一七二話:悪いところばかり似る
たつ巻が消え、フィリシアはベチャっと地面に落ちた。機械の翼で減速したため、骨の折れた様子はない。
それにしても自分の術とはいえ、たつ巻の威力はすさまじく全身に切り傷が刻まれ、打撲の跡があった。傷跡が残ったら嫌だなと思いつつも、まずは敵を探す。
痛みに震える足に鞭を打って立ちあがると、右手が棒状のなにかを握っているのに気づいた。
「敵の腕?」
自らがつぶやいたように、棒状の物体は魔人の腕であった。結局最後まで握りしめたままの己自身を褒めてやるべきか、フィリシアは微妙であった。
それにしても、髪が短くなってしまった。自慢のポニーテールの半分から下が切れている。もっとも、たつ巻の中に突入してこの程度で済んだのは運がいい方だろう。自分の判断とはいえ、正気の沙汰ではない。
できるだけ守ったと報告する精霊を褒めながら、カセを探す。すぐにバラバラになった敵の残骸を見つけ、フィリシアは勝った事実を噛みしめた。
とはいえ、ゆっくりはしていられない。乱れた息を整えてから、傷だらけになった翼を横に広げた。
ギリギリ自己修復できる範囲だ。これ以上の戦闘は正直避けたいのだが、敵が迫ってくる。
「うわぁ!?」「な、なんだあれ?」「魔人……いや、巨人?」
王国兵が戸惑っているが、仕方ない。新たな敵は巨大な肉人形だったからだ。
ラセツの針を使った魔人がああいう風に変化することは聞いていたが、実際目にすると嫌悪感を抱いてしまう。
「あなたたちは離れてください。あれは私が引き受けます」
フィリシアに大声を張り上げる余裕はなかったが、風の精霊に声を届けてもらった。王国兵が首を回しながら不思議そうにしている。右手に風の塊を発生させ、敵にぶつけた。
肥大化した肉を渦が抉り、弾き飛ばすが、すぐに体勢を立て直された。カセもそうだが、痛みを表に出さないのが厄介である。
今度は足を狙って風を放つが、巨漢に似合わない速度を出され、狙いを外された。その戦闘の様子を見た王国兵がぼつぼつ撤退を始める。正直守る余裕は残っていないのでありがたい。
「守る、ですか」
ひとり呟いて、口が自虐で歪む。フィリシアは彼らを憎んでいる。死んでもいいと考えていたはずだ。
なのに自然と、逃がすために動いている。誰かさんのお人好しの影響と、ガーデンの教えが根付いたせいだろう。
また一つ、魔人だった肉塊が乱入する。傷ついた身ではどれだけ持つかわからない。残った魔力で風の弾丸を生みだし、後退させる。
しかし、攻撃の手は途切れてしまう。精霊に送る魔力が心もとなくなってしまった。
肉塊が吠え、それぞれ足並みが不ぞろいのまま迫ってくる。先頭の魔人の打撃を光の帯で防ごうとするが、受け止めきれず殴り飛ばされた。
しばらく宙に投げ出された後、地面に激突して二、三度跳ねる。打撃で胸を、落下で背中を強打されて息がつまる。涙目のまま視線を動かし、立ちあがろうと両腕に力を込めた。
肉塊二つは互いになぐり合っている。理性を失くした影響だろう。間抜けな光景だが、今はありがたい。
生まれたての小鹿のように四肢を震わせながら立ち上がり、敵を見据えた。
今の自分が取れる手段を一つ一つ検討し、覚悟を決める。肉塊は一つを完全に叩きつぶし、ゆらりとこちらに向いた。
きた、と自らを落ち着かせ、突進してくる姿を観察する。うなりをあげて土煙を上げる敵の足元を、風の弾丸でえぐって穴を作った。見事に敵は足を取られ、盛大にこける。
これはサイの魔人を相手に、サブローがやった手段の一つだ。フィリシアは光の帯の一つを手近な木に縛りつけ、残った魔力を翼に送って加速し、敵の頭に光の剣を突き刺して脳をかき乱した。
敵が激しく暴れ、こちらを叩こうとしたとき、光の帯を巻き取って難を逃れる。魔人だった肉塊はしばらく倒れたまま暴れ続けたが、脳を失って長く持つはずがなく、結局は痙攣したまま動かなくなった。
一息つき、木に背中を預ける。このまま地面に伏してしまおうかと、魅力的な提案が脳内からあがった。
もっとも、そうは問屋が卸さない。またも肉塊が現れ、フィリシアは引きつった笑みを浮かべた。
「もう少し休ませてくださいよ」
自分でも信じられないほど弱々しい声を発してから、魔力を絞り上げる。魔力不足によるめまいを感じながら、迫る肉塊を見上げた。
足がもつれ、翼が動かないため一撃を覚悟した。しかし間に割って入る、小さな影があった。影は光を発し、肉塊の一撃を受けても揺るがない。
「きりきり働いてください、エン様」
「は~いよ」
聖剣の光であらゆる攻撃を一定時間無効化できる護暁の勇者。半獣の王子イ・マッチが肉塊を弾き飛ばす。
続けて青白い光を放つ魔力の箱が敵を取り囲み、身体から煙を上げさせた。肉塊が獣の苦悶をあげ、シューシューと黒い煙を身体からあげる。やがて地面に倒れ伏せ、ぐちゃりと自重でつぶれた。
「やっほー、フィリシアくん。体内の毒を浄化すればほら、連中はああやって肥大化した肉につぶれてしまうのさ」
「エンシェントドラゴン様……」
「もっと気軽にエンちゃんと呼びたまえ」
丁重に断り、駆けつけてくれた二人を見る。安心したためか足の力が抜け、尻もちをついてしまった。
「ほら、フィリシアくん。回復するよ」
「ありがとうございます。イルラン国も参戦ですか?」
「その通りです。マッチに急かされましたが、正解でした」
フィリシアの質問に答えたのは、勇者の師である伊賀見であった。彼はコートをフィリシアに羽織らせる。
「うら若い女性が肌を見せるのは感心しませんね。これを使ってください」
「ありがとうございます」
フィリシアが纏うガーデンの制服はたつ巻によって切り裂かれ、傷と肌を大きく露出させていた。伊賀見の紳士的な対応はとてもありがたく、コートの前を合わせる。
その様子を見てイ・マッチは配慮が足りなかったと謝罪してから、説明に入った。
「イルラン国はでしゃばらないように少数の近衛中隊と諜報部隊のみを連れてきました。まさか合流する前に七難たちが打って出るとは思いませんでしたよ」
「それで諜報部隊とマッチ、そしてエン様が先行した、というわけです」
「しかし服が台無しか。それは困ったものだね。ボクの衣装を貸そうか?」
「エン様。私は女性が肌を見せるのは好ましくないと仰ったはずですが。年寄りのあなた様ならともかく」
「……年寄りは余計だよ。イガミの皮肉は耳に痛いねー」
古代竜と伊賀見の気安いやりとりをぼんやり眺めていると、ズシンと重い音が響いた。急いで首を向け、倒れる肉塊を確認する。
赤い機械の四つ腕を持つ存在が高速で飛び込んできた。
「フィリシア、無事!?」
「師匠さん……大丈夫です。カセも倒しました」
「とはいえボロボロだけどね。ボクでなければ傷跡が残っていただろうし」
古代竜の解説を受け、ミコは悲しそうな顔をする。なんでもないからと声をかけているとき、黒衣に身を包むイルラン国の人物からの報告をイ・マッチが聞いていた。
なぜだから彼はフィリシアに呆れた顔を向ける。
「感心しませんよ。風の精霊術で一番危険なたつ巻に、敵を抱えて突入するなんて」
「フィリシア! なにしているの!?」
ミコの鋭い叱責が飛ぶ。どうやら諜報員らしき男は王国兵から状況を聞いてきたようだ。肩を掴むミコの手に力が入ってきて、なかなか痛い。
「あたし何度かあれを見たことがあるけど、飛び込むとか正気?」
「いや、でも、風の精霊が私へのダメージを軽減してくれるのは、わかっていましたし」
「それでも限度はあるさ。あれだけのたつ巻に巻き込まれたら、君と言えど下手したら死ぬよ? あーあ、髪も切れちゃってもったいない」
古代竜には少し黙って欲しかった。ミコの目がどんどん吊り上がってくる。
「ま、待ってください。でも、実力が足りない私ではこの手しか思いつかなかっただけです」
「嘘でしょ。フィリシアならあたしがヒを倒したことを、探索術で把握できたよ。仲間が駆けつけるまで耐え抜くって手段も取れた」
ミコの指摘は正しかった。七難は強敵であり、無理して一人で当たることはないと口を酸っぱくして言われていた。
ミコでなくても、イチジローやドンモを頼る手だってある。普段なら迷いなくそうしただろう。
「そんなに風の里を滅ぼした奴に弱みを見せたくなかった? 一人で魔人を倒せるって、見せつけたかった?」
ミコの言葉に、フィリシアは胸がチクリと痛む。考えながらも、目を逸らしていた想いを言い当てられてしまった。
うなだれた頭が、相手に抱き寄せられる。
「誰にもフィリシアが弱いって、思わせないよ。頑張っている妹の努力を笑う奴は、敵だろうと味方だろうとあたしがぶっ飛ばす。だから……こんな無茶はしないで。あたし、フィリシアの髪も大好きだよ」
目頭が熱くなる。憎しみで濁っていた気持ちがだんだんしぼんでいき、申しわけない想いでいっぱいになった。
「ごめんなさい、ミコお姉ちゃん……」
「うん。わかったらいい。それにしても、サブの悪い影響を受けすぎ。昔のあいつみたいなことをして……」
ミコのぼやきに食いついたのは、イ・マッチであった。
「あーたしかに昔のサブローさんなら、似たようなことをしていましたね」
彼が出会う以前のサブローを知っている件についてはツッコまない。元々調べていたのだろう。
そんな一同のやり取りに、古代竜が疑問をもった。
「ふむ。そんなに変わるものかい?」
「戦っている姿に余裕を感じますね。ギリギリを攻めることも少なくなって……訓練だとかなり厄介な相手となりました」
「イ・マッチ様もサブローさんと訓練をしたことがあるのですか?」
「ああ。海神くんはイルラン国によく来るので、たまにマッチの相手をお願いしています。実戦の勘を鈍らせては困りますからね」
伊賀見が笑顔で答えるのを、「スパルタ」とイ・マッチが横目で見ながら小さく呟いた。こちらの師弟もいろいろありそうだ。
「けど、イルラン国に行く理由はなんでしょうか? イ・マッチ様はご存じで……」
しまった、という顔をするイ・マッチを見て、フィリシアは頭にひらめくものがあった。みるみる不満が表に出てしまう。
「竜妃ですね?」
「おや、聞いていなかったのですか?」
伊賀見が不思議そうにしていた。古代竜とイ・マッチは苦い顔をしている。口止めされていただろうか。
「女の勘って怖いねー」
「でも竜妃は死んだじゃない。なんでサブがそいつ関係でイルラン国に行くの?」
「師匠さん。たぶんお墓かなにか用意してもらったのだと思います」
「……サブも律儀というか、なんというか」
ミコは肩をすくめて苦笑した。特に思うところがないようだ。
しかしフィリシアはそうはいかない。
「サブローさんに会ったら問い詰めないといけません」
「あの、許してあげてください。特に他意があるものでは……」
「そうだね。ボクからもお願いしたわけだし」
「そんなことはわかっています! 私が問題だと思っているのは、隠し事をしていたことで……いたた」
声を荒げると、脇腹あたりに響く。フィリシアは痛みに顔をしかめながらも、サブローが戦っている場所を見た。
「帰ってきたら話をする必要があります。師匠さんも準備はいいですね?」
「え? あたしは別にそこまで責める気はないけど……」
「師匠さんは甘いです。一つの嘘を許したら次から次へと増えるかもしれないのですよ!」
「サブだしそんなことはないと思うよ。それに最後はあたしたちの傍にいてくれればそれでいいし」
余裕を持つミコに、フィリシアはちょっとだけ羨ましく思った。幼いころから一緒にいるゆえの信頼なのだろう。己にはない強みだと、昔の危機感を思い出してしまった。
とはいえ独占欲の強い自分が、サブローの傍にいられてもなぜか嫉妬しない相手であった。不思議でしょうがない。
「さて、これでよし。フィリシアくんを後方に連れて行きたまえ」
「私たちはイチジローさんたちを援護に行こうと思います。肥大化した魔人はまだ暴れているでしょうし」
イ・マッチたちの報告を受け、ミコがフィリシアを連れていく。大人しくなすがままにされ、運ばれることにした。
「イ・マッチさんたち、気を付けてよ」
ミコはそれだけ言い残した。フィリシアを連れ、二人きりになった空中でひとり言のようにつぶやく。
「けどフィリシア。あたしたちのところから離れたいって言ってきたら、どうしよう。あたし、我慢できないかも」
珍しく暗い目をするミコに、大丈夫だとだけ返す。彼女は彼女で別のところに不安を感じているようだ。
安心したような、不安を感じるような、よくわからない状態であった。
ふと、支え合えるから嫉妬しないのだろうかと思う。自らが姉と慕う相手の顔を眺めながら、結局答えは出なかったのだった。
ミコ―妹的な意味で好き→フィリシア
フィリシア―性的な意味で好き(無自覚)→ミコ
フィリシアにバイ素質があるためそんな関係です。