一八二話:一筆啓上明日が見えた!
夏休みが終わり、タマコは教室で自分の席に座っていた。
始業式の後であるため、同じクラスのみんなに気だるげな雰囲気があった。タマコの友達も例外でなく、べたーっと机にだらしなく身体を預けている。
「あーもっと夏休みが続けばいいのにー」
「そうなるとバイト期間が長くなるから、わたしは嫌だなー」
「もうー。タマはバイトしているか、施設の子たちと構うのかのどっちかだし。夏コミにも付き合わないしさー」
「興味はあるけど、お金かかるからね。それに兄弟に見られると困るし」
タマコが肩をすくめて説明する。友人は頬を膨らませながら、こちらの事情を理解しているため強く出なかった。
「まあタマは舞台見るのに誘ってくれたから、感謝しているけど。それにしてもよくチケが取れたね」
「そういうのに強い知り合いがいるのです。ここ最近できたけどね。人脈は大事だよ、チーちゃん」
タマコの友人が楽しんでいる女性向けゲームが舞台化しているとは聞かされていた。そのチケットが欲しいとイ・マッチ相手に愚痴ったところ、なんと格安で確保してくれたのだ。
この手のツテを作っていたとか、本当によくわからない異世界の王子様である。ちなみにチーちゃんこと千里に言った「人脈は大事」というセリフは、イ・マッチの発言そのままであった。
「人脈かー。タマの知り合いって謎が多いからなー。あ、ユッキー。元気だった?」
千里が話しかけたのは、優希という部活少女である。裁縫部のタマコや漫画研究会の千里と違い、陸上部所属と体育会系なのだが妙に気が合っている。
「元気に部活してたよ。それより聞いた? 転校生がくるって」
「え、ほんと!? イケメンかなー?」
「残念。女の子だよ。しかもすごい美少女」
タマコがあっさり答えると、友人二人は目を瞬かせた。
「タマ、誰が来るか知っているの?」
「というか友達だし。クラスまで一緒になるとは思っていなかったけど」
「あたしたちが知らないタマコの交友関係というと……施設の関係者?」
「優希、大当たり。というかわたしの相部屋の子だよ。よく話をしていた」
二人はああ、と納得した。タマコがフィリシアのことをよく話していたからだ。もちろん写真だって見せている。なにせタマコはフィリシアと二人で写った写真を待ち受けにしているくらいだ。見せる機会はいくらでもあった。
「え、ガチ美少女じゃん。あの娘なら男どもが黙っていなさそう」
「もうすでに相手いるんだけどね。まあお構いなしで特攻する人多そう」
千里と笑い合っていると、優希が教室のドアの方を見た。
「先生が来たみたいだよ。じゃ、あたしは自分の席に戻るから」
優希はそういって離れていく。この三人組の中で、優希だけ席が遠かった。
ついでにタマコは周囲を見回す。空いている席はなく、フィリシアが隣にくることはない。残念に思いつつも、千里の隣になるであろうことにホッとした。
彼女は面倒見がいいのだ。
やがて先生が入ってきて、転校生が訪れることを告げた。タマコは教室のドアから現れる親友の顔に、親しみを込めた笑顔を向けたのだった。
「フィリシア・シルフィードと申します。日本の学校に通うのは初めてですが、精いっぱい馴染んでいきたいと思います。これから仲良くしてください」
フィリシアはあまり使っていなかった苗字を含めての自己紹介を終え、席に着いた。タマコの隣でないことが残念だったが、両隣のクラスメイトは親切そうである。
教師がHRの終わりを告げて教室を出たので、授業の準備をしてから自らの親友に話しかけようと思った。しかし思惑通りにはいかず、あっという間に人に囲まれる。
「ねえ、どこの国の人なの?」「うわー、髪綺麗ー。さすが天然もの」「どこに住んでいるの?」「テレビで見たことあるような……」「彼氏とかいる!?」「一目見たときから好きでした! 付き合ってください!!」「調子乗んな! バカの言うことは気にしなくていいからね!」
人と言葉の洪水に頭が混乱する。人見知りをするタイプではないが、こんなに多くの同世代を見たことはないため戸惑うしかない。
どうしていいかわからず硬直していると、見知った顔を見かけて思わず叫ぶ。
「た、タマちゃん! 助けてください!!」
フィリシアの助けを求める声を聞き、周囲がぴたりと静かになり、一斉に振り向いた。彼らの視線の先には親友であるタマコが居り、困った顔で片頬をかいていた。
「みんながっつきすぎ。うちのフィリちゃんが困っているでしょ」
「三木さん、シルフィードさんと知り合いなの?」
シルフィードが自分のことである違和感を抱えつつ、頼れる親友の反応を待った。ちなみに三木とはタマコの姓である。
「知り合いどころかもっと深い関係だよ。そう、フィリちゃんはわたしの嫁なんです!」
「そういう誤解されそうなことはやめてください。もう……」
ひしっと抱き着くタマコに冷たく返す。「いやんいけず」とふざける彼女に、緊張をほぐしてくれたことを内心感謝する。
おかげで大勢のクラスメイトと向き合う余裕ができた。
「私はタマちゃんと同じく、施設でお世話になっています」
「フィリちゃんはちょっと複雑な事情を抱えていてね。でも本人が良い子なのはわたしが保証するよ。だからいっせいに話しかけないで。誰だってパンクしちゃうから」
タマコの言葉にみんな笑いながら了解した。ホッとしてフィリシアが一つ一つの質問に対応しようとしたとき、一人の女生徒がなにかに気づいて声を上げた。
「あー! 思い出した!!」
「な、なになに?」
「去年水族館に逢魔の残党が出た事件があったじゃない。怪魔人が現れたやつ。ねえ、シルフィードさん。もしかしてその時に魔人を倒したって人、あなたじゃない?」
「な、なぜそれを?」
「その時のニュースで紹介していたもん。天使の輪に選ばれた新しいエースだって。綺麗な子だなぁって思っていたけど、まさか同じクラスになるなんて!」
そういえばあの後、真の功労者であるサブローをさし置いてインタビューを受けた覚えがあった。
「え、ガーデンの隊員なの? 学校に来ているけどどういうことだ?」
「少し前までは確かにガーデンで働いていました。この通り天使の輪も持たされています。まあ今は使えませんが」
手首に存在するそれを見せる。もちろん平時は制限されており、自由に使えるわけではない。
ただフィリシアは逢魔の残党に狙われる可能性があるため、かなり緩い条件で制限を解くことができた。
それからガーデンのことについて質問を受けた。
現状、フィリシアはガーデンを休職中である。もともと未成年を戦わせるというのは問題が大きいらしい。
水族館の件もガーデンがだいぶ批判され、それ以降は天使の輪の試運転を行っているということになっていた。もちろん表向きにはだ。
これは異世界の作戦活動が非公式であるためできた力技である。
そして現在、量産型の天使の輪が実用されたため、フィリシアも休業扱いにすることができたのだ。
一部を伏せつつそれらを級友に話していると、授業の時間となる。数学の教師が「いい加減席につけ」と注意したため、続きは休み時間となった。
フィリシアは教科書を開きながら、今後の学校生活を思って心を弾ませた。
あっという間に一週間が経ち、フィリシアは充実した学校生活を送っていた。
通っている高校はガーデンが経営する大学の付属高校であり、学業のレベルが高い。フィリシアは最初、授業についていけるか不安だったが、施設での学習内容が意外にも高度だったためついていけている。園長には感謝し通しであった。
そのことを家でタマコに言うと、
「フィリちゃんが頭良すぎてレベルをどんどん上げていったんだよ。むしろ君がすごいの」
などと褒められてしまった。
学校ではタマコの友人である千里や優希とも仲良くしてもらい、そうそうにクラスへ馴染むことができた。運動も学業も充実しており、毎日が楽しくて仕方ない。
ただ、一つ困ったことがある。
「申し訳ありません。私にはすでに付き合っている相手がいます」
何度目かわからない告白を断り、肩を落として離れていく男子生徒を見送った。ため息をつき、少し先で待っていた友人たちと合流する。
「フィリー、おっつー。にしても連日大人気だねー」
「フィリは目立つからね。仕方ない」
千里と優希に言われ、フィリシアは口をへの字に曲げた。不満を持っていることを悟ったタマコが苦笑して肩を叩く。
「まあまあ。そろそろ落ち着くって」
「タマちゃ~ん」
「おーよしよし。存分にわたしの胸で甘えたまえ」
「貧相だけどね」
「おだまりチーちゃん!」
などとくだらないやりとりを終え、移動して昼食に移る。フィリシアとタマコは弁当を、千里と優希は食堂で買った食事と飲み物を手に中庭のベンチで腰かけた。
この場所は人通りが少ない。視線を集めることの多いフィリシアにとって、ゆっくりと食事のできる場所である。
「そういやフィリが付き合っている人、連絡取れた?」
ハンバーガーを咀嚼して飲み込んだ優希が尋ねてきた。転校して初日でサブローとの関係は級友に伝えてある。
その日の夜、男子ががっかりしていたとタマコがおかしそうに報告したが、フィリシアは気づいていなかったことなのでよくわからなかった。
「昨日はきていませんね。……まあ連絡を取りづらい職場なのは理解していますけど」
「そういやフィリがインタビュー受けているってテレビは見ていないけど、あの人が出ているドキュメントは見ていたなー」
「なんですか? それ、知りません!」
「あーフィリちゃんに言うの忘れていた。サブお兄ちゃん、ガーデンへの取材を受けていたみたいなんだよね。酷いよね―教えないなんて。ちゃんと録画していたから帰ったら見よう」
「お願いします。しかしいつ放送していたのですか?」
「夏休みー。好きな刑事ドラマの後にやってたー」
ちょうど逢魔を潰すために王都へ向かっていた時期だった。それにしても黙っているとは何事だろう。今度帰ったきたときに映像を見せてからチクリと刺してみようかと思った。
「……フィリ。ちょっと怖い。怒ると迫力ある」
「え、こんなことで怒るの!?」
「別に怒っていません」
憮然として答えた。これは会えないために不機嫌になっているだけである。
「そうだね。サブお兄ちゃんに会えなくて寂しがっているだけだよ」
「うぅ……前は毎日顔を合わせていましたから、その反動で…………」
落ち込んで肩を落とすと、頭をよしよしと撫でられた。千里と優希は呆れ顔である。
「毎日って……重いよ。フィリ」
「ガーデンの仕事でしたし、別に私が強要したわけでは……」
ありません、と言おうとしたとき、スマホが通知を伝えた。SNSからサブローの連絡が入っており、今夜電話ができるとのことだ。
あちらではちょうど日付が変わるころだろう。ゆっくりと話ができるとあり、思わずスマホを抱きしめた。
「一気に機嫌が直りましたよ、千里さん」
「本当だねー。ラブラブだねー優希さん」
友人二人にからかわれても、フィリシアは気にしなかった。食事をしながらも、スマホの画面を見てはにやにやしていたのだった。
施設の園長である林は書籍を整理し、一息ついた。コーヒーを口に運んでいると、ノックが鳴る。
「どうぞ」
ドアから顔を見せたのはイチジローであった。笑顔で頭を下げ、机の前に立つ。
「サブと入れ替わりにあっちの世界に行くから、あいさつしに来たよ」
「ふふ。気を付けてくださいよ。あなた方の仕事は危険が多いですから」
笑みを交わした後、イチジローは頷いた。意外とクレバーであるため、家族が絡んでいない限り、昔のサブローと違って不安はない。
そんな彼が目敏く机の書類を発見する。
「フィリシアちゃん……いや、風の一族の子たちに関する書類か。園長先生、なにか問題でもあったのか?」
「そういうわけではありません。ただ、近々更新する必要が出るでしょうから、その準備です」
「更新する必要?」
疑問の晴れないイチジローに林は説明を足す。元々話すつもりであった。
「イ・マッチさんが仰っていた話です。異世界のことが発表されたときに合わせ、彼女たちが嘘をつかなくていいような環境に変更します」
「…………それはいいことだ。けど、いろいろ問題が起きるんだろうな」
イチジローの懸念はもっともである。異世界は現実に存在し、物理的証拠もあり、行き来もできる。
だが突拍子もない話だ。ガーデン内部でも信じていない部署がある。あれだけの作戦をこなし、存在を示したにもかかわらずだ。
異世界と接する機会がほぼない一般人に、信じてもらうほうが無理であろう。
家族を大切に思うイチジローがどう思うか、顔をうかがった。
「けどまあ、なんとかなるか。いや、なんとかしてくれる人たちが、たくさんいる。フィリシアちゃんたちもきっと、大丈夫さ」
晴れ晴れとした、曇りない笑顔であった。林も自らの心が温かくなっていく。
イチジローは家族や友人を大切にする。その分、外の人間と一線を引くところがあった。上司として世話になっている上井にでさえだ。
それが今は緩和され、信頼を寄せるようになっている。彼のわずかな変化を、林は親代わりとして歓迎していた。
「しかし園長先生。話は変るけど、少し相談したいことがあるんだ」
「イチジローが珍しいですね。どうぞ」
「うん。…………実は二人の女性に言い寄られている。どうすればいいと思う?」
林は呆気にとられた。まさか恋愛相談をされるとは想定していなかったためである。
それと同時にイチジローの判断を疑った。林とて恋愛の一つや二つの経験がないわけではない。何人かいいところまでいった相手もいる。
かといって、親同然である自分に相談するのはどうかと思った。サブローでさえそれだけはしていない。
「えーと、私以外に相談したことは……」
「誰も役に立たなかった。サブと同じ立場に立つと苦労するというのがよくわかる。あっちと違って、どちらか選べって強く言われているし」
イチジローの交友関係を頭に浮かべると、確かにその方面で役に立ちそうな人物が思い当たらなかった。一時期似たような状況になっていたサブローの関係も、特殊すぎて参考にならないだろう。
「本当、あなたとサブローは血がつながっていないことが不思議なほど似ていますね」
「くっ! サブのときもっと真剣に相談に乗っていれば……」
「だとしても無駄だと思いますよ。フィリシアさんとミコの関係は少々特殊ですし」
あの関係が成り立っているのは、サブローとの存在以上に二人の関わり方が大きい。互いに思い合い、幸せになって欲しいという願いが少し歪な関係を産んでしまった。
とはいえ、あの三人はそのままでいい。維持させるためなら多少の無茶だってするつもりだ。
それはともかく、今はイチジローの話だ。言い寄っている二人はだいたい想像がついている。ミコが話していた綺堂と、地の里で出会ったソウラというお嬢さんだろう。
綺堂のことは詳しく知らないが、ソウラとその親が選ばないということを許さないはずだ。林は意地の悪い笑みを向ける。
「イチジローはきちんと考えて、絞りなさい。あなたのためです」
「サブと違って冷たくない?」
「家族以外には無頓着であったあなたが悪いのです。真剣に向き合いなさい。親としての忠告ですよ。いいですね?」
念を押すとイチジローはうなだれ、やがて腕を組んでうんうん唸る。かわいそうだが、こればかりは彼に成長してもらわないといけない。いい男になるための試練である。
やがて玄関の方面が騒がしくなる。時計を確認して、誰が帰ってきたのかあたりを付けた。
「どうやらマリーたちが帰ってきたようですね。賑やかになりそうです」
「お、顔を見に行くか。サブと入れ替わったらしばらく会えないしな!」
先ほどまであった悩みはどこにやら。先送りはあまり良くないが、いいストレス解消にもなるためまあいいかと背中を見送った。
林は執務室の窓から空を見上げる。雲一つない青空に、明日が見えた気がした。