二話:故郷を燃やされた少女たち
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精霊術。
この世界に存在する魔法という奇跡の中、それは少し特殊な立ち位置であった。
まず火、水、風、地と四つの属性に分かれており、それぞれ精霊と交信できる血筋しか継承できなかった。
出来ることはどの属性も攻撃、癒し、天候読み、人や物の探索、一族に伝わる魔法陣の起動といったものだ。
属性によって得意な効果は違う。例えば火は攻撃が得意だし、水は癒しが得意であった。
そして風の精霊術の一族が得意とする術は天候を読むことであった。
風の精霊術一族が代々王国アエリアにおいて重宝され、優遇されたのはこの天候を読む力によるものだった。
シルフィードという風をつかさどる神の名を、部族名として過去の王より送られて百年経った。
その間、王国アエリアと風の精霊一族は互いに支え合った。
風の精霊術一族は天候を読む力によって王国の繁栄に手を貸し、王国兵によって心無い侵略者や魔物から先祖代々の土地を守ってもらった。
今代の王も善政を敷き、風の精霊術一族との関係は良好であった。
よそと比べて特別に豊かではないが、精霊術の担い手として名誉を与えられ、先祖代々の土地を住処に平穏な日々を過ごしていた。
そして風の精霊術一族の長の娘として、フィリシアは生まれた。
運命の日の空はどこまでも青く、雲一つなかった。
共同井戸場にて顔を洗い終えたフェリシアは梳かした髪を後ろにひとまとめにし、身体をぐっと伸ばしてほぐす。
今日もまた、一日が始まる。
「あ、族長の娘フィリシアさん、おはようございます」
堅苦しい幼い声の挨拶にフィリシアは苦笑を浮かべた。
精霊一族に姓はない。たいてい就いている職業か、親の職業を名前の前につけて区別されている。
もっとも精霊術の一族は数が少なく、村の子どもたちはみな幼馴染であるため、そんな堅苦しい呼び方するものは一人しかいないのだが。
「おはようございます、裁判長の息子エリックくん。妹たちのようにもっと砕けた呼び方で構いませんよ?」
「いえ、父さんから立場をわきまえて言葉遣いを考えろと言われていますから。それにフィリシアさんが言葉遣いを丁寧にしているのに、裁判長の息子であるぼくが崩すわけにはいきませんよ」
エリックは笑いながら答え、持ってきた桶に水を移して顔を洗う。
まだ十二歳なのにできた子供である。フィリシアは今年八歳になる妹にも見習わせたいと思った。
もっとも、彼女の口調が丁寧なのは父に連れられて、王都や魔法大国での仕事に付き合わされたからだ。
もはや癖になっているだけで他意はない。
「ふわ~、お姉ちゃん、えりっく~、はよー」
「おはよう、族長の娘マリー」
「おはようございます、マリー。でも一ついいですか?」
フィリシアは寝ぼけ眼の妹に近づき、葉の絵がついている革袋を見せた。
マリーはまずい、という表情になって逃げ出そうとするがあっさりとつかまる。
「昨日の夜、ムグの葉で口をゆすいでいませんよね?」
「だって、だって~」
マリーが何か言い訳をしようとするが、思いつかないらしく目が泳いでいる。
ちなみにムグの葉とは薬草である。主に口の中を綺麗にする効果があった。
葉をすりつぶして少量水に混ぜ、口をゆすぐことで口や歯の病気を防ぐ。
風の精霊術一族だけでなく、他の精霊術部族もこぞってムグの木を育て、一族の口内を守り続けていた。
ただとても苦いため子どもには大変不評である。
「だってではありません。エリックくんを見習ってください。今まさにムグの葉で口を綺麗にしていますが、嫌な顔一つしませんよ」
「だってエリックは良い子ちゃんなんだもん。最近遊んでくれないで勉強ばっかりしてさ」
風の一族の里には王都のように学校は存在しない。
そのため子どもは祭祀場に集められ、そこで勉強をしている。
祭司長を主に、薬師や裁判官といった知識を必要とする職業についている大人が、交代で教えにくるのだ。
「良いことではありませんか。マリーもちゃんと勉強しないとお嫁に行くとき困りますよ」
風の精霊術一族の族長一家に男児が生まれなかった現在、次の族長はフィリシアの婿となる。
そうなると妹のマリーはよその家に嫁として迎えられるのがふつうであった。
ただ、自由奔放な妹はよそでちゃんとやれるだろうか不安が大きい。
あんなに自分には厳しかった父母もマリーには甘い節がある。
自分がしっかりしなければこの子はダメになるかもしれない、とフィリシアは気を引き締めた。
「お嫁になんか行かないもん。だってマリーは十五の成人になったら冒険者になるんだから!」
「また夢みたいなことを。威力の高い火の一族や癒しの効果が大きい水の一族ならともかく、私たち風の一族がなにを得意か知っていますか? 天候を読む力が正確というだけですよ? 王や農民の方々の助けになるならともかく、冒険者として活動できる力とは思えませんが」
「冒険者をやる上でも便利だとは思いますけどね。あとぼくは使えませんが、風の探索術も便利だと評判良いみたいです。とはいえどちらも地味すぎて、あえて仲間にしようって人は少ないかもしれませんね。やはり攻撃や回復といった派手な魔法が需要ありますし」
口をゆすぎ終わったエリックが苦笑しながら会話に入る。
自分の夢ともいえない願望にダメだしされたためか、マリーは頬を膨らませて反論した。
「この前来ていた冒険者のおじちゃんが言っていたもん。いろいろできること多いし冒険者でもやっていけるって」
「アレスくんと一緒にあっていたあの冒険者ですか? 悪い人ではありませんが、いつも酔っていましたし信じられると思いますか?」
フィリシアがぴしゃりと言うとマリーはますます頬を膨らませた。
リスみたいにかわいらしいが、ここで甘い顔をするとつけあがるのがこの妹である。
姉が無言で圧力をかけるとマリーは少しひるんだ。
瞬間、グ~というマリーの腹の虫が鳴いた。
「まあまあ。二人ともここで時間をつぶすと朝食に間に合わないと思いますよ? ぼくは顔も洗い終えたので、自分の家に戻りますね」
「そうですね、エリックくんの言う通りです。マリー早く顔を洗って口をゆすいでください」
「は~~い。ううっ、ムグの葉がにがいよ~」
さすがにマリーでも腹の虫にはかなわないらしく、大人しくムグの葉で口をゆすいでいく。
もう少しお淑やかに育ってほしいとフィリシアは頭を悩ませた。
自宅で家族がそろい、朝食が始まる。
王国や魔法大国だとテーブルの上に料理を並べて食べるが、精霊術一族の家は炉を囲んで床に座り、食事をとる習慣であった。
フィリシアには知りようがないが、ちょうど日本の囲炉裏と似た構造である。
精霊王への食事の恵みを感謝を言葉にし、食事が始まる。
口いっぱいにパンを押し込みながらしゃべるマリーを行儀悪いと注意し、母がにこやかに料理をとりわけ、父が穏やかに見守っている。
いつもの食卓で、いつまでも続くものだとフィリシアは思っていた。
平和な朝食のひと時を中断させたのは、あわただしく入ってきた客だ。
「族長、族長!」
「どうした? 今は食事時だぞ」
「はい、申し訳ありません。ですが緊急事態です!」
声を荒げる客に不安になったのかマリーが手を握ってきた。
フィリシアも強く握り返し、事の成り行きを見守る。
「緊急事態? 伝達班長のグリー、何が起きたのだ」
「はい、王国の使者が現れて族長に会わせてほしいと言っています。その内容が、その……」
「王国? この時期にいったい何の用だ? わかった、すぐに行く。エレーナ、念のために家の中で皆と居てくれ」
母に声をかけて、父は客とともに家を出て行った。
フィリシアはその背中を見つめ、確かにこの時期に王国の使者が現れるのはおかしいと思った。
毎回月初めに一ヶ月の天候予想を王都に送っている。嵐が来る様子もないため、特に急ぎの連絡も必要なかったはずである。
それに今は収穫期であった。収穫前なら作物の育ち具合を気遣うため細かく連絡を取ることはなくもない。
今回のように王国の使者が唐突に現れることだってあるだろう。
しかし、時期は収穫祭を前にしている。ますます使者を送ってくるのが不自然にフィリシアは思えた。
族長の仕事として王都に招かれるのはどうだろうか。すぐにその可能性もないとフィリシアは切り捨てた。
本来は新年を迎えたあいさつに向かうだけである。
精霊術の一族ということで優遇はされているが、特別王族と親しいわけではない。
特に何もない時期に招かれるような話も来ないはずだ。
不安が胸をよぎる。何か良くないことだろうか、とフィリシアは顔を曇らせた。
「おねえちゃん?」
不安が移っただろうマリーを安心させるため、フィリシアは笑った。
きっと気のせいだろう、そう自分に言い聞かせながら。
しかし、すぐにその予感が当たったことをフィリシアは知った。
「エレーナ、フィリシア、マリー。逃げる準備をしなさい」
「お父さん……急にどうかしましたか?」
「あなた、フィリシアの言う通りです。なにが起きたのですか?」
娘と妻に問われて、父は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
「王国兵に叛意ありと決めつけられた。一族全員出頭するよう命じられたが、全く心当たりがない。しかもこちらが弁明に使者を送ったら首を送り返された!」
「そんな事が……!?」
「もし出頭したらどうなるか使者殿に聞いたが……良くて一族みな首吊り刑、悪くて火刑だそうだ。どの道死が免れないなら女子供だけでも逃がして、最後まで抵抗する。そう判断した」
「ひどい……」
あまりにも理不尽な要求に姉妹は抱き合う。
関係が良好であったはずの王国に何があったのか。誰も知るすべはなかった。
父が不安がるフィリシアの肩をつかみ、まっすぐ瞳を見つめる。
「いいか、フィリシア。よく聞くんだ」
「はい、お父さん」
「他の家にも女子供をすぐに逃がすように言っている。そして北の遺跡に集まり、合流して転移の祭壇へ向かう手はずになっている。それを使い、地の一族へと嫁に行った私の妹、フィリシアにとっての叔母を頼るんだ」
精霊術の一族に伝わる魔法陣の一つ、転移の術が存在する祭壇である。
精霊術の魔法陣はその重要度で起動できる血族が限られていくが、転移の術は精霊術一族なら他一族でも使えるものだった。
もともとは他国に存在する他属性一族へと会いに行くための魔法陣であり、各国の首都から遠く離れるため王族や貴族はあまり利用しない。
たまに冒険者に使ってほしいと頼まれる程度である。
「だが、お前にはその途中に向かってほしい場所がある」
そういいながらも父は続きを切り出すかどうか迷っていた。
あの竹を割ったような性格の父が珍しい。
「これは族長の血を引くお前かマリーにしかできないことだ。禁忌の祭壇を知っているな?」
「洞窟に偽装されている、近づくなと言われているあそこですよね?」
「ああそうだ。あそこにある魔法陣を起動してほしい。あれは我々の血族にしか起動できないからな。嫁としてうちに来たエレーナでは使えない」
「はい。しかし、その魔法陣はどんな効果があるのですか? 族長一族にしか起動できないというと、相当重要ですよね?」
「あの魔法陣は召喚術が施されている。呼び出せるのは……魔人だ」
魔人、とフィリシアは思わず口に出した。
なぜなら魔人という存在は昔話でしか聞いたことがないからだ。
過去に呼び出された魔人によって国が一つ滅んだとも言われている。
そういえば最近魔人が復活し、冒険者の中でも最高峰の称号を持つ勇者が倒したという話もあった。
どちらにしろ遠い世界の話だった。
「王国軍が宣戦布告をして、出頭する猶予を与えているがそれもわずかだ。まもなく兵士が押し寄せてくるが、どれだけ時間が稼げるのか見当もつかない。知っての通り、我ら風の一族で戦士の職業についているものは少ないからな」
「お父さん、お言葉ですが魔人を呼び出すというのは危険ではないでしょうか?」
伝え聞く魔人は破壊と悪逆の化身である。
いずれの昔話でも弱きをくじき、楽しみで人々を踏みにじり、勇者に倒される存在であった。
「ああ、できることなら禁忌の魔法陣を使いたくはなかった。だが王国兵の動きは早すぎる。逃げる時間を稼ぐにも何もかもが足りない。だからフィリシア、お前には魔人を呼び出し、王国兵にぶつかるよう誘導してほしい。魔法陣のもたらす制約で召喚主だけは傷つけられないように術式を受けるから、呼び出した者だけは安全だ。フィリシア、お前が呼び出したらエレーナとマリーを近くに引き寄せてくれ。そうすればみな無事にやり過ごせるはずだ」
言い終えてから、父は家族を抱き寄せた。
「フィリシア、こんな危険なことをさせ、魔人を呼び出すという罪を押し付けてすまない。愛している」
「お父さん、大丈夫です。魔人の件、族長の娘として務めを果たしてきます」
「エレーナ、こんなことになってすまない。娘たちと一緒にどうか生き延びてくれ」
「わかりました、あなた。族長の妻として恥ずかしいふるまいはいたしません」
「マリー、これからは母さんとお姉ちゃんの言うことを聞くんだぞ」
「うん、わかった」
「……我が家族に精霊王の導きを」
名残惜しそうに離れた父は踵を返し家を出た。もう二度と生きて再会できないかもしれない。
フィリシアはその後姿を胸に刻んだ。