一四六話:精霊術一族の会議その3
精霊術会議の日となった。フィリシアは私服でも着慣れたガーデンの制服でもなく、風の一族の民族衣装を身にまとっていた。
衣装は彼女の叔母であるルシアが持っていたものを仕立て直したものだ。フィリシアは鏡の前でくるりと回って全身を確認している。
風の一族の民族衣装は目が覚めるような青い布地に、色とりどりの花の柄が施されている。一匹だけ蝶の柄が紛れており、花畑を表現していた。着物のように前で襟合わせをし、帯を腰に巻く。この形式はとてもなじみ深い。
そういえば、沖縄で見た民族衣装と似ている気がする。着物以上にしっくりくる印象だった。
「サブローさん、どうでしょうか?」
「とっても良くお似合いですよ」
サブローが素直に感想を述べると、パッと花が開いたような笑顔を向けられた。そういえば、いつか彼女が見せてくれた風の一族の花嫁衣装に似ている。そう思考した途端、あれを自分のために着てくれるかもしれないと思い至り、思わず顔が赤くなって逸らした。
タイミングがタイミングだっただけに、フィリシアはより嬉しそうにしている。今の彼女に見とれていたと思われても仕方ないし、ある意味そうだった。
特に弁明をする必要もないので、そのまま他のメンツを待つことにした。
それほど間を開けず、新たな来訪者が部屋に訪れる。フィリシアの物とおそろいの衣装で身を包んだマリーが、喜び勇んでサブローの眼前に立った。
「おにいちゃん、どう?」
「綺麗ですよ、マリー」
サブローが褒めると、マリーは喜んでサブローの右手をぎゅっと握った。いつものように抱きつかなかったのは、大きな動きはシワになるからと、事前にフィリシアの注意を受けていたためだ。耳にタコができるくらい言い含められていたため、さすがに自重している。
マリーとともに部屋に入ってきた家族が、フィリシアの姿に賞賛を送る。
「フィリシア、綺麗だよ」
「うん。フィリおねえちゃん、お姫さまみたい!」
「ありがとうございます、師匠さん、ナナコ」
フィリシアは礼を言い、上品に笑った。薄く乗せられた化粧も顔を引き立てており、ナナコの言う通り深層の令嬢に見えてもおかしくない。
ただ、一人だけじろじろとフィリシアを観察する者がいた。彼女と一番親しい、タマコである。
「う~ん……」
「タ、タマちゃん。どこかおかしいですか?」
「いや、綺麗だよ。化粧もいい感じだし。けどフィリちゃん、眉毛描いていい!?」
眉毛のラインを描く道具を持ち出し、タマコが顔を近づけた。その迫力押され、フィリシアは恐る恐る頷く。
どうやら今のフィリシアを見て、コスプレ魂に火をつけたらしい。タマコは趣味から化粧方法も勉強しており、その方面で施設の女性に頼られている。
また、研究熱心でもあるため、化粧映えのするミコを捕まえてはいろいろ試していた。これらすべて、サブローが施設に帰ってきて知った事実だ。
自分がいない間、どういう目覚め方をしたのか気になってはいるものの、男には踏み込みづらい案件である。
「よし、できた。ついでにアイラインも整えてっと……どう?」
「相変わらずすごいです、タマちゃん。いろいろ教えてもらっていますのに、全然追いつきません……」
「ハッハッハ、年季があるからねー。でもこっちの侍女さんもさすがプロだよ。フィリちゃんの顔をちゃんと引き立てているナチュラルメイクだし……ちょっと教えてもらおうかな」
女二人で盛り上がり、とても微笑ましい。マリーやナナコが自分たちもしたいとねだるが、「もう少し大きくなったらね」とタマコに返され、不満を口にしていた。
「ほら、そろそろ行かないと。イルンさんたちだってお待ちしていますよ」
「そうですね。それではサブローさん、エスコートをお願いします」
フィリシアの差し出された手を取り、サブローは請け負った。そのまま椅子から立ちあがらせると、腰元で「マリーも!」と要求され、苦笑しながら願いをかなえた。
「話には聞いていたけど、サブお兄ちゃんもやっぱり参加するんだ」
「イルンさんには断っても構わないと言われましたが、フィリシアやマリーだけだと寂しそうですからね。ミコと一緒に護衛としてつくことにしました」
発言の通り、サブローとミコはガーデンの制服をきっちり着込んでいる。服はこれでいいと聞いていた。動きやすくなるためありがたい。
一人申し訳なさそうなエリックが話しかける。
「ぼくもついていきたかったのですが……さすがに年齢的に場にふさわしくありません。マリーのように族長の血筋でもありませんし。サブローさん、あらためて二人をお願いします」
「任せてください」
柔和な笑みを返すと、エリックは安心したように肩の力を抜いた。園長たちの応援を受け、フィリシアたちとともに部屋のから出ていく。
会議場へと、フィリシアとマリーの手を引いて向かった。
フィリシアが言うには、前回の会議は水の国で行われ、マリーも一緒に参加したようだ。基本的に里として規模の大きい地の里か、水の国で開催する習わしになっていた。
事実、会議場はちょっとした公民館のような建物であった。風の里は百人程度の規模だったと聞いているので、この建物一つとっても用意するのは難しく、開催は不可能であろう。
サブローは広々とした廊下を歩き、やがてイルンたちを発見する。あちらも気づいたようで、手をあげて挨拶を交わした。
「サブロー、ミコ、よく来てくれた。フィリシア、マリー、似合っているぞ」
「イルン兄さんもお似合いです。叔父様の付き添いですか?」
「そうだな。けど今回は簡単な会議になりそうだから、オレが主体になって地の里の話を進めることになっている。これも次期族長候補としての下積みだ」
あっさりと言い切るイルンは、年齢以上の貫録を見せた。同い年だと聞かされているイチジローも見習ってほしい、とミコが小声で愚痴ってくる。サブローは笑って誤魔化すしかなかった。
「げっ、水の国のおひめさまだ!」
マリーの発言に驚いて首を回すと、新たにクルエの姿が見えた。後ろに控えているノアはいつもと同じ侍女服であったが、クルエはフィリシアやマリーと同じく精霊術一族の民族衣装を着ている。いつものドレス姿と印象がまるっきり違った。
そんなクルエは不機嫌を隠さずマリーに食って掛かった。
「げってなによ。おちび」
「だってー、またマリーが泣かせたら怒られちゃうしー」
「泣かないわよ! 相変わらず失礼なおちびね……。フィリシア、ミコ、サブロー、久しぶり。あなたは地の里の……」
「地の里の次期族長候補、イルンと申します。クルエ・リスベツ・ウンディ王女殿下。またお目にかかり、恐悦至極にございます」
いつもの調子でクルエが返そうと口を開きかけるが、ノアに睨まれていったん言葉を飲み込む。きちんとイルンに身体を向け、礼を返す。
「これはご丁寧にありがとうございます。地の里におきましては、良き関係を築きたいと我が一族も思っております」
イルンが意外そうに目を白黒させた。サブローも彼女の成長を実感できて誇らしい。ノアはもっとそうだろう。
クルエは続けて、要求を述べる。
「こちらにはわたくしの親しい方々もおりますので、付き合いもそちらに準じていただければ幸いです。いかがでしょうか?」
「……身の余るお言葉でございます」
それからイルンは了承の意を伝え、肩の荷が下りたようにクルエも楽にする。マリーが思わず失礼な感想を漏らした。
「人って成長するんだ。おにいちゃん、マリー驚いた!」
「……どういう意味よ、おちび」
怒るクルエに、マリーが舌を出して挑発する。二人の保護者はそれぞれ頭を抱えていた。
挟まれる形になったサブローにとっては、とても微笑ましい光景なのだが。
「そのままの意味だよ。やっぱりそっちの方が似合っているし」
「ふん、あなたが子ども丸出しだからそう思うのよ。だいたいおにいちゃんってなによ。サブローに甘えていい気になってんじゃないの」
「だっておにいちゃんはおにいちゃんだもん。ねー」
マリーに甘えられ、サブローは肯定してしまう。この笑顔に弱い自分を自覚していた。
クルエはそんな二人を前に、少し機嫌を損ねる。
「……あんまり甘えて、サブローに呆れられなければいいけど」
「おにいちゃんはそんなことしないもん! バカー!」
「ば、バカって言ったわね! 第四位王位継承権を持つクルエ・リスベツ・ウンディを、バカって! このおちび!」
懐かしいフレーズを耳に、サブローは戦々恐々と周りをうかがう。案の定、フィリシアとノアが眉の角度を吊り上げていた。イルンはむしろ安心したような顔で両腕を組んでいる。よく見知っているクルエだからだろう。
そんな周りの様子に二人は気づかず、口喧嘩を加速させていく。
「だいたい甘えん坊は自分じゃない。おねえちゃんだけじゃなく、おにいちゃんにも甘えたいの? クルエさま~?」
「バ、バカ言っているんじゃないの!? くぅ~、あんたに様付けされると腹立つわね。おバカチビ!」
「チビじゃないもん! 成長するもん、おねえちゃんのように! クルエさまはもう絶望的かもしれないけど!」
「どこを見て言っているのよ!? まだ大丈夫だもん! 成長するもん!」
「ほんとかな?」
サブローがハラハラしながら止めようとするが、時すでに遅かった。
「いい加減にしなさい! マリー!! 失礼でしょう!?」
「おひい様! なんですか、この態度は? 淑女にふさわしいとはとても思えませんが!?」
叱られた二人はほぼ同時に首をすくめ、それぞれの保護者の顔をうかがった。
怒髪天を衝く、という言葉があるが、今のフィリシアとノアはそれにふさわしい姿だった。二人の顔が一気に青ざめて、同時にサブローに縋りつく。
「お、おにいちゃん、たすけて!」
「サブロー……ノアに取り成して……」
この二人は似ているなと思いつつ、頭をポンポン叩いて請け負った。怒りをみなぎらせたフィリシアを前にするのは正直苦手なのだが、仕方ない。
男には避けられない戦いがあった。
「まあまあ。お二人は仲がいいから遠慮のないやりとりになっただけですし、ここは大目に見ましょう」
「相変わらずサブローさんはマリーに甘いです。いいですか? 場所と相手をわきまえないことに、私は怒っています! ここで甘やかすのはマリーのためになりませんからね!!」
「フィリシア様のおっしゃる通りです。おひい様はどういわれようと、ここは淑女として対応するべきでした。いくらカイジン・サブロー様が救国の勇者であっても、今の醜態を庇うのは褒められた行為ではありません」
一庇うと十も二十も責められる。サブローはたじたじになりつつも、突破口を探し続けた。
こういうときは知らん顔をしているミコが羨ましい。彼女はサブローと同じく甘めなため、こういうときは口を出さないスタンスである。
ひとまず、二人の注意をサブローに向けさせ、消耗させなければならない。怒りという感情は持続力がないからだ。
しかし、サブローが奮闘する必要もなく、イルンが手助けをしてくれた。
「落ち着けって二人とも。こんな場所で身なりも整えたから、二人も浮ついていただけさ。いつもならこんなことはしないって」
「そうでしょうか?」
フィリシアが疑わしそうにマリーを見た。見られている方はうなずいて怒りを鎮めようと必死で、哀れを誘う。クルエも肯定し、この場を取り繕うのに全力であった。
そしてサブローにひらめくものがある。
「イルンさんの言う通りです。本当は二人は仲良しなので、つい口が軽くなっただけでしょう。今仲直りをさせますので、それで良しとしませんか?」
マリーとクルエにギョッとした視線を向けられるが、サブローはあえて無視をする。フィリシアとノアは一度二人の様子を確認してから、ため息をついて提案を受け入れた。
「わかりました。それで構いません」
「フィリシア様と同じ意見でございます。おひい様、マリー様と仲直りをしますよね?」
拒否は許さない、という強い意志が瞳に込められていた。マリーたちは逆らえず、ぎこちなく首肯してから互いに握手を交わす。
「ほら、二人ともごめんなさいをしないと」
サブローが促すと、恨めし気な目を向けられた。こうでもしないと保護者二人が納得しないので、そんな顔をしないで欲しい。
マリーとクルエはほぼ同時にグヌヌと悔しそうにしてから、謝罪を始める。
「マリーがわ、わるかった……です。ごめんなさい、クルエ…………さま」
「わたくしこそ大人げなかったわ。も、申し訳ありません、マリー様」
片頬をときおりぴくぴくさせてはいたものの、つつがなく話が解決する。
サブローはホッとして、もっと二人が仲良くなればいいのにと願った。