十四話:アレスくんの心情と僕の始まり
フィリシアたちはとうとう転移の祭壇が置かれている山のふもとへとたどり着いた。
あとは一日かけて中腹の小屋にたどり着いて休み、その後頂上を目指すだけだ。
もうひと頑張りだ、とフィリシアが気合を入れたとき、一本の大木を見上げているサブローを見かけた。
「サブローさん、そんなに熱心に見つめてどうしました?」
「……これを倒せば道をふさげます。やってみます」
驚愕するフィリシアたちをよそに、サブローは身体を変化させた。
エリックが慌てて制止する。
「そんな、いくら魔人でも無茶ですよ。それに迷いの森を精霊術一族以外が抜け出すのは難しいわけですし」
「難しいということは、抜け出す手段があるということですよね。ならば……あ、もしかしてこの木が神木とかそういうことですか?」
「いえ、そんなことはありません」
「安心しました。危険ですのでしばらくは近寄らないでください」
言うが早いか、サブローは触手を大木に巻き付けて締め上げる。
ミシミシと大木が乾いた悲鳴を上げ、徐々に触手が埋まっていった。
どんどん傾いていく木を見上げながら、全員が呆気にとられる。
そういえばフィリシアとマリー以外は直接魔人の破壊力を見るのは初めてであった。
実際垣間見ていた二人も、ここまで巨大なものを破壊する姿は初見である。
サブローがあまり魔人の力をひけらかさないことが原因であったのだが。
間もなく大木が触手によってゆっくり倒される。重い音が響き、盛大な土ぼこりが舞い上がった。
「すごい、すごいよ! おにいちゃん!!」
興奮したマリーがゆっくり近寄ってくるサブローに突進していく。
人間に戻りながら受け止める彼を見て、エリックが感心のため息をついた。
「魔人のすごさはわかっていたつもりでしたが、まだ甘かったようです」
「うん。味方で……いやサブローさんでよかった」
フィリシアはアリアに完全に同意だった。あの力が悪意を持って、自分の大切な人たちに向けられるのは恐ろしい。
同時にずっと付きまとう疑問も大きくなる。心優しい彼がなぜ魔人になったのだろうかと。
「……ほんとにすげーな」
冷たい声が耳に届く。フィリシアが顔を向けると、いつも明るいアレスが思いつめた顔をしていた。
何か決意をしたかのようにうなずき、大股でサブローのもとに向かう。なんだか嫌な予感がした。
「にーちゃん、聞きたいことがある」
「ふぇ、アレス……?」
いつもと違う雰囲気のアレスにマリーが戸惑う。真剣な気配を感じ取ってかサブローも顔を引き締めていた。
「魔人ってどうやったらなれる? おれを、魔人にしてくれ。たの……お願いします」
アレスは唇をかみしめ、言い直して深々と腰を曲げる。
「アレス、なにを言っているんだな!」
「それは頼むようなことではありません」
「クレイ、エリック、お前らは悔しくないのかよ」
歯をむき出しに、赤毛の少年は低く告げた。目の端には涙が浮かんでいる。
「父ちゃんも母ちゃんもじいちゃんも、里全部を王国に奪われたんだぞ!
もう二度と、あそこに帰ることができねーんだぞ!!」
アレスは一度涙をぬぐう。震えている肩がいつもより一層小さく見えた。
「わりい、そんなはずがないのはわかってんだ。ただの八つ当たりだ。それににーちゃんと一緒にいるのだってたのしいよ。正直魔人がこんなにいい奴だなんて思ってもみなかった。けどさ、いつも寝るときとか、ひとりでボーっとしているときに、すげー胸が痛くなるんだ」
心臓のあたりをつかんで苦しそうに吐き出す。
アレスが告白した感情は、里を焼かれた全員が大なり小なり抱えている物だった。
「この苦しいものをとにかく王国兵に……いや里を焼いた奴にぶつけたい。だからにーちゃん、おれは魔人の力がほしい。お願いだ、どうやったらなれるんだ? おれのすべてを、なんでも渡すから教えて……くれ……」
嗚咽交じりで懇願する痛々しいアレスを、止めれるものはここにはいなかった。
フィリシアは難しい顔をしているサブローを見る。
いつもの笑顔は浮かべていないものの、瞳は相変わらず優しいままだった。
「例えばの話になりますが……アレスさんは王国に好きに使われて、ここにいるみなさんと殺し合うことになっても魔人の力が欲しいですか?」
「なにわけわかんねーことを言っているんだよ! そんなことで誤魔化してほしくねーよ!」
「僕はそうでしたよ」
アレスが勢いを失って絶句する。サブローは思案するように顔をしかめて続けた。
「まずは順を追って説明しましょう。君たちの世界に魔人を倒す勇者が居るように、僕らの世界にも正義の味方が居ます。偶然倒せた魔人を解析し、その技術を応用して彼は人の手から生まれました。『魔人を殺す魔人』。あの人はいつの間にかそう呼ばれるようになっていました」
まるで愛しい人を紹介するように、新しい事実を彼は明かした。
「魔人の未知の力と、人の技術と、彼の適性によって魔人の中でもとびぬけて強く、逢魔の魔人は数を減らしていきました。焦った逢魔は最優先で『魔人を殺す魔人』への対策を講じましたが、ことごとく失敗します。破れかぶれで彼が大事にしている施設の家族を人質に取ろうと動き、やつらは気づいてしまいます。誘拐してきたその子ども……僕に魔人への適性があることを」
フィリシアは思わず息をのんだ。幼馴染たちも妹も沈黙している。
「逢魔には心を操る術がありました。人には一定期間術を使わないと自然と解けてしまう代物ですが、魔人に対しては効果絶大。術にかかった魔人を助ける手段は、僕らの世界ではまだ見つかっていません。そして僕は魔人に変えられ、心を操られ、『魔人を殺す魔人』――兄と殺し合うことになります」
「サブローさんが話してくれたお兄さんのことなんだな……まさか、そんな!」
「クレイさんに話した通り優しい兄でしたから、酷く有効でした。なにせ『魔人を殺す魔人』が唯一殺せないわけですからね。逢魔は人を殺すことも、破壊活動も下手な僕をうまく使ってくれましたよ。兄さんに対する囮にしていろんな作戦を成功させました。……僕が行ったも同然です」
サブローはひときわ優しい笑顔になってアレスの頭を撫でた。
フィリシアには初めて、彼の笑顔が泣いているように見えた。
「ま、そんな場当たり的な対応で上手くいくはずもなく、兄さん以外の戦力も手に入れた人類側に敗北し、壊滅間近へと追いやられました。そして僕は使い捨てられて、フィリシアさんに呼ばれた結果生き延びることが出来ました。……だからアレスさん、魔人になりたいと思わないでください。優しいあなたがこんな目に遭うなんて耐えられません」
「わかんねぇ……わかんねぇよ!」
アレスは叫んで、涙をためた瞳をサブローへとぶつけた。
「なんで怒らねえんだよ! なんで恨まねえんだよ! にーちゃんはひどい目にあってんだぞ! おれは……おれは無理なんだよ。にーちゃんのように笑うことも出来ねえ。だれかに優しくする余裕なんてねえ。苦しいからぶつけたい。ただ、それだけなんだ。おれはにーちゃんと違って、弱いから、まちがっているから……」
「それは違います。怒りや悲しみが間違っているなんて、そんなことは絶対にありません」
優しい魔人は断言してアレスの手を取って訴える。
「僕だって怒りますし恨みます。ただ、今は洗脳が解けて生き延びた上に、みなさんと出会えた喜びの方が勝っているだけです」
「よろこびの方が勝っている……?」
「はい。ずっと呪いのように蝕んでいた洗脳はありません。そして生きて優しいあなたたちに会えました。僕はそのことがとてもうれしい。今だってほら、アレスさんは僕の代わりに逢魔に怒ってくれているではないですか。誰かに優しくする余裕がないなんて、そんなことはありません。僕は充分優しくしてもらっています。そんな優しいあなたの怒りが間違っているなんて、誰にも言わせません」
「にーちゃん……ばかだよ。そんなことがうれしいだなんて。なあ、どうすればいい? にーちゃんが言うなら仕返しをあきらめたって……」
「申し訳ありません。それはアレスさんが決めないといけないことです。怒りをもって魔人になった男も、怒りで魔人を倒したただの人間も、どちらも僕は知っています。その感情の決着のつけ方を決めていいのは、彼らを否定できなかった僕ではありません。アレスさん自身だけです」
「はは、意外ときびしーのな。……正直わかんねーし、いまだに苦しいよ」
「ゆっくりで構いません。簡単に答えを出せる話ではありませんから」
「そっか。じゃあにーちゃん、おれを強くしてくれ。答えを出したときに後悔したくないんだ」
「……一つ条件があります」
アレスがうなずいて先を促す。挑むような視線をサブローは受け止めた。
「基本的に僕は復讐に反対です。あくまでアレスさんの幸福を祈っていますから。ですから……その答えを選んだときは、僕より強くなってください。あなたを死なせたくありませんから」
黒い瞳はいつものように心配でたまらないと言っていた。
アレスは力が抜けたのか、破顔一笑して答える。
「ハードルたけーな。……ありがとな、サブローにーちゃん」
サブローも笑顔になって頭を撫でる。いつもは恥ずかしさで手を払っていたアレスも、今日はされるがままにしていた。