一三二話:異世界旅行計画
「おねえちゃんばっかりずるい」
マリーが頬を膨らませて不満を漏らすが、フィリシアのひと睨みで慌てて口を押えた。
ガーデンの制服から私服に着替えたサブローは、彼女たちを連れて部屋を出る。
「そういえば創星はどうした?」
「ガーデンの研究室にいます。僕の新しい能力とフィリシアたちの天使の輪……両方の解析が進んでいませんから」
おかげでここ最近は異世界に行けないでいる。サブローの世界渡りだけでなく、天使の輪の変化もガーデンを驚かせていた。原因となった創星とともに研究を進め、技術の発展にいそしんでいる。フィリシアとミコも、創星の手助けを必要とせず、天使の輪を変化できるようになっていた。
創星いわく、一度加護を増大したことに身体が適応し、その才覚をもって武器の変化を行えるようになったそうだ。二人は貴重な才能の持ち主としてガーデンに重宝されることになった。
入れ替わり、異世界の任務は兄と海老澤を中心として動くことになった。サブローたちは新しい力の研究の手伝いか、日本での任務で動くかのどちらかとなっていた。
医療用の眼帯の位置を調整し、サブローは施設への道を歩く。近いため十数分もかからない。道中、気になっていることをナギたちに尋ねる。
「それにしてもお二人とも、こちらの服装が似合っています。ガーデンの職員に選んでもらったのですか?」
「まあな。こちらで活動しても違和感がないように、だそうだ。……スカートがスース―するから落ち着かん」
「そういえばナギのスカート姿って珍しいわよね。私はこちらの服って着心地良いし、可愛いしで持って帰りたいくらい」
「もって帰っても問題ないかと思います。普段いろいろしてもらっていますから、贈り物としての意味もあるかと」
「…………長官さんが着物を贈らないか、少し心配だったりします」
フィリシアのつぶやきに、サブローは思わず同意をしてしまった。二人になら似合うだろうと高い物を贈りかねない。注意を払っておく必要がある。
とはいえ、サブローに取れる手段は園長に伝えることしかないのだが。
「けどフィリシアちゃんも着替えを置いているとなると、本当に同棲している感じがするわね」
インナの言う通り、フィリシアもガーデンの制服から私服に着替えていた。動きやすいようにラフな格好である。
「私と師匠さんは必要も出るかと思いまして、いくらか着替えを置かせてもらっています。……あまり出番はありませんけど」
じと、とフィリシアの責める視線をサブローは背中で受け止める。さすがになにを求めているかわからないほど鈍くはない。
これ以上彼女たちを誤った道に導く前に、しっかりと自制をしなければならなかった。
それにサブローはフィリシアの場合、正式に付き合うことになったとしても、日本での成人を迎えるまでは清い身体で居てもらうつもりだった。彼女の亡くなった両親に申し訳ないためだ。
「別にそんなに急ぐ必要はないでしょう?」
「……師匠さんはたまに泊まっていると聞きます。私はさすがにこの件で外泊の許可はもらえませんから、焦りますよ」
泊まると言っても正直色気はない。夜のミコは緊張でガチガチになるので、気疲れで寝てしまう。それまでは自然体でいられるというのに。
目覚めては残念そうな顔をしているが、サブローは身近だった幼なじみの抜けたところを発見して、微妙な気分になっていた。元々不埒な真似をする気はないとはいえ。
「心配するようなことはしま……」
「そんなの信用できません。きっかけがあれば人が変わるのが恋愛だって、タマちゃんに借りた少女漫画で言っていました」
いやその情報源はどうなのだろうか。だんだんフィリシアも残念な面を見せ始めて、サブローは困惑していた。
「おねえちゃん、最近タマコおねえちゃんのおかげでマリーよりマンガにハマっているよ」
「意外な事実にびっくりです」
言葉とは裏腹に、サブローはいい傾向だと考えている。いろんな楽しみが増えることはいいことだ。
「まんが……イ・マッチも面白いと言っていたな。フィリシア、今度読ませてくれ」
「あーでしたらイ・マッチさんに頼んだ方がいいと思います。密かに自国の文字に翻訳しているみたいですし」
サブローもその話は聞かされていた。イ・マッチはお気に入りの本は四冊ずつ買っている。保存用、読む用、観賞用、貸す用とだ。翻訳までしているのは貸すための漫画である。
一国の王子がすることではないのだが、本人が楽しそうなのでサブローは考えるのをやめた。
そうこう話している間に、施設へとたどり着く。賑やかな家族の声を耳に、頬が緩みながらサブローは足を踏み入れた。
ナギたちの歓迎会はすっかり整っていた。とくに手伝うこともなく、サブローとフィリシアは動きの速さに唖然とする。
「私、ここで暮らしているのにこんな準備をしているなんて気づきませんでした……」
「びっくりさせたかったからね!」
タマコが明るく言いきった。フィリシアとともにサブローは納得がいかない思いを抱える。
そんな二人に、ワイルドで男らしい格好のドンモが入ってきた。
「まあ、最初に切り出したのはアタシだから勘弁してあげて。……あっという間に予定を組んだイチジローたちには驚いたけど」
「あれで兄さんは遊びに全力を出す人ですから。それにしてもラムカナさん。その恰好は似合っています」
「ありがと。アタシはもっと可愛いのが良いんだけど、そういうのはプライベート用ね」
サイズが合うのはあきらめて、観賞用にするつもりだと聞かされた。そう考えると男らしい格好を似合うと言ったのは失言だろう。サブローは反省する。
「申し訳ありません。ラムカナさんに失礼なことを言ったことに……」
「気にしすぎよ。なんであれ、似合っていると言われて嬉しくないわけないわ。それよりアンタ、長袖って暑くない?」
「薄手のシャツですからそこまでは。それに僕の右腕って結構見た目エグイですし」
なにしろ焼け焦げたように真っ黒だ。初めて見たときの園長など卒倒しかけた。病院も回り、何人かの医者から問題ないことを言われてようやく納得した。
魔人化したときは竜の右腕となるので格好良いうえに、より力強くなったため気に入っている。同時に思い出す女が胸を痛めることはなかった。
サブローが想いに更けていると、ひょっこり現れたイチジローが提案する。
「うちだし眼帯はとってもいいんじゃないか?」
「それもそうですね。兄さんのお言葉に甘えます」
素直に従って右目を晒す。病気かと思えるほど黒い隈取に、黄金色に輝く竜の右目が露わになる。なぜだか人の姿でも、右目だけは変化したまま戻せなくなった。
頭まで変化させた竜妃を見ていた面々は、サブローだけに現れた右目に首をひねっていた。たしか一度しか見たことがない魔人としての竜妃の顔は、竜の目なんて存在しなかったはずである。
しかしサブローの場合、魔人の姿でもこの右目は残ったままなので、やはり竜の魔の産物と判断するしかない。
ドンモが痛々しそうな視線を向けたため、思わずサブローは右目に触れる。
「あー……やっぱり変な感じになりますね。けどヒメと違う変化なのはどういうことでしょうか?」
「まあ同じ魔が憑りついても、人によって変化が違うからなー」
聞き覚えのある愛刀の声がし、サブローは振り返った。竹刀袋から柄だけを出した創星が長官を伴って現れた。
「いよっ、アニキ。オレと長官さんもお呼ばれしたぜ」
「ちょうどいいだろうと酒も用意した。明光寺、今日は飲むけど構わんな?」
「俺が酒に弱いことを知っていますよね!? まあ、でも、美味しそうな酒……いただきます」
酒に弱いくせに、好きなのはどうだろうか。理屈でないということはぼんやりとわかっているのだが、酔えないためやはり判断がつかない。そもそもサブローは甘党だ。酒を飲むことは滅多にない。
「そういえば海老澤さんは? 兄さんと一緒に、ラムカナさんとゾウステさんを案内していたんですよね?」
「こういうアットホームなのは苦手だから、ゾウステさんと飲みに行っている」
「もう知らないわよ。面倒見きれないわ」
ドンモが青筋を立てて不機嫌な様子を見せた。あの二人はいったい何をやらかしたのだろうか。聞くのが少し怖かった。
やがて子どもたちのあいさつを受けていた長官が、満足したのかこちらに近づいて会話に加わる。
「ミコの方はもう少しで来ると思うが、その前にサブロー少年とフィリシアくんに確認したいことがあってな」
「はい。どうしましたか?」
「本題に入る前に知らせないといけないことがある。もうすぐ魔王城……逢魔の首領が支配する本拠地を攻める手はずになっていて、前線を離れていた君たちを異世界に呼び戻すことが決まった」
ようやくか、とサブローとフィリシアに緊張が走った。
「むしろ待ち望んでいました。僕の力を存分に使ってください」
「無論、そのつもりだ。それでだな……その前に地の里で慰安旅行をしようかと考えているのだ。この施設の家族も呼んだ上でだ」
予想していなかった方向での提案に、サブローはキョトンとする。フィリシアも首をかしげたため、長官は説明を追加する。
「どうにも水の王が精霊術一族の会議を地の里で開くそうだ。同時に我らガーデンと、特に活躍したサブロー少年たちを労いたいと言ってきた」
「今年も会議を開くのですか? 前回からあまり間が空いていないと思いますが……」
「うむ。今回の議題は我らとも密接なかかわりがある。魔王城への侵攻に参加する打ち合わせを、精霊術一族で行いたいようだ」
「だとすれば私が参加しないとなりませんね。風の族長の娘……いえ、風の族長として」
「まあそう気張らなくていい。すでに水の国は魔法大国、それにイルラン国とともに、この戦いに参戦することを決めている。せいぜい会議では顔合わせぐらいしかやることがないらしい。水の王が費用は持つから、風の一族の生き残りと世話になった人たちを連れて、温泉を堪能してほしいとのことだ」
フィリシアを気にかけているパルミロらしい話だった。なにかと手を打っている水の王に感謝をしたい。
「そうですか。では園長先生と後で相談しますね」
「うむ。私からも伝えておこう」
話はまとまり、それぞれ飲み食いに戻る。しばらくしてミコも訪れ、施設でのパーティーは盛り上がるのだった。