一七八話:逢魔に残った最後の魔人
イチジローが『魔人を殺す魔人』に変った日を、ピートは鮮明に覚えていた。
初めて魔人に変ったライバルを美しいと思った。
白い装甲がぴっちりと皮のように張り付いている。鉄のバイザーが顔を覆って視界を遮っているように見えるが、それ自体が目の役割も果たしていた。鋭く細い四肢は、鍛えられた日本刀のように錯覚した。
ああなりたかったと思うのが、きっと普通なのだろう。事実綺堂は悔しそうにしていた。
だけどピートは一目見て、考えてしまったことがある。
あれを超えたい。倒したい。
胸を焦がす衝動が生まれた瞬間だった。
ピートはその感情を押し殺す。しかしイチジローとの訓練を重ねるうちに焦りは大きくなっていった。
目の前に超えたい力がありながら、自らにはない。あれに対抗できる力があるのなら、なんでもよかった。
そんな時、悪魔のささやきを受けた。
『魔人を殺す魔人』が生まれて二年目の頃だった。弟がさらわれ、より強さへの渇望を見せるようなったイチジローを見ていることしかできない日々が続いていた。
そんなある夜、休日で街を歩くピートに接触する者が現れた。
「そこの御仁。少しよろしいかな?」
フードを被って全身を隠す怪しい風体の男に呼び止められた。守るように後ろで待機している男がいる。そいつが鰐頭だったことは、後々知ることになった。
これは魔人を増やせるのが首領しかいないため、初期のころはわざわざ本人が勧誘していたのである。後になると視察に出向いてから、魔人に回収を命じるという形になった。
「力を得たくはないか? 今のあなたなら想像を絶する力を得ることができますよ」
胡散臭いにもほどがあった。待機している男も苦々しそうな顔をしている。
当時のピートはため息をついて、冷たい目を向けた。
「世間を騒がせている連中が、こんな手で魔人を増やしていたとはな」
「キサマ!? なぜそれを――――」
胡散臭い男こと、逢魔の首領は声を荒げた。護衛が前に出て庇う。
「ガーデンの『魔人を殺す魔人』の候補だった男、ピエトロ・センチだ。俺に魔人の素質があることはガーデンで調査済みだ」
魔人の素質をはかることができるのは、逢魔の首領だけではない。ガーデンも魔人を解析し、素質の元なる存在を発見していた。
「くっ、ならばこれは罠か。ワニガシラ、逃げ――――」
「まさか。たまたま、俺の休日にお前らが声をかけてきただけだ」
鰐頭と呼ばれた男は警戒心を崩さない。感心しながら、ピートはどうするかと思考を巡らせていた。
「一月くれるなら、お前たちについてもいい。三つ条件があるが」
「なんだと?」
逢魔の首領は興味深そうな反応を見せた。まだ罠だと疑っている鰐頭をよそに、交渉をする気になったようだ。
「条件しだいだ。聞かせてみろ」
「首領!」
「いやいや。『魔人を殺す魔人』候補になったほどの男だ。お前や竜妃のような戦力が手に入るいい機会だぞ。逃すわけにはいかない」
ずいぶんと短絡的な男のようだ。こんな奴に何年もひっかきまわされているかと思うと、悲しくなってくる。
「一つ目は強い魔人にして欲しい。『魔人を殺す魔人』に負けないくらい」
「それくらいなら容易い。この鰐頭に勝ると劣らぬ素質を持っている。お前なら上魔にも耐えられるだろう」
クク、と不気味に笑う首領には興味がない。ピートはそのまま二つ目の条件を出す。
「次の条件だ。俺はお前たちについてもガーデンの情報を渡すつもりはない。その件に触れないでもらおう」
「なんだと? キサマ、どういうつもりだ?」
「俺には目的がある。そのために手段を選ぶつもりはない。だが、ガーデンの情報を渡さない。どうしても欲しいというのなら自分で調べろ」
「むぅ……しかしそれはあまりにももったいない」
「ならこの話はなしだ。俺を殺すなり、なんなり好きにすればいい」
ピートはあっさりと背を向けた。これで死んでも構わない。その覚悟がなければ、仲間を裏切って魔人になろうなど考えなかった。
「ま、待て! 少し相談を……」
「わしはあいつを仲間に入れるのは反対だ。だが、首領は未練があるという。ならその条件を飲むしかないな」
「……それでいいのか? 鰐頭」
鰐頭は肩をすくめるだけだった。ぐぬぬと首領は呻き、迷った。
それもピートが路地裏から出ようとするまでの、短い間ではあったが。
「わかった! その条件を飲む。で、あとはなんだ?」
「『魔人を殺す魔人』と戦わせろ」
ピートはそう告げるために、わざわざ振り返って鰐頭と首領の顔を見据えた。
「俺は奴を超えたい。奴を倒したい。それ以外は何も望む気はない」
「お前……本気か? いや、返事せんで良い。首領、こいつの言葉に偽りはない」
「ふむ。なら願ったりかなったりだ。いいだろう。一月後、同じ時間にここに来い。迎えを寄こそう。そうすれば私が力をやろう。『魔人を殺す魔人』への恨みを晴らすための、力をな!」
首領は一つ勘違いをしていた。別にピートはイチジローを恨んではいない。
ひとつ、強い欲求があるだけだ。
自分が認めたあの男を、超えたい。ただそれだけだった。
どうやら意識が一瞬飛んでいたようだ。
上空から蹴りで追撃するイチジローが見える。どうにか全身のバネを活かし、爆発的な打撃から逃れた。
そのまま立ちあがり、何度目かわからない剣の構えをとるとする。しかし、千切れかけている左手を見つけ、思わず苦笑してしまった。
「もうやめるか?」
見ていられなかったのだろう。綺堂が心配して聞いてきた。ピートは首を横に振り、剣先を宿敵へと向けた。
ピートのダメージは重い。さすがは『魔人を殺す魔人』と言ったところか。下手をすれば致命傷になりかねない傷もある。
そして肝心の相手は傷を負ってはいるものの、まだまだ余裕だ。つくづく力の差が嫌になる。
だというのに、笑いが込み上げてきた。
「フッ、クク……ハハッ」
「ピート、笑ってどうした?」
「嬉しいだけだ、イチジロー」
イチジローは殺す気だ。敵と認められたことが、この上なくうれしい。
再会したときにあったサブローに対するうしろめたさなど、もう頭にない。目の前の男が命を削りに来ている事実に、どう対処するか。勝つためにはどう動くべきか。
もはやそれしか考えていない。飢えた獣のような目を向けながら、乱れた呼吸で獲物を狙った。
「ァ――――――――ッ!」
咆哮は言葉にならなかった。銀の魔人が駆け抜ける軌道は日を反射し、光の線を描く。
繰り出す剣戟は刃筋をずらされ、イチジローの腕で受け止められる。ピートはすぐに剣を引き、神速の突きを放つ。
『魔人を殺す魔人』が紙一重で逸らし、鼻先をかすめたのも構わず懐に潜り込んできた。ピートの胸に衝撃が走り、身体が浮きかける。
ムカデの魔人は必死に堪えながらも、狂喜に突き動かされて蛇腹剣を巻き付けた。
「つか、まえた!」
戸惑う相手を無視して自分の腕も同様にする。チェーンデスマッチという単語を思い出しながら、無事である方の拳をイチジローの頬にたたきつけた。
「ぐっ、う……」
手ごたえを感じた。ピートは技術もなにもかもかなぐり捨て、ひたすら目の前の男に打撃を与える。
「殴り合いなら、俺が上だ!」
イチジローは身体ごとぶつけてきた。超接近戦ともいうべき距離で、恐ろしいほどの威力を生みだしてくる。足さばきが生み出す力だ。ピートの視界が激しくぶれる。
追撃が行われている気配を感じながら、細かくステップを刻んだ。イチジローは攻撃を避けられ、驚愕を言葉にする。
「この距離で避け……ぐぅっ!」
返す掌底の一撃でイチジローの白い身体が吹き飛び、その衝撃で蛇腹剣が千切れ、今度はあちらが地面を転がった。光の翼で空を浮く余裕すら奪えた様子だ。
ピートにとっては快挙であった。千切れた衝撃で腕から外れた剣を拾い、刀身をまとめ上げる。
刃が短くなってしまったため、短剣のように取回す。
「なんだ……? 今の動き、知らないぞ」
「それはそうだろう。これはラセツという魔人が得意としている動きだ」
「そりゃ、知らないわけだ。くそ、サブなら対応できたのにな……」
立ちあがり、イチジローは拳を前に中段の構えをとる。攻撃を受け止め、カウンターの一撃を与える動きを目的としているため、非常に厄介であった。
意図が分かっているからと言って、責めないわけにはいかない。今のピートは立っているだけで消耗するような状態である。時間をかければかけるほど、ただでさえ遠い勝利が訪れなくなる。
剣を下段に構え、ピートは駆ける。恐ろしいことに剣だろうと槍だろうと、受けきれるのがイチジローである。生半可な手では通用しない。
だから邪道に頼る。あと一歩踏み込めばという地点で、手持ちの剣を投げつける。顔を狙う刃を最小の動きでイチジローは払った。
コンマ一秒にも満たない、小さな小さな隙。そこを攻めるという分の悪い賭けを、ピートは行わなければならなかった。
手刀による突きを繰り出し、相手の胸の中央を狙う。光が視界に満ち、イチジローが拳を輝かせたのが分かった。
『魔人を殺す魔人』による最大の技。
ピートの指先が胸の装甲を割って血を吹きださせたのと、光の拳で左肩から先が吹き飛ぶのは、ほぼ同時だった。
胸から血を流して片膝をつくイチジローを、ピートはぼんやりと眺めていた。
『魔人を殺す魔人』の最大の技はピートの身体を破壊し、数百メートル先の大木へ叩きつけた。
そのまま上半身を預けたままにし、長くないことを悟る。
イチジローは胸元を抑えながら、綺堂の肩を借りて近寄ってきた。どうやら深手を負わせたが、致命傷には一歩及ばなかったようだ。
文句のつけようがない、ピートの敗北であった。
だというのに不思議である。微塵もくやしさが残っていない。相手をされなかったときの苦しみは綺麗に消え、ただただ満足感に浸っていた。
ああ、とピートは思わず漏らした。
「ガフッ、ぐ……あ、イチ、ジロー……」
「喋る、な。はぁ、はぁ……いや、最期だし聞くよ。ピート」
最初は身体に気を遣ったものの、相手が致命傷だと気付いてイチジローは促してきた。つくづく最後まで敵として見られていたか、怪しいものだ。
だというのに、ピートに不満はなかった。
「おれ、は……イチジ、ローに負けた。だけ、ど……不思議と、穏やか、だ」
「勝ちた、かったんじゃ、なかったのか?」
「当然……だ。け、ど…………お前、以外に負けるより、何倍もマシだ。本望に近い、形でおれは、満足して逝ける」
自分で言っていて、頭がおかしいと自覚していた。だからと言って曲げる気はない。
自分勝手に死んで、誰にも悼まれない。それでよかった。
「勝ちでも、負け、でも、おまえとの決着がついたのなら、それで――――」
よかったんだ。声に出したのか、口で形作っただけなのか、もはや自分ではわからない。
視界が完全に闇に堕ち、穏やかな気持ちで永い眠りについたのだった。
「バカやろう。俺は、お前と一緒に戦いたかったよ……」
イチジローは吐き捨て、人に戻ってから地面に腰を降ろした。肩を貸していた綺堂はそのまま手当に入る。
くしゃりと自らの髪をかき乱し、イチジローは呻いた。英雄と褒め称えられようと、このザマだ。
結局、最後までピートを理解することができなかった。死んで満足だなんて、意味が分からない。生きて欲しいという願いは通じることがなかった。
そしてこの瞬間に至っても、ピートを敵だと思いきれない自分にも腹が立った。
綺堂はそんなイチジローを見てから、ポツリと物言わぬピートに話しかける。
「本当、昔から自分勝手な男だった。ピート、満足しているのはお前だけだぞ」
公的にはガーデンを裏切った男が魔人となり、死亡した。そう記されるだけであろう。
そんな些末な結末で満足している同期に、綺堂は怒りを示した。
理解できない男ではあったが、二人は嫌いではなかった。やりきれない思いを抱えたイチジローの傍で、逢魔に残った最後の魔人は息絶えたのだった。
次回含めて残り五話となります。
最後までお付き合いください。