った命を贖罪のために使いたいと、強く願った。