一五五話:天使の輪の適合者たち
「それはできません。彼らは私たちの頼もしい味方ですから」
難民たちから明らかに落胆した様子が伝わる。子どもたちなど泣きださんばかりに目を潤ませていた。
フィリシアは大きく息を吸い込み、意を決する。
「私を助けたのは白い魔人……カイジン・サブローさんです。彼は無理やり魔人にされた方で、その力を私たちのために振るってくれています」
「そんなのわかるもんか! 嘘をついているかもしれないじゃないか!」
「……創星様も騙されていないか、わしらは不安なんです。魔人が勇者など、あり得るはずがない」
フィリシアは悲しくなった。直接魔人の被害を受けている彼らからすれば当然の反応だが、サブローだって被害者だ。こんないわれを受けていいはずはない。
フィリシアはなるべく優しく微笑み、諦めずに説得を続けた。
「いえ、サブローさんを見ていれば、それは誤解だとわかるはずです。彼は……私の大事な人ですから」
信じられないものを見る目を無視し、無理やりレーションの使い方の説明に入った。基本的にレトルト食品と似た物であり、湯煎するだけでいい。
缶詰タイプのレーションも存在すると聞いていたが、かさばるためか今回は配られていない。温めるのにも時間がかかるとサブローが言っていた。
支給された物はビーフシチューだったようで、携帯コンロに火をつけて湯煎を始める。簡単に火を起こせる道具の存在に村人たちは驚いていたが、袋をお湯で温める姿に疑問を持ったようだ。
もっとも、十分もすれば彼らは答えを得ることになる。温まった袋を裂き、使い捨ての容器に入ったビーフシチューが現れると、匂いで難民たちがごくりと唾を飲む。
温まった白いご飯と共に差し出し、付属していたプラスチックのスプーンを渡すと、まず子どもががっついた。
「こ、こら。失礼でしょう」
「いえ、構いません。皆さんもご一緒にどうぞ」
フィリシアが穏やかに勧めると、彼らも子どもたちに続いて食べ始めた。逃げ惑い、ろくに食事もとれなかったのだろう。すぐに夢中になっている。
邪魔をしないようにそっと離れて、遅れて食事の準備をする兵に後を頼んだ。
「任せてください。それにしてもこれ、俺たちも初めて食べるのですがすごいですね。水の国の兵はいつもこんなものを食べられるとは……少し羨ましいです」
そういって彼らもよだれを垂らさんばかりに温まるのを待った。水の国は一度だけレーションの食べ方を学ぶために、試食をしてみたらしい。結果好評で、パルミロも彼らの反応に満足していたと水の国の将軍から聞いていた。
もっとも、国王である彼はダンボールや使い捨てに出来る容器の方に興味がわいたようで、研究に入らせている。なんでも配送技術に革新をもたらせると目を輝かせて語っていたそうだ。
――我々としては長い時間食べられる状態を維持できる不思議な袋が気になってしまいますが、陛下はそちらの技術は時間がかかると見抜いたのでしょうね。我々と見る世界が違うお方です。
そう将軍は信頼を寄せた笑顔を浮かべた。回想しながらフィリシアはミコを伴い、戻る途中にパルミロのことを話題にした。
「パルミロ様、すごい勢いでガーデンから物資を融通してもらっていますね」
「長官が頭を抱えている姿が見える。それにしても行動力がすごすぎる」
「もともと自国を発展させるのに貪欲な方でしたから、日本を知ればこうなるのも当然でした」
力なく笑い合い、やがて影がさす。
「サブへの誤解……解けるかな?」
「解きたいとは思います。けど、直接魔人に被害を受けた身となると……」
「サブがやったわけじゃないのに」
ミコが爪を食い込ませるほど強く握りしめている。これまでは魔人の被害が少ない国での活動だったため、ここまで悪しざまに言われることはなかった。少なくとも表向きに、ではあるが。
「さて、師匠さん。私たちもお腹すきましたし、戻って食事をしましょう」
「そうだね。海老澤の頼みも、あれじゃ聞けないだろうし」
「エビサワさんの頼み……?」
フィリシアはしばし頭を悩ませ、女の子に声をかけてきてほしいという言葉をようやく思い出した。
「え? 師匠さん、あんなバカみたいなお願いを聞くつもりだったのですか?」
「フィリシアって海老澤に手厳しいよね……。あいつの意図はともかく、一緒にご飯を食べるのは悪いことじゃないって程度だよ。あたしは」
なるほど、とフィリシアは納得した。人となりを知るのに食事はいい機会である。魔人たちにたする印象が悪くなければ、最善の手であっただろう。
いつか一緒に食卓を囲える日が来ることを望み、サブローたちの場所へと戻った。
それから二日は特にトラブルはなく、国境の砦付近へとたどり着いた。
魔法大国の兵や地の里の兵が駐在し、最近はガーデンの人員も支援に来ているという。これは最近魔人を減らして焦った魔王軍が、隣国の国境を攻めているのが原因だ。
水の国王パルミロが交渉を開始し、各国とガーデンの仲を取り持った結果、手を取り合うことになった。
一時この砦も攻め落とされたのだったが、半独立領である地の里とガーデンが戦力を貸し、魔法大国が取り戻した。
「こっちはガーデンの東北支部が力を貸しているんだよね。天使の輪を使う綺堂さんがいたはずだよ」
「私と師匠さん以外で、天使の輪を使う方にようやく会えるわけですね」
「そうなるね。綺堂さんにサブやフィリシアを紹介するのが楽しみだなー」
ミコも慕っている相手に会えるためか、嬉しそうである。彼女に信頼を寄せられているということは、悪い人ではないだろう。
「おーい。女の話か?」
いつの間にか現れた海老澤にフィリシアはびっくりした。相手はよっ、と片手をあげて目を輝かせる。
「綺堂さんは確かに美人だけど、兄貴に気があるよ」
「なーに声をかければ乗り換えるかもしれんし、試してみるさ。だいたいサブローとイチジローがモテて、俺がモテんとか納得できん」
「エビサワさんの場合、黙っていればけっこう寄ってくるではありませんか。自分で台無しにしているだけで」
「んなことを言われてもこれが俺だい。取り繕ってお前らみたいな重い女をひっかけたくねーし」
「お、重くないもん!」
ミコがなぜか大いに狼狽えていた。フィリシアも心外である。
「しかしこちらに来るとは……。どうしたのですか?」
「別に勝手に持ち場を離れたわけじゃないんよ。砦の姿が見えたから、一応水の国の将軍にも伝えに来ただけ。伝令くんにはさっき言って、その帰りだ」
「そうでしたか。お疲れ様です」
珍しく海老澤がまじめだったため、フィリシアは労った。視力の強いサブローか海老澤のどちらかが見つけたのだろう。
足も速いため、こういう地味なところでも活躍する二人だった。
ぼんやりとそんなことを思考しているフィリシアに、声をかける存在が現れた。
「聖乙女のお姉ちゃん、あそぼう!」
三人の子どもたちが息を切らせながら飛び込んできたので、優しく受け止めた。彼らは難民の子どもたちで、フィリシアとミコによく懐いてくれた。
サブローが難民を気にかけていることもあり、フィリシアとミコの二人でよく様子を見に行く。そのため、彼らには懐かれた。
「聖乙女……勇者並みにけったいな呼ばれ方してんなー」
「そういう伝説があります。別に名乗ったわけではありませんからね」
海老澤に軽く注意をすると、子どもたちがより強く縋りついてくる。疑問に思ったフィリシアが視線を下に移動すると、怯えている姿が目に入った。
「お、おねえちゃん。あいつ、魔人……だよ」
「…………はい、知っています。仲間ですから」
フィリシアがそう答えるのだが、彼らは安心せず青い顔のまま震えていた。気まずい思いを抱えて海老澤の様子をうかがうのだが、
「ふふふ。やはり時代はワルだな」
「ごめん。なにを言いたいか全くわからない」
「男の渋みって奴をわからないとは、まだまだおこちゃまだな、ミコ」
などと笑いながら去っていった。意味が分からない。
「悪い奴じゃないんだけどね……」
ミコの言葉がすべてのような気がした。あれでサブローと気が合っているのだから不思議である。フィリシアは子どもたちを落ち着かせてから、空を飛ぶのに連れ出して喜ばせた。
無邪気な彼らの笑顔を見ていると、サブローと普通に接するようになって欲しいと願う。そしてその原因である逢魔や魔人に苛立ちを向けた。
砦に入ると歓迎をされた。
魔法大国側の兵を束ねる隊長と、ガーデン側のまとめ役である綺堂小百合が出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました。私はこちらの砦の責任者、ミコラーシュ・ヴルクと申します。そしてこの方が異世界の協力者の……」
「ガーデン防衛部隊の小隊長を任されてる綺堂小百合と申します。皆様、よろしくお願いします」
ほう、と息を飲む声が聞こえた。それも無理はない。綺堂小百合はフィリシアでも見惚れたくらいだ。
濡れ羽色の髪はセミロングでまとめており、活発さと淑やかさを併せ持つ印象を与える。
ミコに負けないくらい長身で、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。手足は長く、立っているだけで絵になるような女性だった。
「彼女は魔人とも単体で渡り合い、この砦を取り戻した一番の功労者です。勇者と同行している女性と同じ武器を使うそうです」
ミコラーシュは説明を続け、精霊術一族の軍はより感心をする。水の国にしろ地の里にしろ、天使の輪の力は目の前で見てきている。頼もしくて仕方ないだろう。
フィリシアもミコ以外で初めて会う、天使の輪を使う相手だ。話を聞きたくて仕方ない。
ひとまずこの場は行軍を労われ、詳しい打ち合わせは明日に行うこととなり、解散となった。
難民の人たちに声をかけてから、ミコと合流し砦の中を回った。サブローたちがいるだろう部屋に向かっていると、話しかけられる。
「ミコ、久しぶりだ。そして君がフィリシアか」
魅力的な笑顔を浮かべる綺堂が現れ、親し気に寄ってきた。ミコと仲が良いと知っていたので、フィリシアは迷いなく頭を下げる。
「綺堂さん、久しぶり。フィリシアも知っていると思うけど、あたしたちの先輩だよ」
「はい。綺堂さんは天使の輪に初めて適合した方だと聞いています」
フィリシアが確認した通り、綺堂は最初に天使の輪を扱えるようになった人間だ。逢魔に対抗していた後期は、彼女と『魔人を殺す魔人』が二枚看板として戦場を駆け抜けたと聞く。
それまで孤独に戦っていたイチジローの力になったそうだ。
「ふむ、ようやく後輩に会えたのだが、なかなか可愛らしいお嬢さんだ」
「そ、そんなことありません。綺堂さんのようなお方が格好良くて羨ましいです。はい」
焦りながら答えるフィリシアを、綺堂は微笑ましそうにしてた。露骨な年下扱いにはムッと来るはずのフィリシアだが、なぜだか不快にはならなかった。
「しかし、これで私が知らない適合者はあと一人になりましたか。どういったお方なんですか?」
「あれ? ミコ、言っていなかったのか?」
「そういえば言い忘れていた。こっちでの任務が忙しくてつい……」
なにを言い忘れたのか疑問に思っていると、綺堂が姿勢よくこちらに向く。
「フィリシア。君とミコの活躍で天使の輪の実戦データが集まり、適合条件を広げることができた。量産機種だけで三十人ほど適合者が見つかっている」
「えっ!? そんなにですか?」
「君がさっき話題にしていた男も『これで男女比がまともになる』と喜んでいたぞ。二人のおかげだ」
どうやら最後の一人は男性らしい。男女比などそんなに気になる物だろうか。
まあそれはさておき、喜んでくれたのなら幸いだ。
「ところで綺堂さん。兄貴には会いに行かなくていいの?」
からかうようなミコに対し、綺堂は吹きだした。せき込み、涙目で睨みつける。
「ミコ……不意打ちはやめてくれ」
「そうは言うけど、兄貴ってばソウラって可愛い娘にアプローチをかけられているよ。いいの?」
事前に聞いていた通り、本当に綺堂はイチジローに想いを寄せているようなので、フィリシアは様子をうかがった。
すると綺堂の動揺で崩れた顔を目撃し、見てはいけないものを見た気持ちになる。
「ほ、ほんとうか!? い、いや。私には、関係……ない!」
「素直になったほうがいいと思うよ。兄貴鈍いけど、あれだけ積極的だとさすがに気づくかもしれないし」
「ぐぬぬ……えーい! 私のことをより、自分の心配をしたらどうだ? ミコ!」
綺堂は必死に話題を逸らすのだが、ミコは余裕の笑みを携えた。途端、話題を振った本人が不安そうになる。
「まさか……あんなに鈍い鈍いと愚痴っていたのに!? そんな、いつの間に……」
「まあ、いろいろありまして」
そう言いながらミコはサブローとの関係をすべて教えた。話が進むにつれ、綺堂は目や口を大仰に開いたり、ミコやフィリシアに視線を行き来させたり、せわしない。
やがて聞き終えた彼女はため息をつき、両腕を前に組んだ。
「いや……二人同時とは、その、どうかと思うぞ。私から話をつけようか?」
「だいじょうぶ。フィリシアと話し合った結果でもあるし」
ミコがフィリシアの肩を抱く。なんとなく、フィリシアの頭を彼女に寄せた。
「そうか、本当に納得しているのなら言うことはない。しかしここは複婚して構わないのか。もし海神が他の女性も迎えたいと言ったらどうするんだ?」
「そのときはサブを殺してあたしも死にます」
綺堂の冗談に、ミコはノータイムで答えた。眼が真剣であり、答えられた方が固まっている。
フィリシアはため息をつきながら、そっとミコの肩に手を置いた。
「ダメですよ、師匠さん」
「そ、そうだ。早まることはないぞ、ミコ」
「サブローさんを殺すなんて、もったいないではありませんか。ちゃんとお話しするために、外出禁止にして私たちの良さを教えましょう」
なぜだか綺堂の顔がよけいにひきつった。平和的解決をミコに示しているのに、その反応はフィリシアにとって意外だ。
「良さを教える?」
「はい。私たち二人が居れば、新しい女性なんて必要ないとわかってもらわないとなりません。そのために、多少の不自由をサブローさんに強いる権利があると思います。ですからまずは、サブローさんを確保して説得をしましょう。根気よく話し合えば、サブローさんのことですからわかってもらえるはずです」
「……そっか、そうだね。ごめんね、フィリシア。ちょっとあたし先走りすぎた」
「え? それで納得するの? だいたい説得ってなにをする気だ?」
「いいえ、気にしないでください。心情的には私も同じですから。でもサブローさんを閉じ込める状況は、少し憧れます」
「バカだなー、フィリシアは。サブがやらかさなかったら、そんなことする必要もないんだよ?」
「わかっています。それに竜妃と同じになってしまうのは、私も避けたいです」
ミコも納得の笑顔をする。やりたいのと実行するのは違う。理不尽で彼を傷つけるだけの行為は、フィリシアだってしたくない。
そんな仲の良いやりとりをする二人を見ながら、綺堂はブツブツとつぶやいている。
「やらかしたら閉じ込める気なのか? ミコがいつの間に……これ、厄介な二人を押し付けた感じになっていないか? もしかして……」
結構失礼なことを言われたが、フィリシアも物騒な発言だったことは自覚している。なので触れないで綺堂の手を取った。
「では綺堂さん。イチジローさんとサブローさんがいる部屋に行きましょう」
朗らかに誘うが、綺堂はどこか反応が鈍かった。きっと恥ずかしがっているのだろうと手を引いて進む。
実際は少しだけ怖がられているのだが、フィリシアは気づくことがなかった。