三十一話:銭湯に湯こう
「早めにこの世界のお金の価値を把握しませんと危ないですね」
「フィリシアさん、あと支払方法も気をつけませんと。サブローさんの会計方法がいまいちわからなかったので、その辺も調べましょう」
賢い二人が聞こえるのも構わず相談している。靴も買い込んでプレゼントしたのにこの言い草であった。
もちろん感謝はされたのだが、今の扱いは納得がいかない。とりあえずコインロッカーに今は使わない服をしまう。
レンタカーを借りる選択肢もあったのだが、次の目的地は近かったので無駄になる。最低限の着替えと靴を持ち、途中のドラッグストアで必要な物を買い込んで、フィリシアたちを銭湯へと案内した。
「温泉に行けなかったのは残念ですが、こちらが前に説明した銭湯です。着替える前に旅の垢を落としましょう!」
「へー、けっこうおっきいな」
感心するアレスを連れて、代金を支払って男女に分かれる。
フィリシアにはシャンプーとリンス、ボディーソープに化粧水と乳液を説明しながら手渡した。
向こうの世界にも石鹸があるため、彼女は髪や身体を洗うシャンプーなどにはすぐ理解を示したが、化粧水と乳液には驚かれた。
「肌の手入れですか。けっこう細かい人なんですね、サブローさん」
「というか癖で買ってしまいました。久々の故郷だから妹たちに買っていくノリでつい」
そういえば逢魔でも似たようなことを言われた覚えがあった。当時の記憶を呼び覚ました瞬間、サブローは動悸が激しくなる。
あれは鰐頭やギャンブル狂の魔人と違って、あまりいい思い出ではない。
フィリシアやマリーたちの笑顔を見てから心を落ち着け、今度はアレスたちも呼んで銭湯でのマナーを説いた。
久々の銭湯で壁を背に身体を洗う。
賢いエリックはもちろん、クレイやアレスも倣って全身の泡を落としていた。
爪先まで綺麗にしながらも、またも視線が痛い。
今度はエリックたちではなく、自分に集中している。
まあ身体の古傷が原因であるが。入れ墨のように出禁にならないか少し心配である。
湯船につかるためにエリックたちとともに向かうのだが、途中人に避けられてしまった。
すっかりその筋の人だ。
「なんか見覚えのある顔がいると思ったら、懐かしいじゃねーか」
声をかけられて顔を向けると、この銭湯のヌシと言われる男がいた。
「ゲンさん、お久しぶりです」
「んー待てよ。今名前を思い出すからな。あーゴローだっけ?」
「サブローですよ。まあ四年も経っちゃいましたからね」
それもそうだ、とゲンが笑い飛ばす。
「さすがサブローにーちゃんの故郷だな。歩く端からにーちゃんの知り合いにでくわすわ」
「ほー元気がいいな坊主。なんだこいつらもお前んとこの施設の子どもか?」
「坊主じゃねえ、おれはアレス。施設ってのはまだわからねー。けどにーちゃんと家族になれるなら、わるくないかも」
サブローが答える前に、アレスが嬉しいことを言ってくれたので思わず撫でる。すぐに鬱陶しそうに振り払らわれた。
「……昔は施設のガキどももよく来たもんだがな。お前さんが誘拐されてからはすっかり来なくなっちまった」
「知っていたのですか」
「お前んとこの兄弟が頑張ってビラ配ったりしていたからな。ちと見ていられなかった」
ゲンはサブローの身体を見て痛ましそうな顔をした。
迷惑をかけてしまったとサブローはため息をつく。
「まあ帰ってきたならまたあいつらと、その新しい兄弟を連れてきな。あのガキどもが見えると賑やかでいーもんだ」
朗らかに告げるゲンに頷き、エリックとクレイも紹介する。
そのあとは昔のサブローの話に花を咲かせた。
身体を拭き終わり、ふと隣を見るとアレスが精霊に頼んで髪を乾かしていた。その様子を身体で隠しながらえらい便利そうだとみていると、エリックが状況を察してこっそりと同じ術でサブローの髪も乾かしてくれた。ドライヤー要らずである。
すっきりした後は買い込んだ服を着ていく。自分の服装は異世界にわたる前とあまり変わりない。着慣れたものが一番である。
「やっぱサブローにーちゃんはその恰好が落ち着くな」
「最初に見た印象というのは強いですからね」
カジュアルな印象にまとめた服装に着替えたアレスを返答しながら眺め、なかなか様になっている様子に満足する。
エリックは落ち着いた色合いでイメージに合わせ、クレイは少し派手目の服でギャップを見せた。
サブローはそこそこの満足度でまたいろいろ買って試したい欲が湧く。
エリックにまた小言を言われそうなので、口には出さなかった。
「けどまー服はすげー着心地いいけど、とらんくす?ってのはけっこう違和感あるな」
「まあそのうち慣れますよ」
「ぼくはあんまり気にならないんだな。大きめだからかな?」
トランクスの感想で騒がしくなりながら、コーヒー牛乳を購入する。
フィリシアたちの分ももちろん買っておいた。
銭湯の外で待ち、状況が園長の趣味である昭和歌謡曲みたいだとなんとなく思った。
「お待たせしました」
フィリシアたちが出てきたのを確認し、コーヒー牛乳を手渡す。
マリーが活発で明るい印象のミニスカート姿ととても似合う格好ではしゃいでいた。
アイはおとなしめのゆったりとしたワンピースで控えめに笑っている。
とりあえず二人とも撫でておく。
「甘い……」
コーヒー牛乳の味に不満そうなアリアは動きやすそうなパンツルックだ。
彼女のイメージ通りではあるのだが、もう少し着飾ってもいいと思う。
そして肝心のフィリシアだが、
「似合わないですか?」
「いえ、とても似合っています。似合っていますが……スカート短くありませんか?」
サブローは思わず顔を赤くして距離をとる。
エリックたちは「またいつもの発作か」と呆れ顔だ。
言われた当人であるフィリシアは機嫌よさそうにスカートの裾をつまんでいる。
「その反応を見るとこれで正解だったようですね。店員さん、ありがとうございます」
「それはそうなんですが……」
ゆったりした風の一族の旅装束と違い、薄い布地はメリハリのきいた彼女の身体の線をはっきりさせる。
ここに転移する直前抱き着かれたのでわかっていたことだが、十四の割に発育がいい。
フィリシアは無防備なところがあるので心配である。
そのことを隣のエリックにささやいたら、すごい目で睨まれた。
「え、あれ? エリックさん、どうしました?」
「なんで……あなたは……」
エリックはフィリシアに同情の目を向けてから、額に手を当てて溜息を吐く。
その反応がサブローは不思議でしょうがない。なにか地雷を踏んだのだろうか。
「……いまエリックくんにすごい目で見られましたけど、サブローさんなにを言ったのですか?」
「気にしないでください。いつものサブローさんなので」
だんだんエリックの扱いが雑になってきた。その態度に委員長であった友人の姿がダブる。
親しくなればなるほどこの手の人物はサブローの扱いが乱暴になる傾向があった。
もっと大事にしてほしい。
次に近くの電気屋に寄って、魔法陣の画像をプリントする。
フィリシアとエリックに確認してもらうと、ちゃんと魔法陣として機能するらしい。
お手軽すぎて拍子抜けだが、これで帰り道はほぼ確保したことになる。
スマホから画像を保存した記憶媒体を取り出し、エリックに預ける。
「これは?」
「魔法陣の画像を入れているカードです。使い方はあとで教えます。僕以外にも説明できる人は多くいますし」
「こんな小さな豆粒みたいなカードで……」
信じられないものを見たといった様子で、賢い少年は慎重に封筒に収めた。個人的に使っているネットの共有ドライブにもアップロードしていたので、後で説明をしようと思う。
彼らの帰り道と、異世界の危機がかかっているのだ。慎重になりすぎるくらいがちょうどいい。そういえばとついでにプリントした写真を配る。
「これはあの花畑での?」
「はい。ついでに写真にしてみたのですが、迷惑ですか?」
「まさかとんでもない」
エリックが笑顔を浮かべて答えてくれた。
ほかのみんなも配ると喜んでくれたのでサブローも満足する。
「やるべきことはだいたいやりましたし、まずは腹ごしらえしますか。お店でご飯を食べに行きましょう」
「え、ほんとう!」
マリーがより明るくなったので、サブローも笑みが深くなる。
対し、フィリシアが心配そうに袖を引いた。
「あの、あまり高いところはよしてくださいよ」
「そこは安心してください。そもそも僕はここに十五までしか居られませんでしたから、高級料理店の場所なんて知りません」
中学生の行動範囲なんてたかが知れている。
回らない寿司に彼女らを連れていきたい思いはあったが、市内に存在するかどうかすら怪しい。
安堵しているフィリシアに複雑な思いを抱きながら、全員の顔を見回す。
「よく弟たちを連れて行ったファミレスにでも行きましょう」




