一三○話:僕は前に
二つのベッドの上では、苦悶の呻きをあげるフィリシアとミコがいた。
いつかとは逆の立場になったが、こちらは物理的なものだ。全身が痛み、一歩も動けない状態だと聞かされている。
サブローを助けるためにそこまでしてくれたことを嬉しく思う。二人にはどれだけ感謝してもしきれなかった。
「い、痛い……あ、サブ、ローさん。イチ、ジローさん。よう、こそ……」
「全身、筋肉痛より、ひど、い……」
ベッドの上で全身ビクビク震わせながらひっくり返っている姿は、絵面としてあまり格好はつかなかったが。
「フィリアネゴ、すいません。これでも全力で被害を抑えようと頑張ったのですが……」
「そ、創星さん、気にしないで、ください。わ、私はむしろ、か、感謝をしていま、すから」
「う、うん。創星に、あたした、ちは、たすけられた……よ」
ボロボロになりながらも答える二人に、創星が戸惑っている様子が見れた。竹刀袋に収まり、表情のうかがえない刀身であっても、サブローにはなんとなく伝わる。
少し微笑んで見舞いのリンゴを取り出して尋ねる。
「今食べますか? 切って口に運びますけど」
「そ、それは……うう、お願い」
ミコに了解の意を伝えるが、フィリシアから返答がないのが気になった。顔を伺うと、意を決したようにうなずいていた。
「あの、さ、サブローさん。お聞きしたいことが、あり、ますが……」
「はい、どうしましたか?」
「……この、前、『あなたの傍にずっといたい』と言ってくれ、たではありませんか。あ、あれって、どちらです、か?」
「退院してからと思っていたのですが……今にしましょう。あれ、本当は“あなたたちの傍に”と言おうとしたんですよね。直前で失礼だと気付いたので、慌てて言い直しました」
サブローは苦笑いを浮かべて打ち明ける。そして深く息を吸って、覚悟を決めた。
「ええと……呆れると思いますが、その……どうやら僕は二人同時に好きになってしまったみたいです。本当、すみません」
恐る恐る告白して、サブローは生唾を飲んで続けた。
「どちらがより好きなのか、きちんと結論を出してから、あらためて告白をしようとああいう形をとりました。もちろん、二人には僕を振る資格がありますし、愛想をつかしたのなら断ってくれても構いませ……」
「そ、そんなことはありません! 絶対、断りません!!」
「え……でも僕、ヒメにあんなことを言ってすぐに二人を好きになるくらい、節操なしで気が多い人間ですよ。失礼ですし、嫌なら嫌とズバッと言った方がいいです」
「い、いいえ! 私は断りません! 存分に、好きになってください!! イタタ……大声を出すと、お、お腹にひび、く……」
「お~い。フィリシアちゃんがああいっているけど、お前はどうなんだ? ミコ……ミコ?」
イチジローが不審そうに妹の顔を覗く。サブローも気になってそちらに視線を向けると、満足そうな顔で余韻に浸っているミコがいた。
「サブが……あたしを好き。あたしを……フィリシアと一緒だけど……ふふ、ふふふふ……」
「ダメだこの妹。こじらせてやがる」
イチジローが若干引き気味に首を左右に振った。サブローはどうしたものかと宙に視線をさまよわせる。
後で殴られる覚悟で打ち明けたのだが、なぜか二人にあっさりと受け入れられてしまった。これでは身の置き場に困る。
とりあえず手持ちのリンゴの皮をさっと剥いて切り分け、二人の口に運ぶことにした。
病院を一歩出た後、サブローはへたり込んで深くため息をついた。結果的にうまくいったが、嫌われてもおかしくない。そのことが怖くて仕方なかった。
「はあ~。サブでもフラれるのが怖かったりするんだな」
「怖いですよ、兄さん。……初恋はあんなことになりましたし」
「そっか。まあ俺らから見たらあの二人が嫌うことなんてないってわかってんだけどな。なあ創星」
「そっすね、お兄さん。アニキ、あの二人の態度はわかりやすいもんだぜ。剣のオレだってわからぁ」
気づかなかったのはどうやらサブローだけのようだった。つくづく自分の鈍さに呆れつつ、立ち上がる。
いや、少し前までは心にヒメがいた。竜妃ではなく、優しかった彼女のことで占められていたのだ。
無意識のうちに、二人のそういう気持ちを無視していたのかもしれない。そう考えるとますます失礼なので、早めに決着をつけようと決意をした。
「ところで兄さん。この件で相談に乗ってほしいのですが……」
「役に立つと思うか? 初恋もしていない俺が?」
「一応言っとくけど、オレも無理だからなアニキ。剣だし」
そして頼りない身内に不満を抱くのだった。
イ・マッチのもと、イルラン国に訪ねたとき、サブローはついでに相談してみることにした。
「両方を嫁にすれば解決でしょう」
ナギのようなことを言われてしまった。思わず大きなため息をついてしまう。
「日本だと問題があるのはわかります。でしたらこっちで二人とも面倒を見てしまえばいいのではありませんか? せっかくの勇者特権がもったいない。なんなら私の国の住民登録をしますか?」
「いえ……フィリシアとミコに失礼なので、よしておきます。それに下手をすると二重国籍……」
「真面目ですね。こちらは表向き、存在しない世界ですのに。それとお二人に確認を取ったほうがいいと思いますよ」
イ・マッチがノリノリで勧めてくるが、サブローはただでさえ失礼な真似をした側だ。これ以上相手に迷惑をかけるわけにはいかない。
きちんと男らしく、結論をつけるべきだ。
「ところで……ヒメの墓を建ててもらえたのですか?」
「はい。エンシェントドラゴン様はともかく、サブローさんにも頼まれましたから、なるべくご期待に添えるように頑張りました」
にっこり笑う彼の言う通り、サブローは竜妃に墓を作ってほしいと頼んだ。彼にとっては仇敵でもあるはずなのに、あっさりと引き受けてくれた上、サブローの要望を聞いてくれた。感謝し通しだった
イ・マッチの後に続き、花束を手に山道を歩く。道は細いが、人が通るために整備がされていた。
「それにしても驚きました。サブローさん、一人でこちらに来られるようになるとは……」
「ヒメの能力が使えるようになりましたから。世界を移動する扉って便利ですね」
今サブローが言ったとおり、いつか竜妃が見せた世界の移動ができるようになっていた。腰に揺れている創星も戸惑い、原因はいまだわかっていない。
この能力は竜の魔に付随したものではなく、竜妃本人の力であると分析していたからだ。
世界渡り――竜妃の能力を、創星はそう説明した。もっとも彼女がその力の持ち主だとは、再会するまでわからなかったようだが。
「アニキがもともと持っていた能力を、竜の魔と融合したきっかけで発現したのか、竜妃が移せたのか、古代竜にも聞いてみないとな」
「そうですねえ。今度ダンジョンの封鎖を解いて尋ねに行きましょうか。エンシェントドラゴン様を喜ばせるのは少し癪ですが」
今、エンシェントドラゴンは罰としてダンジョンの封鎖を行われている。客人と接することがなによりの楽しみである彼女にはとても重い罰になったようで、いまだ許しを請う手紙がイ・マッチに届いているらしい。威厳もへったくれもなかった。
とはいえ、長い間の封印はできないと聞いている。あそこで商売している人間もいるからだ。王族ゆえ、己の意ばかりを通すわけにはいかない。そうサブローに謝罪をしていたが、こちらとしては古代竜に対してしこりすらないため、構わなかった。
やがて目的の場所が見える。こざっぱりした一角に、ぽつんとイルラン国の形式で建てられた墓が一つあった。
「では私はこちらで退散しましょう。気が済むまで用事を済ませてください」
「あ、イ・マッチ、ちょっと待った。なあ、アニキ。オレもイ・マッチと一緒に待っていた方がいいか?」
「いえ、居てください。創星は僕にとっての相棒ですから」
サブローの言葉に創星がガチャガチャ刃を鳴らして暴れた。興奮しているのだ。微笑ましそうにしているイ・マッチが気を利かせてそっと離れる。
心の中で感謝を述べてから、サブローは墓の前に両手を合わせ、花を供えた。
「ヒメ、あなたの言う通り絶対に忘れません。ですが、僕にとっての思い出は、ヒメとして過ごしたいい思い出ばかりです。ですから、辛い気持ちになんてなりません。……なってあげません」
くすり、と小さく笑ってから、五指で墓をなぞる。誰の名も刻まれていない墓石だ。
自分の本名をとっくに忘れたと彼女は言っていた。ヒメという名を嫌がり、自虐のように竜妃を名乗っていたので墓石にはなにも刻まないように頼んである。
「僕は前に進みます。ずっと止まっていてほしいのでしょうが、そうはいきません。あなたの望まない僕であり続けます。……それでいいと、言ってくれた人たちがいますから」
サブローは空を見上げた。きっと墓の主は不満でいっぱいだろう。だけどサブローは散々泣かされてきた。それくらいの仕返しは許されるはずだ。
いたずらっ子のような気分で自分が殺した女の墓に視線を戻す。意外なほど穏やかな己に、サブローはなんだか不思議な気持ちになった。
次回更新から最終部を始めます。
引き続きお付き合いください。




