三十五話:連行されました/現れる兄
「ハハハ! アレス、お前面白い奴だな!」
「ケンジの方も笑えたぜ。サブローにーちゃん昔から面白いなー」
なんだか意気投合している二人を見て、戻ってきたサブローとフィリシアは呆気にとられた。そのことに気づいたエリックが近寄ってくる。
「どうでしたか?」
「はい。私たちはここに置いてもらえるそうです。それとガーデンには私がついていきます。園長先生がサブローさんの洗脳が解けたことや、オーマのことについて今連絡に向かいました」
「ぼくも同行しましょうか?」
「いえ、エリックくんはここでマリーたちをお願いします。サブローさんの面倒は園長先生と協力して私が見ますから」
エリックが同意してガーデンについていくのはフィリシアだけとなった。
しかし今しがた面倒を見ると言っていなかっただろうか。サブローはとても不可解であった。
疑問に思っているとタマコがフィリシアに突進して抱き着いた。
「タ、タマコ……どうしましたか?」
「フィリシア、聞いたよ。辛かったね、怖かったね」
タマコが感極まって力いっぱい抱きしめている。どうやら彼女たちのこれまでを聞いたらしい。
「私はもう大丈夫です。サブローさんがずっと助けてくれましたから」
「うん、うん。サブお兄ちゃんよくやった!」
「頑張りすぎてときどき心配になりますけども」
「……それも聞いた。ごめんね、こんなお兄ちゃんで。全然変わっていないみたいだからびっくり」
「さっきから僕の扱いがひどくないでしょうか……」
ぼやきながらもサブローは悪い気分ではなかった。ずっとここに戻ることを夢見ていたのだ。諦めていたはずの居場所だ。
フィリシアたちの安全も確保できていうことはない。後は逢魔を倒せばすべて解決である。
「おにいちゃん、こっちきて!」
思考に更けていたサブローの手を、マリーがとって誘った。ずっと別室にいたから構ってほしくてしょうがないらしい。
頭を撫でてから足を踏み出したとき、魔人の鋭い感覚が働いてしまった。
「……すみません、マリー。少し用事が出来たようです」
「ようじ?」
サブローは聞き返すマリーの手を優しく離し、フィリシアに声をかけられる前に駆けだす。
今日だけでもここで過ごしていたかったが、そうもいかないらしい。仕方のないことなので、苦笑い一つで済ませた。
サブローは勢いよく靴を履いて施設の外へ出る。
追いかけてくる兄弟やフィリシアたちの気配を背に、虚空に向かって呼びかけた。
「抵抗をしないので、家の中へ突入するのはやめてください」
両手をあげ無抵抗であることを示す。瞬間、ネットが広がってサブローの身体を捕らえた。
「サブローさん!」
兄弟たちの悲鳴や、自分の名を呼ぶフィリシアの声が聞こえる。助けようとする彼女の姿勢が見えたので、首を横に振って制止した。
もっともその必要はなく、隠れていた特殊部隊じみた装備の人間に押し止められていたのだが。
「魔人一体確保!!」
突きつけられた銃口を諦めて眺める。警棒で殴られるが頑強な身体のため痛みは感じない。
兄弟やマリーたち低年齢組の教育に悪いので、暴力沙汰は抑えてほしいのだが。
「怪魔人の海神三郎で間違いないな?」
魔人の正式名称を使って尋ねてきたため、彼が隊長だと判断する。頷いて肯定し、流れに任せた。
「殊勝な態度は褒めてやる。キサマの身は我らガーデンの保安部が預かろう」
「保安部? 逢魔対策本部ではなく?」
正直言って違いはわからないのだが、サブローたち魔人に対処をしていたのは逢魔対策本部である。兄もそこに所属していた。
「反論は許さん! しょせんは魔人だ。相応の扱いは覚悟してもらうぞ」
「はい」
サブローは短く答える。異論はない。周りの隊員が迫ってくるのを静かに待った。サブローとその隊員の中間を、空気の塊が飛んで地面にヒビを作る。
「な、なんだ!?」
「…………てください」
風が吹き荒れる。なんだか嫌な予感がしてサブローは首だけを動かし、声の主を見た。
かつてないほどフィリシアが表情を失くし、周囲に多くの風の精霊を具現化させている。あれほどの精霊を彼女が呼び出したのは初めてだ。
「サブローさんを放してください」
「ギフト!? お、おい。お前らその女を止めろ!」
「ふざけんな! なんでサブ兄貴を捕まえようとするんだよ!」
「そうです。サブローさんは洗脳が解かれています。連絡もしたはずです」
ケンジとエリックがそろって抗議する。隊員の一人が鼻で笑った。
「魔人の洗脳が解けたなんて、今までできなかったことがこいつだけなぜできた? 信じられるか!」
「その証明は簡単にできます。他に洗脳されている方がいれば、すぐにでも――」
「それに洗脳が解けようとこいつは魔人だ。隔離されるに決まっているだろう」
優しいエリックが怒りに言葉を失っていく。サブローとしては想定内なので、あまりショックを受けてほしくなかった。
視界の端でフィリシアがゆっくり動く。嫌な予感がして彼女を注意しようとしたとき、急いだ様子の園長とともにてタマコが姿を見せる。
どうやら園長を呼びに行っていたらしい。一緒になって息を切らしていた。
「これはどういうことですか!」
園長が周りを見渡してから、鋭い視線を隊長らしき人物に向けた。向けられた方はひるまず、ゆっくりと説明を始める。
「どういうこともなにも、街中に現れた魔人を確保しに来ただけです」
「確保……? サブローは洗脳が解け、こちらに協力する姿勢なのは伝えたはずですが」
「わたくしどもには届いていませんな。あなたと親しい魔人係に連絡を入れたのでしょうが、治安を守るのは我々の管轄です」
魔人係は逢魔対策本部の蔑称だと、サブローは聞いたことがあった。発足して長い間成果を上げられなかったかららしい。
兄が活躍したことでもう呼ばれることはないと思っていたのだが。
「でしたら問題はありません。後は私が連絡を入れた逢魔対策本部の方々が対応してくれます。彼らが来てから引継ぎをお願いしましょう。まずはサブローの解放をお願いします」
「冗談ではありません。兵器と言っても過言ではない魔人を解放などと。あのですね、林さん。魔人を匿うなんて、貴方の施設に出資している上層部が知ったらどう思うのでしょうね?」
「きたねえ」
ケンジが嫌悪から吐き捨てるが、サブローはその可能性も考えていたので驚いてはいない。だから大人しくしていたのだが、今の発言はまずかった。
「構いませんよ。好きに報告してください」
揺るがぬ意思をもって園長は隊長に詰め寄る。
やはり火に油を注いだだけのようだ。
「もともとギフト持ちの子たちを保護しているからと、あなた方の組織が協力を申し出ただけです。この家の維持の方法なんていくらでもあります。そんな低俗な脅しをかけられた程度で、自分の子どもを諦める親にはなりたくありません」
隊長が鼻白み、園長はさらに踏み込む。
「早く解放しなさい! うちの子に手をあげていい資格なんて、誰にもありません!!」
上品だが細い年配の女性に、屈強な隊長が気圧されている。
彼女はそういう人だ。魔人になってしまった自分でさえ、子どもだと言ってくれる。だからこそサブローは迷惑をかけたくなかったのだ。
「そ、そうはいきません。魔人は扱いを慎重にせねばどんな被害が出るかわかりませんので。お前ら、魔人をトレーラーに運び込め。ついでに林婦人はお疲れのようだ。丁重に中へお連れしろ」
強引に話を打ち切る隊長に家族や友人の非難が集中する。園長も抵抗するが鍛えられた男性の力には敵わず、その場を離れていった。怪我をしないでほしいとサブローはただひたすら祈る。
唐突に衝突音が響き渡った。
トレーラーの装甲がわずかにへこんでいる。変化していないとはいえ魔人の視力だからわかるほど、小さなへこみだった。
だがそのへこみは次々増えていく。空気の塊が送り込まれていたのだ。
「フィリシア?」
「放せ……」
心配そうに声をかけるタマコすら目に入らず、フィリシアが風の塊を無差別に放出し始めた。
「サブローさんを、放せ!!」
丁寧な言葉を失くすほど怒り、精霊たちを暴走させる。フィリシアは我を忘れていた。
「なにも……なにもわからないくせに! どれだけ優しいか、どれだけ私たちを助けてくれたか、知らないくせに勝手なことを言うな!!」
「隊長、どうしますか!?」
「やむを得ない。鎮圧用の装備を用意しろ」
まずいと思ってからのサブローの行動は早かった。
身体の一部を変化させ、触手を一本伸ばす。フィリシアの身体を巻き取って拘束し、門に縛りつけて切り離した。
「!? サブローさん、どうして!」
「い、いまだ。魔人を運べ! 林婦人、魔人を匿っただけでなく、危険なギフトを暴走させたことも報告させてもらいます! それでは!!」
隊長の行動は早く、サブローを運び込んで撤収する。冷たい床に乱暴に転がされ、魔人の力を封じるらしい首輪がはめられた。こんなものを作っていたとはサブローも知らない。
とはいえ、そんなことはどうでもよかった。鉄格子が重い音をたてて閉められてから、壁に背を預ける。
ただひたすら、フィリシアが無事であることに安心していた。
◆◆◆
「なんで、どうして……」
涙が止めどなくあふれてくる。フィリシアはただただ悔しかった。
いつも助けてもらっていたのに、サブローの危機には役立たずだ。無力感に襲われ、心が痛い。
「やだ、やだ、やだ~」
「おねえちゃん……」
涙目のマリーが駄々っ子のように嗚咽するフィリシアに抱き着いてくる。
サブローがそばにいない。ただそれだけで心の均衡を失ってこの様だ。
タマコも辛いだろうに背中を撫でて慰めてくれる。悲しいのは自分だけでないとわかっているのだが、心はいっこうに落ち着かない。
「やだ、いかないで……」
フィリシアが心からの願いを呟いたとき、触手が断ち切られた。自由になって泳ぐ身体を、優しく抱きとめる手があった。
「大丈夫か?」
優しい声に泣き顔をあげる。穏やかだが意志の強そうな男性の顔があった。どことなくサブローを思い出し、胸がきゅっと締まる。
「サブローさん……助けに、行かなきゃ」
助けてくれた相手を無視する形になったが、フィリシアは気にする余裕がなかった。自由になった身体に力を入れたとき、より強く肩をつかまれた。
「サブを、サブローを、弟を知っているのか!?」
「サブローさんを、弟?」
男の顔をもう一度見上げる。大切な誰かを心配する感情がそこにはあった。
「イチお兄ちゃん!」
タマコが嬉しそうに叫ぶ。彼女がサブロー以外に兄と呼び慕った。
つまり――――
「俺の名前は明光寺一治郎。あいつの兄をやっているんだ。頼む、どこかに行ったのなら教えてくれ!」




