三十六話:助けに向かいます
「落ち付きたまえ、明光寺」
フィリシアの父よりも一回り年を取ったような男性がイチジローを制止する。
声をかけられたイチジローはハッとして、フィリシアに頭を下げながら優しく手を放した。
「それにしてもこの騒ぎはどうしたんだ? タマコ、ケンジ」
「サブ兄貴がガーデンに連れていかれたんだよ! 保安部とか言ってた」
「保安部だと? ……最近こそこそしていると思っていたが、ここまで派手に動くとはな」
そう言って中年男性は目線を落としてため息をついた。
イチジローがゆらりと動き、無表情を男へ向けた。
「長官、この場をお願いします」
いうが早いか、イチジローの身体が光ってその身を変える。
甲冑のような外装が身体をぴったりと覆い、鉄のバイザーが降りて蒸気を吐き出す。サブローの兄も魔人と聞いていたが、外見はとてもそうとは思えない。なにか魔人とは別の存在のように見える。
彼が腰をしずめ、跳躍の準備をしているとフィリシアは察して左腕をつかむ。
「待ってください! サブローさんの元に向かうなら、私も連れて行ってください!」
「やめたほうがいい。今、俺は大暴れするつもりだ」
「向こうについたのなら私を放置して構いません! 自分の身は守ります。それに私の探索術ならサブローさんを簡単に見つけることが……」
「まずは気を静めるんだ、異世界の少女。明光寺、お前もだ。魔人を暴れさせるわけにはいかない」
長官が「異世界の少女」と呼んだことに、辛うじて残っていた理性が反応する。
「しかし、サブが生きていたのに!」
「味方である魔人のお前が暴走すれば、連中はそこをつく。元敵であり、洗脳が解けた魔人もつられて信用されなくなる。弟のために今は耐えろ。私が悪いようにはさせない」
目の前の魔人はだいぶ迷っていたように見える。魔人のサブロー以上に表情の見えない顔をうつむかせ、やがて人間に戻った。
戸惑う施設の子どもたちを代表し、園長が前に進み出る。
「サブローのことも気になりますが……上井長官、フィリシアさんのことを『異世界の少女』と呼んだのはどういうことですか?」
「聞かされていなかったのか? 君がケースK案件だと伝えたから、彼女たちの素性も明かされていると思ったのだが」
「サブローがそう伝えてほしいと言っていただけです。内容はまだ確認していません」
長官は困ったように「ふむ」とつぶやいてイチジローと視線を交わす。
話が伝わっていないことに判断をしかねているようである。その二人を前に、エリックが前に出た。
「ケースKとは、オーマがぼくらの世界に逃げ込むための計画だったそうです」
「エリック……?」
呆然とつぶやくケンジに頭を下げてから、エリックは続けて園長にも謝罪を始める。
「このことを隠していたのは、異世界の存在をみなさんに信じてもらえる自信がなかったからです。他意はありませんし、サブローさんがみなさんを信頼していないということはありません。申し訳ありませんでした」
「そうだったのですか。むしろ気を遣わせてごめんなさい」
「いいえ、そんなことはありません。みなさんにはよくしてもらいました」
「我々ガーデンはその世界を観測し、魔人を一人と七人の人間が送られてくるのを発見した。見たところ、君たちで間違いないな?」
エリックは頷き、身体をまっすぐ長官へ向ける。
「それとガーデンの方に伝えたいことがあります」
「……良い目をしている。続きを頼む」
長官がエリックを見据え、力強くうなずく。
「オーマが潜伏しているぼくらの世界に行くことは簡単にできます。ですが、そのぼくらの世界から帰ってくるにはサブローさんが必要になります。これでサブローさんを丁重に扱う理由ができるはずですよね?」
言い終えると同時にエリックは深く腰を曲げる。
「ですからどうか、サブローさんを助けてください! あんな扱いをされて、返しきれない恩があるのになにもできなくて、ぼくは……」
「よく言ってくれた少年! 安心したまえ。サブロー少年のような未来ある若者を失う真似など、私が許さん。まずは施設の子どもたちと一緒に彼の帰りを待っていたまえ。林さん、その少女と一緒に同行してくれないか?」
「もちろんです。今回は意地でもついていきます。フィリシアさん、無理でしたら待っていてもよろしいですよ」
「行きます! 絶対に、行きます!」
長官は頷き、車とサブローが呼んでいた鉄の箱の扉を開けて中へ誘った。
「私の名は上井喜敏。ガーデンの逢魔対策本部の長官をやっている。よろしく頼む」
「……風の精霊術一族の族長の娘、フィリシアです」
フィリシアはこの世界に来て初めて、自分の立場をすべてを明かして自己紹介を終えた。
窓の外の景色が次々変わる。傍にサブローがいれば物珍しさで目を輝かせていたかもしれないが、今のフィリシアはそんな気分になれない。
自然と視線は下がり、視界が涙で揺れていた。
「フィリシアさん、少し良いかしら?」
園長の優しい呼びかけに応えて顔を上げる。
彼女はフィリシアの肩を抱き寄せ、淡く輝いた。
「これは……?」
「しばらくそのままで」
園長の言葉従い、フィリシアはされるがままに身体を預けた。
淡い光が己の身体にまとわりつくのを見届けると、心も落ち着ていく。
数分間まるでゆりかごの中にいるかのような気分に浸っていると、いつの間にか涙が止まっていた。
「林さん、相変わらず優しいギフトだな」
「ギフト? この光が園長先生のギフトなんですか?」
「ええ。私のギフトは相手の心を少しだけ落ち着かせる事ができます」
「……本当に優しくて素敵な力だと思います」
園長は微笑みながら礼を言う。
その隣でずっと厳しい顔をしていたイチジローがようやく顔を綻ばせた。
「その力で子どもころはよく安心させてもらっていたな」
「そうですね。この力は子どもたちには便利でしたから。一度も必要としなかったのはサブローくらいです」
園長の明かした事実にフィリシアは驚く。同時に納得もあった。
人を心配することや施設の前で見せたように不安になることはあっても、恐怖の感情を見せることがなかったからだ。
そのことを伝えると、イチジローはなにかを思い出すように腕を組んで宙を見つめた。
「恐怖を感じないってことはなかったと思う。けど引きずらないし、それ以上に人のことを気にかける奴だったからな」
「フィリシアさんの話を聞いた様子だと変わっていないそうですよ。私の前でも相変わらず可愛いサブローでした」
「ハハッ、あいつらしい。俺のせいで逢魔なんかに連れていかれたのにな」
イチジローの拳が強く握られる。その瞳には悔恨の色が濃かった。
「あの事件は我々の落ち度だ。明光寺の家族が狙われるのは想定して相応の戦力を待機させておくべきだった。あの日以来施設の警護を強化したが、後の祭りだったな」
「いえ、イチジローも上井長官も悪くありません。悪いのはサブローの幸せを奪った逢魔ですから」
園長が静かな怒りを秘める。フィリシアも心の底から同意した。
自分たち風の一族だけでなく、こんなにいい人たちも苦しめたことは絶対に許せない。
「あ、今のうちにお尋ねしたいことがあります。ガーデンの保安部はあなた方とは協力していないのですか?」
「協力していないというか……保安部は以前ならガーデンの花形部署だったところだ。我々が成果を上げていくにしたがって立場を弱くしていった。今回のことは逢魔の居場所を突き止め、自らの手柄にするための暴走だろうな。潜伏先など上層部もとっくに知っているというのに」
フィリシアの問いに答えてくれた長官に礼を言う。同時に落ち着いたはずの胸が再びざわつき始めた。サブローの身の安全は期待できそうにないからだ。
「このことは各部署に連絡済みだ。危険が及びそうなら知らせが来るようにしてある。安心しろはいわんが、今は堪えてくれ。明光寺、お前もだ」
フィリシアは一応は頷き、精霊王へサブローの無事を祈る。その姿を確認した長官が前の座席の人間に急ぐように伝えると、乗り物が加速した。
身が焦がれるような思いを抱き、フィリシアはサブローの声が無性に聞きたくて仕方がなかった。




