一七三話:最後の七難
森の外れにある湖の周辺を戦場に選んだ。サブローとラセツは数度の小競り合いを繰り返してから、大きく距離を取った。
「静かだのう」
クックック、と笑いながらラセツが話しかける。サブローはどういうつもりだと目で問いかけた。
「ふむ。おぬしも戦っている最中におしゃべりなど許せない、というタイプかの?」
「別にそういうわけではありませんが……」
思わず答え、ラセツの機嫌をよくしてしまう。憮然としながら、サブローは付け入る隙を与えないように気を付けた。
「まあわしはのう、相手を知りたくて話しかけとる。ヒトがどんなことを考えているのか、どんな理由で強くなったのか。興味が尽きなくてのう。わしはといえば、ただそのためだけにこの通り」
厄介だとサブローは感じる。ただ好奇心だけでそこまで強くなるということが、信じられなかった。
サブローは理由が必要だった。竜妃に出会わなければ、鰐頭を尊敬しなければ、ここまでこれなかった。強くなりたいと思わなかった。
これが才能の差なのだろうか。血反吐を吐いて今に至った過去を思い出し、ため息を吐く。
「ふむ。そう卑下する物でもない」
魔人の顔は表情が出にくい。そのためなぜ自分の内面を言い当てたのか不思議に思った。
「心を読めるのですか?」
「まさか。おぬしもよくやっておるだろう。呼吸を読むという奴だのう。特におぬしは読みやすいぞ。よく言われぬか?」
からかうように言われ、サブローは不服であった。「気にするな、アニキ」と創星にまで慰められる。だいたい命のやり取りをしているのというのに馴れ馴れしすぎだ。
そのことを指摘すると、相手は顎を撫でた。
「ふーむ。何度も言うが、なにぶん性分でな。なるべく付き合ってもらうと助かるのう」
「気が抜けることを仰いますね……」
「嘘をつけ。今この瞬間、わしが隙を見せたらそこを突くだろう。恐ろしい男よ」
やはり油断を誘えない相手のようだ。サブローは腰をより深く落とし、重心を低くする。間が空き、風のそよぐ音がやけに大きく聞こえた。
再び二人は距離を詰める。触手同士のやり取りをよそに、それぞれの両腕は打撃の応酬をする。
ラセツが鉄の錫杖を振り回し、目に見えぬほどの高速で突きが繰り出される。サブローは逆手で構えた創星で防ぎ、右拳を繰り出す。紙一重で避けられるが、引き際の爪で肩を切り裂く。
ラセツはたまらず距離をとるが、手土産の一撃を腹に残していった。
「アニキ、大丈夫か?」
「問題ありません。しかし厄介ですね。以前より速くなっています」
「それはこちらのセリフぞ。殺戮姫を倒したのは聞いておったが、アヤツの魔まで取り込むとはな。くく、あの女、ようやったわ。より楽しくなる」
「聞いているこっちがゲンナリするわ。アニキ、苦労かけるぜ」
創星の慰めに乾いた笑い声で応え、どうするか頭の中で戦い方を組み立てる。
正直ラセツは攻めづらかった。相性の問題ではなく、単純に戦いの経験が豊富なのが原因だろう。
圧倒的な力をもって蹂躙してきた竜妃とは別種の手強さだ。戦闘技術だけなら鰐頭をも上回るかもしれない。
「さてさて。せっかくここを戦場に選んだのだから、あそこで戦ってみないかの?」
湖を指さされ、サブローは相手の考えを測りかねた。確かにクラゲの魔人であるラセツは対応できるのだろうが、水中で速度を出せるか疑問だ。不利になるかもしれない場所へ誘うのは不自然な気がした。
警戒心が先に立ち、誘いに乗るかどうか迷うが、以外にも創星が乗ることを勧め始めた。
「アニキ、やろう。あいつは自分が不利になればなるほど喜ぶ変態だ。特に深い考えはねえよ」
「……その考えで今まで生き延びてきた、という事実が怖いのですが」
「なに、結局は負けて長年封印されてきた身だ。褒めすぎだの」
カッカッカ、と笑ってラセツは湖に飛び込んだ。結局サブローも同じ戦場に立つことにし、水中へと飛び込んだ。
湖の中はけっこう澄んでおり、見通しが良い。驚いて逃げていく魚をしり目に、サブローはラセツの姿を探した。
ふよふよと水の流れにただようラセツの姿を発見できたが、水中の光景に溶け込んでおり、見つけにくくなっている。
笠による運動でゆっくりと移動しながら、ラセツが問う。
「来なくてよいのか?」
言われて、サブローは弾けるようにその場を離れた。先ほどまでいた空間を鋭い触手が通り過ぎる。
水中に戦場が移り、視認しにくくなっていたのだ。
「あいつ……これをやるために誘ったのか? 昔と変わったってことか?」
「いえ、そうでもないと思いますよ」
サブローの返答に、「へ?」と創星は間抜けな声を上げた。またもラセツの触手が襲ってくるが、冷静に対処する。
「水流の動きで地上でやり合うよりも察知しやすくなっています。鰐頭さんも水中で戦える魔人なので、ここでの戦いは仕込まれました」
「さっすがアニキ!」
持ち上げる創星を落ち着かせ、ラセツへと接近する。対応されると予想していたのか、相手は特に落胆した様子も見せず、触手だけを繰り出してきた。
地上のように自らの触手で対応し、距離を詰める。五指に力を入れて腹をえぐりに行くが、笠の動きで上に行かれ、空振りに終わる。
諦めずに追撃し、二度三度と攻めたてるが、紙一重で避けられる。どうやら相手も水流を感知して動いているようだ。
そう理解した途端、鉄の錫杖が容赦なく襲いかかる。サブローも皮一枚でやり過ごし、同じ動きを見せつけた。
ラセツがボコボコと空気の塊を出す。どうやら笑っているようだ。長丁場になることを覚悟し、水中での戦闘を続行した。
肉塊が地響きをたてて崩れ落ちる。
巨大な敵の頭部から心臓までをまとめて消し飛ばした『魔人を殺す魔人』がドンモに声をかけた。
「こちらは全滅させた。そっちは?」
「早いわねー。よっと!」
感心しながらドンモは一息で敵の首を跳ね飛ばす。こちらも魔人が変化した肉塊を相手にしていた。
「痛みを感じないのは厄介だけど、同士討ちするし、頭をどうにかすれば動きは止まるし、たいしたことないな」
「それはアタシたちだからじゃない? 他のところにこいつらが行っているとしたら、ちょっと心配よ」
こんなのに負ける仲間はいない、とイチジローは告げた。
サブローを始めとして誰一人、こんな力だけの化け物に後れをとる者はいない。ナギたち異世界の仲間もそうだ。イチジローはそう胸を張って主張している。
ドンモはそんな様子に呆れた。
「イチジローって思ったより単純よね」
「むぅ。ラムカナさんはサブローたちを信頼していないっていうのか?」
「バカいうんじゃないの。サブローは当然として、一番新人のフィリシアでさえ余裕で倒せると思うわよ。一対一ならね」
む、とイチジローが言葉に詰まったのを見て、ドンモはたたみかけた。
「けどサブローたちは七難を相手にしている。強い魔人と戦って消耗した状態で、こいつらの相手をできるかしら?」
イチジローのうろたえている様子が面白いほど見て取れた。なぜ想定していなかったのか不思議なくらいだ。
この男はサブロー以上に抜けているところが見て取れた。見ていて飽きない。
「た、助けに行った方がいいかな?」
「それよりかは持ち場の掃除をしましょう。こいつらを多く倒せば、七難と戦っているメンツの邪魔は防げるでしょうし」
ドンモが提案すると、イチジローはやる気を出した。なんとも操りやすい男である。
微笑ましい姿に好意を抱きながら、周囲を見回した。魔人が見えた時点で一般の兵はだいたい下がらせている。今ついて来ているのは、一部の物好きだ。
「止まってどうしたの、イチジロー?」
火の族長の娘ソウラが話しかけてくる。火の精霊術一族は全員が変わり者という印象をドンモは得ていた。変貌する魔人に怯むどころか勇敢に突っ込み、戦果を挙げている。
何人か負傷者を出したものの、敵の狙いを分散させ、ドンモたちはかなり楽に戦うことができていた。
「おおかた、次に向かう場所でも相談していたんだろう」
火の一族に負けず劣らずの変人であるアルバロがそう断言する。地の精霊術一族でついて来ているのは彼くらいだ。
付き合いが良いもので、火の族長ヴォルガと並んで最前線で戦っていた。
「そうは言うが、後ろから指示がこないな。この周辺の連中を相手しろってことか?」
「お父が指示待ちって珍しいね」
後ろの火の戦士たちも同感のようで、笑い声をあげる。ヴォルガは憮然としながら、宙のドローンを指した。
「あんな便利なものをつかって戦況を把握しているんだ。おまけに指示まで飛ばす魔道具まで持っている。俺が欲しいくらいだぞ」
「複雑すぎて、お父に使いこなせるとは思わないけど」
またも周囲が笑い、ヴォルガは口をへの字に曲げた。組織の長の割に、だいぶ親しみを持たれているようである。
アットホームな雰囲気をドンモは好ましく思ったが、これが戦闘となると一糸乱れない鬼の集団と化す。二面性が恐ろしくもあり頼もしい。
「しかし、本当のところイルン兄貴たちはなんと言っているんだ?」
「現状維持だな。特に救援が必要なところはないらしい。七難も全員、サブたちが相手にしているし」
「七難ねえ。どんな奴か見たかったんだがな」
残念がっているアルバロの発言に、ドンモは少しだけ同意する。イチジローも合わせて、ここのメンツは資料でしか知らされていない。
サブローと互角の戦いを繰り広げ、初代勇者とも面識のある存在に興味があったのだが、縁がなかった。
「さて。おしゃべりはここまでね」
ドンモがこちらに近づく足音を聞き、警戒を促した。瞬時に戦闘態勢に入るこのメンバーがとても頼もしい。
茂みをかき分け、一体の傷ついた肉塊が姿を見せた。同士討ちでもしたのだろう。
火の一族が散開し、アルバロの地の精霊術で敵の足元を攻め、ドンモとイチジローがとどめを刺しに向かった。