一二六話:あなたがくれた力
「フィリアネゴ、オレが加護を増減できるって話を覚えていますか?」
「最初に出会ったときの、男の人にやったあれですね」
空を駆け我ながら、フィリシアは創星の問いかけに答えた。彼がサブローを勇者に指名した広場で、反対した男を跪かせた力だ。
たしか加護を奪って弱らせたと言っていた。なぜ今話題にするのか、先を促す。
「それがどうかしましたか?」
「はい。あのときは弱らせたけど、逆に加護を増して強くすることもできます。勇者レベルでないと、耐えられない代物ですが」
「話は読めました。私にそれを使おうってことですね」
創星がわずかに刀身を上下させる。頷く動作だと理解した。
「どれくらい強くなれるかわかりませんが、希望が見えてきました」
「……オレの予想だとイチジローお兄さんの変化のような現象が、天使の輪にも起きるはずです。ミコに話したときは想定していませんでしたし、加護を増大させれば強くできるだろうな、としか思っていませんでしたが」
「天使の輪が強化されるという予想をしたのは、なにかきっかけがあったのですか?」
「お兄さんが変化したとき、疑似加護が増えたと同時に、天使の輪に似た気配を感じました。おそらく、お兄さんは天使の輪のパーツが埋められています。アニキがイカの魔を、竜妃が竜の魔を宿しているなら、お兄さんは聖剣を宿したようなものです。そりゃアニキたちと大きく違った魔人になるはずです」
初めての情報にフィリシアは驚きを隠せなかった。創星は「たぶんこれ、ガーデンの秘密でしょう」と前置きをしてから、続ける。
「だからきっと、フィリアネゴたちの加護を強化すれば、天使の輪も強化されます。ただ、加護を強くするだけで人には相当負担がかかってしまいます。天使の輪が変わるほど……お兄さんみたいなパワーアップするほど増せば、フィリアネゴがどうなるかわかりません。もちろん、ちゃんと死なないようにオレが頑張ります」
「構いません。やってください」
「言うと思いました。けど、どれくらい持つかわかりませんので、竜妃と戦うって時に使います。覚悟だけはしておいてください。あ、それとこれだけ近いなら、解析ができると思います。最初はなるべく時間を稼いでください。使い方を説明します」
頷いてから、速度を徐々に緩めて宙に浮かぶ。敵を発見したので、待ち構えるつもりだ。
竜妃はイチジローを相手にしたときのように、胸から下を魔人に変化させた姿であった。不思議そうにこちらを見つめ、竜の翼を羽ばたかせ、宙に浮かんで対峙する。
「どういうつもりでしょうか?」
「あなたを倒しに来ました」
フィリシアの宣言を受けると、竜妃はバカにしたような笑みを浮かべた。彼我の力量差を考えれば当然なのだが、むかっ腹が立つ。
「あなた程度で勝てるとでも……」
「勝てるさ。フィリアネゴなら、お前なんかに負けねー」
創星に啖呵を切られ、さすがに訝しげな顔を竜妃はする。脅威と感じていないのか、油断していてありがたいようであり、腹立たしいようであり、フィリシアは複雑であった。
「創星さん、頼みます」
「了解です。フィリアネゴ、気張ってくださいよ!」
瞬間、身体の中でなにかが膨れ上がった気がした。フィリシアの手には余る、力が増して身体を揺さぶる。
それでも脳裏にサブローの姿を思い浮かべ、膨れ上がる力を抑えきれた。つつっと、流れた鼻血を乱暴に袖で拭う。
次の瞬間、機械翼が震えて目いっぱい横に広がる。やがてイチジローの変化と同じように、白い装甲版の塊を生みだしてフィリシアを覆った。ピキピキと卵が割れるような音が鳴り、天使の輪が変わっていくのを実感する。
跳びそうになる意識を気合でつなぎとめ、視界が晴れるのを待った。
やがて亀裂が入り、卵のように割れて散る。晴れた空のもと、フィリシアの翼は新生した。
本体である巨大な一対の羽は真っ白に変り、意匠が多少変わっただけに過ぎない。だが翼の付け根に追加された四門の噴射口がイチジローのような小さな光の翼を生みだしている。
そのうえ、フィリシアの両手には武骨な手甲が追加されていた。こちらにも何かを発射する穴が開いており、攻撃的な印象を受ける。
見た目以上に内から感じる大きな力に、フィリシアは生唾を飲んで竜妃を見据えた。扱い切れるかどうかの不安はない。無理やりねじ伏せてでも使いきる。ただその覚悟だけがあった。
「まさか『魔人を殺す魔人』と同じ? くだらない、無駄であることを思い知ってもらいます!」
不安を紛らわすように竜妃が炎の塊を発射した。フィリシアが認識した瞬間、翼の付け根から伸びていた光の翼が変化し、輝く長い布のように伸びて炎を迎撃する。
その変化を見届けたフィリシアに、サブローの戦い方が浮かぶ。すぐさま残りの翼も同じように変化させ、竜妃に襲い掛からせた。
「くっ、この!」
光の帯は三本が避けられたが、一本だけ竜妃の身体に届いた。竜の魔人の外皮に傷が生まれ、フィリシアは喜ぶ。イ・マッチのスクロールの存在は知っていたが、それでも自分が傷つけられるか不安だったためだ。
これで戦える。いや勝てると思考してから、フィリシアは早かった。
風の弾丸を次々生みだす。今まで以上に大きく、多く、暴力性を増した精霊術を竜の魔人に叩き込む。
炎のブレスで迎撃しきれず、竜妃は打ち据えられていく。出だしはフィリシアのペースだ。それでもいつでもひっくり返されかねない、薄氷を履むが如し戦いだ。
「調子に……乗りすぎです!」
竜妃がなりふり構わず突進してきた。襲い掛かる空気の弾丸も刃も、光の帯も無視をしながら、一直線に。
接近戦が弱いことはフィリシアも自覚している。それでも焦らず、創星の言葉に耳を傾ける。
「フィリアネゴ、そのガントレットは接近用の武器ですぜ!」
「それでは新しい力を使います」
言いきると同時に、フィリシアは魔力を手甲へと送る。すると背中に生えていた光の翼が消え、代わりに手甲の噴射口から光が伸び、剣の形になった。
竜妃の爪を受け止め、外皮をやすやすと切り裂く。思わず喜んだフィリシアにわずかな隙が生まれ、蹴りで地面に叩き落とされた。
「フィリアネゴ、気を付けてくだせえ!」
「わかり……ました!」
痛みに顔を歪めながらも、風の刃と光の帯で竜妃をけん制する。やはり厄介な相手だ。
竜妃も追いかけてくるため、離れながら風の精霊術を使う。自分の得意な距離を維持するのに、フィリシアは苦労し始めた。
◆◆◆
ミコは目を覚まし、柔らかい芝生の上に寝かされていたことに気づいた。
周囲はサブローを探して入った山で間違いないようだ。風景に変化がない。
上半身を起こし、見知った幼なじみの姿を見つける。
「サブ! 逃げ切れたんだ」
喜び駆けつけると、サブローに青ざめた顔を向けられた。彼は地面にへたり込み、一歩も動こうとしない。
「サブ?」
「ご、ごめんなさい。ミコ、フィリシアを、たすけて……」
ミコがどういうことかと驚いていると、サブローがぽつぽつ状況を話し出す。
「フィリシアが、ぼくを守るためにヒメと戦いにいって……たすけたいのに、身体が動かなくて…………」
くやしさと情けなさを混ぜ合わせた顔を伏せて、サブローが震える。ミコはその姿を見て、フッと微笑んだ。
「だいたいわかった。フィリシアはあたしに任せて」
「ぼくが弱いから……迷惑をかけて、ごめん」
「全然。サブは強いよ。今だってそう思う」
サブローが信じられないものを見たような目を向けてきた。思わずミコは苦笑する。
「無理に褒めてくれなくたっていい。ぼくが情けないのは、自分が一番わかっているから……」
「別に無理していないよ。竜妃があれだけサブに酷いことをしたのに、フィリシアのために戦おうとしているのは強いって思う」
「でも、ぼくは結局立向かえない。ヒメと戦おうとしてくれる、フィリシアやミコの方がよっぽど強い!」
ミコはサブローの隣でしゃがみ、頭を抱き寄せた。目をつむると、彼が連れ去られた日を思い出す。
「サブ、覚えている? あたしだってサブが連れていかれた日、なにもできなかったよ」
「あのときは戦うために力がなかったし、仕方な……」
「サブはさ、力がなくても立ち向かってくれた」
目頭が熱くなり、当時の想いが蘇ってくる。ガーデンでのミコは兄の背中を追っていると思われていた。実際間違いではないし、兄は目標の一つだ。
だけど、本当はずっとあのときのサブローの姿があった。本当に強いというのは、力以上に心のことを言うと信じていた。
「あたしを守るために戦ってくれた、あの日からサブは全然変わらない。ずっと強いままだ。それでもあたしやフィリシアが強いと思うのなら……それはサブがくれた力だよ」
ミコは正面に回り、じっとサブローを見つめる。穏やかな気分で、力強く、自分の想い人を肯定する。
「ぼくが……?」
「うん。サブが見ているあたしたちの力は、全部サブの力。サブが強かった証拠だよ。だからさ、自分のことを責めないで。情けないなんて思わないで。ちゃんとあたしたちが、サブの力を証明して見せるから」
サブローが呆然とミコを見つめ返した。その姿は幼く見え、昔の彼を彷彿させる。
ミコは立ちあがり、相変わらず微笑んだまま態度を変えない。
「それにあたしはサブがまた立ちあがってくれるって信じている。座ったままで終わらないって、信じている。今日立ちあがらなくても明日立ってくれる。明日が無理なら、明後日立ってくれる」
誰だってすぐに立ちあがれるわけではないことを、ミコは知っていた。彼女自身、サブローが連れ去られてしばらくは迷惑をかけっぱなしだった。
天使の輪というきっかけがなければ、いまでも腐っていたかもしれない。そう思い返すと、必ず立ち直るサブローはやはり強い男だと、あらためて尊敬をした。
立ちあがれない自分を情けないと自覚する余裕すら、昔のミコはなかったのだから。
だからこそ、かけるべき言葉は決まっていた。
「だってサブは、あたしにとってヒーローだから」
強さを知っている。優しさを知っている。誇るべきだと知っている。
これだけではない。伝えたいことは山ほどある。
そんな万感の思いを込めて、大好きな人に伝えた。
「ぼくが……兄さんでなく…………?」
頷き、少し恥ずかしくなったのを誤魔化すように顔を近づけた。不意打ちで頬に唇をつけ、すぐに離す。
「じゃ、行ってくる。サブが戦えるようになるまで、時間を稼ぐのがあたしの役割だから。だけどね、サブ。倒しちゃっても文句を言わないでね」
早口で言って、その場を離れる。感極まってやってしまったが、自分の行いが恥ずかしさに拍車をかけていた。
天使の輪を展開して逃げるように加速する。やってしまったという後悔と、ついにやってやったという嬉しさで気分が混沌としてきた。
フィリシアに言うべきかどうか、少しだけ困りながら青空を進んだ。