十七話:勇者の影
花畑の後は中腹の小屋にたどり着いて朝を迎えた。
目的の転移の祭壇まで、一両日中にたどり着く距離となった。
子どもだけの道のりはどうなることかと思ったが、安全なまま目的を終えそうである。
「そういえば皆さんが使っているその袋、なにが入っているんですか?」
朝の支度の最中、サブローが好奇心に目を輝かせて手元のムグの葉を入れた袋を見ていた。
フィリシアが説明しようとした時、アレスが悪戯を思いついた顔をして動いた。
「ムグの葉つって、水に混ぜて口をきれいにする薬だよ。にーちゃんもつかうか?」
「へー、こちらで言う液体歯磨きですか。試してみましょう」
止める間もなくサブローがムグを混ぜた水を口に含んだ。
すぐに顔を青くして悶えるのだが、吐き出さずに口をちゃんとゆすいだのはさすがである。
一連の口内を綺麗にする作業を終えたサブローは肩で息をする。
「にっがい! 苦いですこれ!」
「はは、だろー。にーちゃんもそう思うよな?」
「おにいちゃんもこんなの使うのいやだよね! だよね!」
「ふたりとも、フィリシアおねえちゃんが見ているよ……」
戸惑うアイをよそにムグの葉を嫌う二人が、珍しく仲良くサブローに詰め寄っている。
あまり甘やかして欲しくないなとフィリシアが成り行きを見守っていると、
「いえ、確かに苦いですが、歯の汚れがすごい落ちますね……。良薬は口に苦しとはこのことですか。お二人もちゃんと使うべきですよ、これ」
「おにいちゃんにうらぎられた!」
さすがに大人の意見をしてマリーにショックを受けられた。
ムグの葉はたまに里に来る旅人や冒険者も避けるような代物なのだが、そう言ってのけることに感心した。
「まったく、アレスくん後でお話があります」
「うげっ。にーちゃんはこの調子だし勧め損かこれ」
アレスが顔をゆがめ、遅れてやってきたエリックやアリアが笑う。
クレイはまたかと呆れた顔でため息をついていた。
転移の祭壇で魔法大国クトニアにある地の一族の里へ向かえば、王国の追手はひとまず撒ける。
みんなの気が緩むのをフィリシアは咎める気になれなかった。
だからだろうか。まるで罰かのように幸せな時間は終わりを告げた。
「!? まさか……」
最初にサブローが身を変えて傍の木に飛び乗った。視線はふもとの方に向いている。
すかさずアリアが探索術を起動して、焦りを見せる。
「うそ。すごい速さに向かってくるなにかがいる」
「なんですかあれは? ふもとの大木が破壊されています。あの人、魔人並みに速い? ……いや、それ以上です」
飛び降りるサブローとアリアの報告を聞き、一同に動揺が走る。
フィリシアはなにか言わねばと口を動かすのだが、言葉にならない。
「うかつでした。昨日のうちにみなさんを転移の祭壇へ運んでいれば……」
「今からでは無理なんですか?」
「この人数ですからね。どうしても往復が必要になります。そしてあの速さでは追いつかれてしまうでしょう。しかし、魔人並み……いえ、魔人以上の力を感じましたが、見た目は普通の人間でした。そういった存在は御存じですか?」
「勇者です……。精霊は勇者が好きですから、迷いの森も突破できます」
エリックが答えを教える。いや、エリックだけではない。
フィリシアもアリアもその可能性が一番に浮かんだが、信じたくなかったのだ。
「そんな! なんで勇者がマリーたちをころそうとする王国に協力するの?」
「私のせいです。私が魔人を召喚したから……」
勇者とは四本しかない聖剣に選ばれた存在だ。冒険者ギルドの最高峰の地位と名誉、そして特権を受け取ることができる。
その代わりこの世界の秩序を守る義務があった。魔人の召喚などは秩序を乱す最たるものだろう。
フィリシアは震えながら服の裾をぎゅっと握る。もう少しなのに、みんなでたどり着けると思ったのに。
そう小さくなる肩を、いつかのようにポンッと叩かれた。
「まあ来たものは仕方ありません。フィリシアさん、みなさんと小屋で待機していてください。足止めしてきます」
「足止め? どういうことなんだな?」
「二、三十分動けなく出来れば、いつかフィリシアさんたちを遺跡に運んだやり方で全員を祭壇へと連れていけます。乗り心地は最悪ですので、覚悟はしていてください」
「足止めって……まさかサブローさん勇者を相手に?」
「それしかありませんしね」
「だ、だめ! サブローさん、ぜったいだめ!」
アイが珍しく大声を出す。物語を楽しんでいた彼女にはわかってしまったのだ。
「魔人は国を亡ぼせるけど、勇者は世界を救える。サブローさんがあぶないよ!」
「まあ勇者ですしそれくらいはやれませんとね。大丈夫ですよみなさん。僕は格上と戦うのは慣れていますから」
何の気負いもなくサブローが笑う。その姿に不安を覚えたエリックが食って掛かった。
「今回は殺すつもりはないなんて、言いませんよね?」
「いや勇者を殺してはまずいでしょう」
「なにを言っているんですかサブローさん!」
エリックは悲痛に顔を歪ませてサブローの胸ぐらをつかむ。
「いいですか? 今代は三人も勇者がそろっています。誰が相手でも厄介ですが、中でもドンモ・ラムカナは別格です。魔王を倒した四聖月夜の聖剣に選ばれ、二人も魔人を倒しているんですよ。彼らを相手に殺さないように戦うなんて、自殺しにいくようなものです!」
「それは違いますよ、エリックさん」
安心させるためにサブローは彼の茶髪を優しくなでる。
大人びているエリックは恥ずかしそうにするが、テコでも動かない姿勢を崩さない。
「僕はこんなんなんで格上の魔人とも衝突が絶えませんでした。その経験から言わせてもらうと、下手に殺気丸出しにすると動きを読まれてしまうのですよ。適当に嫌がらせをして、時間を稼ぐぞーってぐらいの方が長生きできるものです」
「……ですが」
「それに、勇者を殺せだなんて悲しいことを言わないでください。彼らはあなたの世界の希望です。今回は不幸なすれ違いで衝突が避けられませんが、きっといつか、あなたの生活を守ってくれる存在です。大丈夫ですよ。みなさんで必ず転移の祭壇へ向かいましょう」
この期に及んでも態度を変えないサブローに、エリックは力なく引き下がった。
自由になった魔人の右手を、フィリシアとマリーが必死につかむ。
「おにいちゃん、やだ……」
「どうしていかないといけないんですか? きっとほかに手段があるはずです。なんで勇者と戦いに行くんですか」
あまりにも理不尽だ。サブローは望んで魔人になったわけではない。
フィリシアとそう変わらない年齢で多くのものを奪われ、それでも優しさを失わずにいてくれた。
勇者に討伐されていい魔人なんかでは、絶対にない。
「サブローさん、あたしに援護とかできない?」
「そ、そうなんだな。サブローさんだけを戦わせるなんて、おかしいんだな。ぼくも何に役に立てるかわからないけど、精霊術を使えばきっと……」
アリアとクレイの提案を、サブローは首を横に振って拒否をする。
マリーとフィリシアの手を優しい手つきで離し、勇者のもとへ向かう。
途中立ちふさがるアレスが、泣きそうな目でサブローを見上げた。
「約束、わすれるなよ!」
「ええ、もちろん忘れません」
短く答え、一足跳びに姿を消した。
残されたアレスが悔しさに握った拳を震わせている。
フィリシアはサブローの消えた先をしばらく見続けていた。