二十六話:勇者との別れと新たな問題
「いや、本当にダメなんですよこういうこと。フィリシアさんがダメとかいうわけではありませんよ。むしろ魅力的すぎていろいろとまずいことになります。……いえいえ、本当に柔らかくていい匂いが……って僕はなにを言おうとしているんですか!? うわー、うわー、今の僕を見ないでください。絶対無様なことになっています。本当お願いします! ああ、誰か僕の記憶を数時間消してください。今後どうやってフィリシアさんと顔を合わせればいいんですか!?」
「アホなことやっていないでとっとと正気に戻りなさいよ」
屈んで赤くなった顔を両手で覆うサブローは、ドンモに冷たくあしらわれた。
フィリシアが申し訳なさそうに身を小さくしている。
「すみません、サブローさん。あまり考えなしで……」
「つうかにーちゃん、それ逆。普通マリーのねーちゃんがそういう反応するべきだからな」
「わかっていますよアレスさん。ですが僕の免疫のなさを甘く見ないでくださいよ。一ヶ月はひきずりますからね、この件!」
「ひきずりすぎだ! にーちゃんなんでちょくちょくアホなの!?」
アレスの無遠慮なツッコミが耳に痛い。サブロー自身でもどうしようもない一件だからもう少し優しくしてほしかった。
インナがフィリシアを抱き寄せてよしよしとしていた。
ゾウステはなんか哀れなものを見る目をしていたし、エリックとアリアは顔を引きつらせている。
まあサブローもいつまでこうしているわけにはいかず、なんとか気合を入れて立ちあがる。
「サブローさんもういいんだな?」
「ありがとうございますクレイさん。あなただけが僕の味方です!」
「いや、ぼくもそれはどうにかした方がいいと思うんだな。これからが大変なんだな」
「……サブローさん、こういう時はけっこうダメな人?」
アイからもそういわれて、サブローはへこんだ。
魔人との戦いを終えたはずなのに、なぜか緊張感のない流れになっている。
数度深呼吸をして心をしずめ、インナに頼んで斉藤が殺した女性を悼むことする。
この国で主流の悼み方を教わってから行い、心の中で手のひらを合わせる。
この世界でも逢魔の犠牲者が出てしまった。世界移動を成功させたのは驚きで、しかもここには兄はいない。
現地の人たちと力を合わせて戦わなければならないだろう。
その旨を伝えるため、ドンモと話をする必要があった。
「ラムカナさん、いいですか?」
「やっとまともに戻った。言いたいことはわかるわよ。そのために魔人の首を回収したんだから」
ドンモはそういい、サイとワシの魔人の首を指した。
やはりそうか、とサブローは頷く。
「地の一族のところまで送っていきたかったけど、少し予定を変更しましょう。アタシたちはこの二つの魔人の首を持って王国の陣営に戻るわ。こいつらから聞いたことを伝えにね」
「えー、インナおねえさんたち、いっしょに行ってくれないの?」
「行きたいけど、さすがに王様がすげ替えられていると聞いたらね。ごめんね、マリー。ちゃんと将軍に忠告して、教会にも動いてもらうために私が向かわないといけないの。冒険者ギルドの方はラムカナたちが動かないとダメだしね」
「事が事だからな。ラムカナの旦那だけじゃ手が足りないし、俺もついていくしかないんだよ。ああ、温泉、美女。すべてが遠くなっちまった。痛い痛い、オコー耳を引っ張るな!」
ドンモは失言で痛めつけられるゾウステを無視し、サブロー、そして続けて風の一族に笑顔を見せる。
「もろもろ片づけて、三、四か月後に会いましょう。あーどれだけ急いでもそれくらいかかるのよねー」
「仕方ありませんよ。この国の一大事なわけですし。フィリシアさんたちは僕に任せてください。立派に守ってみせます!」
「そこは心配ないのよね。むしろ心配はアンタの方なのよ」
「僕がっ!?」
サブローは目を白黒させる。
ドンモは真剣な表情でフィリシアたちの方を向いた。
「みんな、サブローのことを頼んだわよ。こいつ強いのに隙が多すぎるわ」
「はい、任せてください。……ぼくも途中から目が離せなくて困っています」
「一番フォローしているのエリックだしね。あたしも頑張るから気合を入れていこう」
「あ、アリアちゃん、わたしも手伝う!」
「うん、アイもお願い。戦力は多いほどいい」
「本当、サブローさん放っておけないんだな」
「最初に会ったときはこーなるなんて思ってもいなかったけどな。サブローにーちゃんはしょうがねーなー」
エリックたちの言葉に衝撃を受ける。もうそこまでダメな奴と思われているのか、と。
「なにかあったら冒険者ギルドにこの紹介状を出してね。サブローに預けるのは怖いし、フィリシア、頼むわ」
「わかりました。ラムカナさん、ありがとうございます」
追撃にがっくりと膝と両手をついていると、控えめに笑うフィリシアが近づいてきたため、急いで立ちあがり直す。
先ほどの柔らかい感触を思い出し、顔面に熱が集まった。
「あ、あの、すみません! フィリシアさん、どうしました!?」
「いえ、少し話そうと思っただけでして……迷惑でしたらしばらくは距離は置きますけど、どうしますか?」
「いやいやいや、そんな失礼な! これは僕が全面的に悪いので、その、あう……」
サブローがまごまごしていると、マリーがなにかを思いついたのか手をつないできた。
そして空いたほうの手を姉に向けてから、サブローを見上げる。
「おにいちゃん、これならおねえちゃんが近づいてもだいじょうぶ? 落ち着くまでマリーがあいだにいるよ!」
フィリシアがマリーの空いた手を取って並ぶ。確かにこれくらいの距離感ならそこまで心臓に悪くない。
マリーの頭を撫でてから、ドギマギするのを無視してフィリシアと目を合わせる。
「なんとかなりそうです。手間を取らせて申し訳ありません、本当……」
「気にしないでください。いつも助けてもらっているのは、私の方ですし」
「もっとスマートに手助けできれば良かったのですが」
「あ、それはサブローさんには難しいと思います。いつも通りで構いません。むしろいつものサブローさんが良いです」
難しいと断言された上にフォローまでされて、サブローは立つ瀬がなかった。
半ばやけくそに笑ってから、ため息をついて肩を落とす。
うなだれた頭をマリーが「いいこ、いいこ」と撫でてくれるのが最高に情けなかった。
どうにか立ち直ったサブローは、魔人の死体の方を見つめる。
頭を空いている方の手でかいてから、ドンモに相談することに決めた。
「ラムカナさん、あいつらの身体の方はどうします?」
「埋葬したいの?」
「僕の国に死ねば仏という言葉がありますし、普段ならそうしてもいいのですが……さすがに被害者の遺体の近くに埋めるのは遠慮したいです。単純に衛生面の問題ですね。硬くて獣も食べないでしょうし、腐らせてしばらくここを汚すのは耐えがたいです」
「それもそうね。ならアタシの星の輝きで燃やし尽くしましょう。上に投げてもらっていいかしら?」
「投げるのは構いませんが……いいのですか? そんなことにあれを使って」
「いいっていいって、派手に行きましょう。あれに耐えきるなんてアンタぐらいだし、肉片一つ残さないわよ」
打ち合わせは終わり、サブローは一部だけ変化して魔人二人の肉体を触手で空中に放り投げる。
ドンモが光を集中させ、莫大なエネルギーを剣先から放った。
頑丈なはずの魔人の身体が光の柱に飲み込まれて一気に焼き尽くされる。
よくあんなものを耐えたものだとサブローは我が事ながら感心をした。
「じゃあね、フィリシアちゃん、マリー、アイ。絶対、ぜぇーったい、数か月後に再会しようね! アリアちゃんもこっちにきて! ぎゅーっとしましょう!」
「あ、あたしはいい……」
「ダメ! 強制参加よ!」
インナがアリアを強引に引き寄せ、四人を力いっぱい抱きしめている。
もうすっかり女性陣は仲良しだ。こちらはやたらとドンモやゾウステに心配されているというのに。
先ほどもインナに足を折った負傷兵の治療を頼んで、二人に叱られてしまったのだ。
そうエリックに言うと、微妙な顔をされる。
「オコーさんも含めたあの人たちがいろいろ言うのは、サブローさんだけですよ」
「え……エリックさんもクレイさんもなにも言われないのですか?」
「おれでさえ注意を受けねーぞ、サブローにーちゃん」
今日は何度落ち込んだだろうか。サブローは数えるのも馬鹿らしくなってくる。
名残惜しそうにインナが離れ、手を大きく振りながらドンモたちと一緒に離れていった。
サブローだけに対して心配性な勇者一行だが、みんないい人たちだ。
怪我をしているサブローを気遣って、作業を請け負ってくれた。
彼らがいなければ、フィリシアたちを守りながら魔人二人を一人で相手にしなければならなかった。
再会の約束は胸を温かくしてくれる。
寂しさと再会の希望をもって、魔人と勇者は別れを告げた。
すっかり日が沈んで三つの月と星々が見えたころ、ようやく祭壇にたどり着いた。
転移の祭壇は禁忌の魔法陣周りと違い、簡素で小ぎれいだった。
日の光を取り込みやすい位置に窓があり、昼の室内はきっと明るいのだろう。
魔法陣を祭る祭壇も敬われており、大事に使っているのが見て取れる。
サブローは自分を呼び出した魔法陣との扱いの違いに少しだけ拗ねた。
「魔法陣に入ってまたしばらくは旅ですね」
「温泉も里も一週間後か。また長い道のりだな。まーサブローにーちゃんがいるから安全でいいけど」
「問題はそのサブローさんですけどね。いいですか、サブローさん。興味を持ったからってふらふらしないでくださいよ。どこかに行くときはぼくかフィリシアさんか、アリアを連れてからにしてください」
「僕は子どもですか!?」
「正直マリーたちの方がまだ安心して見られます」
「酷い!」
過去にやらかした実績があるためか、クレイたちも黙っている。
むしろエリックの発言に同意すらしているように見えた。
なぜここまで威厳が地の底に落ちているのか、サブローは皆目見当もつかない。
「まあまあ、みなさん魔法陣に入りましょう。ラムカナさんたちのおかげで食料は大量にありますから、美味しいものを作ります」
「それもそうですね。手伝いますよ」
「サブローさん、ウサギの皮は剥げないのに料理の手際はいいのよね」
「助かるんだな」
「はっはっは、ようやく見直されました。やったー!」
「それでいいのか、にーちゃん」
サブローはすっかり機嫌をよくして魔法陣へと続く階段を上る。
だがその足はすぐ止まって魔法陣を凝視した。
フィリシアが心配そうに声をかけてくる。
「どうしましたか?」
「なんか見覚えがあるんですよねこの魔法陣」
「禁忌の魔法陣とは違う、いたって普通の転移の魔法陣ですけど……」
「そうではなく、もっと前に見た覚えが……。みなさん少し待ってください。ちょっと撮ってみます」
サブローはスマホのカメラアプリを起動し、触手を使って真上から写真を撮る。
念のため数枚写し、手元に引き寄せて確認した。
マリーやアレスは興味津々の様子でこちらの背中越しにスマホの画面を見ている。
「あれ? サブローさん、少しいいですか」
「フィリシアさん?」
「なんだか……そのすまほ?から魔法陣特有の気配を感じます」
フィリシアにそんな馬鹿な、とスマホの画面を見せると、一緒に覗いていたエリックが驚いた。
「本当ですね。この写し絵から小さなものを転移することができますよ」
「え!? すごいですね魔法陣」
「これ大きくできれば持ち歩き出来る転移の魔法陣がつかえるのかー。べんりだな」
アレスがなかなかいい発想をしてくる。
元の世界なら可能だと思うと、危険なものに思えてきた。
鷲尾は確か一度きりの奇跡と言っていたはずだ。
サブローは逢魔に渡らないでよかったとつくづく思うと、ようやく記憶がよみがえる。
「あっ!? これです、これ!」
「なにがですか?」
「逢魔で研究していた魔法陣です」
フィリシアたちが呆気にとられる。サブロー自身も突飛すぎる発見だった。
「ありふれた転移の魔法陣ですし、階位も低いものですよ。召喚獣を呼び出すように、他の世界へ呼びかけることは出来ません」
「しかし連中がここにきているんですよね。似ているだけで上位の魔法陣かもしれませんし、このことは覚えておきましょう」
「それもそうですね」
エリックが同意して、今後の材料として覚えておくことにする。
バッテリーの残量が少ないことを示すスマホの電源を落とし、サブローは再び魔法陣へと進んだ。
フィリシアたちも後に続き、全員が円の内側へと待機する。
「それでは起動しますね」
フィリシアの呼び声に頷いて、サブローはふと元の世界を思い出した。
施設の弟や妹たちは四年も顔を見ていない。
あんなに小さかった彼らも、目の前の少年たちのように頼りがいが出ているのだろうか。
面倒見のいい園長のことだから、新しい顔も増えているだろう。
ギフト組は上手くやれているだろうか。
自分が通えなかった高校で、幼馴染のあいつは平和に過ごせただろうか。
逢魔に所属していたとき、毎日考えていた。その想いが今更あふれてくる。
この世界に来たきっかけの魔法陣を見たせいだろう。サブローは自分がセンチな奴だと自嘲する。
帰る道はいずれ見つけるとしても、今はフィリシアたちと一緒にいたい。
思考を切り替え、いつか見た自分たちを包む白い光を穏やかに見届けた。
バチッと、一筋の光がサブローに触れるまでは。
いきなり光は激しく踊り、異様な速さで瞬く。
この光景が正常でないことは、フィリシアの反応を見れば一目瞭然だ。
「みなさん!」
サブローは一部変化で生み出した触手をみなに巻き付ける。
離れ離れにはさせない。
「暴走……いえ、これは転移先に干渉があったのでしょうか? エリックくん、なにか心当たりはありませんか!」
「わかりません。魔道具の類もないはずですが――――」
焦る二人の会話を耳に、サブローは全員を抱き寄せた。
この旅はまだまだトラブルが続くらしい。
鬼が出るか蛇が出るか。
二度目の真っ白になる視界を前に、魔人は次の戦いへ備えた。




