一二八話:強さと弱さの肯定
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サブローは胸の痛みをこらえながら戦っていた。
たしかに“竜妃”は怖い。
サブローを閉じ込め、ひたすら嬲り、大切なものを奪おうとした。引きつる顔にはそのことに対する恐怖が存在している。だけど今は、耐えられるものになっていた。
フィリシアが自分の代わりに頑張って居場所を作ると言ってくれた。彼女だけでなく、多くの人がそのために戦えると教えてくれた。サブローの弱音を聞いて、優しく包んでくれた。
あの言葉と身体のぬくもりが、強張りそうな心をほぐしてくれる。サブローに立ち向かえる勇気を与えてくれる。
そして“ヒメ”との戦いは悲しい。
いかに痛めつけられても、否定されても、居場所を奪られそうになっても、やはり彼女に惹かれていた。
最悪の半年間の中、ときおり見せるヒメとしての顔が、心の支えになったときもあった。できるなら殺したくないとずっと思っていた。ヒメに戻ってくれるのを、諦めたくなかった。
サブローは強く拳を握りしめる。ミコがサブローを強いと、ヒーローだと言ってくれた。彼女の熱が残る片頬が覚悟を固めてくれる。
ずっと自分にとってのヒーローだと思っていた少女が、認めてくれていたのだ。恥ずかしいところを見せるわけにはいかない。
おかげでヒメの死を背負う覚悟はできた。いや、誰にも殺させない。それができるだけの強さはもらったのだから。
サブローの動きが加速する。触手が躍り、フィリシアたちがつけた傷を狙って穿つ。触手の威力が足りないため、有効打を与えるための判断だ。
そして超接近戦を仕掛けているサブローに竜の爪が襲い掛かる。切り裂かれればひとたまりもない一撃を、逆手に構えた創星で受け止めた。触手と自らの手で後退しながら創星を持ちまわし、防御に回している。おかげで竜妃に隙が生まれた。
赤く巨大な機械拳がサブローの身体の傍を横切り、竜の魔人を打ち据える。隣に並んでいたミコがすかさず一撃を加えたのだ。サブローが隙を生みだし、ミコが重い一撃を与えるという役割分担は機能している。そしてフィリシアが追撃を加え、竜妃をさらに追い詰める。風の刃が黒い鱗で固められた外皮を斬り刻んだ。
「来ます。竜のブレスを固めた奴です」
サブローが冷静に伝え、少しして大量の火球が襲いかかってくる。フィリシアが風の壁を作り、ミコが炎のギフトで軌道を逸らし、協力して防いだ。
一方、サブローは火球の合間を縫って進み、竜妃を探す。予想通り炎に紛れて意表を突こうとする彼女を見つけ、迎撃に向かった。
「旦那様……こんな、あっさりと」
「あなたを見つけることなら、簡単にできます。ずっと、見ていましたから」
「……ふふ、こんな状況なのに、まるで口説かれているみたいで素敵です」
「そう取ってもらって結構です」
竜妃が――いや、ヒメが目を見開いて驚いた。サブローはその姿を見て乱れる心を鎮め、傷口に指を突っ込んで肉をはがす。
血が糸を引くが、竜の魔人もされるがままでは終わらず、サブローを蹴り飛ばした。腹で受けた衝撃に息が詰まり、一度地とぶつかって跳ね、触手を使ってすぐに体勢を立て直した。
「ああ、あぁぁ、嫌です。強い旦那様なんて認めません。もっと弱く、もっと泣き虫で……」
相手は両手を広げてサブローに無防備な状態を晒した。捨てられた子どものような顔が、サブローの胸を締め付ける。
「もっとわたくしだけを頼ってください」
「僕は……頼ってほしかった」
「無理ですよ。頼り方なんてとっくの昔に忘れましたもの」
奥歯を噛みしめ、サブローは右手を振りかぶった。ならばせめて、この手で決着をつけたい。
殺意を薄め、相手の熱気に意識を潜り込ませ、呼吸を合わせる。
そう戦えと教えられた。今自らが持てる最高の戦闘技術をもって、竜妃を迎える。
振るわれる爪を身を低くしてやり過ごし、巻き取る形で投げ飛ばした。火球を防ぎぎって追いついてきたミコが、二つの右拳を放つ。
空中で羽を操作し、二つの機械拳を竜妃は受け止める。ミコの一撃は防ぎ切ったものの、動きが止まった隙を突かれて光の帯に巻き付かれていた。フィリシアの装備だが、便利そうだと感想を抱きつつ、触手で加速した蹴りを叩きこむ。
「くっ……鬱陶しいですね、小娘たちは!」
苛立ちに任せた竜妃が巨大な火球を作り、勢いよく叩き潰す。生まれた衝撃波にサブローたちは吹き飛び、バラバラになる。
触手を地面に叩きつけて体勢を立て直したサブローが、迫りくる竜妃の手のひらを正面から受け止めた。
もちろん、すぐに触手と足腰を駆使して横に受け流す。対応されたことが意外だったのか、相手は驚愕の顔を浮かべていた。
「旦那様の戦い方、これは!?」
サブローと同じことに気づいたようだ。培った戦闘方法は、竜妃相手だと実にしっくりきた。それもそのはずだ。
「先ほどから、ずっと……。ああ、鰐頭様、余計な……真似を」
鰐頭はずっと、サブローに竜妃を倒す方法を教えていたのだから。もっとも、サブローは気づかなかった。ただ少しでも自信を持ちたかった。鰐頭に褒めて欲しかった。
それが、いつか竜妃とまともに戦えるようになった時、力を発揮する物だと知らずに。
泣きたくなった。ずっと心が折れていたから、竜妃と戦えなかったから、無駄にしていた。
だけど鰐頭は、いつかサブローが立ち向かえると信じて鍛えてくれた。
「だとしても、なぜ、急に、旦那様が戦えるなんて――」
負けてもいい。折れてもいい。弱い自分を前に、居場所を用意してあげると言いきってくれたフィリシアがいる。
彼女のおかげで、サブローは弱い自分を肯定できるようになった。情けない姿も自分なのだと、ようやく理解が出来た。
ずっとできていると思っていた。サブロー自身、強いと自信が持てなかった。
だけど竜妃になにもかも蹂躙された自分を受け入れるには、中途半端に強くなった。力を手に入れてしまっていた。
あらためて心を丸裸にされたとき、折れてしまう自信に縋ってしまった。そんなものより、頼れと言ってくれる人がいたというのに。
そしてそんな力を持つ以前から、自分はずっと強かった。ヒーローだと思ってくれた、ミコがいる。
彼女のおかげで、サブローは強い自分が昔からいたのだと発見できた。竜妃を殺すという辛さだって克服できる。
結局怪物である彼女ではなく、人間である家族を選んだ。その罪を背負う覚悟はもうできた。
だから戦う。ようやく肯定できた己の強さを武器に、命を狩りに向かう。
竜妃の爪の連撃を三本の触手を犠牲に防ぎきる。懐に潜り込み、逃がさない。
至近距離からの火球を放たれ、五本の触手を犠牲にして身体に届かせない。触腕を相手に巻き付かせ、引き寄せた。
鱗が剥がれかけた、腹部の外皮の傷に右手の指をねじ込み、傷を広げる。痛みにかまわず、竜妃が右手首をつかんできた。
蕩けるような笑顔を向けられながら、サブローは左手で握りしめる創星を自らの右手のひらごと、相手の腹部を貫いた。
竜妃が血を吐き、岩壁に縫い止められる。人に戻ったサブローは震える左手を柄から離し、無意識に彼女に伸ばした。
「ゴホッ、ガッ……ダメ、ですよ。心の臓ならともかく、お腹では……このような真似をする元気が残ります!」
鋭い竜の爪が日の光を反射する。まっすぐにサブローの首筋めがけて突き出された。
「サブローさん!」「サブッ!」「アニキッ!」
三者三様に注意を促すが、遅い。ただサブローは無防備に刹那の時を待った。
竜の魔人は、自らの爪を皮に触れるか触れないかの状態でぴたりと止めた。
「フフ、フ……やはり、これ以上進めません。何度か旦那様を殺して、永遠にわたくしの物にしようかと、思っていましたが」
「ヒメには無理です。寂しがり屋ですから、喋れない僕に耐えられません」
「…………理解されることが、こんなにもうれしいなんて」
嫌味のない、素直な彼女の笑顔が見えた。サブローはくしゃりと顔を歪める。
「なぜ悲しそうなのですか? あなた様を苦しませる、怪物が一匹消えるというのに?」
「僕は、ヒメが好きでした。愛していました!」
竜妃は一度目を瞬かせてから、笑顔に穏やかさを足す。軽くため息をついて、自嘲気味に話しだした。
「何度も聞いたのに……何度も言わせたのに、死ぬ間際になってようやく、なんの不安もなく聞けるとは皮肉ですね」
「あなたは僕が初めて愛した女性です。ですのに、なんで、こんなことを……」
「怪物ですから。なんの疑いもなく、純真な旦那さ……サブロー様の、愛に応えるには、悪逆を尽くしすぎました」
「ヒメなら一緒に背負いたかったです」
「嫌です。こんなものをサブロー様に背負わせるくらいなら、嫌われる道を選びます。ああ、それにしても………」
死に間際の力を絞って、彼女は創星を引き抜こうとする。重そうな様子なので、思わず手を貸してしまった。
「わたくしが、サブロー様の初恋の相手……ふふふ、ふふ、嬉しい。あの小娘たちにようやく、一つ勝てました」
口とは違い、表情に暗い愉悦はなく、ただ純粋に喜んでいた。彼女はサブローの右腕を抱き込みながら、胸元に縋りつく。
「はあ、よかった。わたくしは、サブロー様に……初恋の相手を殺したという重荷を、背負わせることができるのですね」
人から怪物の笑顔に変わり、ドロッとした悦びが声音に混じる。
「ずっと、苦しんでください。ずっと、忘れないでください。夢に見るたびに後悔をして、幸せな時にふと思い出して気分を沈めてください。わたくしが、あなた様の心に、ずっと残っていると、証明し続けてください。そのために……あなた様を呪います」
竜の魔人の身体から、黒い瘴気があふれ出た。フィリシアたちが忠告しながら急いで駆け寄るが、サブローは無防備に受け入れる。
彼女の生みだした瘴気がサブローの身体に入り込み、内側から右腕と右目を食われるような感覚が起きる。痛みが走り、俯いて耐える背中を、フィリシアとミコが支えた。
「サブローさん、大丈夫ですか!?」
「竜妃! あんた、なにを……」
「安心してください。死ぬことは、ありません。むし、ろ、逆……です」
身体の中のなにかが食い破られた。代わりに“それ”が居座り、乗っ取った感覚を受ける。
サブローは食われた感触のあった右腕を見つめる。すると、手のひらの傷は綺麗に塞がっており、痛みも消えていた。
ただ、右腕すべてがまるで焼け焦げたように、真っ黒に変貌している。
「サブローさんの右目の周りが黒く……本当にこれ、死ぬことはないんですか!?」
「…………フィリアネゴ、そいつの言うことは多分本当です。おい、竜妃。お前、自分の魔をアニキに移したな。なんでそんなことができたんだ?」
「さあ? 長く生きて、いたら、いつの間にか、できるようになっていま、した。でも、死に間際の力では、腕一本と右目だけで精いっぱいのようですね……」
彼女は愛おしそうにサブローの右目周りを撫でる。フィリシアとミコが不満そうだったが、今は抑えてもらった。
「その右腕、と……鏡を見るたびに、わたくしを思い出してくだ、さい。ふふ、あなた様の魔を食い尽くせず、ざんね……」
無尽蔵に思えた竜の魔人の命が、ようやく終わった。見開かれた目を閉じさせ、サブローは地面を殴る。
結局、人の心を取り戻すことはできなかった。永遠に、できなくなってしまった。
悪夢を見せる竜妃から解放はされたが、かつて隣に立ちたいと夢を見た竜妃を殺した重みを背負う。
勝ったはずなのに、負けた以上に大きな喪失感がサブローに襲い掛かった。
ふと、両肩に人の体温を感じる。こちらの悲しみを察したのか、フィリシアとミコが左右から撫でてくれた。たまらず、サブローは二人を抱き寄せる。
フィリシアは予想していたように抱き返し、ミコは一度驚いてから、おずおずと手を伸ばした。
声を押し殺して涙を流す。解放された喜びも、大事だった人を殺した悲しみも、すべて混ざって心が混沌とする。
胸にたまり続ける感情を吐き出すように、サブローは嗚咽し続けた。