一二七話:怪物ではなく、人として
巨大な火球とたつ巻がぶつかり合い、岩肌を削り、木々を吹き飛ばしていた。
無論、火球を操るのは竜妃。たつ巻を生みだしたのはフィリシアである。
これまで以上に大きく、威力のあるたつ巻をぶつけたものの、それでも押されていることをフィリシアは実感していた。
「本当、顔だけではなく、精霊術まで初代創星の勇者を思い出しますね。ですが、これで終いです」
「うっ……ぐっ……」
フィリシアは歯を食いしばって、全身から魔力を絞り出す。負けるわけにはいかない。
「まあ、殺すのは後に回しておきますよ。もっともと、女として致命的な傷は覚悟してもらいますが」
暗い愉悦に満ちた竜妃の嘲笑が届く。そんなことより、サブローを傷つけることがフィリシアは許せなかった。
「創星さん、もっと強化してください!」
「いえ、これ以上はダメです。フィリアネゴが死んでしまいます」
「死んでも……サブローさんを守りたいんです!!」
フィリシアが言いきって、迫りくる火球を睨みつけた。覚悟はとっくにできている。それでも創星が渋る。
「ダメです。フィリアネゴを死なせるような真似はできません」
「でも、このままではどの道、似たような状態になります!」
「それはあり得ません。……来ましたよ」
援軍の到着を知らされ、フィリシアは軽く目を見開いた。同時に炎が後方から現れて、たつ巻にまとわりつく。
水の国で現れた炎のたつ巻が竜妃の火球を押し返し、やがて一緒に消滅した。顔を歪める敵を警戒しながら、フィリシアは遅れてやってきた味方に告げる。
「師匠さん、遅かったです」
「あーごめん。後でアイスを奢るから許して」
悪びれながらも、嬉しさを声音に隠さないミコが追い付いた。こちらも竜妃の動向をうかがいながら、チラ見でフィリシアを観察した。
「……フィリシアの羽、なんかごつくなっていない?」
「イチジローさんと同じやり方で強化しました」
「えっ、ずるい。あたしにもやり方を教えて」
まさか子どもっぽく言われるとは思っていなかった。竜妃と戦うというのに、ミコから緊張感を感じない。むしろどこか嬉しそうなのが引っかかった。
サブローとなにかあったのだろうかと、乙女の勘がささやく。後で問い詰めるとひそかに思いながら、創星を揺さぶった。
「了解です、フィリアネゴ。ミコ、これがナギん家で言ってた、オレを持つ意味だ」
「ああ、あれか! あたしにもやって。はやく」
「おう、元よりそのつもりよ。明日からしばらく、身体がガッタガタになるけど気張れよ!」
創星の応援とともに、ミコの天使の輪が赤い金属片の繭に包まれる。風の弾丸で竜妃をけん制し、割れるのを待った。
フィリシア自身のときと同じく、さほど時間を必要とせず、すぐにミコが姿を見せる。
天使の輪が姿を変えたガントレットはあまり変化をしていない。しかし、両肩にゴーレムの両腕のようなものが現れ、浮かんでいた。造形がミコのガントレットと似通っており、遠目には腕が四つに増えたように見える。
また背中のリングは知恵の輪のように三つ連結されており、それぞれ回転していた。
自らの新生した武装を見届け、ミコが満足げにうなずく。
「なるほど。創星、これすごい」
「その分反動がきついけどな。反動自体はできる限りオレが抑えるけど、さっきのフィリアネゴみたいにもっと加護を増やせとかいうなよ。さすがにやばいから」
フィリシアだってミコが来ていると知っていたら、要求はしなかった。抗議をするべきか迷ったが、後にしておく。
片づけなければならない相手が、目の前にいるからだ。
「では師匠さん、あいつを倒しに行きましょう」
「もちろん。いつもみたいにあたしが前、フィリシアが後ろ。いいね?」
「でも無理はするなよ。ちゃんとミコの天使の輪も解析するから」
「大丈夫。この様子なら、単純に性能アップしただけっぽい」
ミコが肩を回すと、左肩に浮く機械腕も似たような動作をした。その様子を見届けたミコは「思い通りに動く」と満足げに言い、竜妃を睨みつける。
ゆっくり背中の三連リングを回転させたかと思うと、あっという間に敵へと突貫していった。
あまりの速さにフィリシアが慌てて援護をするが、ミコはあっさりと適応して竜妃と接近戦を繰り広げてきた。
巨大で無骨な機械腕を、初めてだというのに器用に操り、間断なく打突の連撃を加えていく。
「くっ、この……煩わしい!」
「ふん、いつもの余裕が崩れているよ!」
生身と機械の右腕による二連突きで竜妃が後退し、風の弾丸をねじ込む隙が生まれる。削れた竜の鱗が舞う中、またも赤いガントレットが振るわれる。
さすがに竜の魔人もなすがままでは終わらず、強引に受け止めてから機械腕を蹴り飛ばした。さらに追撃をしようと身をかがめた竜妃を、フィリシアの光の帯が縛る。
ミコが感謝を告げながら体勢を立て直し、重い一撃を与える。たまらず吹き飛んだ敵に、炎と風を二人は撃ちこんだ。
「いける! このままなら、あいつに勝てる」
「はい、師匠さん。もっと……」
「本当いけると思っていますか?」
師弟の会話に竜妃が割り込んできた。追いつめられているはずなのに、顔に焦りが見られない。
フィリシアは嫌な予感がする。
「『魔人を殺す魔人』と似たような強化に戸惑いましたが、これは大昔にも見た、初代勇者を強化した力でしょう」
創星は押し黙る。答えが返らなくても、彼女は己の優位性を確信している様子だった。
「強がっても無駄。今はあたしたちが有利なんだから、たたみかけるよ。フィリシア!」
「はい。やりましょう、師匠さ……」
一歩踏み込んで再度戦おうとしたフィシリアの片膝が崩れる。すぐに立ち上がろうと力を入れるが、上手くいかない。
「ふふ、限界が来たようですね。だいたい不思議に思わなかったのですか? 簡単に力が増すのなら、なぜ今まで使わなかったのかと」
悠々と竜妃が歩み寄ってくる。嗜虐的な笑みがフィリシアたちに向けられた。
「勇者でさえ加護の増加は負担が大きいようで、わたくしと戦った後は二、三日寝込んだと聞きます。さて、あなた様方ではあとどのくらい、戦えるのでしょうね?」
一気に状況が変わり、フィリシアとミコはくやしさに呻く。竜妃が持久戦に持ち込む気なのは明白だ。短期決戦を仕掛けるつもりだが、倒しきれるかは怪しい。
とはいえ、それ以外に手はない。フィリシアはどうにか立ちあがり、翼を動かす。
「フィリアネゴ、ミコ、無茶は……してもらわないと困るか。ギリギリ命は拾うんで、絞り出しきってください」
フィリシアとミコが創星に礼を言い、一気に決着をつけるため、速攻の位置取りをする。
再び三人の間に戦闘の気配が起きるが、土を踏みならす誰かの足音に意識が逸れた。
「旦那様!」
竜妃の喜びの叫び通り、サブローがとぼとぼと歩いてきた。フィリシアは焦る。
なぜ待っていてくれないのか。早く逃げて。
すべてを口にする前に、隙をついて竜妃がサブローに飛んで近寄る。慌ててミコと一緒に追おうとするが、遅い。
「ふふ、旦那様。我慢できず、わたくしに会いに来てくださったのですね。さあ、手を取ってください。一緒に邪魔者のいないところへ……」
竜妃の言葉は、腹部を打ち据えた触手によって中断された。不意を突かれた敵が吹き飛び、フィリシアは唖然とする。
まったく攻撃の始動が読めなかった。殺気が乗っておらず、それでいて威力が充分の一撃だ。あの竜妃ですら対応が出来ていない。
「え? わたくしが、旦那様の触手に気づかなかった……? そんな、バカな!」
現実を受け入れられず、竜妃は再びサブローに迫る。捕まえようと竜に変化した両腕を振るうが、サブローは忽然と姿を消す。意識の隙間に滑り込む技術を使ったのだと、理解が及んだ。
技はあまりにも見事で、フィリシアたちだけでなく竜妃もサブローの姿を見失っていた。
次の瞬間、敵はのけぞった体勢で吹き飛び、地面を転がっていく。掌底を打ち据えた形をとっていたイカの魔人が姿勢を崩し、跳躍してフィリシアの傍に立った。
一連のサブローの戦い方は見覚えがあった。いや、出会ってからずっと、目に焼き付けていた、本来の戦い方を彼は取り戻していた。
「アニキが……アニキがようやく、調子をとりもどした! ひゃっほーい!!」
「そ、創星さん。暴れないでください! ……サブローさん、もう大丈夫ですか?」
人に戻ったサブローは静かに微笑み、かすかにうなずいた。顔がわずかに青ざめているため、恐怖が完全に消えたわけではないだろう。
しかし、今までと違って瞳に力が入り、身体中に闘志がみなぎっていた。
「別にサブが来なくても大丈夫なのに、って言えたら格好良かったんだけど、ちょっと手が足りない。助けて」
「はい。ヒーローかどうかは定かではありませんが……」
サブローはゆっくりと右手をフィリシアに差し出す。
「今は自分のために、決着をつけたいと思います。手を貸してください」
一にも二にもなく、フィリシアは頷く。創星を片手に、迷いなく前を向いたサブローを見て、嬉しさに泣きたくなった。
「うっしゃー! アニキ、なんでも言ってくれよ! オレ、全力で盾でもなんでもこなすぞ。剣だけどな! あ、フィリアネゴたちの加護の管理もあるから、ちょい意識をそっちにも向けるけど」
「基本はフィリシアとミコの援護をお願いします。光も、剣としての役割も、僕に委ねてください」
「おう! ……ん? 剣として?」
「自分でも剣と言っていたではありませんか。それに初めてではないでしょう。一緒に頑張りましょう、“創星”」
苦笑しつつ、初めて愛剣を呼び捨てにしたサブローは前に出る。その隣にミコが並び、フィリシアが後ろで援護の準備を整えた。
「ヒメ、お待たせしました。もう、終わりましょう」
「旦那様。わたくしは竜妃で……」
「ヒメですよ。今も昔も、ずっとそうでした。だから僕は……」
ゴキゴキ、とサブローは片手だけで器用に骨を鳴らす。
「怪物ではなく、人としてのあなたを殺します」
サブローの宣言を受けて、フィリシアたちは散開する。どこか悲しげな感情を声音から読み取れたが、フィリシアは気づかないふりをした。