一四三話:精霊術会議 準備編3にして温泉編
その日の夜、食事がすんだフィリシアたちは、マリーやナナコを連れて温泉へと向かった。
連日温泉を利用しているというのは贅沢であり、まだしばらく続く。しかし施設の大人やフィリシアたち年上の人間には気の抜けない時間でもある。
「いつ来てもひろーい!」
「マリー! 走ってはいけません! まったく、なんど注意されれば気が済むのですか?」
タオルで豊かな胸を隠したフィリシアに叱責されて、マリーは首をすくめる。叱った直後は確かに言うことを聞くのだが、次の日にはケロッと忘れて同じことを繰り返す妹だった。
手を握って大人しくているナナコなど、静かに注意をするだけで同じことを繰り返さない。マリーは一つ年齢が上だというのに、情けなくなってくる。
「まずは身体を洗ってからですよ」
「わかっている。おにいちゃんが言っていたもん」
マリーはおとなしく桶に水を入れ、身体にかけることを数度繰り返し、シャンプーで髪を洗い始める。最初に日本で銭湯に入って以来、サブローの言いつけを守って身体を洗ってから湯船に入るようにしていた。
風の里にいたころでは考えられない習性である。
「あれ? マリーがちゃんと身体を洗っている。めずらしー」
「その声はスティナおねえちゃん! しつれーだなー。マリーはきれい好きだもん」
「そうだったんだ」とスティナが笑って隣に並んだ。フィリシアは逆隣りに座り、マリーを挟む形をとる。
マリーはサブローの言うことはいつまで経っても覚えており、ちゃんと守る。姉の言うことも同じくらい聞いてほしいものだった。
「それにしても成長を実感するわねー。マリーがちゃんと一人で身体を洗えていると」
「ところどころ甘いので、最後に私が確認します」
「おねえちゃんって細かい……。ねー、ナナちゃん」
マリーに同意を求められ、ナナコは困っていた。嬉しいことにフィリシアに懐いている妹分なのだが、構いまくっているマリーも慕っている。そのため、ちょっとした冗談の言い合いでもどちらかに同意を求められると、固まる場面があった。
それを察し、フィリシアは助け舟を出した。
「そうですねえ。マリーは仕方ありませんが、ときどきナナコに口うるさくないか心配です。そう思ったら遠慮なく言ってくれて構いませんよ」
「そ、そんなことないよ。フィリおねえちゃんはいつも優しいよ」
「でもマリーに同意する子は多いよ。ケンジおにいちゃんなんてこの間正座させられて以来、ちょっとこわがっているし」
「で、でも、ケンジおにいちゃんが道路に飛び出したのがわるいし……」
マリーが言っていることは本当だった。朝練に遅刻すると慌てたケンジが車に轢かれそうになったのを助け、園長に心配かけたことを長々と叱りつけた。
それ以来ケンジには恐れられているが、他にも男女問わず無茶する子どもをフィリシアが叱ることは珍しくない。
おかげでナナコのように慕っている子もいれば、恐れている子もいる。もっとも、怖がる子はマリーのように元気が有り余っている性格が多かったのだが。
彼らのためにも今の方針を変えるつもりはない。そんなフィリシアの隣に、アイがやってきてマリーに声をかける。
「もう。マリーは先生にだって叱られているんだから、ちゃんと直さないとダメだよ」
「うぐ。だってお勉強つまらないし、あそびたいし……」
「マリー。今夜一緒に寝てお話ししましょうか?」
フィリシアが脅すと、マリーは青ざめて頭を横に振る。その様子にスティナたちが笑った。
はあ、と一つため息をついてから、ナナコの後ろに回って髪を洗ってあげる。彼女は一人で洗い流すことができるが、フィリシアに甘えて身を任せてくるのだ。
その様子が可愛くて、つい世話を焼いてしまう。
フィリシアはそれからナナコにしたように自分も泡だらけとなり、汚れが浮くのをまったり、スティナにシャンプーやボディーソープを貸して効果を堪能してもらったりする。そろそろ洗い流そうとしたとき、落ち込んでいるミコが現れた。
「師匠さん、まだ引きずっているんですか?」
「うぅ~、フィリシア、ずるい~」
恨めし気な視線を向けられるが、フィリシアはどこ吹く風だ。一方、周りの人たちはなんのことだかわからない。
「ミコおねえちゃん。なにかあったの?」
マリーがあっさりと踏み込み、ミコは情けない顔を向けた。
「アレスとマリーを少しの間、部屋に寝かせたじゃない。その後サブとあたしたち三人で話をするはずだったのに、フィリシアが膝枕していた。サブは気持ちよさそう寝ているし……」
「まったく、ずっとこの状態です。師匠さんも膝枕をやればいいではありませんか」
「ちーがーうーのー。サブの方からフィリシアに頼んだんだよね? あたしだってこう、なにか求められたい!」
そんなことをフィリシアに言ってどうしようというのだろうか。呆れて言葉もない。
スティナも非常に残念なものを見る顔をしている。
「ミコおねえちゃん、キレイなんだから放っておいてもだいじょうぶ! マリーはそう思うよ!」
「ありがとう、マリー。あたしの味方はマリーだけだ」
ミコは泡だらけのマリーに抱き着こうとして、相手が身体を洗っている途中だと気付き、慌てて自分の身体も洗い始める。
フィリシアは頃合いを見て自分とナナコの泡を流し、温泉に浸かる準備を整えた。
「マリー、ちゃんと泡を落としてからこちらには来るように」
「言わなくてもわかっているよ、おねえちゃん」
フィリシアは不満げなマリーをミコに任せ、岩場の上に置いていたタオルで髪を包み、ナナコとアイを連れて温泉に肩までつかる。
三人同時に感嘆のため息を吐き、心地よさに身を任せる。温泉旅行ということでピンと来ない小さい子も多かったが、ナナコは素直に喜んでいた。
なんでも、亡くなった祖父と旅行に行った思い出があるのだとか。いろいろ話してくれる可愛い妹分に、フィリシアの目じりが下がる。
「ふふ、フィリシアちゃん、お嬢ちゃんたち、お隣いいかしら?」
フィリシアの知っている艶めかしい声に振り返ると、地の族長の第二夫人イヴェタが褐色の肌を晒し、近づいてきていた。
ナナコとアイは若干人見知りを発揮したため、無言でうなずいてフィリシアの背中に回った。しかし、現れた新たな小さい影に警戒を解く。
「ナナちゃん、アイちゃん、こちらおかあさん。よろしくね」
「クリンちゃん!」
二人はイヴェタに挨拶をしてから、クリンと話し込んだ。褐色の肌を持つクリンは、イヴェタの幼い娘である。
前回の滞在の間、フィリシアの方はちょくちょく顔を合わせていたのだが、サブローやミコは仕事のこともあってタイミングが合わなかった。
今回の旅行で顔を合わせ、施設の家族たちとも交流してくれている。
「ふふ、うちの子もお友達がいっぱい出来たって喜んでいるわ」
「こちらこそ、ナナコたちと仲良くしてくれて助かっています」
「本当、良い子たちね。園長であるハヤシさんもとても好感が持てる人だったわ」
妖艶に笑うイヴェタの色気に、フィリシアはあてられる。どうにかこの溢れんばかりの色香を真似できないか、つぶさに観察した。
もちろんイヴェタはその様子に気づいている。面白がっている顔で耳元にささやき始めた。
「今夜、夫を喜ばせる術をお教えましょうか?」
「是非、お願いします。……師匠さんも連れて行きますので、一緒に」
「あら? いいの?」
「……私が追い出したい女は、師匠さんではありませんから」
つい、フィリシアは瞳に力が入ってしまう。イヴェタは少し間をおいてから、優しく微笑む。
「大丈夫。あなたたちの魅力なら、すぐに忘れさせることもできるわ」
力強くうなずくフィリシアに、「複数用ね。経験があるのよ」とあまり知りたくなかった事実を明かしてくれた。今夜に向けて鋭気を養うかと湯に身を任せていると、ナナコとアイの視線を感じてそちらを見る。
「二人とも、どうしました?」
「うん。フィリシアおねえちゃんも、イヴェタ様もすごいなって」
そういうアイの視線は名前を挙げた二人の胸に注がれている。ナナコも同意の頷きを返していた。
フィリシアは憮然として二人の頭をポンと叩く。
「大人になれば二人だって大きくなりますよ」
「そうかなぁ……」
アイは不安げにマリーと並んでお湯につかるミコの方に振り向いた。気配に敏感なミコは自分の話題だと信じて疑わずに寄ってくる。
「なになに? なんの話?」
「ええと……」
さすがにアイが言葉を濁している。助けるというわけではないが、フィリシアはミコの身体に遠慮なく手のひらを這わせた。
「く、くすぐった……フィリシア、な、なに?」
「…………いつかのお返しです。やっぱり羨ましいですね」
「う、羨ましい?」
戸惑いのままミコが問い返し、羞恥に染まった顔で離れようとするが、フィリシアは逃がさない。
まずはウェストを両掌で包み、その細さを確認する。次に指でお腹をつつくと、程よい弾力を通してから硬い感触当たる。
鍛えられた細いしなやかな腹筋が腹部の造形美を支えている。フィリシアだって鍛えているはずなのだが、細さも引き締まり具合もミコに遠く及ばない。
それにミコは肌もすべすべだ。戦いのたびに荒れているのを実感し、必死にスキンケアをしているフィリシアと違い、特に何もしてないという。
ミコは不公平だといつか不満を漏らしていたが、フィリシアはこちらの方が羨ましかった。しかも女性にしては長身で顔が小さい。だんだん腹が立ってきた。
「師匠さん。イラッときたので引きちぎっていいですか?」
「ダメだよ!? どこを引きちぎる気なの!?」
危機を感じたミコが胸元を隠して後ずさる。どこを指しているか察したようだ。
フィリシアがフフフ、と警戒するミコを追いつめる。たまには相手を振り回したくなる。
「ミコおねえちゃん、がんばれ! まけるなー!」
「応援しないでフィリシアを止めてよ。マリー!」
「むり!」
笑顔で言いきられてミコが肩を落とす。以前と真逆の立場になった二人は体力の限りじゃれ合い、汗を流す場所を間違えたとしばらくして後悔するのだった。