一五四話:戦いの聖乙女
集団で動く三眼魔狼にとって、人間はたやすい相手であった。鼻だけでなく、視界も利く彼らは魔王の命によって、王国を脱走しようとする人間を狩る役目があった。
敵が占拠したという砦は常に魔物の目もあり、一般人が助けを求めることは不可能だった。小癪にも辺境の村に住んでいた脱走者は、這う這うの体で山を登り、途中川を下って魔法大国領まで逃げ延びていたのだ。
水で臭いが途切れてしまったため、三眼魔狼は最初こそ焦ったものの、川を降りる小舟を見つけて追いかけていった。国境を越えた状況を理解しつつ、確実に一歩一歩追いつめ、全滅まで確実という数まで減らしていったのだ。
小さい個体の人間――おそらく子ども――が転び、メスの人間が助け起こそうとしている。ご馳走が転がり込んだと意地悪く口を歪め、滴る血を味わおうとあぎとを大きく開いた。
しかし足がそこから一歩も動かない。身体が震える。本能が逃げろと警告していた。
なぜ?という思考が、彼にとっての最期となった。
間に合った。触手ではね跳び、加速を繰り返したサブローは、右腕だけを変化して“竜爪”で狼型の魔物を切り裂いた。
黒い鱗がびっしり詰まった右腕は、完全に竜の魔人そのものである。後ろでは追いついた海老澤が、一匹の魔物の頭を踏みつぶしていた。黒い魔人は鈍重そうに見えるが、脚力は侮れない。こちらは足ではね跳び、触手を駆使するサブローとほぼ並んで到着したのだ。
「大丈夫ですか? このまま進めば精霊術一族の軍と合流できますので、足を止めないでください」
サブローが声をかけるものの、母子はおびえたように海老澤とサブローの右腕に視線を行き来させていた。見回せば、数人の男女も似た反応だ。
一通り状況を確認し、サブローは殲滅戦に防衛も追加する。
「海老澤さん、創星。魔物を殲滅させます。賢い様子ですので、一匹も逃がしません」
「あいよ」と相棒と聖剣が応じた。同時にサブローも全身を変化させる。基本は以前までと同じく、白いイカの魔人であった。
しかし先ほども見せたとおり、右腕は完全に竜妃と同じ物へと変わり、また魔人の身体に合わせて肥大化したいつもの右目も、途中で竜のそれへと変化をしている。右まぶたの周りにはぽつぽつ、鱗が付着していた。
イカに竜を混ぜた合成魔人。その醜い姿をさらしながらも、人を守るために顕在した。
「ずいぶん迫力ある姿になっちまったな」
「けっこう気にしているので言わないでください」
「オレは格好いいと思うぜ、アニキ!」
からかう海老澤とよいしょする創星は緊張感を持ってほしい。そう願うサブローはさらに広くなった視界で敵をすべて捉える。
魔人の気配で尻込みする魔物を油断なく見据え、触手を広げた。さすがに反応が早く、飛び退かれるが、それでも三匹捕まえる。
地面にたたき下ろして潰し、触腕で握る創星で逃げようとする一匹を縦に裂く。海老澤は村人を守るように位置取り、岩を投げ飛ばして二匹倒した。
サブローは内心感謝をしながら、特に速い個体へと聖剣の光を使う。後ろ足を固定された三眼魔狼は戸惑い、必死に抗うがサブローの爪によって首を跳ねられた。
「アニキ、一匹逃げていく」
「あれを使います」
創星に答え、サブローは右人差し指を敵に向け、全身から火の粉を吹き出した。
竜妃の魔と融合して以来、スミを吹きだすことはできなくなっていた。元々単独行動でしか役に立たず、最近は人と組むことが多かったので使いどころがなかったのだが、失くしてみるとそれなりに寂しかった。
代わりに竜のブレスが火の粉として出せるようになり、戦闘の幅が広がった。竜妃のように吐息として出すわけではないので、威力も物量も遠く及ばない。
それでもこうして指先に火球としてまとめ上げ、標的を撃ち抜くことができる。最後の三眼魔狼を燃やし尽くし、戦闘を終えたのだった。
サブローは人に戻って声をかけるのだが、「たすけて」だの「ゆるしてください」だの反応が芳しくない。
魔物の死体を調べたところ、心操の呪印が存在し、逢魔の手によるものだと判断できた。怯えられながら話を聞くと、王国の辺境から山を越え、川を下ってここまでたどり着いたことを知った。
途中で犠牲もあったため、今ここに居るのは女子ども、そして老人がほとんどだ。村を出たことがなかった彼らには創星の威光も通用しないため、勇者の立場を使うのも難しい。逢魔によって王国に立ち寄る商人も減ったため、他国の情報を得るのはほぼ不可能なのだろう。
しかしこのままでいてはいけない。草原は広く、見晴らしが良い。魔人の気配に鈍い魔物が襲ってこないとも限らないため、なるべく安全な場所に移動をさせたかった。
ここは心を鬼にして脅しながら進ませるべきか。サブローは気を重くしていると、アルバロが追い付いてきた。
「あ、あれは精霊術一族の旗!」「助けが来たのね!」
精霊術一族の軍旗は知っている様子で、サブローは安堵した。元気に助けを求める彼らの前でアルバロは馬を停め、けが人を治療するように部下へ指示を出してから、サブローたちのところへ近寄る。
「サブロー、エビサワ、苦労を掛けたようだな」
「いえ、少数でしたし、大したことはありませんでした」
アルバロが労う姿に、難民たちは混乱をし始めた。恐る恐ると言った様子で老人が疑問を挟んだ。
「あの、精霊術一族は魔王と手を組んだのでしょうか?」
「そんなわけないだろう。むしろ今は勇者とともに討伐に出ているんだぞ?」
「アルバロさん。彼らは王国から逃げてきたそうです」
サブローが説明すると、アルバロも納得の顔が浮かんだ。咳ばらいをし、サブローを紹介し始める。
「そうか、王国だとまだ話が届いていないんだな。お前たちを助けたサブローは、創星に選ばれた勇者であり、魔人だ」
「そ、そんなおかしなことが起こりうるのですか!?」
「人の子よ。これは神々の意思であり、創星の聖剣である私の決定です」
創星が仕事モードに移行し、後光まで浮かばせた。性格を知っているアルバロはあまりの変わりように呆れているが、難民たちは畏れ多い様子だった。
それでも、サブローと海老澤に向ける目には恐怖があった。仕方ないことだとサブローは割り切る。
「あっちの娘、可愛いけど……今声をかけたら脅したみたいになるからやれねえわ。残念だ」
「エビサワ、お前という男はブレないな」
アルバロが思わず吹き出しながら言い、難民たちに保護を約束する。地の里まで送るのは今は無理だが、治療を行い、食料も分け与え、砦で一時的に避難させることを約束した。
サブローたちも自分から離れて移動することを言い出して、ようやく恐怖の色が薄れた。海老澤も特に不満を示さないので、アルバロが疑問を持った。
「サブローはともかく、エビサワも案外穏やかなんだな。少し意外だ」
「アルバロ、悪い男は恐れられてナンボだ。そしてな、悪い男ってのは……モテる!」
また頭の悪いことを言い出した。サブローはいつものことなのでスルーをする。
「今あそこで怖がっているかわいこちゃんも、二、三年後には『あの悪そうな男の人、良く考えたら格好良かったわ。抱いて!』ってなるもんだ。そうに違いない!」
「怯えている理由は別のことだと思うが……その考え、オレは結構好きだ」
アルバロと海老澤が無邪気に笑い合い、互いの背を叩き合った。男子中学生のノリだが、平和でいいだろう。
その後は後続部隊と合流し、イルンに報告をしてから、再び砦を目指したのだった。
◆◆◆
今夜は野営となった。テントを張り、各々食事の準備をする。フィリシアは水の国軍を指揮する将軍に許可をもらい、ミコと共にサブローのいる陣営へとやってきた。
一日ぶりにサブローの顔を見れることが楽しみであり、食事を一緒にしたい。
割と距離があるため、天使の輪を使って到着する。ミコと一緒に地面に降り立つと、手際よく野営の準備を終えたサブローと海老澤が迎えた。
「おや、フィリシア、ミコ」
「食事を一緒にしようかと思いまして」
「いいねえ。男ばかりのムサイ食事よりぜんぜんいい。ついでにもう二、三人女の子をひっかけてきてほしいんだけど」
海老澤の発言は無視して、食事の準備に入る。携帯コンロを用意し、水を沸かし始めた。ミコは自分たち用のワンタッチテントを広げる。
今回の旅用に買っておいたもので、使いやすく重宝している。慣れた手つきで準備をあっさりと終えるミコのを横目に、フィリシアはレーションを取り出した。
このレーションはガーデンから支給されたものだが、同じ物を水の国から精霊術一族の軍全体に配られていた。なんと、今回の進軍に合わせて買い込んでいたと説明を受けた。
いったいなにをどうしてレーションを買えることになったのか、不思議で仕方ないが、三千近く集まった兵の食事を賄うのに十分な量だった。
「フィリシア、頼みがあります」
サブローは予備の携帯コンロと鍋と水、そして十人分くらいのレーションが入っているダンボールを持ってきた。
「途中で王国から逃げてきた人を助けたのですが、食事をまだ届けていなかったようです。ちょうどいいので、天使の輪で運んでもらえませんか?」
「はい、お引き受けします。テントはどうしましょうか?」
「あたしが予備で買っておいた、大きめの奴を持ってくよ。これも設置するのが簡単だったし。三つで大丈夫かな?」
サブローに助けた難民の数を教えられたミコは、問題ないと判断したようだ。自分たちの食事の用意は彼らがすることで決まり、天使の輪を展開する。
「ついでに俺が見かけたかわいこちゃんも誘ってよ。女から声をかけられたら油断……んんっ! 安心して交流できるかもしれないし。頼んだぞ!」
海老澤の頼みに、フィリシアたちは曖昧な笑みを浮かべて頷いた。すぐに忘れようとひそかに思ったが、責める者もいないだろう。
飛び立ち、指示された場所へと向かう。賑やかに食事をする兵の頭上を飛び越え、ときおり振ってくる手に応えながら、目的の一団を見つけた。
彼らは地上からこちらをポカンと見上げている。精霊術一族は見慣れたものだが、王国からの難民では見覚えがないため仕方がない。
降り立ち、腕輪へと変えてから安心させるために笑顔を振りまく。
「お待たせしました。食事とテントを届けに参りました」
そのままフィリシアとミコが名乗ろうとしたとき、子どもが興味津々で尋ねてくる。
「綺麗なお姉ちゃんたち、女神シュサ様に選ばれた戦いの聖乙女様なの?」
ミコが首をかしげているが、フィリシアはこの話を知っている。インナが信仰しているシンハ教の伝説であり、女性人気の高い教えであった。
主神マナーの妻である、女神シュサが熱心に祈りをささげる一人の乙女を哀れに思ったのが始まりだ。乙女の都市は唐突にあらわれた悪辣な魔物の王によって攻められ、援軍も期待できず、組織だった魔物の軍勢に陥落されるのを待つだけだった。
信心深い彼女は昼夜を問わず、都市の人々を守りたいと願い続けていた。やがて女神シュサは条件付きで戦う力を授けに現れた。
条件とは乙女の生命を戦う力に変えることだった。そうでもしなければ、魔物の王を倒せる力は授からないのだと女神は悲しそうに告げた。
しかし乙女は『わたしの命一つで街を救えるなんて……。女神さまの慈悲に感謝をいたします』と、迷いなく戦いに身を投じた。
氷を操る魔物の王に対抗するために炎を吹き出す聖槍と、魔物の軍勢を飛び越えるための翼を与えられ、乙女は戦いを挑んだ。
彼女は困難を乗り越え、勝利をつかんでから倒れる。その勇敢さを人々は称え、女神の元へ召し上げるよう祈り続けた。
女神シュサは聞き届け、戦いの聖乙女という名誉を与え、自らの傍に召し上げたという。
たしかに炎を吹き出すミコや、翼を操るフィリシアを見てこの子たちがそう思うのも仕方がない。とはいえガーデンへの信頼を得たかったので正直に話すつもりだった。
「いえ、私は風の一族・族長フィリシアと申します。こちらはミョウコウジ・ミコ。私の師匠さんです」
紹介されたミコはぺこりと頭を下げて、護衛についていた兵に声をかけてからテントを設置し始めた。簡単に展開するテントに、手伝いに回った彼らは感心する。
「風の……精霊術の族長……ですか?」
「はい。風の里は魔王の手によって滅ぼされて、もう私くらいしか族長を担える人間は残っていません」
「それは……失礼しました」
年長者と思わしき男が謝罪を始めたので、慌てて辞めさせる。
「お気になさらないでください。あなた方も似たような立場だとお見受けします」
「そう仰って頂けるのなら、ありがたい話です」
お互いに納得し、自己紹介を終える。すると三人の子どもたちが待っていたように、ワッと寄ってきた。
「おねえちゃん、さっき飛んでいたのはなに?」
「これはガーデンというオーマ……いえ、魔王軍と戦う組織で作られた武器です。幸いにも私はこれに選ばれました」
「へー、すごいの?」
「すごいぞ。おれたちの前で魔人を倒したしな」
ミコを手伝っていた兵士が話に割り込んだ。どよめきが上がり、期待を込めた視線を向けられる。こそばゆい思いながら、彼らを勇気づけることができたのは誇らしかった。
そんな中、一人の男の子が前に出た。
「じゃあ、おれたちの前にやってきた、黒い魔人と白い魔人を倒せる?」
無邪気な問いに、フィリシアとミコは固まった。男の子は気づかず話を続ける。
「おれ、魔人なんかといっしょに行きたくない。お姉ちゃんたち、あいつらを倒してよ」
これには話を聞いていた兵たちも顔をひきつらせた。サブローと海老澤の人となりを知っているための戸惑いだが、男の子をはじめとして村人たちはそれを知らない。むしろ縋り付くような目をしていた。
フィリシアは生唾を無理やり飲み込む。これもまた、戦いの一種であった。