一七四話:地獄への伝言
王都に続く森の中で、湖から水の柱があがった。
二つの魔人の影が飛び出し、それぞれ向かい合う大樹の枝にとまる。広い湖を挟み、二人は息を整えた。
「やりおるわい。さすがは殺戮姫を殺し者。実に、実にわしを楽しませる」
「別にアニキはお前を楽しませるために、あいつを倒したわけじゃねーよ。な、アニキ」
サブローは創星に頷いてから、遠くを見た。まだ戦闘中だというのに常識から外れた行動ではあるが、見逃せないものがあった。
「……水の国で戦った、トウジョウという人と同じ状態になっている魔人がいます」
「ああ、それか」
意外にもラセツは疲れたようなため息をついた。サブローも創星も戸惑う中、ぽつぽつ話しが始まった。
「魔王様の命令よのう。足りない戦力を補うために配布しろと言われた。オンゾクが死を覚悟してわしに針を頼んだことが、漏れたらしい」
「の、割には乗り気じゃねーな」
「創星の……わしとて本望ではない。トウジョウはあれ以上伸びしろがないから使ったし、オンゾクは先を見せてくれそうだから渡したが……あれは基本的に未来を奪うからのう」
「人の未来どころか、命すら奪う連中がよく言うぜ」
「ほっほっほ。それを言われると耳が痛い」
本当に愉快そうに笑ってから、ラセツは目を輝かせる。瞳はサブローに向けられたが、対象はそれだけではないだろう。
「わしとしては殺したくないのだがのう。前も言ったが、人の心は様々な可能性を見せてくれる。貴重な命を奪うなどもったいない。相手が面白すぎると加減が効かなくなるのも、未熟な証だのう」
反省してまで見せたのが、歪であった。サブローは不愉快になって顔をしかめる。やはり相容れない存在である。
「……ここであなたを倒します。逃がすわけにはいきません」
「嬉しいことを言ってくれる。それはわしにとっては褒美ぞ」
静かな湖畔で殺気が満ちる。枝が揺れ、二人の魔人が宙で激突する。
「創星!」
サブローが叫び、足元が光る。空を駆けて回り込み、まだ宙で身動きの取れないラセツに一撃を与えた。
相手は地面に激突する直前、触手をうまく操り地面に降り立つ。サブローも得意とする立て直しであるため、驚きは少ない。
敵の脚を光で固定し、地面を触手で打って加速する。ラセツは落ち着いた動きで竜の爪を防いだ。
「その手口は先代創星の勇者から受けていたのでな」
毒針の連撃を、己の触手で防ぎながらサブローは逆手で持っていた聖剣を持ち直す。剣として横薙ぎに振るい、爪とともに斬撃で攻めたてた。
「ほう! 前回には見なかった剣術だのう。しかしにわか仕込みが透けておる。そちらの腕は未熟よ」
的確な評価であった。サブローもいまさら通じるとは思っていない。あとの狙いのために不格好でも剣を使った。
「ほほっ。単純に攻める手数を増やせばいいものではないが……っとと」
「本当、おしゃべりですね」
「嫌いか?」
「……いえ、昔を思い出して調子が狂うだけです」
鰐頭も戦闘中に話すことが多い男だった。サブローを鍛えるためということもあるのだろうが、一度ついた印象はいまだぬぐえない。
目の前の外道に重ねるのは良しとしないため、頭を左右に振って無理やり振り払う。
「よっぽどわしと思い出の奴を一緒にしたく内容だのう」
「当然でしょう。あなたは鬼畜生の類です」
鉄の錫杖と聖剣をぶつけ合ってから、互いに距離を取った。触手のやり取りもいったん休憩となる。
一度戦っていたため、まだ触手を刺されて一部分を切り離すような事態にはなっていない。敵も強くなっているが、自分も成長したのだと実感した。
「ふむ。鬼畜生か。否定するつもりはないが、おぬしにしては手厳しい評価だのう」
「オレも初めて聞いた」
「そうですか? 僕は元々、魔人のほとんどはそうだと考えていますよ。昔は自分も含めていましたし」
「ほう。今は違うと?」
サブローは深くうなずいた。正確には鬼畜生になるわけにはいかなくなったのだ。
「僕が堕ちると自分も一緒に行くと言いかねない人たちが居ましてね。彼女たちのために、なにより僕自身のために日の当たる道を行くことにしました」
「ま、その方がおぬしには似合うわい。だが、わしのような外道を生ぬるい手で倒せるかの?」
「倒します。今、証明しますよ」
何度目かわからない突撃をサブローは決行する。これで決着をつけるつもりだ。
爪が唸り、鉄の錫杖をわずかに削る。完璧に防がれたが、こちらの勢いを受け止めきれていない。ラセツの身体がわずかに泳いだのを見逃さず、より力を入れて体勢を崩させた。
光で片足を固定された敵は、それ以上の後退を許されていない。左手で握る創星の剣先で、サブローは敵を突く。
しかしラセツは倒れかけのバランスを崩した体勢で、聖剣を錫杖で受け止めた。
「惜しかったのう」
「いえ」
サブローはそれだけ短く答えて、二本の触手でラセツが身体を支えているのを確認し、創星を手放した。落ちかける聖剣の柄を触腕がつかみ、魔人の視界でさえ捉えられない神速の軌道を描いた。
「ぐ――がっ、ご……」
光の拘束が消え、痛みでラセツがたたらを踏む。しかし笑みを浮かべ、瞳がより狂喜に彩られた。
「クカカカカカ、カカカカカカカカ!!」
ブシュ、と血を胸元から吹きだしながら大きく錫杖を振り回す。毒針を触腕が振り回す聖剣で斬り捌きながら、竜の腕を押し込んだ。
とても致命傷を負ったとは思えない力で受け止められ、逆に胸を強く打たれた。巧みな棒術で反撃をする敵に驚いたものの、サブローの追撃はまだ続く。
胸から引こうとした錫杖を掴み、全身から火の粉を吹きだした。
「ッ――――――!!」
ラセツの全身が熱せられ、声なき悲鳴があがる。いや、声を上げず、反撃の力を溜めているのだ。この期に及んですさまじい精神力である。
サブローは瞬時に判断を下し、錫杖を掴む手に散っていた火の粉を集めた。竜の炎が手のひらにまとわりつき、鉄を熱し溶かす。
竜妃であれば炎だけで巨大な手のひらを作れただろう。だがサブローではこれが文字通り手いっぱいだ。
それでも現状、これが一番威力の高い技になる。錫杖の防御を崩壊させ、その胸を貫いた。だが敵が巧みな足さばきで狙いをずらす。
「この状況で心臓を逸らした!?」
「まだ、まだよっ!」
最期の力を振り絞り、ラセツが短くなった錫杖をサブローの脇腹に突き刺した。
だが浅い。突き飛ばし、その身を離れさせる。炎が移ったラセツの身体は、もう長くはない。
だというのに敵は諦めず、喉元を食いちぎるために歯をむき出しにして跳びかかってきた。
「させねえよ」
創星の静かなつぶやきとともに、ラセツの身体を刀傷が斜めに走る。敵はより激しく血を流しながらも、ニヤリと口元が動いた。
「有言……実行、だ、のう。おぬ、しは……」
そこでようやくラセツが倒れた。立ちあがる力がないことを見極め、サブローは大きく息を吐き出す。
「僕の勝ちです、ラセツ」
肩で息しながら、サブローは宣言した。
「ふむ、一ついいかの?」
「介錯ですか?」
自らの傷の手当てをしながらサブローが尋ねると、ラセツは弱々しく首を横に振って否定した。
今の二人は人の姿に戻っている。死ぬなら人の形で死にたかったとラセツは言っていた。
それで最後の力を振り絞り、自らのこだわりに殉じるようだ。
「あの世に行くのでな。伝言があるなら聞いておくぞ」
「それはまた親切ですね」
「クックック。なに、わしを倒した相手にそうすることは、ずっと前から決めていた」
血を吐きながらも強がる姿に恐れおののく。すさまじい胆力であった。
サブローは後頭部をかき、じっとその姿を見つめる。
「けっこう持つが……長くはない。なるべく手短に……言ってくれると、助かる」
「では鰐頭さんにお願いします。僕を鍛えた人です。『騙したことはどうかと思いますが、鍛えてくれて助かりました。ありがとうございます』と」
「承った。しかし、ああ――――おぬしを鍛えた奴が居るのか」
「いつか僕が直接伝えようと思ったのですが……やめました。なるべく地獄に行かないように頑張ります」
彼女たちなら地獄についていくと言い出すだろう。だからサブローは考えを変えた。もう自分の命や価値を諦める気はない。
「それは残念だのう。地獄の方が――がふっ、きっと手ごたえのある奴ばかりぞ」
無邪気に笑い、ラセツは右手を天に掲げる。
「ゆえにわしは死のうと戦い続ける。あの世で待つ強者よ。戦い、楽しもうぞ! クはは、ハハハハッ!」
一通り笑い飛ばし、狂気に満ちた瞳が光を失くす。笑った顔のまま息絶えたラセツを見て、創星が呆れたようにつぶやいた。
「最後まで自分勝手な奴だな。死にたくないって泣き言をいえば、まだ可愛げあったのに……ん? アニキ?」
心配そうに声をかける創星に答える余裕もなく、地面に腰を降ろす。ラセツの打撃で骨にひびが入った可能性がある。各所が痛かった。
周囲に迫る敵の影も、魔人の気配もないため、しばらく休むことにする。
「少し休ませてください。さすがに疲れました」
「アニキが弱音を吐くなんて珍しいな。ま、ラセツ相手じゃしゃーねーか」
「しくじりました。このままフィリシアの援護に向かうつもりでしたのに……」
創星が「まだ戦うつもりだったのか?」と驚愕を隠さなかった。フィリシアを信用していないわけではないが、一人で七難の相手をさせるのは不安があった。
特に今は故郷のことを思ってナーバスになっている。無茶をするかもしれないため、ラセツを倒したらすぐに駆けつけたかった。
「まあそんなに心配ないと思うぞ。フィリアネゴの近くにはミコもいるし、頼れる連中はたくさんいる。そいつらに任せて、今は休もうぜ」
「そうですね」
素直に創星に答え、サブローは空を見上げた。あれほど激しかった戦闘の音が小さくなっている。戦況が落ち着いているのだろう。
やがて身体が動けるほど回復したころ、サブローのタブレットに七難全員が倒れたと、知らせが入った。