十六話:花畑と写真
「それにしても、オーマっていったい?」
中腹の小屋に向かう途中、エリックは思わずといった様子でつぶやいた。
フィリシアは少し気になってサブローの顔をうかがうと、いつも通りの笑顔で返事をしていた。
「あらためて言われると謎ですね。僕の世界で十年前にぽっと出て雑な破壊活動ばかりしていましたし」
「も、もしかして魔王……?」
「ははは、アイさん、僕は首領の姿を見たことがありますが、あんな情けない魔王なんてあり得ません。人ではありませんが、最強の魔人が守っていなければ人間でも簡単に倒せますよ」
「そう……?」
笑い飛ばしながら「最強の魔人も倒されましたけどね」と寂しそうに補足するサブローを、アイは不思議そうに見つめた。
フィリシアと並んで先頭を行くアリアが会話に加わる。
「けど、こちらの魔法を使っていたんでしょ。もしかして魔王でなくても、魔導士かなにか?」
「だとしたらぼくらの世界の魔導士になりそうですけど、サブローさんたちの世界に行けるのでしょうか?」
「……魔導士かどうかはともかく、こちらの住民であった可能性は高そうですね。逢魔は異世界への移動を研究していましたから」
新たな事実に全員の視線がサブローに集中する。
安心させるように微笑みながら彼は説明を始めた。
「閑職みたいな場所かと思ったら、意外と力を入れていて驚いたものです。まあ成果は芳しくありませんでした。今思えばあれだけ力を入れていたのは、こちらに帰りたがっていたのかもしれません。失敗したようで喜ばしい。……ここが巻き込まれたら、たまったものではありません」
「うん、オーマが来なくてよかった。でもマリーはおにいちゃんとあえてうれしいよ!」
サブローは嬉しそうに「僕もです」とマリーの頭を撫でた。
気持ちよさそうに目を細める妹をしり目に、フィリシアは考え込んでしまう。
いつも嬉しい、優しい、と言ってくれる彼は本当に報われているのだろうかと。
恩があるからといつも言うが、なくても自分たちを見捨てるような真似をするとは思えない。
むしろフィリシアたちを助ける理由にしている節がある。
あまりにも些細なことで喜んでくれるから、そんなサブローについ甘えてしまうのだ。
これではいけない。本当に恩を受けているのは自分たちなのだから。
「それにしてもあのオルトロス以来魔物を見ませんね」
「たぶんサブローさんがいるから。魔物はけっこう敏感だから、オルトロスみたいに軽率か、よっぽど鈍い奴じゃないと魔人に近寄らないと思う」
「お、おぉう。そういえばこの身体になってから、動物園の動物たちにも滅茶苦茶怖がられていました。
自分の身体が意図せずファンタジー要素を避ける結果になろうとは……」
「いや安全でいーんじゃねーの?」
アレスがもっともなことを言いながら笑う。
サブローも気を取り直してそれもそうだと同意し、なにかに気づいた。
「ん? 花畑があります」
「もう見えるので……いやそうですよね。一族で管理しています。今後手入れは無理かもしれませんが」
サブローが申し訳なさそうに黙った。
そんな顔をさせるのが心苦しく、フィリシアは慌てて話を続ける。
「どうせなら寄ってみますか? あそこまで行けば中腹の小屋は目と鼻の先ですし」
「え、いいのおねえちゃん!」
マリーが顔を輝かせる。あそこは妹のお気に入りだ。
「本当ならそんな余裕もないはずでしたが、サブローさんもいますしね」
「わーい、やったー!」
サブローの手を取ってくるくる回る。釣られて手を握られている方も笑顔に戻った。
「あーでもおれはあそこ苦手なんだよな。匂いがきついっていうか」
「花のいい匂いなんだな」
「甘ったるくて吐きそう。そりゃマリーみたいなおこちゃまにはいいんだろうけど」
「おこちゃまじゃないもんバカアレス!」
「け、ケンカはよくないよ。またフィリシアおねえちゃんに叱られるよ」
年齢の低いメンツが騒がしくなる。みんな心の底から楽しんでいた。
「今も楽観していい状況ではありませんが、まあなんとかなりますか」
「探索術に引っかかるものはないし、いいんじゃない?」
アリアとエリックも同意し、話はまとまる。
一同は寄り道を決め、早足で向かった。
色とりどりの鮮やかな花が咲き乱れる、風の一族の花畑が広がっていた。
風によって花がそよぎ、甘い香りがここまで漂ってくる。
フィリシアたちは管理のためもあり何度も訪れた場所だが、初めてのサブローは目を丸くして感動していた。
その反応にフィリシアは少し誇らしくなる。
「わー! ここはいつ来てもきれーい!」
「マリー、あまり遠くに行ってはいけません」
興奮して駆けだす妹を捕まえて注意する。瞬間、カシャリと軽い音が聞こえた。
音源はやはりサブローで、その手にいつかのチョコよりも少し小さく、同じくらい薄い四角の箱を姉妹に向けていた。
「あ、すみません。思わず綺麗で、フィリシアさんたちと一緒に写したくなりまして、つい」
「写す……?」
サブローは首をかしげるフィリシアに箱の裏側を見せる。
そこには花畑と自分とマリーが小さく収まっており、妹とともに素直に驚いた。
「すごい、マリーとおねえちゃんがここにいるよ!」
「スマホと言いまして、カメラ機能を使えば景色を写していつでも見ることができます。今まで使い道がなかったので電源を落としていましたが、ここにきて活躍ですね。……まあ今のところ充電手段がありませんので、長くは使えませんが」
本当に残念です、と呟くサブローの周囲にみんな集まってくる。
「うお! こんな小さいのにくっきり写っている」
「綺麗に写りすぎてこわい。……なんかのまじないとかじゃないの?」
「アリア、それならサブローさんが使うはずありませんよ。それに似たようなものは確か、魔法大国にあったはずです。……あれと違って魔法が使われている様子もありませんし、小さいしどうやっているのでしょうか?」
「サブローさんの世界ってすごいんだなー」
「サブローさん、わたしも、写りたい!」
「……アイさん、もちろんお願いします。ですがその前にみなさん、全員で写りませんか?」
サブローの提案に全員が目を輝かせた。いや、アリアだけは少し警戒心を見せている。
そんな彼女の腕をとってフィリシアは大きくうなずいた。
「もちろん構いません。ですよね、アリア!」
「フィリシアさんから絶対逃がさないって意思を感じる……。しょうがない、付き合うか」
茶化すようにアリアは呟いて覚悟を決める。まだ顔が引きつっているのに素直なのは、力のこもったフィリシアの手のおかげだろう。
観念したアリアを連れて、幼馴染たちや妹と一緒に並んだ。
サブローはスマホと呼んだ板を操作し、触手で固定してフィリシアの脇に立つ。
「みなさん、スマホに向かって笑ってください。にっ!」
妙な掛け声とともに、笑顔の一同を連続した乾いた音が迎えた。
時間にして一秒にも満たない。終わったのかどうかも判断つかないフィリシアたちは立ち尽くす。
一番先に動いたサブローが触手を手元に戻し、板を手に取って皆の写る絵を見せてくれた。
「お、ちゃんとおれいる」
「こんなに小さな自分を見るのは、変な感じなんだな」
「ク、クレイはおっきいもんね。わたしもいた」
「……魂とかとられたりしない? 大丈夫よね」
「こんなに心配性なアリアをぼくは初めて見ました。君にも怖いものがあったのですね……痛っ!」
「おにいちゃんもいっしょ!」
未知の技術に一気に場が沸き立った。
サブローの世界の技術には驚きっぱなしである。
そんなはしゃぐ声で騒がしくなった場でさえ、静かにつぶやかれた彼の言葉は通った。
「ええ……みなさんが一緒に写っています」
感極まっているサブローの顔に全員の視線が集中した。
彼の顔は本当に幸せそうで、皆の写った板を愛しくてたまらないと見つめていた。
その笑顔が儚く感じてフィリシアはなぜか不安になる。
このままサブローが消えてしまうのではないか、そんな錯覚に陥ってしまった。