十九話:聖剣の光
サブローは水面と川岸を触手で交互にはね跳び、ドンモに対して一撃離脱の戦いを繰り広げていた。
相手の土俵に上がるわけにはいかない。格上との対決はいかに相手に全力を出させないかにかかっている。
「くっ、やりにくいわね!」
ドンモが接近しようと力を溜めたため、水を触手で救い上げて大量にぶっかける。
視界を奪った隙に優れた魔人の目で相手をとらえ続け、足を狙って三本の白い鞭を放った。
うち二本が剣によって打ち払われ、最後の一本は踏み止められる。
「捕まえた!」
サブローは慌てず、触手を縮めて勢いよくドンモに飛び込んだ。
頑丈な魔人の全身による突進は勇者といえど堪えきれず、相応の距離を作ることに成功する。
徐々に一撃離脱戦法に対応してきたため、サブローはその場にとどまって八本の触手と、二本の触腕で投石を始めた。
矢継ぎ早に繰り出される岩も、ドンモは冷静に避けたり砕いたりと臨機応変に対処する。さすがは世界を救う勇者なだけはある。
「こいつ、強いわ。戦闘の幅が広すぎる」
そんなはずはないのだが、返答している時間も惜しいためサブローは次の行動に移った。
川に飛び込み、勢いをつけて泳いで、水面から宙へ跳ぶ。運動エネルギーをすべて蹴りに注ぎ込み、頑丈な赤い鎧を蹴り飛ばす。
地面に叩きつけられたドンモの四肢を狙い、ありったけの触手を叩きこんだ。
いずれの攻撃も勢いよく跳び起きた勇者に避けられ、むなしく地面を砕く。
「殺気がなくて次の動きが読みづらいわね。やば、他の魔人並みと侮っていたわ。これ下手しなくてもドラゴンクラスに厄介」
サブローはいったん触手を手元に戻し、呼吸を整える。
油断をできる立場ではないので、相手の一挙一動を注目する。
「なによ、アンタくっそ強いじゃないの」
「ありがとうございます。でも、僕は強くありません。……戦うのは嫌いですから」
「マジか。……通りで王国軍に被害が出ていないと思ったわよ。本当、なんで魔人なのかしら。アンタみたいな男なら……いえ、よしましょう」
ドンモは剣を構え、圧力を増す。
「結局、アンタたちはあんなことをした。決して許せることではないわ。覚悟はできているんでしょう?」
サブローは心当たりがなかったが、どの行為が逆鱗に触れたのかわからなかったので黙っている。
そして覚悟ならとっくにできていた。
足に力を入れ、地面を蹴る――と見せかけて手のひらを地面に押し付けた。
突進してくるとフェイントをかけられたドンモは前につんのめる。
その隙にイカスミを霧状に噴出して、辺りの視界を黒に染めた。
「そんなのあり!?」
サブローはすぐさま動く。視界を奪っただけでは足りないのは、先ほど試した通りだ。
だから彼の耳の傍に向かって、愛用の改造防犯ブザーを投げつける。
腹の底から響く、爆音が発生した。
兄に迫る強さをもつ勇者なら、猶予ができて一、二秒。
決して逃がすわけにはいかず、その身体を拘束する。
「こ、この!」
拘束から逃れた右腕も逃がしはしない。二本目の触手で巻き取り、川岸に生える太い木と結んだ。
簀巻きになって転がる勇者を確認し、触手を切り離した。
触手は一、二時間で生え、切り離した方も一日はサブローの意志を反映し続ける。
頑強な身体に阻まれて四肢の骨を折ることはできないが、これなら勇者の力を考慮しても三、四時間は稼げるだろう。
「アタシは無防備よ? 止めを刺しに来なさい」
「お断りします。たいがいそういう場合は切り札がありますし」
「いやになるくらい冷静ね……仕方ないわ」
逃げようと背を向けていたサブローは、嫌な予感がして振り返った。
勇者の聖剣が大気を揺るがせ、光り輝いている。
聖剣の輝きは熱を持っているらしく、ドンモを縛る触手が泡立ってきた。
右腕の拘束を焼き切るつもりだろう。
稼いだはずの時間が大幅に短くなった。二、三十分くらいでフィリシアたち全員を転移の祭壇まで運びきれるのだが、間に合うかギリギリだ。
迷っている暇はない。
サブローは彼女たちのもとに駆けつけようとして、気づいてしまった。
剣の矛先が花畑に向いていることを。
『一族で管理しています。今後手入れは無理かもしれませんが』
捨てておけばよかった。中腹の小屋からは少し距離がある。フィリシアたちが巻き込まれることはない。
だけど、あの花畑を狙っていた。打ち捨てられるだけ、荒れ果てるだけの運命なのはわかっている。
充分に理解しているのに、昨日の思い出がサブローの足を止めていた。
とても楽しかったのだ。
フィリシアが誘い、マリーがはしゃぎ、アイが花を愛でて、クレイが丁寧に花の世話をし、アレスが大口を開けて笑い、エリックが花の種類を解説して、アリアが写真は本当に大丈夫か聞いてきた。
施設で家族と過ごした日々に負けないくらい、彼女たちとの一日一日が大切だった。
ポーチに存在するスマホが熱くなった錯覚を起こす。詰まっていた思い出が身体を突き動かし、サブローは聖剣の前に飛び出した。
「なにを考えているのよ、アンタ!」
ドンモの戸惑いに満ちた問いが聞こえる。それもそうだろう。
自分でもバカだと思っている。それでもサブローは止まれない。
聖剣から光が放たれ、魔人の全身を焦がした。
なるべく触手を広げ、光が漏れないように押さえ続ける。
肉が焦げる嫌な臭いが自分から漂い、苦悶に呻いた。
けど、まだだ。まだ倒れるわけにはいかなかった。
必死に足に、触手に、腕に、全身に力を入れる。
まるで流星のような光を前に、そのベクトルを少しずつずらしていく。
上へ、上へ、あの場所を焼かないでくれと願い続けながら。
一意専心。
願いは通じて聖剣の輝きは天へと昇る。
代償は大きく、弾き飛ばした衝撃でサブローの身体は宙に舞った。
かなり長い時間吹き飛ばされ続け、傷だらけの魔人の白い身体を守り切った花々が迎える。
もはやサブローは立ち上がる力も残っているか怪しい。
全身が焼かれ、武器である触手はほとんど失い、魔人の姿も保つのが難しく変身が解ける。
ふと気になってスマホを取り出す。奇跡的に無事であっさりと起動した。
ロックの壁紙にはみんなで写った写真を設定している。
撮ったのは昨日であるはずなのに、もうずっと前のことのように思えた。
くすり、と小さく笑う。力が湧いてきた。
電源を落とし、元の場所にスマホを収める。
サブローは四苦八苦しながら起き上がった。
大切なのは場所だけではない。
この先の小屋には守らなければならない子どもたちがいる。
絶対にあきらめない。
追いつき、呆然とたたずむ勇者を前にサブローは穏やかに笑った。
◆◆◆
フィリシアたちは小屋に戻る気にはなれず、外でサブローを待っていた。
やがてなにかが激突する重い音がここまで響き、心が張り裂けそうになる。
間断なく続く戦闘の音は止まず、むしろ激しくなっていった。
「偉大なる精霊王、どうかサブローさんに導きを……」
胸の前で手を組んで、一族を守り続けていた精霊王に祈りをささげる。
こんなことぐらいしかできないのがとても悔しかった。
サブローを巻き込んだのは、フィリシアだというのに。
やがて大気が震え、精霊たちが騒がしくなる。
サブローが向かった場所で光が膨れ上がって大きくなった。
「まさか、聖剣の持つ輝き?!」
フィリシアでも知っている恐ろしい事実をエリックは告げた。
勇者以外でも心清きものしか持てない四本の聖剣。
そんな聖剣が持つそれぞれの輝きの中、もっとも破壊力の高い一撃は四聖月夜の聖剣が放つ。
伝説では魔王城を焼き、巨人を倒し、ドラゴンすら葬る威力を持つ。
ただ一人の魔人に使うには余りも過剰な一撃のはずだった。
だが嫌な予感は的中する。
光の柱が空に向かって伸び、青空を切り裂いた。
同時に宙に放り出される、見覚えのありすぎる魔人が居た。
「おにいちゃん!」
マリーがたまらず駆けだした。
妹を誰も静止しない。一緒に彼が落ちた場所へと向かったからだ。
フィリシアの瞳に涙がたまる。
無事でいてくれとは言わない。ただ生きてほしかった。