二十三話:逢魔の影
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結局サブローの完治が認められるまで、インナが診てから五日もかかった。
本人としては診てもらってから翌日で動けるようになったのだが、その主張は一切認められなかった。
あんなに仲良くしていたマリーにさえである。
ならば万全であることをアピールする意味で仕事しようと立ち上がると、フィリシアからの説教付き寝床へ強制連行された。
時にはエリックやクレイにさえ注意を受ける羽目にもなった。子どもの成長は早い。
そんなわけで暇と情けなさで部屋の隅でいじけた。
「まあなんかしてないと落ち着かないってのは、俺も気持ちはわかるけどな」
「ゾウステさんからも言ってください。僕はもう充分に動けると」
「えー、やだよ。カイジンの旦那、昨日はオコーに本気で説教食らったじゃねーか。とばっちりなんて冗談じゃない」
ゾウステの言う通り、サブローは先日インナの逆鱗に触れた。
ここ最近は快復アピールを常に狙っており、ふと思い立って河原に一人で向かい得意の触手による魚捕獲を行った。
喜び勇んで持ち帰ると、自分を探していたエリックたちに応えて手を振った瞬間、インナに首根っこをつかまれてフィリシアとのダブル説教を受けた。
出会った最初だけは丁寧語であったインナだが、その日のうちにフィリシアたちと打ち解けたのか砕けた口調になっていた。
だが説教中はドンモに見せたような荒い口調になって、的確にサブローの心をえぐった。
「ううっ、僕ももう説教は嫌です……」
「思った以上にカイジンの旦那がアホで見張りを頼まれる俺も困惑だわ」
酷い言い草である。
しかしそんなサブローの尊厳を脅かす日々は終えた。
ようやく約束の転移の祭壇へ連れていく日が訪れたのだった。
予想以上に整備され、鳥のさえずり一つしない静かな山道をサブローはウキウキ気分で進んだ。
鈍らないための運動は必ず監視付きで行われ、それ以外は寝かされていたため、開放感がすごい。
なんならスキップで進んでいってもいいくらいだ。
「おにいちゃんが元気になってよかった!」
「はっはっは、けっこう前から元気だったんですよ、僕は」
「もう……オコーさんが言っていましたが、サブローさん重傷だったんですからね」
「そりゃアタシの星の輝きを受けたんだから当然よ。回復が早すぎるくらいだわ」
ドンモが少し自信を失った顔でぼやく。
そのすぐ後ろからインナが注意をしてきた。
「まだ完治というわけじゃないのよ、カイジンさん。とりあえずやけど跡が残りそうにないくらいに処置が進んだから、後は地の一族の里で温泉につかりながら癒そうって話になっただけ」
「男ですからやけど跡くらいは……」
「だからって限度あるのよ。あそこまで放置して傷だらけになるから、マリーが気にしているじゃない。こら」
こら、の部分がドスがきいていたためすぐに謝る。
エリックがやれやれ、と朗らかに話題を振った。
「地の一族に親戚がいるのはフィリシアさんとアレスくらいですから行ったことはありませんが、地の里の温泉はすごいと聞いています。本当ですか?」
「はい。いつも叔母さまのお家にうかがったときは案内してもらっています」
「大きくて気持ちいいよー。今回はアイやインナおねえさんといっしょに入れるんだね!」
「う、うん。マリーといっしょでたのしみ」
インナがマリーとアイに和んで頭を撫で始める。
アレスが腕を頭の後ろに組みながら、変な顔をした。
「温泉って風呂が嫌いなおれも気持ちよくてはいるの楽しみだけどさ、ときどき臭いじゃん。あれなんだろ?」
「硫黄の臭いがするとは聞いたことありますね。銭湯は週に何度も通うくらい好きですが、温泉は初めてなので楽しみです」
「セントウ?」
「ああ、僕の世界でのお風呂屋さんです」
「クトニアの首都にある民衆用の大浴場みたいなもんか。俺あそこで働いていたんだよな。石鹸補充したり湯を温める魔凝石を追加したり」
「そういやゾウステはそうだったわね。なつかしー」
「いやー役得だったわー。女の裸も覗け……いやこれは失言だったわ」
インナに睨まれてゾウステは慌てて口をつぐむ。
フィリシアたちの視線も冷たい。
「いやいやいや、ラムカナの旦那は特殊だからともかく、男性の諸君は同意してくれるよな?」
「そんなことをしたら、『あたしら女の敵』って言われながら幼馴染に殴り殺される環境にいましたよ、僕」
「幼馴染? 女のひとなんだな?」
「ええ、みなさんに話した兄さんの妹です。ややこしいですがあいつは姉と妹とも呼ばせてもらえませんでしたからね。不機嫌になりましたし」
説明した途端、なぜか微妙な空気が流れた。
サブローが戸惑っていると、服の裾を引っ張られて顔を動かす。
不安そうなフィリシアと目が合った。
「その人と会ってみたいのですか?」
「……どうですかね。合わせる顔がないと言いますか。あいつは僕のヒーローでしたから」
「ヒーロー?」
「施設の誰かが泣いていると殴り込みに行くような性格でした。兄さんと違って暴力に訴えることが多かったのでフォローが大変でしたが、僕も何度も助けてもらいましたのでヒーローなんですよ。まあ本人には絶対に言いませんが」
「カイジンの旦那って昔から女に尻敷かれてたんだな。なんか納得だわ」
ゾウステの発言にサブローは心当たりが多すぎてげんなりした。
自分の女性に対して弱気なところはあいつのせいだろうかと思ったとき、異様な雰囲気に気づいて足を止める。
アリアも疑問に思ったのか、こちらに寄ってきた。
「サブローさん、ゾウステさん、なにか変じゃない?」
「そうか? アリアの嬢ちゃ……いや、確かになにかおかしい。ラムカナの旦那、オコー、変だぜ」
一行が足を止めて子どもを囲むように周囲を警戒する。
ドンモは剣を構えながらゾウステに確認をし始めた。
「警戒する理由は?」
「獣がいなさすぎる。魔人がいるとはいえ、範囲が広い上に鳥すらいないとは妙だぜ」
「言われてみればそうね。アリアちゃん、アンタより優秀じゃないの?」
「へっ、油断したけどまだまだ子どもには負けねーぜ。ま、鍛えれば相当すごいことになりそうだけど」
軽口をたたき合うドンモとゾウステをよそに、サブローは頂上に向けて視線を険しくする。
フィリシアがこちらの異変に一番に気づく。
「サブローさん、どうしましたか」
「けっしてそこから動かないでください。ラムカナさん、魔人を二人感知しました」
魔人は魔人を感じることができる。忘れたかった感覚を呼び起こし、サブローは警戒を促した。
ドンモは頷き、子どもたちを仲間に任せて隣に並ぶ。
魔人の視力が二人の男をとらえた。
「片方はワシの魔人で空を飛びます。戦いが始まったらまずは羽を切り落としてください」
「それであの迷い森を抜けられたのね。了解」
「それと最初は僕に任せてください。おそらく洗脳が解けたとは思っていないでしょうし、なるべく情報を引き出します」
まだ姿を魔人に変えない。味方と思ってもらわないと困るからだ。
嫌悪が顔ににじみ出る。大柄の魔人がとても不愉快なものを持っていた。
できれば彼女たちの前には、引き合わせたくなかった。




